2018年3月31日土曜日

殺さなければ、やられてしまう。

眠れない状態で、横になっているといろいろな不愉快なことを思いだしてしまう。損をした話とか……。他人がかかわっているんだよな。そして、ヘビメタ騒音でもやもやになった頭がかかわっている。ヘビメタ騒音でもやもやになった頭で、病院に行くとろくなことがないんだよな。

この病院というのは皮膚科だ。気違いヘビメタ騒音は実は……蕁麻疹以外の皮膚系の疾患を引き起こしている。ヘビメタ騒音で!!! これ、ほんとうにヘビメタ騒音のせいだから……。違うんだよ……。

もう、違う……。

普通の人が考えている騒音被害と、僕が一四年間……あしかけで一五年間のあいだに経験した騒音被害は違う。ぜんぜん違う。ぜんぜん違うから、やっぱり、考えに差ができるんだろうな。

聞いた人……と僕とのあいだで考え方に差ができる。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音の結果なんだよ。皮膚病も、もやもやした頭で病院に行かなければならない状態も……。俺がどういう気分で……病院や薬局に行くと思っているんだ。病院で薬をもらえるようにしてくれればいいのに……。まあ、病院の施設の一部に薬局がはいっているところもあるけど、そうじゃない病院もたくさんある。



あのときつらかったなぁ。あの態度はない。親父とおなじなんだよな。絶対の意地でやって、絶対ゆずらない。殺さなければ、やめさせることができない。スイッチが入るとそうなる。けど、本人はやったつもりがないという気違いとしか言いようがない状態ができあがる。やってないと思っているのだから、反省したりしないんだよ。

俺が世間の人からどれだけ悪く思われていると思っているんだよ。気違いヘビメタ騒音で俺が困っていたとき……気違い兄貴の行為で困っていたとき……俺がどれだけ他の人から、悪く思われたと思っているんだよ。

それは、ほんとうに、気違い兄貴がハンダゴテ事件の時に「このハンダゴテが使えないということがわからないほどバカなのか?」「ちゃんと親に説明できないほどバカなのか?」と思われたのとおなじなんだよ。「ちゃんと説明したのに親父がわかってくれなかった」と言っても、よその人は「そんなことはないだろう」と言って信じてくれなかっだろ。

それとおなじなんだよ。ヘビメタ騒音を絶対にやめてくれない……ということと、気違いヘビメタの時間の長さ、気違いヘビメタ騒音の音のでかさを認めない。「いっくら鳴ってたと言っても、そんなんじゃないだろ」「お兄さんにちゃんと言わなかったからいけないのではないか」「そんなのはおかしい」「そんな音で鳴らしているのに親が注意しないのはおかしい。言うほどでかい音で鳴ってないのではないか」なんて言われるんだよ。

これ、どういうことだと思っているんだよ。

ヘビメタ騒音が鳴っていると宿題ができない。夜眠れない。朝まで眠れない。……俺が入試の前、どういう気持ちで一日中起きてたと思っているんだよ。どういう気持ちで朝を迎えたと思っているんだよ。俺がどれだけ兄貴に「静かにしてくれ」と言ったと思っているんだよ。

はずかしいことだけど、ほんとうに、ヘビメタが一日中鳴っている状態だと、いろいろな意味で疲れ果てて、風呂には入れなくなる。これも、ヘビメタ騒音!!!と風呂に入れないということが、結びつかないだろ。普通の人にとってみれば「そんなことはない」ということになるだろ。「ヘビメタ騒音が鳴っているから、風呂には入れないなんて、いいわけだ」と言うことなるだろ。「ヘビメタ騒音が鳴っているから、宿題ができないなんていいわけだ」「ヘビメタ騒音が鳴っているから、入試で失敗したなんていいわけだ」……こういうことを言われる。

