たとえば、ブラック社長は、ほんとうは、名前だけ店長がやっていることができないとする。どれだけがんばっても、一日だって、名前だけ店長がやっふいることができないとする。
けど、ブラック社長は、社会ピラミッドで名前だけ店長よりも上だし、個人中心とした上下関係で、上なので、好き勝手なことを言えるのである。ブラック店長が「俺だって苦労をした」と言えば、いま名前だけ店長がしている苦労と同等の苦労をしたということになってしまうのである。
まあ、一日もできないではなくて、ブラック社長が三〇日間続けて、できないとする。その三〇日間しかできない人が、「俺だって、苦労をした」「できると言えばできる」と言って、名前だけ店長に、長時間労働をおしつけるのである。
そんなの、仮定の話じゃなくて、実際にやってみなければわからないだろ。
きちがいヘビメタ騒音を過小評価する人たちは、実際に、俺とおなじヘビメタ騒音生活をしてない人なのである。したことがない人たちなのである。こいつらが勝手に、ヘビメタ騒音の影響を無視して、「俺ならできる」という前提でものを言う。それは、架空の話だ。仮定の話だ。
一定の時刻に通うことが「どうしても、できなくなる」のだよ。
けど、そういう生活を数千日にわたって経験したことがないやつが、空想でものを言う。架空の前提でものを言い、核の前提には、言及しない。俺だって、一定の時刻に通うということはできていた。
けど、ヘビメタ騒音生活二〇〇〇日ぐらいで、できなくなった。
俺と同等のヘビメタ騒音生活を二〇〇日経験してからものを言ってくれ。ヘビメタ騒音は、ヘビメタが好きな人にとっては騒音ではないので、その人が、「この世で一番嫌いな音」をヘビメタ騒音とおなじ音のでかさで、同じ時間の長さ、聞かされる状態で暮らして、それでも、通勤通学ができるというのであれば、そういうふうに言えばいい。
おなじ条件で、おなじ状態を経験しなかったやつが、わかったようなことを言うな。