2023年11月7日火曜日

「不愉快そうな顔をしていると、もっと不愉快なことが起こる」と脅す

 たとえば、親がきちがいなら、とりつかれたようにきちがい行為を繰り返すので、いろいろなトラブルが発生する。

そもそも、きちがい的な理由で、頻繁に怒り狂う親は、きちがい的な理由で頻繁に怒り狂うので、怒り狂われたほうは、不愉快な思いをすることになる。

その場合、こどものほうが「ニコニコ」したって、「ニコニコ」わらっていたということで、怒り狂う。ニコニコ教の人は、環境を無視してしまう。どういう人間と一緒に住んでいるかという条件を無視してしまう。

そして、「ニコニコ」すればいいことがあると言う。

これは、妄想的な決めつけだ。条件にちがいがあるのである。

けど、条件を無視してしまう。親がきちがい的な理由で、怒り狂えば……わけのわからない理由で怒り狂われたほう……攻撃の対象になったほうは……いやな思いをする。実際に、不愉快な思いをすれば、不愉快な思いが顔に出ることがある。

そうすると、ニコニコ教徒が「不愉快そうな顔をしていると、もっと不愉快なことが起こる」と脅すのだ。実際に、きちがい的な親といっしょにすごしていれば、『もっと不愉快なこと』が起こるようになる。

けど、じゃあ、「不愉快そうな顔」をしていたから『もっと不愉快なこと』が起こるのかというと、そうではないのだ。

こういうところで、条件が悪い人のことを傷つけているということには、ニコニコ教徒の人は気がつかない。そりゃ、言霊主義者とおなじで、言われたって気がつかないのだ。

条件が悪い人は、条件が悪いので、不愉快なことが頻繁に、継続的に起こるようになっているのだ。

ところが、そういう条件を無視して、ニコニコしてないから、不愉快なことが頻繁に、継続的に起こると、ニコニコ教徒は決めつけてしまう。

きちがい的な親の性格が、かわらなかったとしよう。その場合、きちがい的な親は、きちがい的な理由で、こどもを攻撃する。攻撃された子供は、不愉快な思いをして、不愉快そうな顔になる。

ニコニコ教徒の人は、一回目、攻撃された子供が不愉快な顔をしたので、二回目に不愉快な思いをすることになると、予言して、その通りになったと思うのだろう。

けど、そうではないのだ。

不愉快な顔をしたということが理由になっているけど、きちがい的な親が、きちがい的な理由で子供を攻撃するのは、きちがい的な親の『頭の構造』に問題があるからそうなっているだけなのだ。

子供が、不愉快な顔をしたから、子供が不愉快な顔つきになるのようなできこどが続いたということではないのだ。原因について考え違いをしている。

「不愉快な顔をしているから、不愉快なことが起こる」というような発言も、じつは、攻撃なのである。そして、ニコニコ教祖は、「あたった」と思うだろう。

不愉快な顔をしている子供が、そのあとも、攻撃されて、不愉快な顔をすれば、『もっと不愉快なことが起こる』という自分の予言があたったと思うだろう。しかし、不愉快な顔をしているから、もっと不愉快なことが起こったのではない。きちがい的な親と一緒に暮らしているので、不愉快なことが起こったのだ。原因について考え違いをしている。

言っておくけど、条件を無視して、「不愉快な顔をしていると、もっと不愉快なことが起こる」というのは、攻撃の一種だ。これは、攻撃だ。

さらに、「そら、みろ、あたった」と言うことも、攻撃の一種だ。

きちがい的な親は、きちがい的な頭の構造にしたがって、なんでも怒り狂うということになっているので、きちがい的な親と一緒に暮らしている子供は、不愉快な思いをしがちだ。時系列的ことを考えれば、時間の経過とともに、不愉快な経験、不愉快だと感じる出来事が増えていくということになる。

一回目、不愉快そうな顔をしている子供を見た、ニコニコ教祖が「不愉快な顔をしているともっと不愉快なことが起こる」と予言したとしよう。実際に、この予言は、あたる。

けど、「不愉快な顔をしていると」という部分がまちがっている。不愉快な顔をしていなくても、作り笑いを浮かべてニコニコしていたとしても、不愉快な出来事が時系列的に、増えていくのである。

「不愉快な顔をしていると」の部分がまちがっているのである。「もっと不愉快なことが起こる」とか「次も不愉快なことが起こる」とか「不愉快な出来事が時系列的に増えていく」ということは、正しいことなのである。

けど、それは、「不愉快な顔をしているともっと不愉快なことが起こる」という予言があたったということを意味していないのである。文の前半部分がまちがっているので、文全体としてはまちがっているというとになる。

前半部分というのは、これまた、条件にかかわる記述なのだ。どういう人間と一緒に生きているかという重要な部分を無視するニコニコ教祖が、顔の表情だけは、無視しないのである。顔の表情ですべてが決まると思っている。ほかの条件をガン無視している。そして、一点突破だ。妄想的なニコニコ教祖のなかでは、それで、突破できることなのだけど、実際には、条件がまったくかわらないので、不幸な出来事が起こり続けるということになる。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。