一点突破をすすめる人というのは、ほんとうにこまっている人をおいつめているんだよ。
まあ、ほんとうにこまっている人にとっては、一点突破をすすめる人なんて、ストレッサーでしかない。
生まれの格差があり、条件の格差があるから、人によって、こまり方がちがうんだよ。きちがい家族によって生まれる(こちら側の)悩みというのは、正常な家族と一緒に暮らしている人には、逆立ちしても、わからないことなのだ。
なので、お気楽に、へんなことを言って、ストレスをかけてくる。
これ、「生き返ると言えば、生き返る」「生き返るまで、何度でも言えばいい」と言われているようなものなのだ。だれかある人が「○○さんは生き返る」と言えば、○○さんは、生き返るか? 言っただけで生き返るか? 生き返らない。
「生き返ると言えば、生き返る」の意味は「生き返ると言えば、死んだ人は生き返る」ということだから。「生き返る」という言霊で、死んだ人を生き返らせることができるという意味だから……。
「生き返ると言えば、人は生き返るから、生き返るまで、何度でも、生き返ると言えばいい」と熱心に言われたときの気持ちって、あんまりいいものじゃないんだよ。ちょっと想像してみてよ。そういうレベルをことを、言霊主義者は言っているんだよ。
どんな条件だって、わらえばいいことがある? 葬式の席でわらっていたら、悪いことが起こるんじゃないの? まあ、いいことが起こる確率と、悪いことが起こる確率をくらべれば、悪いこる確率のほうが高いね。
だいたい、「どんな条件だって」と言っているのだから、あとだしで「葬式の席では、わらわないほうがいい」と言い出すのは、おかしい。