無理解ぶりを発揮しているということは、同等の経験がないということなんだよ。わかってないから、無理なことを言う。同等の経験があれば、無理だということが、自分のからだでわかっている。
自分のからだでわかってないということは、同等の経験がないということなんだよ。
「俺だって苦労した」「私だって苦労した」という言葉で、同質化するな。
ヘビメタ騒音の話を聴いたあと、ヘビメタ騒音のことを無視して「それでも働いたほうがいい」と言う人は、なにもわかってない。
こいつらは、ほんとうに、みんな……「俺だって苦労した」「私だって苦労した」と言うけど、同等の経験をした人が、普通に働けるということはない。
同等の経験をした人が、普通に働けない状態について、理解しないはずがない。
自分だって、ほんとうは、「同等の経験」をしてしまったら、働けなくなるのに、「自分だったら、そういうことを経験したとしても働ける」という前提でものを言う。
これ自体が、(こっちにとっては)侮辱なんだよ。わかってないなぁ。
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あと、「本当につまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」と言っているやつだけど、こいつも、「俺だって苦労した」と言っているのだよね。
いやーー。「楽しい」と感じられるこころが残っているということは、その苦労が、それだけの苦労でしかないということを、物語っているんだよ。
もしかりに、楽しみを……そのあとも……感じなくなるような苦労をした人が、「ほんとうにつまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」と言うと思う?
言わないんじゃないかな。
だって、本人だって、楽しむことができなくなって、「つまらない」と感じているわけだから……。「ほんとうにつまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」と言うやつが、ほんとうにむなくそ悪いやつで、性格が悪いやつだと思う。
こいつも「俺だって苦労した」とひとこと言って、苦労を同質化してしまうやつだ。
そして、ほんとうに苦労した人を、ののしる。こんなやつが、いい人であるわけがないだろ。こんなやつが、同等の苦労をした人であるわけがない。
同等の苦労をした人は「わかっている」。
わかっているから、そんなことは、言わない。
本人が、「楽しめない状態」になっているからな……。その苦労の結果、本人が「楽しめない状態」になっている……。
そういう人が、自分のことは棚に上げて、そんなことを言うか?
言わない。
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きちがい兄貴は、きちがいなんだよ。きちがい兄貴が、家族の一員であるような家族は、少ないんだよ。極端に少ないんだよ。そんなにたくさんいるわけがないだろ。
きちがい兄貴は特殊だから、きちがい兄貴によってもたらされた「困難」も、特殊なんだよ。
きちがい兄貴によって、もたらされた「困難」があまりも特殊なので、ほかのやつは、理解できない。
けど、そいつらにも困難があった。困難を経験したというのはほんとうのことだ。けど、同質の困難じゃない。同種類の困難じゃない。
「困難」の「困難」が最初からちがう。
ちがうのに「おなじだ」と思って、まちがったことを言ってくる。無理なことを言ってくる。「無理なことではないと思って」無理なことを言ってくる。
どうして、「無理なことではない」と思えるかというと、同種類の困難だと、誤解しているからだ。異種類の困難なのに、同種類の困難だと誤認しているからだ。経験がないから、「困難」のちがいがわからずに、「同種類の困難を経験した」という前提でものを言ってくる。
これが、言われたほうにしてみれば、ものすごく腹がたつことなのである。これは、侮辱だ。言っているほうは、侮辱しているつもりがないと思っていると思うけど、侮辱だ。
挙句の果てに、「できると言えばできる」などと言う。これがどれだけ、頓珍漢な発言か、本人がわかってない。
実際、同質の困難を経験したと勘違いしている人が、言霊主義者である確率は、かなり高い。これは、だいぶ、かさなりあっている。ぼくの経験の範囲でいうと、八〇%ぐらいが、同質の困難だと勘違いしている人であって、なおかつ、言霊主義者だ。ぼくの経験の範囲でいうと、同質の困難だと勘違いしている人であって、言霊主義者ではない人は二〇%ぐらいしかいない。
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言霊のように、ぼんくらな解決方法でも、解決方法として流通しているのは、問題がある。紅茶の話で説明したけど、言霊が物理現象に影響をあたえる確率はゼロだ。
言霊には、そんな力はない。
どれだけ言ったって、紅茶は出てこない。
喫茶店に入って、ウエイトレスがきたので、「この紅茶を飲みます」と言った。「この紅茶を飲みます」と言った結果、紅茶が目のまえにあらわれた。だから、言霊的な解決方法は有効だと言えるか?
