2023年11月15日水曜日

「どうにかしなけばならない」と思っている人の口をふさぐ

 明るいことを考えれば、明るいことがあり、暗いことが考えれば暗いことがあると考える人も、言霊教徒と同じ問題をかかえていると言っていい。明るいことを考えれば、明るいことが起こるというのは、言霊とおなじだ。言うか、思うかのちがいだ。

「思う」というところを「言う」ということにすれば、「明るいことを言えば、明るいことが起こり、暗いことを言うと暗いことが起こる」ということになる。

まあ、ぼくの言葉でいうと「思霊(おもだま)」だ。

為政者(支配者層)が悪い為政者(支配者層)である場合は、非支配者層がどれだけ、明るいことを考えても、暗い世界になる。非・支配者層の人間がくるしむことになるのだ。支配者層が、悪い人たちであった場合、非・支配者層の人がどれだけ、明るいことを考えてもむだだ。

だまされて、誘導されて、非常に暗い世界になる。

支配者層の言うとおりに行動すると、暗い結果が待っているのだ。支配者層が、こつこつと、悪い政策を進めているのに、非・支配者層が現実を無視して「明るいこと」を考えると、まずいことになる。

だいたい、政策批判ができなくなるだろ。悪い政策について考えて、その悪い政策の結果を予想するということは、「悪いことについて考える」ということだ。「それをすると、その結果、ひどいことになるから、やるべきではない」ということは、悪いこと、暗いことを考えなければ、言えないことなのだ。

ところが、現実は、ほうっておいて、ただ「自分の考え」を明るい方向にもっていけば、明るいことが起こると言うのである。

これは、完全にまちがっている。

さらに、暗いことを考えるということを禁止してしまうのだ。これは、口癖教徒とおなじだ。「暗い考え禁止」なのである。そうなると、支配者層が、思ったとおりのことができるということになってしまうのだ。

なぜ、これがわからないのか?

現実を無視して、支配者層にだまされている無垢な?非支配者層の多数派に、「こういうことになる」ということを語りかけなければ、やられっぱなしになってしまうのである。

これは、積極的に、悪い支配者層を支持することになる。

自分のなかだけで、明るいことを思い浮かべれば、明るいことが起こる……こんな幼稚な考えにとらわれて、「どうにかしなけばならない」と思っている人の口をふさぐのだ。 

明るい思霊教徒が、ぽけーーっと、自分のなかで明るいことを考えているうちに、悪い為政者が、どんどん悪い政策を進めてしまうのだ。もう、そうなっている。

想起することは重要だけど、「暗い」か「明るい」かで、判断してはいけない。為政者が悪いことをやる場合は、為政者は、庶民にとって「暗いこと」をやるわけだから、その為政者の政策に賛成すると、暗いことが起こるということは、庶民として庶民に伝えなければならない。ところが、明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こるという考えにとらわれると、道をあやまることになる。暗い世界に誘導される。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。