2023年11月11日土曜日

相手がこまるということも、普通の頭なら、絶対にわかることなのだけど、わからない

「やめろ!やめろ!」と言い続けたのに、ずっと無視して、鳴らし続けやがって……。鳴っている時間の俺が、どれだけつらいか、きちがい兄貴はまったくわかっていない。

ほんとうに、どれだけ言っても、きちがい親父とおなじで、まったく、通じないんだよな。普通の人なら考えもしないことをやる。きちがい兄貴も、きちがい親父も普通の人だったら、考えもしないことをやる。
 

そりゃそうだろ。普通の人だったら、自分で自分に「制限」をかける。禁止する。


「こんなことはやってはいけないな」と思う。それが普通だ。あんなでかい音で、「うち」で、ずっと鳴らし続けるなんて、そんなの絶対に普通の人は考えないのである。思いつきもしない。「こんなでかい音で鳴らしたら、迷惑だからやめよう」と普通に思って、そういうでかい音で鳴らすことを考えもしない。

ところが、きちがい兄貴は、そういうところの思考回路がきちがい親父とおなじなのである。きちがい兄貴は、そういうところの「スイッチ」がきちがい親父とおなじなのである。

スイッチがはいったら、絶対の意地で鳴らす。

普通の人が、かりに、「こんなでかい音で」鳴らしたとしよう。けど、言われたらわかる。「でかいぞ」とか「でかい音で鳴らすな」と言われたら、音がでかいということは、認める。そして、やめる。

そういうところがまったくないんだよ。一度スイッチがはいったら、絶対に気しないんだよ。ほかの人になんと言われようが、気にしない。そして、おそろしいことに? 言われなかったことになってしまうんだよな。

これ、文句を言われているときの状態が、ほかの人とはちがうんだよ。

「文句を言われた」「なにか不愉快なことを言われた」ということは、理解できるのだけど、「文句の具体的な内容」が、まったく理解できないのだ。

じゃあ、知能に問題があるかというとそうではないのである。知能じゃなくて、無意識に問題があるのである。無意識的に、内容をうけいれることを、こばむのである。

そういうスイッチがある。

そういうスイッチが入ってしまったら、本人は、特に意識しないまま、「怒り狂って」無視してしまう。この無視というのが、これまた、本人は、「無視をしよう」と思って、無視しているわけではないのだ。頭がおかしいから、そういう反応になる。外部から見て、そういう反応になる。

ようするに、普通の人は、「無視をしよう」と思って「無視をした場合は」自分が「無視をした」ということを知っている。意識に「のって」いる。

けど、きちがい兄貴の場合は、「無視をしよう」と意識的に思って、無視をしているのではないので、「無視をした」ということを、知らないのだ。本人が、知らない。本人が、そう思ってない。

本人が、「無視をしようと思って」無視をした場合とは、ちがう反応なのである。

きちがい兄貴はきちがいだけど、「無視をしようと思って」無視をすることもできるのである。

けど、スイッチが入らないことについてなのである。この差は、微妙だけど、きちがい兄貴においても、「無視をしようとして、無視する」場合があるのだけど、無視をするつもりがないまま、無視をする場合がある。

「うち」にいるときは、そういうスイッチが入って、そういうモードになっているのである。だから、『うちの人』以外の人に対しては、「こいつは、不愉快なことを言ってきたら」無視をしようと思うことがあるのである。この場合は、普通の人が「無視をしようとして無する場合」とおなじ思考回路が働いている。

けど、「うち」では、そういう思考回路が働かない。ようするに、不愉快なことを言われたら、それはかならず、きちがい親父とおなじで、無意識的に無視することになるのである。

だから、本人は「無視したつもりがない」のである。

けど、からだが真っ赤で目が三角で、脂汗をかいて、きちがい的な意地でやってしまうのである。きちがい的な意地でやってしまう……意地をはってやったのだから、普通にやったときよりも、やったという感覚が残っていて当然だ。

ところが、きちがい的な意地でやった場合は、「やった」という感覚が、ごく普通に、残ってないのである。本人にとっては「やった」のか「やってないのか」わからないことなのである。「どうでもいいこと」なのである。

あるいは、これまた、無意識的に「わからないほうが都合がいい」ことなのである。

なので、やったかやってないかの境界が非常にあいまいになり、無意識的に「不都合なことをさける」思考回路が働いているので、現実的な場面では、これもまた「やってない」という感覚が打ち勝ってしまうのである。

なので、本人にしてみれば、やってないことなのである。そのくらいに、表面的な関心がないことになってしまうのである。

この……きちがい的な意地でやってしまう状態と、表面的な関心がないという状態で、やったということを無視してしまう状態が、これまた、おなじなのだ。これ、似たようなところがあるというか、おなじなのである。

やったという感覚がないわけだけど、それにプラスとして、自分にとって認めたくないことは認めない……いまの自分にとって不都合なことは、絶対の意地で、無意識的に認めないという感覚がある。

「しずかにしてくれ」と言われて、しずかにすることがいやな場合は、でかい音で鳴らしているということ自体を認めずに鳴らしきる。それが、過去のことになったら、「でかい音で鳴らしていた」ということと「(弟がやめてくれと言ったのに)自分が無視して鳴らし続けた」ということは、不都合なことなので、自動的に無意識的に無視してしまうのである。

認めないのである。感心がないし、認めない。

けど、これも、認めなかったことを認めないということになってしまうである。時系列的にはそういうふうに、ネスト構造が成り立っているのである。

ともかく、表面的な関心のなさが異常なのである。これが、腹の立つ部分なんだよな。腹がたつ部分のひとつなんだよな。

ともかく、時系列的には、つみかさなっていく。そして、きちがい兄貴の場合だと、時系列的には、まったく気にしないで、自分が好きな音でずっときちがいヘビメタを鳴らすという行為をしてしまう。

まったく気にしないのである。これ、どれだけ言われてもまったく気にしない。

そりゃ、自分がでかい音で鳴らているつもりがないのだから、そうなる。

普通だったら、でかい音で鳴らしているということは、耳が正常なら、絶対にわかることなのである。

そういう絶対にわかる部分を、へんなやり方で、きちがい頭をもってして、無視してしまう。相手がこまるということも、普通の頭なら、絶対にわかることなのだけど、わからないままなのである。

だから、相手がこまっているということが、本当に心底わからないのである。相手が、必死になって言ってきたら、必死になって、きちがい的な意地で鳴らすことになってしまうのである。

ところが、本人は、そういうふうにしたという記憶がまったくない状態なのである。

だから、相手とのトラブル(弟とのトラブル)の記憶もない……という状態で、毎日鳴らしているいるのである。いるのであった。そして、そういう期間が長いのである。

これも、「どーーして、ぼくの人生はこうなんだ」と思えるところだ。普通の人には「ない」ことなのである。普通の人が、経験しないことなのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。