言えない。
これは、言霊の力ではなくて、言葉で意思表示をしたから、言葉を理解できる人が、「紅茶を飲みたいのだな」と思って、紅茶をもってきてくれただけの話だ。
言霊! 関係なし!!
この場合、「この紅茶を飲みます」と言ったから、ウエイトレスがもってきてくれたのだから、「言ったから」ということが成り立つ。
けど、言ったあとの特殊なケースなのである。「言葉の力と言霊の力」の勘違いと、「言ったからと言ったあと」の勘違いが、両方とも成り立っている。これ、両方とも、言霊の力じゃないのである。
言霊主義者が、勝手に、事実を誤認しているだけ。
どれだけすごい言霊主義者だって、言霊の力を使って、現実化することはできないのである。
「三秒以内に、紅茶がはいったティーカップが、目のまえにあらわれる」と、どれだけうまい言い方で言ったって、「三秒以内に、紅茶がはいったティーカップが、目のまえにあらわれる」ということは起こらない。現実化しない。
もちろん、人がもってきてくれるとか、そういう話ではない。
言霊の力によって、ぱっと、目のまえにあらわれるのである。言霊主義者は、「自分はそういう魔法が使える」とまじで言っている人なのだ。
じゃあ、言霊主義者が、紅茶を飲みたいとき、「紅茶が目のまえにあらわれる」と言って、あらわれた紅茶を飲むのかというと、そうではないのだ。
普通に、ティーカップなり、なんらかの容器に、ティーバッグを入れて、そのあと、お湯をそそいで、紅茶をつくったり、ティーサーバーに紅茶リーフを入れて、お湯を入れて、ティーサーバーから、ティーカップなり、なんらかの容器に、紅茶をうつしかえて、紅茶を飲むのである。
もちろん、インスタント紅茶の粉を、ティーカップなり、なんらかの容器に入れて、そのあとお湯を入れて、紅茶をつくってから、紅茶を飲むという場合もある。
いずれにせよ、これらの方法は、現実的で、実際にできる方法なのである。
言霊のすごい力に頼って、言っただけで、問題を解決してしまうわけではない。
「あらわれる」と言っても、「あらわれない」ことは、言霊主義者だって知っているわけだ。
ところが、「言えば、言ったことが、現実化する」と言って、きかない。
じゃあ「三秒以内に、紅茶がはいったティーカップが、目のまえにあらわれる」と言って、紅茶を飲んでみてよ。言っておくけど、だれかにもってきてもらうのではなくて、言霊の力を使って、目のまえに出現させなければならない。
まあ、ただ単に「紅茶が出てくる」と言うだけだと、液体の紅茶が、出てきて、床や机の上が紅茶でよごれてしまうから、注意。入れ物に入った紅茶ということを明言しておかないと、単なる紅茶が、空間に突然あらわれることになるから、注意せよ。
でっ、そういう方法で、紅茶を飲んでいる人はいるの?
言い方がよければ、紅茶が出てきて、言い方が悪いと、紅茶が出てこないの?
どれだけ言い方がよくても、紅茶は出てこないと思うけどなぁ。
「言い方が悪から、出てこない」……これが悪質な言霊主義者が言う言葉だ。
悪質だろ。
自分だって、言霊の力を使って、紅茶をだせるわけではないのに、どの口でそんなことを言っているのか?
これも、自分は、紅茶をだせるつもりでいるのである。
これは、事実誤認なのである。
自分が言ったら、その通りになったことがある……これだけだ。「自分が言ったあと」と「自分が言ったから」の区別がついてない。自分が「明日は、雨になる」と言ったら、実際に雨になった。「これは、言霊の力だ」「自分は言霊の力を使える人間だ」と思ってしまう。
言霊の力じゃない。
言霊の力はないので、「自分は言霊の力を使える人間だ」と思っている人間も、言霊の力は使えない。言霊の力で、雨になることは、一〇〇%ないことなのである。
大気中には、さまざまな物質があるのだけど、その物質の相互的な運動の結果、雨がふったのだ。言霊の力で雨がふったわけではない。その人が「明日は、雨になる」と言った「から」雨がふったわけではない。
勘違いしているだけ。勘違い人間。
勘違い人間が、無理なことを言ってくるのである。