2023年11月2日木曜日

「認識のちがい」……でかいよ

 これ、ヘビメタ騒音、どうするんだよ。ほんとうに、終わらないよ。ずっと、ヘビメタ騒音だった。

ほかの人から見れば、俺が、こだわっているように思えるんだろうな。けど、それは、ちがうんだよ。ほかの人が、経験してないから、広大な影響がわからないだけだ。ほかの人たちは、実際に経験してないから、どれだけの影響が出るかわかってない。これ、ちょっと無視しすれば、それで、すむもの、ではないのである。けど、わからないのだから、わからないのだろう。数千日、きちがい的な住人が、横の部屋で、自分が一番苦手な音を、まったく気にせず、がんがん鳴らしていたら、そりゃ、すべての生活がくずれるんだよ。鳴っているときだけつらい」と思っている人は、「鳴り終わったら関係がない」と思うけど、まったくちがう。そういうこと自体がわかってない。そりゃ、経験がないなら、そうなのだろう。これは、一日のなかでのヘビメタ騒音の話だけど、人生のなかでのヘビメタ騒音の話もある。きちがいだから、スイッチがはいったらずっとやり続ける。よその家では一分間だって鳴らせない音を「うちでは」「きがねなく」鳴らし続ける。どれだけなにを言われたって、そのとき、腹をたてるだけで、現実を無視して、きちがい的な意地で鳴らし続ける。きちがい的な意地で鳴らし続けたら、きちがい的な意地で鳴らし続けたという「きもち」が、残っていればいいのだけど、そんな気持ちはまったく残ってない。この、「残ってなさ」がきちがいなんだよ。ほか人は、「自分の家族をきちがいとか言って、おまえがきちがい」というようなことを言ったりするのだけど、きちがい兄貴は、普通じゃないんだよ。おまえの家族が普通だったからって、ぼくの家族が普通だということにはならないんだよ。おまえは、きちがい家族の影響をまのがれている。だから、『きちがい』というような形容が気にくわないのだろう。「自分の家族」にたすいるきちがいというような形容が気にくわないのだろう。けど、ちがうんだよ。これ、一分間だって、くるしくてくるしくて、たまらないのに、毎日、やられていいわけがない。きちがい兄貴のきちがい的なやり方や、きちがい的な感覚が、まさに、きちがいなんだ。それ以外の形容がない状態なんだよ。それ以外の形容がない状態で、現実を無視して、きちがい兄貴がやりきった。現実を無視してというのは、これまた、ほかの人にとっては、「どうでもいいこと」なんだけど、やられた俺にとっては、どうでもいいことじゃないんだよ。どれだけの気持ちが、積もると思っているんだ? いや、まったく、どういう気持が、どれだけ積もるかなんて、わからないのだろう。わからないからそう言っているのだろう。けど、ちがうんだよ。まあ、どれだけ言ってもわからないとは思うけど。でっ、ぼくにとって、他者というのは、そういう他者なんだよ。これも、きちがい兄貴が、現実世界で、実際に、がんがん鳴らし続けることでつくってしまった、ぼくと他者の関係だ。 きちがい兄貴が、現実世界で、実際に、がんがん鳴らし続けることでつくってしまった、ぼくと他者の「認識のちがい」だ。「認識のちがい」……でかいよ。

ともかく、他人に言っておきたいのは……どうせわからないとは思うけど、言っておきたいのは、ヘビメタ騒音というのは、ぼくにとって、いま現在の問題なんだよ。ここが、まったくわかってないんだよな。今現在、ヘビメタ騒音でくるしいんだよ。ヘビメタ騒音は鳴り終わっているけど、いま現在、ヘビメタ騒音でくるしいんだよ。ヘビメタ騒音のくるしさは、過去のものじゃないんだよ。やられてない人は、最初から経験がないので、「過去の出来事」なら、影響も「過去」にとどまるはずで、「現在」には影響をあたえないと思うんだよ。けど、ちがうのぉーーーーーー。まったくちがうのぉーーーー。 

これ、鳴っているときから問題だったんだよな。一日のなかで、学校にいるときは、ヘビメタ騒音問題は、過去の問題だから。一日のなかでも、理解されない。昨日鳴っていたヘビメタ騒音は、過去の騒音なんだよ。過去の騒音は現在に影響をあたえないという考え方だと、「昨日のヘビメタ騒音なんて関係がない」ということになってしまう。けど、鳴っている時間のからだの影響と、鳴り終わったあとの睡眠時間としてあてがわれている時間の、えいょきうがあるんだよ。そりゃ、寝不足なら、次の日の日中に影響をあたえる。日中の身体に影響をあたえる。寝不足については、次の日に影響をあたえるというのはわかるけど、前の日にヘビメタ騒音を浴びせられた時間の影響が、次の日の日中に影響をあたえることはないと思うかもしれないけど、寝不足とおなじぐらいには影響をあたえている。これもわからないだろうな。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。