学生時代がすぎれば、「ヘビメタ騒音で、働けないなんていうのは、いいわけだ」と言われるわけだよ。ヘビメタ騒音を一度も経験したことがないやつらがそういうことを言う。

これが屈辱でなくてなんだ。

気違い兄貴の鉄板の態度……気違い親父とおなじ態度が、他の人には、根本的なところでわかってない。わかるわけがない。

あんなのは「うち」でおなじようにやられないと絶対に理解できない。

そういう、気違い的な態度がある。

普通の人にはこの気違い的な態度がわからないし、気違い的な態度でやったあとの、気違い的な認知がわからない。「やってないつもり」なんだから。「ほんとうに!やってないつもり」でいる。じゃあ、やめてくれるのかというと、鉄板の態度で無視してやりきる。

殺さなければ、やられてしまう。やられ続けてしまう。

毎日毎日、そういう状態なんだよ。毎分毎分、毎秒毎秒、そういうじょうたいなんだよ。どうしてかというと、気違い側……やる側は、いつもそういう状態になっているからだ。そうじゃない状態がない。

「うちにいるかぎり」ずっと、そういうモードでくらしている。頭がそういう構造である限り、つねにそういう反応、態度で暮らしているんだよ。反応というのは、頭を通した反応だ。

だから、頭がかわらない限り、つねにそうなんだよ。言ってみれば、性格として常にそうなっている。

だから、「たまたま、機嫌が悪かったからそういう反応をしたんだ」「だれだって、機嫌が悪いときはある」というような説明のしかたでは、気違い兄貴の性格や気違い兄貴のやってきたことや、気違い兄貴の態度は説明できない。兄貴が兄貴でいる限り、かならず、うちでは、そういう反応を返すんだよ。そういう反応を返すという頭の構造を持っている……ということが、他の常識的な人にはわからないだけだ。

   *   *   *

あと、もやっとした頭で、失敗をしてしまうときがある。相手の釣銭間違いを指摘できないときがある。これ、複雑すぎて説明できないんだけど、……。めんどうくさいことだけど、ともかく、頭がもやもやでなおかつなるべくマナーを守ろうとすると失敗する。

たとえば、列に横入りするのはまずいよな。

けど、いま話をしている人のところにもどって、中断させて、釣銭が間違っているということを言わなければならないんだよ。そして、いま話をしている人の相手(薬剤師)は、俺の相手をしていた薬剤師とは違うんだよ。

これも、ほんとう、説明するのがめんどうだけど、「どうして、こんなにうまくいかないんだ」というようなことが、ヘビメタ騒音関係で発生してしまう。ヘビメタ騒音の穴を埋めようとすると、そのあのの周辺に穴があいてしまうということがある。ようするに、トラブルが発生する。全部、ヘビメタ騒音被害の話しなんだよ。

そもそも、医者に行かなければならないのも、そもそも、薬局に行かなければならないこともすべて、気違いヘビメタ騒音がかかわっていることなんだよ。頭がもやもやしていると言ったけど、俺がその皮膚科に行ったときも実は、二四時間起きているような状態で行った。これは、そうなる。

俺が、何回、皮膚科をすっぽかしたと思っているんだよ? 気違いヘビメタ騒音で鬱で鬱で、行けなかった。行ったときですら、いろいろなみじめなトラブルが発生する。

話を戻すけど、俺が間違っているのかもしれないという懸念があった。けっきょく間違ってなかったんだけど、二四時間起きているような状態だったから、確信が持てなかった。釣銭間違いというよりも、釣銭をそもそももらいそこねた。列に割り込むというのが、ものすごく負担だったのである。

で、俺が気がついて振り返ったときには、俺の相手をしていた薬剤師ではない人にかわっていたので、なおさら、その人に、そのことを言うのが負担だった。間違っていたら……もし、そういうことを言って、もし、僕の勘違いだったら、はずかしすぎる。かっこう悪すぎる。クレーマーになってしまう。それは、いやだった。

