2024年5月4日土曜日

引き寄せ思考をしているA子さんは、D男さんを引き寄せたと思うだろう

 はっきり言ってしまうと、「くそ方法」なので、落胆することが決まっているのだ。ほんとうは、無力な方法が、有力な方法として、流通していると、条件の悪い人が、それを試みて、落胆するということが、数多く、発生してしまう。

もちろん、流通させているほうは、そんなことには、気がつかない。

どうしてかというと、彼らにとってみれば、「くそ方法」ではなくて、「ほんとうに有効な方法」だからだ。

たとえば、引き寄せというコンセプトをもつ、引き寄せ能力をあげる方法というのは、現実の写し絵でしかないから、それ自体には、現実をかえるような力(ちから)がない。

しかし、「あと」と「から」を混同すると、ときには、現実をかえたと思えるような出来事が発生する。そうなると、引き寄せというコンセプトをもっているものは、「引き寄せは正しい」と思うわけだし、「この引き寄せ能力をあげる方法は、役に立つ」と思うわけだ。

誤解なんだけど、本人は、誤解だとは思わない。

誤解だと思わなければ、そのあいだは、効力を発揮する。

もちろん、ただ単に、幼児的万能感に満ちた人がそういうふうに誤解して思い込んでいるだけなのだけど、思い込んでいる以上は、その人の行動に影響をあたえる。

ところで、もうひとつ言わなければならなかったことがあるんだよ。

それは、条件がいい子供は、自信をつけやすく、条件が悪い子供は、自信をつけにくいということだ。引き寄せというコンセプトが、正しいこととして流通している以上、その影響をうけることになる。

条件がいい子供は、いいことを実際に経験しやすいのである。

そして、条件が悪い子どもは、うまくいかないことを経験しやすいのである。

引き寄せが「くそ方法」で、実際には、効力がないので、条件がいい子供には、いいことが発生しやすく、条件が悪い子供には悪いことが発生しやすいという状態が続く。

この状態は、条件がもたらものであって、こどもの性質がもたらすものではない。

ところが、こどもの性質がそういうちがいをもたらすと、引き寄せ主義者は考えて、そのように言ってしまう。

そして、引き寄せ方法が、くそなので……無効なので……条件が悪い子供は、引き寄せにも、「失敗」してしまうのである。それは、決まっている。どうしてかというと、引き寄せ方法が、現実的な条件になにも影響をあたえないからだ。

ようするに、まちがったコンセプトなんだけど、まちがっているか、正しいかに関係なく、ともかく流通しているのであれば、条件がいい子供は、実際に、成功体験を繰り返し、条件が悪い子供は、実際に失敗体験を繰り返すということになる。

ただでも、親という条件に差があるのに、引き寄せ能力というコンセプトが正しいコンセプトとして流通していると、引き寄せ能力の差があるということになり、引き寄せ能力の差があるということが、成功体験の数の差、失敗体験の数の差をうみだしてしまうのである。

そのような「ものの見方をする人」が実際に多いわけだから、そうなる。

ようするに、ほんとうは、引き寄せ能力の差なんてないのだけど、あたかも、引き寄せ能力の差があるということになってしまうのである。そして、引き寄せ能力がある子供は、ポジティブで性格が明るく、引き寄せ能力がない子供は、ネガティブで性格が暗いということになってしまうのである。

引き寄せというコンセプト自体が、善なのか悪なのかはわからないけど、すくなくても、引き寄せというコンセプトをうけいれてしまうと、「引き寄せ能力がある人」と「引き寄せ能力がない人」が発生する。

実際に、「引き寄せ能力がある人」と「引き寄せ能力がない人」がいるように、そのコンセプトを信じている人には見えるのだ。

そして、そのコンセプトを信じている人は、固有の「引き寄せ能力の差」というものが、新たなる、差別的なものの見方をうみだしているとは、思わない。

しかし、引き寄せというコンセプトをうけいれてしまうと、「引き寄せ能力がある人」と「引き寄せ能力がない人」が発生する。別に、ほんとうは、引き寄せ能力なんてものはないから、引き寄せ能力の差なんてものもないのだけど、条件が悪い人に「引き寄せ能力がない劣った人間」というレッテルを貼ることができるようになるのだ。

そして、そういう、悪いレッテルを貼ったことは、悪いことだとは思わない状態が続く。実際に、引き寄せ能力があるし、実際に、引き寄せ能力がない人がいる……というものの見方ができあがっているので、それ自体を(その人は)うたがうことができない。

引き寄せ能力をあげる方法というのが、無効な方法なのはあきらかないのだけど、有効な方法だと思っている人は、有効な方法だと思っている。なので、これまた、有効な方法を「うまく使える人」と有効な方法を「うまく使えない人」の差ができるということになる。

引き寄せ能力がない(と思われている)人は、条件が悪いので、有効な方法を「うまく使えない人」になる。無効な方法なので、効果がないのはあきらかなのだけど、条件が悪い人は、条件の悪さによって、その方法を試した「あとで」いいことがしょうじるということが、ほとんどないために、「有効な方法をうまく使えない人」になってしまうのだ。

