ニコニコの問題解決方法が、名前だけ店長には、有効じゃないのである。それは、構造によって押し出されているかどうかで決まる。ニコニコしたらいいことがあった……これは、事実だ」と言っている人たちには、よゆうがあるのである。
ようするに、条件がよければ、いいことがあったと思うことができる出来事が発生する可能性はある。あくまでも、可能性だから、「かならず」そうなるとは言えない。
もちろん、法則性なんてない。
あくまでも、まわりにいる人がどう感じるかだから、本人が、意識的にニコニコしても、「いつもおなじ反応が」「他者から」かえってくるとはかぎらない。
ところが、ニコニコ教の人は、「いつもおなじ反応が」「他者から」かえってくると思っているのである。自分の場合はそうだったから、他者がやった場合でも、その他者のまわりの他者がおなじように好意的な反応をすると思っているのだ。
けど、ニコニコしたところで、「気持ち悪い」と言われるかもしれないのだ。いいことが起こるとは限らない。
基本的に言って、ニコニコすればいいことがあるというのは、法則性があるものではない。無条件にそうなるものではない。
ところが、条件を無視して、法則性があると思ってしまっているのだ。なので、まちがっている。けど、悪魔が支配する世界では、こういうまちがいが歓迎されているのである。
どうしてかというと、これも、奴隷の道徳だからだ。奴隷的なあつかいをうけている「名前だけ店長」のような人が、「ニコニコ」して、のりきれば、それで、いいということになってしまっているからだ。
しかし、名前だけ店長は、無理をして働いているのに、さらに、「ニコニコする」という作業がくわわって、よりくるしい状態になってしまう。
そして、もし、のりきれたなら、そのぶんだけブラック社長がもうかるのである。そりゃ、奴隷労働者を効率よく使ったということになるから、利益があがる。