きちがい兄貴のヘビメタ騒音の場合はともかくとして、もし、水俣病になった人が、「これは汚染魚だから、食べると水俣病になる」と思うことができたら、水俣病になっていないのである。「これを、食べると水俣病になる」と思うのだから、暗いことを考えている。暗いことを考えたので、「水俣病になるような魚」を食べることはなく、水俣病にならずにすんだのである。実際には、「これを、食べると水俣病になる」と「暗いこと」を考えることができずに、食べてしまったので、水俣病になってしまったということだ。暗いことを考えるということは、将来の暗いことをさけるために必要なことなのである。
暗いことを考えたから、暗いことが発生したのではなくて、むしろ、暗いことを考えることが出なかったから、暗いことが発生したのである。明るい気持ちで、汚染魚を汚染魚だと思わずに食べてしまったから、水俣病になってしまったのである。暗いことを考えることは、むしろ、将来の暗いことを考えるためには、必要なことなのである。
そして、水俣病の場合、工場排水が問題だった。工場排水のなかにはいっていた有機水銀が問題だったのである。この場合、工場排水を垂れ流した企業が、「水俣病になる」ということの原因をつくっている。自己責任論者は、こういう場合でも、「食べたのは、その人なのだから、その人の自己責任だ」と食べた人をせめるのである。これは、せめている。責任追及をしている。こんなことをして、人に対して「責任追及をしてない」と思っているとしたら、まちがっている。
ヘビメタ騒音も、俺がヘビメタ騒音を、きちがい兄貴が鳴らすだろうと思ったから、きちがい兄貴が鳴らしたわけではない。きちがい兄貴が勝手に鳴らしたくなって鳴らしたのである。有機水銀をたれながした企業は、なにも、「将来、水俣病患者になる人」のリクエストにこたえて、有機水銀を垂れ流したわけではないのである。「暗いことを考えた」人とされるひとと、原因となる行為をした人(団体)はちがうのである。しかし、思霊主義者は、この区別がついてない。暗いことを考えた人が、暗いことを考えたから、暗いことが、その人の身の上に起こったと考えてしまうのである。「ひきよせ」ふうに言うと、「暗いことを考えることによって、暗いことを引き寄せた」ということになるのだろう。けど、ちがう。ちがうのだ。言霊主義者も引き寄せ主義者もこれにかんしては、まちがっている。
人間と言うのは、自然界の影響をうけるし、他者の行動の影響をうける。本人が考えなくても、自然界は、自然界の物理的な運動をするし、本人が考えなくても、他者は、他者が思いついた行動をする。まさに、他者は、他者の考えたことを実行する。なので、他者が実際にやったことの影響をうけることがある。その場合、本人が……うけたほうが、事前にそのことについて考えていたから、そのことが発生したということではない。本人の「事前の気持ち」とは関係なく、他者が行動した。本人がまったく、考えていなかったとしても、他者が行動した結果、『他者の行動』の影響を(本人が)うけることがある。これが、現実だ。