2023年10月15日日曜日

自己責任論は、道徳心をマヒさせている。

 たとえば、言霊主義者が物理法則を無視したことを人にすすめたとする。この場合、あるていど、限定責任がしょうじると思う。たとえば、「ガソリンを飲むと元気になると言って、ガソリンを飲めば元気になる」とある言霊主義者が、他人に言ったとする。ある言霊主義者をAさん、Aさんにその言葉を言われた人をBさんだとする。実際にBさんが「ガソリンを飲むと元気になる」と言って、ガソリンを飲んだとする。その結果、Bさんの健康が害されたとする。その場合、Aさんには、あるていど、責任がしょうじる。しかし、Aさんが、気にしない人だと、まったく気にしない。これは、こころの問題だ。刑事罰の問題は、ここでは扱わないようにする。社会が「それ」に対してどういう罰をかすかということは、問題にしない。あくまでも、Aさんが、どういうふうに感じるかということだけを問題にする。ようするに、良心や道徳観の問題だけを扱うことにする。その場合、Aさんが、自分の行為に関して、限定的な責任を感じないのであれば、責任を感じないのである。悪いことをしたとは思わないのである。ブラック社長が、名前だけ店長を自殺に追い込んだとしても、ブラック社長が、限定的な責任を感じないのであれば、責任を感じないのである。あるいは、ブラック社長が、名前だけ店長を長時間働かせて、名前だけ店長の体調を害したとする。この時も、ブラック社長が、気にしなければまったく気にらないことなのである。

このとき、自己責任論が重要な役割をする。自己責任論がはびこっていると、ガソリンを飲んだのはBさんだから、Bさんの自己責任だということになって、Aさんの責任はまったく問われないということになってしまうのである。他人が、道徳的な側面に関して、Aさんの責任を問わず、Bさんの責任だけを問うということになってしまう。他人というのは、当事者ではない人のことを意味するとする。つまり、Aさんでも、Bさんでもない人のことを意味するとする。自己責任論がはびこっていると、名前だけ店長が自殺したのだから、名前だけ店長の自己責任だということになって、ブラック社長の責任はまったく問われないということになってしまうのである。自己責任論がはびこっていると、名前だけ店長が長時間働いたのは、名前だけ店長の自己責任だということになって、ブラック社長の責任はまったく問われないということになってしまうのである。

自己責任論がはびこっている状態だと、こういう問題をうむ。

自己責任論は、道徳心をマヒさせている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。