ニコニコ教に関してちょっとだけ言っておく。基本的に、言霊理論とおなじように、一〇〇%そうなるということを言っているのである。
「ニコニコしていれば、いいことがある」……。Xをすれば、Yになるという言い方だ。おなじみの言い方。ニコニコしている以上、ニコニコしてないわけではないのである。
ニコニコしていれば、ニコニコしている。いいことがあるというのは、悪いことがあるということを含んでないのである。いいことが起こるということは、悪いことが起こるということを含んでいない。いいことでも悪いことでもない、中立的なことが起こるということも含んでいない。
かならず、いいことが起こるのである。
そして、いいことは、いいことなのである。
どういうことかというと、「ニコニコしていれば、いいことがある」という文と「ニコニコしていれば、一〇〇%の確率で、いいことがある」という文は、意味的に等価なのだ。一〇〇%なんだよ。
ところが、「なにわらってんだ!ふざけているのか!!」と他人が言う場合だってあるのである。「なに、ニタニタしているのかな? 気持ち悪い」と他人が言う場合だってあるのである。「あんな状態なのに、わらっていて、気持ち悪い」という場合だってあるのである。
ようするに、ニコニコしていても、悪いことが起こる場合がある。
かならず、いいことが起こると言えない。
ところが、「ニコニコしていれば、いいことがある」というのは、一〇〇%いいことが起こるのであって、悪いことは起こらないということを言っているのである。
「ニコニコしていれば、いいことがある」というのは、無視されたり、中立的なことが起こることはないということを言っているのである。かならず、いいことがあるということを言っている。
これは、条件の無視なのである。あるいは、結果の無視だと言ってもいい。
本当は、法則性なんてないのに、あたかも、法則性があるようなことを言うな。幸福のツボとおなじように、ニコニコしていることで、悪いことが起こることがあるのである。
だいたい、ニコニコ教の人は、意識的につくってわらうことと、本当にわらうことを区別してない。こういうレベルの話をしている。
普通に、おもしろいからわらうということと、意識して作り笑いを浮かべるということは、本質的にちがうことなんだよ。
そのちがいを無視している。
おなじだと思っているのだ。
意識して、つくりわらいを浮かべることで、「自然にわらえる状態を引き寄せる」というような考えがある。意識して、つくりわらいをうかべるような状態について、まるで考えてない。
どんなにつらい状態でも、つくりわらいをうかべれば、いいことがある……。これ、どういうことを言っているかわかっているの?
これは、行動主義心理学のところでも書いたけど、「楽しいから笑うのではなく、わらうから楽しいのだ」とか「悲しいからなくのではなく、なくから悲しく感じるのだ」という考え方は、考え方自体がまちがっている。
これも、因果関係を逆転させて、「真理を言い当てたような感じ」をかもしだしているだけだ。これ、ちがう。まちがっている。理論的にまちがっている。