その方法を試した「あとで」いいことがしょうじるということが、ほとんどないと書いたけど、これは、そういう確率が低いということだ。

ようするに、条件が悪い人でもその方法を試した「あとで」いいことがしょうじることは、たまにはあるけど、条件がいい人よりも、「あとで」いいことがしょうじる確率が低いのである。条件が悪い人は、「その方法を試したあと」いいことがしょうじる回数が少ないのだけど、条件がいい人は、「その方法を試したあと」いいことがしょうじる回数が多い。

たとえば、親からものをもらいやすい子供は、「その方法を試したあと」ものをもらえる回数が多く、親からものをもらいにくい子供は、「その方法を試したあと」ものをもらえる回数が少ないのである。

ようするに、最初から、親という条件が、確率を決めている。確率だから、たまには、条件が悪い子供も、なにをゲットすることができる。

けど、確率は低い。

一度でも、「その方法を試したあと」ものをもらえることがあった場合、ぼくが言っていることがまちがっているかというとそうではないのである。一度でも、「その方法を試したあと」ものをもらえることがあった場合、条件は影響をあたえてないということが正しいかというと、そうではないのだ。

条件は影響をあたえている。

問題なのは、実際に、その方法をこころみることによって、失敗体験が増えるということなのである。そして、問題なのは、その方法をうまく使うことができないという、これまた、「負のレッテル」を貼られることになるということなのである。

そして、さらに問題なのは、負のレッテルを(条件の悪い人に)貼りつけたほうは、別にそのことを気にしていないということなのである。

引き寄せというコンセプトを信じているために、目が曇って、事態がまったく見えない状態になってしまっているのである。引き寄せ方法を宣伝しているほうは、いちおう、善意でそういうことをしているのである。

もちろん、もうけになる場合は、もうけるために、引き寄せ方法を宣伝するということになる。引き寄せセミナー講師は、自分が、しあわせの総量を増やすつもりなのである。引き寄せ方法には効果があるので、引き寄せ方法を試した人は、「しあわせ」を引き寄せることができるので、いいことをしたと思っているのである。

引き寄せ方法を試す人が増えれば増えるほど、社会全体のしあわせの総量が増えるはずなのである。

引き寄せセミナー講師・本人がどう思っているかはわからないけど、じつは、引き寄せ方法を試す人が増えれば増えるほど、社会全体のふしあわせの総量が増えてしまう。

まず、引き寄せ能力が低い人」というレッテルを貼られること自体が、ふしあわせなことなのである。さらに、「引き寄せ方法をうまく使えない人」というレッテルの貼られること自体がふしあわせなのである。

そして、引き寄せ方法を試したぶんだけ、失敗体験が、増えるので、失敗体験のぶんだけ、ふしあわせだと感じることが多くなるのである。

条件が悪い人が、引き寄せ方法を試した場合、かなりの高確率で、失敗を体験することになる。ほんとうは無効である方法が流通してしまうと、そのぶんだけ、社会のふしあわせ度が高くなってしまうのである。

でっ、さらに言ってしまうと、これは、社会のぎすぎすした感じを増やすことになる。

引き寄せ能力があると思っている人は、引き寄せ能力がない人をバカにするようになる。引き寄せ方法を試して、うまくいったと思っている人は、引き寄せ方法を試してうまくいってない人を見下すようになる。

*     *     *

おカネでも、彼氏でも、彼女でも、「席のうばいあい」だ。席のうばいあいで勝ちたいという気持が、「引き寄せ」行為をさせている。根本的に、自分が勝ちたいという気持があるから、引き寄せを試そうという気持になったわけなんだよ。

楽に、ゲットしたいと思っているから、引き寄せ行為をしているんだよ。

引き寄せは、わかちあいではなくて、うばいあいなんだよ。

引き寄せようとしているおカネ、彼氏、彼女というのは、無限ではない。

たとえば、A子さんとB子さんとC子さんは、D男が好きだとする。A子さんもB子さんもC子さんも、引き寄せ行為をした。引き寄せ行為とは関係なく、D男がA子さんのことを好きだったから、A子さんとD男さんがつきあったとする。

引き寄せ思考をしているA子さんは、D男さんを引き寄せたと思うだろう。そして、B子さんやC子さんは、引き寄せ行為をしたにもかかわらず、D男さんをゲットできなかったのである。

引き寄せという視点に立てば、A子さんは引き寄せることができたけど、B子さんとC子さんは引き寄せることができなかったということになる。B子さんやC子さんより、A子さんのほうが引き寄せ能力があり、引き寄せ方法がうまかったから、D男さんを引き寄せることができたのだということになる。

けど、これも、「あとだし思考」だ。

結果が出たあと、引き寄せという視点でものごとを見ると、そういうふうに見えるだけだ。

実際は、ちがう。

引き寄せという世界観(パラダイム)が、まちがっている。

「理由」について勘違いするようにできている。

引き寄せセミナー講師は、そういう「錯覚」「勘違い」を利用して、おカネをもうけている。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。