たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんは、汚染魚を食べて、今現在、いろいろな症状が出てくるしいとする。Bさんは、汚染魚を食べたことがなく、普通の暮らしをしている。Bさんは、Aさんをはげまそうと思って、「過去なんて関係がない」「すべては、受け止め方の問題」「すべては、自己責任」と言うわけ。
まず、Bさんが、Aさんに「過去なんて関係がない」と言った場合、どういう意味で言っているかというと、「Bさんにとって、Bさんが汚染魚を食べたという過去は関係がない」という意味で「過去なんて関係がない」と言っている。
Bさんは、汚染魚を食べてないわけだから、当然、汚染魚を食べたことによってしょうじる様々な障害が、自分の身にしょうじていない。なので、今現在、水俣病とよばれる病気にはなってない。
Bさんは、汚染魚を食べなかったので、水俣病とよばれる病気になってはないだけで、Aさんは、食べて、水俣病と呼ばれる病気になっている。
Bさんには、なんでもないことだ。Bさんのからだは、今現在、くるしくない。
Bさんは、洗脳されているから、あるいは言霊主義者だから「過去なんて関係がない」ひとこと言えば、「無効化できる」と思っているのだ。
Bさんは、魔法的な思考をする人だから、「過去なんて関係がない」という言葉をAさんが受け入れれば、Aさんのくるしさが消失すると思っているのだ。
そして、元気なAさんを基準にして、ものを言う。
魔法的な問題解決法が好きだから。そして、洗脳されているから。
「過去なんて関係がない」という自分の言葉をAさんが受け入れて納得すれば、Aさんの病気をもたらしている、過去の出来事が関係なくなるという魔法的な思考をしている。
Aさんが「過去にこだわっている」から、Aさんの状態がしょうじていると考えてしまうのだ。けど、Aさんの状態というのは、汚染魚を食べたということによってしょうじている。
過去のある時点で、そういうことがしょうじて、そういうことの影響が、Aさんのからだを構成している物質の物理的な変化によってしょうじたのだ。気持ちの問題じゃないのである。
Aさんが、だるくないのに、「なんとなくだるい」と思っているから、だるくなっているということではないのだ。ちゃんと物理的な変化がしょうじている。
けど、言霊主義者や受け止め方の問題だと思っている人は、こういう、物理的な変化を無視して、「きもちの問題」にしてしまう。「受け止め方」の問題にしてしまう。
だから、Bさんにとっては、Aさんの病気というのは、気持ちの問題で、Aさんが現実の受け止め方をかえれば、それで、問題解決ができると思ってしまうわけ。
だから、そういうことに、「ひらき」がある。Aさんの現実と、Bさんが思っているAさんの現実に「ひらき」がある。
たとえばの話、Aさんが汚染魚を食べたということを忘れてしまったとする。あるいは、なんらかの方法で、汚染魚を食べたという記憶を消去したとする。
記憶を消去すれば、Aさんの体は、もとにどるのか? 汚染魚を食べるまえのからだにもどるのか?
もどらない。
けど、記憶を消せば、汚染魚を食べしまったというAさんの「こだわり」はなくなる。汚染魚を食べてしまったということは、過去の出来事なので、Aさんの「過去へのこだわり」は消失する。
Aさんの「過去へのこだわり」が消失すれば、Aさんのからだは、もとにもどるか?
もどるわけがない。
言霊主義者や「受け止め方の問題だ」と思っている人や「魔法的解決法をすすめる」人は、Aさんの「気持ちの問題だ」と思っているわけ。だから、汚染魚を食べたということにかんする、「Aさんの気持ちがかわれば、Aさんの体がもとにもどる」と考えているのだ。
こういう人たちは、Aさんが汚染魚を食べたという過去の出来事に「こだわっているから」Aさんがくるしんでいると思ってしまっているところがある。ちがうんだよね。
たとえ、Aさんが、汚染魚に関する過去の記憶をなくしたとしても、Aさんはくるしいままなんだよ。ここがまったくわかってないんだよね。