きちがい兄貴は、「軽い気持ち」以下の気持ちでやったんだろうけど、それが、日常破壊で、人生破壊なのだ。「何度も、言った!!」「何度も、言った!!」「何度も、言った!!」「何度も、言った!!」。何万回も言った。毎日、何十回も言った。言ったの! 言ったんだよ。きちがい兄貴が、きちがい親父とおなじやり方で、無視をしただけだ。これ、きちがいだから「無視をした」ことになってないのである。
「軽い気持ち」以下の気持ちと書いたけど、ほんとうに、やっていいことをやっている気持ちしかないんだよな。それは、どれだけ言われても、かわらないわけ。
だから、自分の維持をとおして、一三時間鳴らせるなら、一三(じゅうさん)時間鳴らした。ゆずらない。半分の時間ゆずってくれた人いうのが、一五(じゅうご)年間で、一日もないのである。半分はない。一〇分(ぶん)の一もない。毎日、きちがいがきちがい的な意地で鳴らしているのだから、『影響をうける』んだよ。
そりゃ、俺とおなじ部屋で暮らしているわけではない人は、影響をうけない。けど、それは、騒音耐性が強いとかそういうことではない。別に、俺にくらべて騒音を気にしない能力があるというわけではないのだ。きちがい兄貴が異常だから、そうなっている。
きちがい兄貴みたいな、兄弟、家族が、ほかの人のうちには、いないのである。普通の人だから、きちがい兄貴みたいな音で鳴らさない。
それだけなのに、まるで、能力のちがいがあるように誤解をしているやつらがいる。これ、ほんとうに、九五%ぐらいのやつが、そういう誤解をするのである。きちがい兄貴のほうがあまりにも異常なので、ぼくが誤解をされる。こういうことになってしまう。