どうしても、寝てない頭で最後の自信がなかったんだよな。「もらってない」という確信がゆるんだ。「たぶん、もらってないんだけど、どうなんだろう」というような弱い気持ちになった。

全部、眠ってない状態で「むりやり」動いているからそういうことになる。トラブル対応がうまくいかない。そして、ヘビメタ騒音にやられたからだで動いていると、トラブルが発生しやすい。ヘビメタ騒音病を抱えていると、二四時間眠ってない状態で動かなければならないようなことになってしまう。

   *   *   *

それから、「できる」ということについて、ちょっとだけ言っておく。それは、「続けて」できなければならないということだ。

たとえば、俺は「つかれて風呂に入れない」ということを言った。けど、「風呂に入るという強い意志を持てば入れる」というようなことを言った人がいるとする。その人がまた「できないというからできないんだ」と言ったする。そのあと、数日後に、俺が、風呂に入ったとする。

そうすると「できた」ということになる。「風呂に入ることができた」ということになる。

けど、これでは、ヘビメタ騒音で風呂に入ることができないということで表現した問題が解決したことにはならないんだよ。

一回できてもしたがないんだよ。長期にわたって、適切な回数できないとだめなんだよ。一週間に一回できても、まずいわけ。わかるかな? 

何週間も何週間も、一週間に三回ぐらいは入浴できないとまずいわけ。清潔さをたもてないわけ。

で、これは、遅刻でもおなじなんだよ。俺が遅刻を責められたあと、ヘビメタ騒音にたたられながら、次の日遅刻しないで行ったとしよう。それで、問題解決かというとそうじゃない。そうじゃないんだよ。

「できたじゃないか」という人は間違っている。「できたからいいんだ」という人は間違っている。見ている範囲が違う。

ほんとうは俺が困っているということもわかってない。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音で眠れない(だから、ヘビメタ騒音で適切な時間に起きれない)という問題は俺の甘えの問題じゃないのである。俺の心構えの問題じゃないのである。

ずっと続けて、遅刻をしない状態でできないということを言っているんだよ。一回の話しじゃないんだよ! 一回の話しじゃ!!

気違い兄貴のヘビメタがどれだけ俺のからだに影響を与えているかわかってないだけだ!! ヘビメタ騒音を浴びると、どうしても、眠れなくなる。午前四時、午前五時ぐらいまで、眠れなくなる。

しかも、ヘビメタ騒音が鳴っているなかで、早めに寝るということもできないのである。眠って二時間ぐらいした一番眠たくて眠たくしてしかたがない時間にお母さんから起こされて、……それで、一〇分、二〇分、三〇分どうしても、今度は眠ってしまって、遅刻してしまう。

その問題は、ヘビメタ騒音が全面的に鳴りやむということでしか、解決しなかったんだよ。

教師は、「家族で話し合えばいい」「お兄さんに言えばいい」ということで、話を打ち切りにしたけど、気違い兄貴が気違い親父の態度で鳴らし切るから問題がある。

どれだけ俺が言っても、気違い親父の態度で、無視して鳴らすから……鳴らし続けるから!!問題がある。何時間も何時間も、ヘビメタが好きで好きでたまらないカオ君ですら、おどろいてしまうようなデカイ音で鳴らし続けるから問題がある。

これ、ほんとう、教師をやっているような人にはわからない部分があるんだよな。教師をやっている人の多くが、親父のような性格の人がいるとか、兄貴みたいな性格の人がいるということが、わかってない。常識的な家の出身だから、非常識な家のことが、根本からわかってない。生まれ育ったところが違いすぎる。生まれた家の「家族」が違いすぎる。

認知の部分でずれてる家族なんていないところで育った人が、教師になっている。ごくごく少数の例外はいるかもしれないけど、教師になるような人は、常識的な家の出身だ。根本的に、親父のような性格の人のことや、兄貴のような人の性格がわかってない。どれだけ認知にズレがあるか、わかってない。

