シンナー作業用の防毒?マスクとあるものを組み合わせると、いちおう、顔を刺されずに、下で作業できそうなんだけど、やりたくない。いやだ。もう、いやだ。もう、いやだ。
きちがい親父がきちがい親父でなければ、こんなことになってないんだけどなぁ。普通の人だったら絶対に、やらないことを、きちがい的な意地でやって、どれだけ、「やめてくれ」と(こっちが)言っても、やめてくれないんだよな。
何か月もそういう状態になる。何年間もそういう状態になる。普通の人だったら、なにもかけないで、酒糟のついた魚を一晩中、皿の上に置いておくなんてことは考えないのだけど、きちがい親父は考えて実行してしまう。普通の人は……二三(にじゅうさん)時間、外に出しておいた……「ほこりがかぶっている魚の切り身なんて」食べない。食べてくれと言われたって、食べない。ほこりが気になるから、食べない。
ずっと出しておいた魚の切り身なんて、食べるわけがないだろ。
ところが、スイッチがはいってしまうと、どれだけ注意をしても、きちがい的な意地でやってしまう。この、きちがい的な意地でやってしまうというのは、きちがい兄貴もおなじだ。きちがい兄貴もスイッチが入ると、本当に自動的に、毎日、絶対の意地で、すべての時間を使ってやってしまうのである。
絶対に、ゆずらない。この絶対にゆずらないという性格もおなじなんだよな。きちがい兄貴ときちがい親父でおなじ。
ともかく、スイッチがはいったら、絶対の意地でやってゆずらないのである。きちがい親父と、きちがい兄貴はそう。こまるんだよ。
とりあえず、親父だけの話にもどす。ネズミ対策工事をやろう」と言っても「俺がつかまえるからいい」と言って、ゆずらない。あのとき、この家は親父の所有物なんだよ。おやじがその気にならかったらできない。なので、何年間も毎日ネズミの侵入をうけた。侵入された。
最初は、一カ所か、二カ所ぐらい、穴があいているだけかと思って、俺がパティで対処したのだけど、一カ所、二か所じゃなかった。
けど、親父が、魚の切り身を、一晩中、出しっぱなしにするまで、ネズミなんて一匹も入ってこなかった。
まあ、そのまえに、これまた、親父が思いついたことなんだけど、もともと、台所に置いてあった生ごみの袋の中にあるごみを、いちいち、親父が物置のゴミの袋に入れると言い出したのである。で、俺は、そういうことは、やってほしくなかった。言っておくけど、台所に、普通になまゴミのゴミ袋が置いてあって、そのゴミ袋に、生ごみの袋を捨てるまでずっと、なまゴミが置いてあった。けど、けど、けど、ネズミなんて、一匹も、入ってこなかったんだよ。五〇年以上、ネズミなんて一匹もこなかったんだよ。
けど、きちがい親父が、なぜか、台所のゴミ袋にゴミを入れておくのではなくて、いちいち、物置に置いてある生ごみの袋に入れるということを思いついて実行した。これ、やってほしくないことは、きちがい的な意地でやってしまうのである。やってほしいことは、梃子でも動かないのである。
こういう性格が、ほかの家族にあたえる影響というのはでかい。
みんな、きちがいがきちがい的な思いつきにこだわって、どれだけやめろとこっちが言ってもやってしまうときの勢いを知らない。きちがい的な意地でやってしまう。いのちが掛かっているんだよね。おおげさではなくて、そういう状態なんだよ。
きちがい兄貴のヘビメタ騒音もそうだった。きちがい兄貴の頭と、親父の頭がおなじなんだよ。そういうところで同じなの。こういう家族が二人いる状態というのは、普通の家で育った人にはわからない。だから、そういう条件を軽く見やがるのである。
「すべては自己責任」なんて、どれだけ、侮辱的な言葉か……普通の人にはわからない。「すべては自己責任」という言葉を放つやつが、どれだけ、条件の悪い人を侮辱しているか、「すべては自己責任」という言葉を放つやつはまったく理解してない。
「俺だって苦労した」と言うけど、普通の親兄弟と一緒に住んでいたんじゃないか。
「そんなの、ぜんぜん苦労じゃないよ」と言いたくなる。
まあ、それはともかくとして、親父が、物置に置いてある生ごみの袋に、毎日ゴミを移動した結果、物置に、ネズミが集まってくるようになってしまったのである。で、物置というのが親父の作った物置で、つくった当時は、引き戸?をしめることができたのだけど、引き戸がこわれて、引き戸をしめることができなくなってしまったのである。だから、ネズミが、まず、物置に集まっていたのである。
けど、そのときは、ネズミにとって、魅力的なものが物置に置いてあった。けど、親父が、酒糟のついた魚の切り身を、テーブルの上にずっと出しっぱなしにしたので、ネズミにとって魅力的なものが、うちのなかにある状態になってしまったのである。
で、この、酒糟のついた魚の切り身が、ものすごい吸引力をもっていて、町中?のネズミ?が、うちをめがけて、突進してきたのである。
これ、ほんとうにすごいんだよ。酒糟のついた魚の切り身が、すごい。ものすごい、チカラをもっている。ちょっとでも、隙間がある家に住んでいる人は、絶対に酒糟のついた魚の切り身をほぼ一日中、出していたらだめだ。
一晩中、出していたらだめだ。
ものすごいにおいで、ネズミを吸引する。
この酒糟のついた魚の切り身のにおいだって、猛烈にくさくて、部屋中がくさくなっているから、「くさいからやめろ」と言ったのに、「くさくない!くさくない!くさくない!くさくない!」と真っ赤な顔をして絶叫しやがるんだよ。
もう、すべてが、くるっている。感覚器を否定して、反対語を叫ぶ。「くさい」と言われたら「くさくない!くさくない!」だよ。
この、感覚器の否定も、きちがい兄貴と、きちがい親父でおなじなんだよ。頭の構造がおなじなの。
感覚器が正常なら絶対に、くさいとわかるのに、くさいということを認めない。感覚器が正常なら絶対に、でかい音だということがわかるのに、でかい音だということを認めない。自分にとって不都合なことは、感覚器のレベルでだまして、認めないのである。
だから、本人は、「うそをついているつもりがない」状態なんだよね。
どれだけ、こまるか。
どれだけ、こまるか。