2023年11月13日月曜日

「やっていい」と心の底から思って、あるいは、そういうことを考えることすらしないで

 すでに、ヘビメタ騒音で「どうしようもない」ハンディに見舞われている俺に、そんなことを言っても「しかたがないだろ」と思えるようなことしか言わない。他人は、ほとんど全員、そんなものだ。この、ヘビメタのハンディというのが、ほかの人には見えないのだ。だから、もともと、人体的にハンディを背負っている人とはちがうあつかいになる。しかし、ハンディはハンディだ。みんな、ヘビメタ騒音のハンディが、「どうにでもなるもの」だと思っている。不可避的だ」とぼくが言っているのに「不可避的ではない」と思っている。こういうところのズレとギャップがでかい。みんなところには、きちがい的な兄貴がいないのである。みんなところには、きちがい的な親父がいないのである。けっきょく、いっしょに住んでいる家族が、きちがい的な意地で、普通の人なら絶対にやられなことをやり続けるということによって、生じるハンディが、わからない。そりゃ、原因となる人物がいないわけだから……わからない。原因となる人物と「実際に」「毎日」おなじうちで暮らしているわけではないから……わからない。わからなければ、関係がないことで、「ちょとした、努力」「ちょっとした気づき」で、どうにかなるようなものだと思ってしまうのである。そういうふうに、考えるまでもなく、仮定してしまう。だから、そのあとから出てくる意見や「自分の側の気持ち」というのが、ヘビメタ騒音の不可避的な、ハンディを無視したものになる。で、そういうのは、鳴っているときからそうだった。鳴り始めた小学六年生のときからそうだった。小学六年生というのは、俺が小学六年生のときという意味だ。きちがい兄貴は、当時、高校一年生だった。どこの兄貴も、あんな音で鳴らさないんだよ。「鳴らそう」と思いつかないんだよ。耳が正常なら、「でかすぎる音だから迷惑だ」と、言われなくても、思うんだよ。そして、「でかすぎる音」では鳴らさない。普通に、そうなる。特に注意しなくても、そうやって、しずかにしてくれる。きちがい的な音で鳴らそうと、思わない。きちがいじゃないから、そもそも、そういうことをやろうと思わない。普通に、「迷惑だからやめておこう」と思って、やめる。やらない。そういう回路が、うちのきちがい兄貴の場合は、こわれているのである。自分がやりたかったから、そういうことは、無意識的に無視できるのである。そして、正常な感覚器を書き換えて「たいした音じゃない」「普通の音だ」と思ってやってしまうのである。そして、普通の人なら、どれだけやると言っても、一日に三時間ぐらいやればじゅうぶんなのに、きちがい兄貴はそういうところでも壊れているので、やれる限りやり続けてしまうのである。そういうきちがい的な家族がいないから、ほかの人の身の上にはそういうことがしょうじてないだけなんだよ。ところが、そのことを特に意識することなく、また、実際に自分が経験してないので、経験的にはわかってないので……そういうことが生じた場合ということが発生するということを、経験的に理解してないので……俺に対して、そういうことが簡単に片付く問題だと思って、勘違いしたことを言いやがるのである。しかも、一生、勘違いした発言だということに、気がつかない。当然の発言をしたと思っている。正しい発言をしたと思っている。で、それは、やはり、くやしいので、家に帰って、きちがい兄貴の部屋に行って、「鳴らすな」「こういうことがあったから、鳴らすな」「こういうことになるから、鳴らすな」ということを言うのだけど、きちがい兄貴が、きちがい頭で、うちの親父のように無視して、鳴らし続けるのである。この時の態度が、本当に、きちがい親父が、きちがい的な意地でやっているときの態度とおなじなのである。これも、そういう人が、家族のなかにいる人しかわからない態度だ。これ、本当に、頭がおかしい態度なのである。だから、きちがい兄貴のほうが、くるっていて、基地が兄貴のほうが、ほかの人にはやらない、悪いことを俺にしているのである。ほかの人には絶対にやられない悪いことを、俺には平気でやっているのである。「やっていい」と心の底から思って、あるいは、そういうことを考えることすらしないで、やるのである。態度としてそうなる。きちがい的な思考回路で、そうなる。すでに、そうなっている。だから、殺さないと、本当にやめさせることができないのである。これは、切実な問題なんだけど、そういう家族がいない人間にとってはまったく「この世の世界の話ではない話」なので、うけつかないのである。「そんなのはどうでもいいこと」なのである。「言えばわかってくれること」なのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。