あとは、親父のことを思い出していた。ほんとうに、腹がたつ。頭のしくみがおかしいい人というのがいるんだよ。そういうことがわかってない人が「自己責任論」を持ち出す。
どういうことになっても、自己責任だという自己責任論を持ち出す。
これ、本当に、精神的に問題がある家族と一緒に暮らしたことがない人の言うことなんだよな。どれだけこまるかわかってないな。
どれだけ、いろいろなところ影響が出るかわかってないな。自己責任なわけないだろ。それなら、一切合切の「限定責任」がしょうじないということになる。
認知症の人と暮らしている人は、認知症の人と暮らしている人の「悩み」があると思う。けど、それは、普通の人と暮らしている人にはわからない。
で、親父の問題は、認知症の問題よりも、深刻なんだよ。こっちのダメージがでかくなる方向で、普通の人とちがうんだよ。
こんなの、やられたほうの責任であるはずがないだろ。
自己責任論というのは、こまっている人に、難癖をつけて、いじめるための理論だ。ほんとうは、そのこまっている人の責任じゃないのに、そのこまっている人の責任だと決めつけて、責任追及をしはじめる。
本当は限定責任ですらないのに、「おまえのせいなんだ」「おまえが悪いからそうなった」と人をせめる。だれが、人のせいにしていると思っているんだよ? 自己責任を問う人たちが、勝手に人のせいにして、勝手にせめているのである。限定責任範囲外の「責任」は問われるべきではないのだ。それを、「おまえの落ち度でそうなった」と言って、無実の人をせめる。それ、じつはその人の落ち度じゃないんだよね。「ひとのせい」にしているのは、自己責任論者だ。
これで、いいことをしたつもりなんだから、本当に、こういうやつらも、こまるなぁ。
言っておくけど、無実の人罪をきせて、無実の人をせめたということにかんする限定責任はしょうじている。やったとたんにしょうじている。