「頑固な態度」と言っても、普通の「頑固な態度」しか想像できない。認知そのものがずれている頑固な態度というのがわからない。頭がおかしい病的な頑固な態度……現実無視の頑固な態度というのがわからない。根本から、わからない。

「教師」が育ってきたような常識的な「家族」のメンバーを想像して、「親」とか「兄」といった「家族」のメンバーを考えている。ぜんぜんちがうから! これも、これで、溝がデカイんだよな。




(当時)女の子に無職だと言うのが、どーしてもいやだった

ユーたちは元気??

なんか、いま、地元のラーメン屋の評価サイトを見ていた。

ラーメン、うまいんだよな。小泉さんじゃなくても、うまいと思うよな。あーあ、こんだけラーメン屋があるのだから、開拓しないとなぁ。



ほんとう、ありすぎるほどラーメン屋があるんだよなー。自転車で行ける距離……。



あれやこれや、考えていたけど、ほんとう、かわんないんだよな。ヘビメタにやられてからかわらない。ぜんぶ、闇の中でやっていることになるし、(当時)女の子に無職だと言うのが、どーしてもいやだった。いやだったんだよ。だから、関心がないふりをしてしまったけど、失礼だったかな。あとは、男の役割を求められるのがいやだというのがあるんだよ。それは、「無職だということを言いたくない」ということも含んでいるんだけど、いろいろと、いやなんだよ。ヘビメタ騒音で俺は、普通の人間ではなくなっているんだよな。社会的役割とか……。ほんとう、ヘビメタでそうなった。これ、言いがたいことがいろいろある。朝眠るとき、気違い兄貴のあの態度が浮かんできて、ひとりで腹を立てている……。あのシーンが浮かんでしまう。


