赤ちゃんでまだ、意図的に悪いことができないときは、意図的に悪いことができないのだから、言ってみれば、ゼロ状態なのである。ところが、「やったことがかえってくる」というのは、他人に「やったこと」がかえってくるということなのだ。悪いことを、意図的にすると、その悪いことが、かたちをかえて……あるいは、ほぼおなじかたちで……かえってくるというのが、「やったことがかえってくる」ということの意味だ。もちろん、これは、やったことが悪いことである場合だ。いいことを、意図的にすると、そのいいことが、かたちをかえて、あるいは、ほぼおなじかたちで……かえってくるというのが、「やったことがかえってくる」ということの意味だ。実際には、悪いこともいいことも、本人が「そうである」と自覚している場合の話になってしまうのである。どうしてかというと、本人がやっていることだからだ。本人が、意図的にやっていることだからだ。けど、「やったことがかえってくる」という場合には、なにか、神秘的な力によって、本人が意図的にやったことではなくても、とにかく、本人がやったことは、「かえってくる」ということになる。意味としてはそうなのだ。けど、実際に生活のなかで、「やったことがかえってくるのだから、いいことをしよう」と思ったり、「やったことがかえってくるのだから、悪いことはやめようなと思ったする場合は、やはり、本人が意図的にやろうと思うことについて考えているということについて、考えているということになる。本人が意図的にやったことではなくても、ともかく、本人がやたっことなら、「かえってくる」というのが、本来の意味なのだけど、実際の生活のなかでは、そうならない場合がある。けど、話としては、「なにか神秘的な力で」そうなるということを語っているのである。ようするに、認知の範囲がちがう。
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回想として、「自分があれをやったから、こうなったのかな」と考える場合も、認知できる範囲で話をしている。
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ともかく、赤ん坊の「ゼロ状態」を考えると、「やったことがかえってくる」というのは、嘘なのである。最初から、環境のなかにとりこまれている。外部環境はある。