まあ、精神世界というのは、一種の貧困ビジネスなんだよね。はったりで起業できるし、考え方の仕入れは、ただだ。だから、まあ、あんまり深く考えない人が、はったりで、参入できる。
そして、現実がくるしければくるしいほど、需要が増える。条件が悪い人が、増えれば増えるほど、需要が増える。そりゃ、夢みたいな話だからなぁ。精神のソフトドラックなんだよ。精神の麻薬なんだよ。精神の覚せい剤なんだよ。
これは、有害だ。
どうしてかというと、ぼくがここで説明してきたような「しくみ」が成り立っているからだ。精神世界がはやればはやるほど、社会がボロボロになる。なんで、道徳的な話から、問題がしょうじるのか? まあ、運用の問題があるんだよ。そして、「ぬけぬけ」の問題がある。おなじことだけどな。
精神世界と書いたけど、その対極にありそうな「努力論」もおなじなんだね。これが、わかっていない人が多すぎる。精神世界は宗教的だけど、努力論はビジネス的で現実的だと思っている。ちがう。ちがう。まったく、ちがう。努力論と精神論のさまざまな思想は、似ているんだよ。機能としては、おなじ機能をもっている。努力論も、精神の麻薬なんだよ。
なんで、これに、気がつかないのか。
精神世界のさまざまな考え方がはやればはやるほど、努力論がはやればはやるほど、世界が悪くなっていくのである。条件が悪くて、悪い出来事が発生して、くるしんでいる人が、余計にくるしむようにできている。精神世界のさまざまな考え方や努力論は、条件が悪い人を、追い込むようにできている。「ぬけぬけ」の人たちが……「抜け忍狩り」の体制的な忍者のように……条件が悪い人に、襲いかかるのである。
まあ、精神的に襲いかかるだけだけどなぁ。