きちがい親父やきちがい兄貴というのが、この世の「異物」で「ガン」なんですけど……。違和感が強すぎるなぁ。きちがい親父に関しては……「命にかかわることだから、いままでのことは、横において、めんどうをみてやった」のに、きちがい構造がかわらないんだよ。根っからのきちがいなんだよね。このきちがいというのは、人格の悪さも含んでいる。けっきょく、かかわっただけ、こっちが傷つく。問題なのは、まわりの人が理解しないことだ。たとえば、病院の人、たとえば、老人ホームの人……。きちがい親父とぼくのことが理解できない。そして、ネズミとかダニとか、言ってしまうと、ぼくにとって都合が悪いことがあるんだよ。これで、いろいろな誤解をうけている。だいたい、親父がネズミ対策工事をしないとか、ネズミの糞をガン無視で暮らしていたとか、そういうことを言ってもなぁ。言ってもなぁ……。「そんなのはおかしい」と思うわけだからな。この「俺が(ネズミシートで)つかまえるからいい」と言って、ネズミ対策工事をさせてくれなかったことは、普通の人にはわからない。ネズミの糞に対する気持ちが、きちがい親父と普通の人でちがうんだよ。この根本的なちがいがわからない。おやじが認知症なら……実際に認知症になっていたのだけど……認知症のせいにされてしまう。けど、これは、認知症の問題じゃなくて、性格の問題なんだよ。おやじが若くて、認知症じゃくても、ネズミ対策工事に関しては、おなじ反応をしたんだよ。おやじの反応というのは……認知症に関係なく、「俺がつかまえるからいい」という反応だ。ネズミの糞が増え続けることは、がん無視なんだよ。ネズミの糞が増え続けることにかんして、無視してしまう性格というのは、かわってないんだよ。どれだけ、ネズミシートでネズミをつかまえたって、ネズミの侵入をふせがなければ、ネズミの糞は増えるということを、こっちが言っても、きちがい親父が、「俺がつまえるからいい!!俺がつまえるからいい!!俺がつまえるからいい!!俺がつまえるからいい!!俺がつまえるからいい!!」と絶叫するのは、おなじなんだよ。これ、怒り狂って、絶叫しいてるんだぞ。こういう反応。これ、認知症以前の、脳みそ脳構造から、出ていることなんだよ。普通の人だったら、ネズミの糞が、畳の上に転がっているところを見ただけで、「ああたいへんだ。どうにかしないと」と思うはずなんだよ。増えているわけだし……。俺がちゃんと、調べて「これはネズミの糞だ」と教えてやっているわけだからさ。そして、ネズミが、ネズミシートにかかってつかまっているわけだからさ……。まったくわかってないな。
ネズミの侵入をうけているということは、言いにくいんだよ。言いにくいことをいっぱい増やす。
ちなみに、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のことも言いにくいことだ。普通の兄貴だった、そういう音で鳴らしていれば、どれだけ弟がこまるかわかるから、普通に、やめてくれる。あるいは、最初から、そういう音で鳴らそうとしない。きちがいだから、まったくわからずにそうしている。けど、ほかの人は、きちがい兄貴のことを知らないから、「ちゃんと言えばわかってくれるんじゃないの」という反応なんだよ。「そんな音で鳴らしているのはおかしい」という反応なんだよ。きちがいヘビメタ騒音だって、言いにくいことなんだよ。普通の人が理解できないことなんだよ。けど、うちではそうなんだよ。この、きちがい家族の反応というのは、普通の人には理解できない。『うちのなかにいるときの』『きちがい家族は反応』というのは、普通の人には理解できない。
ひとつだけ言えることは、きちがい親父は、認知症に関係なく、最後の最後まできちがい親父だったということだ。もうひとつ言うとすると、きちがい兄貴は、最後の最後まで気ちがい兄貴だったということだ。
俺が誤解をうけるんだよね。そういうストレートな誤解だけではなくて、たとえば、ヘビメタ騒音の強度や圧力や影響に関する誤解というのが、しょうじる。