これ、ほんとう、無理なことなのに、みんなわかってない。過小評価している。あるいは、無視している。できるわけがないんだよ。できるわけがない。あんな音で鳴らされて、横の部屋にいるのに影響をうけないことは可能だという前提でものを言うやつは、どうかしている。頭がおかしいとは言わないけど、想像力が凡人並みだ。特に、人のことについて考えられる人ではないのである。特に、人の状態について、考えられる人ではないのである。ほんとうに、人並みの理解力しかないからそうなる。コミュケーション能力も、人並みでしかない。人並みのコミュニケーション能力だと、ヘビメタ騒音の影響について……つまり、きちがい家族のきちがい騒音について、かならず、誤解をするのである。しかも、これが……誤解をしたとは思ってないのである。この、本人が誤解をしていると思ってないタイプの誤解というのは、きちがい兄貴の誤解や、きちがい親父の誤解と、ある意味、似ているので、ぼくにとっては、相当に不愉快なものなのである。そして、「それでも働いたほうがいい」と言う人は、ぼくよりも、高等な人間だと思ってぼくのことを、見下している。これも、本人が「見下している」と意識できないことなのである。当たり前すぎて、意識できないわぁーー。意識できないぐらいに、当たり前のこととして、見下しているのである。働いているほうが、働いていないやつよりえらい……特に意識していなくても、こういう感覚がある。
きちがい兄貴が、気にせずに、ずっときちがいヘビメタ騒音を出し続けると……きちがい兄貴自身が、満足できる音で、鳴らし続けると……必然的に、普通の他者とこういう問題があるコミュニケーションがしょじるようになっているのである。
普通の人→きちがい的な家族と一緒に住んだ経験がない→きちがい家族がきちがい的な意地で騒音を毎日毎日鳴らし続けた場合における、からだの状態がわからない→それとは別に、日本労働教徒の教えがある(労働に関する共同幻想がある)→俺に対する、無理解、差別発言をする→俺に対して、無理解、差別発言をしたことに、気がつかない。こういう、一連の流れがある。だから、普通の人と俺は、なかが悪くなるように、できているのである。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、ほかの人が理解できないような経験を俺にさせると、みーーんなみんな、俺について誤解するように、なる。そういうふうに、できているのである。こんなの、ない。ぼくにとって、外界というのは、こういう外界だったよ。
きちがい的家族が、きちがい的な意地でヘビメタ騒音を鳴らすと、普通の人が俺について誤解をするようにできている。かならず、普通の人は、普通の人の感覚で、誤解をする。どうしてかというと、経験がないから。きちがい家族と一緒に住んだ経験がない→きちがい家族というものが……きちがい家族という生命体が、そもそも、どういうものか、まったくわかってないという状態をうむ。そのきちがい家族が、きちがい的な感覚で、騒音を鳴らすと、これまた、普通の人にはわからない状態で、ぼくが毎日暮らすことになる。影響? あるに決まっているだろ。影響を無視して、ガタガタ言うな。