ほんとうに、きちがい兄貴が「なにもしてないつもりで」つねに、ヘビメタを最大限の音で鳴らすから、こまったよ。あれ、ほんとうに、きちがいだから、なにもしてないつもりなんだよな。「やめてく」と言われても、絶対にやめないのに、やめてやらなかった」というつもりが、まったく生じないんだよね。きちがい兄貴は、きちがいだから、スイッチがはいったらずっとやってしまう。一日中鳴らすつもりになったら、一日中鳴らしてしまう。それが、デフォルトだ。気にならないことは、どれだけ言われても、気にならないのである。だから、「でかい音で鳴らしてないつもり」で、本人の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らし続ける。それだって、「でかい音で鳴らしている」というつもりはないままだ。だから、気ちがい兄貴みたいなのが、「こってしまうと」こまるのだ。普通の話が通じない。スイッチが入ってしまうと、ずっとそのままやり続ける。きちがい兄貴にとって、自分の満足できる音で、ヘビメタを鳴らすことは、「いいこと」なのだ。迷惑行為じゃないのだ。どれだけでかい音で鳴らしていても、どれだけ、「うるさいからやめてくれ」と言われても、まったく「そんなつもりがないまま」やり続けることができる。本人は、まったく迷惑をかけたつもりがないのだ。定期試験のとき……中間期末試験のとき……どれだけ俺が苦労したか。どれだけ俺がふがいない思いをしたか。どれだけ俺が不愉快な思いをしたか。
もう、書いたから、ここでは省略するけど、無意識的なレベルで感覚器を書き換えてしまうのだ。耳が正常なら、絶対にでかい音だと感じるを音を、でかい音だと(意識レベルでは)感じなくなってしまう。でかい音で鳴らしたいからだ。本人は、普通の音で鳴らしているつもりなのだ。テレビの音とおなじぐらいの音で鳴らしているつもりなのだ。テレビとおなじぐらいの音で鳴らすなら、何時間鳴らしたって関係がないだろ」という気持が成り立っている。あとは、きちがい親父のように「でかい音で鳴らしている」ということを言われたら、目を三角にして、顔を真っ赤にして、怒り狂う。怒り狂って絶対に認めない。認めなかったということも認めないのだ。相手がでかい音で鳴らしている」と言ってきたということも、認めないのだ。ようするに、「でかい音で鳴らしている」と言われたことや、相手が言ってきたあと、その言葉を無視して、ずっと自分が鳴らし続けた……自分が満足できる音で鳴らし続けたということを無視してしまう。無視したら、やってないのとおなじことなんだよ。これ、ほんとうに、(相手が言ってきたということにかんしては)記憶がなくなってしまう。自分がそれでもやり通したといこうとは、都合が悪いことだから、記憶に蓋をしてしまう。きちがい親父のように、「やってない」ということになってしまう。頭の中でそうなってしまう。けど、その「やってない」と言ったあと、おなじようにやってしまったとしても、それはまったく気にしないんだよ。こういうきちがいだ。
自分にとって都合がいいいように狂っているのである。でかい音で鳴らしたいという気持があると……それが無意識的に強い気持ちだと……「でかい音で鳴らしても、普通の音で鳴らしてしいる」と思ってまうのである。これが、強力で、どれだけ言っても、気がつかない。認めない。あんな音で鳴らしているうちなんないよ。
これ、ほんとうに、きちがい兄貴が鳴らしていると……ずっと鳴らしていると……一緒に住んでいる「いえのひと」はそれを許容しているように、まわりの人からは、思われるのだ。そこのところで、いろいろと問題がしょうじる。たとえば、東側の空き地に家が建ったときに……。あれだって、きちがいヘビメタが先行して六年間も鳴ってなかったら、そんなにこたえなかったことなんだぞ。あれだって、きちがい親父が、アパートをすぐに借りてくれたら、問題がなかったことなんだぞ。東側に引っ越してきた人が、これたま、めちゃくちゃに、うるさい人(大きな音をたてる人)だったんだけど、「そっちだって鳴らしてんじゃないか」と俺が思われるわけだ。
