2023年10月13日金曜日

「人に親切にすることはいいことだ」「人に親切にしましょう」

「人に親切にすることはいいことだ」「人に親切にしましょう」ということについて考えみよう。問題を起こしている宗教団体の教えにも、「人に親切にすることはいいことだ」「人に親切にしましょう」という教えがあるかもしれない。けど、「親切にする」ということの抽象度が高すぎるのである。そして、「親切にする」という行為が一意に決まるわけではないのである。なので、本人は親切にしたつもりなのだけど、逆に恨まれるというようなことが発生する。親切にしようと思ってやったことなのに、「ありがた迷惑だ」と迷惑がられることがある。その場面の状態というのが、めちゃくちゃに、複雑なのだ。いつも、理想的な状態が成り立っているわけではない。ところが、抽象度が高い言葉の場合には、条件が無視されている。だれがだれに、どういう状態で、どういう行為をするのかということによって、じつは、親切にするという行為の質が決まってくる。状態に埋め込まれた現実しかないのである。けど、頭のなかには、「親切にする」ということにかんするイメージがある。そのイメージに合致したことをすることが「親切にする」ということなのである。ある人の頭のなかに、「親切にする」という行為はいかなる行為かということにかんする「ちゅうょう的な」イメージがあるのである。だから、その人にとっては、そのイメージに合致したことが親切にすることなのである。けど、条件によっては、それが、親切にしたことにならない。逆に、条件によっては、迷惑をかけたということになる。

たとえば、条件を無視して、自分のなかにある「親切な行為」を相手にやってやれば、それは、相手に親切にしたということになると思っている人がいるとする。その人にとっては、その人のなかにある親切な行為に合致した行為をすれば、実際に親切にしたことになるのである。けど、相手の状態がわからない人だと、相手が、「そんなことはやらなくてもいい」「逆に迷惑をする」と言っても、それは、無視してしまうのである。自分のなかにある「親切な行為」にこだわって、親切にしているわけだから、自分のなかでは、それは「親切な行為」であるに決まっているのだ。「いやがるひと」「迷惑に感じする人」がいるとは思えない。なので、そういう現実は無視してしまうのである。

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何度も言うけど、悪いことをしている宗教団体の教えにも、いい内容があると思っている人がいるかもしれないけど、その「いい内容」というのは、じつは、悪い行為に寄与している確率が非常に高い。

それに、たとえば、 「人に親切にすることはいいことだ」「人に親切にしましょう」という単純で正しそうに見える、「教え」をその宗教団体がもっていたとして、その「教え」が正しいのかどうかわからないところがある。

まあ、どれだけ言ってもむだだろうけどな。

『幸福のツボ』を売ることは、相手を幸福にすることだからいいことだと思っているなら、これだって、「親切な行為」の中に含まれてしまうのである。その宗教に勧誘することは、相手を「善に目覚めさせること」だから、いいことだということになっているとする。けど、勧誘されたほうが、いいことをされた(親切にされた)と思うかどうかはわからない。

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単純な意味で「人に親切にすることはいいことだ」「人に親切にしましょう」というような「教え」は、ほんとう、その宗教団体に属さないとわからないことなのかという問題もある。そんなのは、いくらだって、言われている。別に宗教団体の教えのなかになくても、普通に、言われていることだ。小さいときから、普通に言われていることでしょ。けど、ここで指摘したように、じつは、いろいろな問題がある。「単純だから正しい」とは言えない。

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不利な条件で生活してきた人に「過去は関係がない」「今現在に集中すればいい」「つらいと言うからつらくなる。楽しいと言えば楽しくなる」「できないと言うから、できない。できると言えばできる」などと助言することが、親切な行為なのかどうかということだ。言っているやつは、親切にしてやったと思っているかもしれない。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。