本当に、水俣病の人に「過去なんて関係がない」「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言っているようなものなのだ。ほんとうに、水俣病の人に「過去の出来事は、現在に影響をあたえない」と言っているようなものなのだ。脳みそが、器質的に変化すれば、感情面でも影響がある。ヘビメタ騒音の繰り返しと、毎日の睡眠不足は、器質的な変化をひきこ起こしたと思う。これ、分子レベルの構造的な変化なんだよ。
一日のなかでの感情の変化というのはある。一日のなかで、憂鬱になることがあれば、憂鬱になる。けど、けど、けど、数千日の繰り返しは、質的な変化をうみだす。ちがうんだよね。けど、数千日の繰り返しを経験してない人は、質的な変化がないわけだから、一日のなかでの変化しか、経験してない。そういうレベルの「憂鬱」を考えてしまう。数千日も、二時間、三時間しか眠れないような状態が続き、きちがい家族によるしつこい騒音が毎日、何時間も何時間も数千日にわたって続けば、そりゃ……。みんな、わかってない。そういうレベルの騒音であるはずがない。そういうレベルの憂鬱であるはずがない。そういうレベルの「困難」であるはずがない。これ、やられればみんな、「楽しめなくなるのに」……そういう経験がなかった人に「本当につまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」なんて言われるようになる。ぶっとばしてやりたくなるね。けど、ぶっとばさないけど。
これ、みんな、ヘビメタ騒音・数千日を、あまく見て、好き勝手なことを言うんだよな。自分だっておなじ状態で、数千日暮らせば、「楽しめなくなる状態」になるのに、そういうことを言う。人間なら、そうなるのに……。人間なら、脳が器質的に変化してそうなるのに……。数千日は、十数年間でもいい。
めちゃくちゃにつかれているのに、その日、きちがいの音にずっとさらされたので、眠れない状態なんだぞ。夜ずっと、そういう状態なんだぞ。そのときの時間経過が、どれだけくるしいか、みんなわかってない。『鳴り終われば眠れる』と思っている。そんなんじゃない。そういうレベルの経験をしたことがない。好き勝手なことを言うな。
ほんとうに、ぼくの人生というのは、きちがいにやられて、バカにバカにされる人生だ。