ともかく、きちがい兄貴は、耳が正常な人なら「ものすごくでかい音だ」と感じる音で鳴らしてたんだよ。兄貴の友達が「こんな音で鳴らしてだいじょうぶなの」「家族の人かわいそうだよ」と言った音なのである。きちがい兄貴は「だいじょうぶ。だいじょうぶ」なんて言ってたけど、だいじょうぶであるわけがないだろ。それ、兄貴の友達がきて、兄貴が「普段の音で」ヘビメタを鳴らしたのは、俺が「やめてくれ、やめてくれ」と毎日言って、四年間ぐらい経過した日のことだ。毎日に毎日「うるさいからやめてくれ」と言っているのに「だいじょうぶだ」と本気で思っているのだ。これが、きちがいおやじタイプのきちがい。きちがいなんだよ。
兄貴の友だちが帰ったあとも、俺が「やめてくれ」「やめてくれ」と言っているのに、まったく気にしないできちがい的にでかい音で鳴らしてたよ。これが、毎日やっていることだ。気にしないのである。言われたら、言われたときだけ、発狂して、無視してやっちゃう。殺さなければやめさせることができない。「殺さなきゃやめさせることができない」状態をずっと毎日おしつけられていた。これ、おしつけ。実際に鳴らすことでおしつけている。どれだけ言っても、きちがいだから、まったくなにも通じないのだ。きちがい親父もおなじだけど、きちがい兄貴は、自分にとって都合が悪いことを言われた場合は、無視するのだ。これも、無意識的なずれがある。自分で催眠術にかけなければ、絶対に、「でかい音だ」とわかる音で鳴らしているのに、どれだけ指摘されても、本人は、「でかい音で鳴らしているつもりがない」まま、生活している。だから、「うるさいからやめてくれ」「音さげてくれ」と言われたら、言われたときだけ、めちゃくちゃに怒って、鳴らしてしまう。普段通りに鳴らしてしまう。何時から何時までということは決まってなくて、自分が鳴らせる時間は全部、その音で鳴らしてしまう。殺さなければやめさせることができない。
みんな、わかってないけど、めちゃくちゃな生活になる。ほんとうに、明るくなるまで、眠れない。どれだけ眠たくても、眠れない。起きているとき、ヘビメタをあの至近距離で、あの音のでかさで鳴らされてしまうと、どうやっても、眠れなくなる。
普通の人は、鳴らされている時間だけ、うるさくてめちゃくちゃになると思っているみたいなんだけど、鳴らされてない時間も、めちゃくちゃになる。これが、個人の努力では、どうしても、無効化できないのだ。鳴らされているけど、普通に暮らすということが、どうしてもできない。鳴らされているけど、睡眠時間を確保するということがどうしてもできない。これ、「死ぬか生きるか」の問題になる。毎日、自殺寸前の、名前だけ店長のような体調で生きてきた。眠れないということがどういうことなのかみんなわかってない。なっているときの「緊張した状態」が、みんなわかってない。わかってないのに「俺だって騒音ぐらいあった」と言って、同等の騒音を経験したという前提で、わかったようなことを言ってくる。わかっている人が、そんなことを言うはずがないのだ。そういうことを言うということ自体が、わかってないということを明示している。同等の騒音であるはずがない。同等の持続時間であるはずがない。同等の持続期間であるはずがない。ずっとやられちゃっているんだぞ。そして、それが全部、俺の責任になってしまう。これ、鳴ってたらできなくなることがあるんだよ。それだって、わかってないだろう。わかってないやつが、「できると言えばできる」とか「なんだって自己責任だ」とアホなことを言ってくる。こんなの、妄想的で宗教的な信念に基づいたことだから、アホなことなんだよ。
そいつらには、きちがい兄貴がいない。きちがい親父がいない。「きちがい兄貴が普通の家では、絶対に鳴らせない音で鳴らすこと」を、きちがい親父が、支持しているんだからなぁ。これ、頭がおかしくないとできないことなんだよ。そういうことが、いろいろなところにある。そうなると、普通の人が誤解するのだ。そして、普通の人のうちには、きちがい親父がきちがい兄貴のような人間がいないために、きちがい親父の影響きちがい兄貴の影響を、過小評価する。あるいは、無視する。本人だって、本当にやられていたら、絶対に無視できないことを、「無視すればいい」と言ってくる。本人だって、本当にやられていたら、絶対に影響をうけることなのに、「影響をうけなければいい」と言ってくる。