たとえばの話だけど、親の収入度が一〇で、親の傾向度が一の子供は、一〇のぶんだけ、ものをもらいやすい。
そして、親の収入度が一で、親の傾向度が〇・一の子供は、〇・一のぶんだけ、ものをもらいやすい。一〇〇倍ちがう。
そりゃ、親の収入度が一〇で、親の傾向度が一の子供があるものをもらえず、親の収入度が一で、親の傾向度が〇・一の子供が、そのあるものをもらえる場合もある。
けど、親の収入度が一〇で、親の傾向度が一の子供のほうが親の収入度が一で、親の傾向度が〇・一の子供よりも、一〇〇倍も、ものをもらいやすいので、全体的には、親の収入度が一〇で、親の傾向度が一の子供のほうがものをもらいやすく、実際に、ものをもらえるということになる。
こういう現象を、引き寄せという視点で見ると、親の収入度が一〇で、親の傾向度が一の子供には、引き寄せ能力があるけど、親の収入度が一で、親の傾向度が〇・一の子供の子供には引き寄せ能力がないように見えてしまうのだ。
実際に、親の収入度が一で、親の傾向度が〇・一の子供は、もらえないので、もらえないという現実に落胆することがある。親の収入度が一〇で、親の傾向度が一の子供はもらいやすいので、実際にもらえる機会が多く、よろこぶことが多い。
けど、これも、引き寄せ能力というような視点に立って、「あとだし思考」をすると、まるで、親の収入度が一〇で、親の傾向度が一の子供は、よろこぶので、よろこびやすい出来事をひきよせているとみなすことになり、親の傾向度が〇・一の子供は、落胆しやすいので、落胆するような出来事をひきよせているとみなすことになる。
落胆と書いたけど、たとえば、『自分はもらえない』とくやしがったとする。そうすると、くやしがるような、悪い性格の子供は、実際にもらいにくいと判断するようになるのだ。
ようするに、くやしがるような悪い性格が、悪い状態をつくりだしていると言い出すのだ……。
引き寄せ主義者や精神世界の人はそのように言いだす。
引き寄せ主義者も精神世界の人なので、まとめて、精神世界の人ということにしておくと、精神世界の人は、「あとだし思考」をしやすいので、実際に条件が悪いものを、悪者(わるもの)にしたてあげてしまうのだ。
悪い性格をしているから、悪いことをひきよせる……。暗いことを考えるから、暗いことを引き寄せる……。このように、思い込んでしまう。
そういうふうに見なすと、そういうふうに、見えるので、自分は正しいことを言っていると、確信してしまう。けど、まちがっている。
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これは、いまの時代、まったくうけないと思うけど、言っておく。
条件の悪い人の、悪口を言っているのは、精神世界の人だ。精神世界の人は、因果関係を逆転させて、「あとだし思考」でものを言うので、必然的に、条件が悪い人の悪口を言うことになる。
精神世界の人は、みんな、「人の悪口を言うことはよくないことだ」「人の悪口を言わないようにしよう」と思っているけど、実際にやっていることは、こういうことだ。
だから、教義として、どれだけ、納得したってむだなのだ。実際に「自分の偏見」が働いているところでは、偏見通りに判断して「悪口」を言うことになっている。