ともかく、めちゃくちゃなんだよ。むりなんだよ。どれだけの、張り詰めた努力の末に、このむりな状態にいたったか。他の人はぜんぜんわかってない。

   *   *   *
あれ、ほんとうに親父のように無視してやりやがって。親父のように真っ赤な顔をしてやりやがって。親父のように目を三角にしてやりやがって。反応がおなじなんだよ!! 「やめてくれ」と言われたときの反応がおなじ。頭がおかしい反応しか返してこない!! あれでゆずってやったつもりとか、そんなにやってないつもりだとしたら、ほんとうに親父のように頭がおかしい。で、たぶん、ほんとうに親父のような頭の構造なんだろうな。これ、だれに言ってもわからないだろうけど。これ、ほんとうにきつい。死ぬ。一切合切、つたわらない。どれだけなにを言ってもつたわらない。どれだけ激しく絶叫して、何万回言っても、つうじない。怒って鳴らすか、あるいは「おまえ、なに言ってんだ? そんなの、できるわけがないだろ」というような態度で鳴らすか、さらにあるいは、「わかったわかった」と言って鳴らすかのどれかだ。気違い兄貴がゆずったとき、カオ君が「(自分の家で)こんなデカイ音で鳴らしたことは一度もない」と言うようなデカイ音で鳴らしていた。兄貴は、常にそういう音で鳴らしていた。カオ君は、兄貴の友達で、ヘビメタが大好きなんだぞ。そのカオ君が、おどろいてしまうほどデカイ音で鳴らして、それで!ゆずってやったと思っている。「わかったわかった」と言って、気違い兄貴が最大限ゆずったつもりの音が、そういうデカイ音なんだよ。そういうところで、感覚がずれているから、なにもやったつもりがないんだよ。俺が、兄貴の部屋に行って「明日、試験だから!!鳴らすな!!」と何十回も絶叫しているのに、親父みたいに怒って、ひきつった顔をして、鳴らし切る。無視して鳴らし切る。それでなにも感じてないのかよ!! それで、「静かにしてやったつもり」なのかよ!! 親父とおなじ頭なんだよ。親父とおなじ感じ方なんだよ。自分がやると決めたら、どれだけ「いえのひと」が「迷惑だからやめてくれ」と親父の近くで絶叫していたとしても、無視してやっちゃう。この態度が、おかしい。やめてやるつもりなんて、まったくない。これ、ほんとうに、殺し合いに発達してもおかしくないことなんだよ。そういう意地なんだよ。親父が常にそうしてきたからって、気違い兄貴がまねしなくたっていいだろ。気違い兄貴は、親父の態度で、普通の人間として、怒っていた方なんだから。自分がやったことは、絶対に認めないのなぁ。そういうモードで頑固にやり切ったことはぜっーーーったいに認めないのだ。おなじなんだよな。シーンがかわっているだけでおなじなんだよな。鳴らしたいときは、無視して鳴らして、認めなくないときは無視して認めない。「やった」と言うことすら、そういう態度で認めない。で、本人は、けろっとしている。ほんとうにやってないつもりでいる!! そういう毎日なんだよ。俺にとって一一歳から二五歳の一五年はそういう毎日なんだよ。気違い兄貴!! おまえ、俺がどうしてまるまるそうに出たかわかってないだろう。おまえがヘビメタをやめてくれないからだよ!! お・や・じ・の・よ・う・にほんとうにわかってないな。ほんとうにわかってないんだよな。ほんとうに、なにもつたわらない。自分がやりたいときは、普通に言えば「ひとこと」でわかることが、つたわらない。つたわらないとなったら、何万回、何十万回、毎日毎日、ずっーと言い続けてもつたわらないんだよ。そして、毎日毎日、ずっとそのモードでやり続ける。ずっとそのモードで無視し続ける。ずっとそのモードでやり続けたということも、ずっとそのモードで否定し続ける。ずっとそのモードで無視し続けたということも、ずっとそのモードで否定し続ける。だから、きりがない。どこまでも、一〇〇%意地を通してやりきって、どこまでも、一〇〇%やってないつもりでいる。そういう日常なんだぞ。そんなの、普通の人にわかるわけがない。

2018年3月30日金曜日

エイリさんは働くということの大切さがわかってないから働いてないんだ

無料キャンペーン予告~~
騒音サイコパス9

ヘビメタ騒音がほんとうにうるさかった。
兄貴の態度はない。他の人が理解できない態度、認知で鳴らしていた。

2018年3月31日(土曜日)、午前12:00 PDT
日本時間で午後5ぐらいかな。
もうすでに、アメリカはサマータイムなので、午後4時ということになります。けど、アマゾンのシステムはあんまりあてになりません。だいたい、ということです。もう、サマータイムなのかぁ~~。まだ3月なのに。

>>現在の日本とロサンゼルスとの時差は、16時間です。日本の方が、16時間進んでいます。

騒音サイコパス9

   *   *   *
ほんとうに「エイリさんは働くということの大切さがわかってないから働いてないんだ」と思われてしまうわけだからな。一般の人に……。だれだって、あんなのが七年間も毎日続けば、働けないからだになる。それがわかってない。それから、親父の態度と兄貴の態度が、その人たちにとって、まったく未知のものだから、態度そのものを想像できない。普通の人は、俺がどれだけ説明しても、親父の態度、親父の認識、兄貴の態度、兄貴の認識がわからない。わからないから、「話し合えばいい」などということをいう。それから、実際にやられたことがないから、どれだけ、けたたましい音でヘビメタが鳴っていたのか、ほんとうにわかってないんだよね。想像すらできないのだろう。気違い兄貴が最大限!!ゆずってゆずって、しずかににしてやったつもりの時間も含めて、ヘビメタが大好きなカオ君が「こんなデカイ音で鳴らしたことがない(自分の家でこんなにデカイ音でヘビメタを鳴らしたことがない)」と言うほど、デカイ音で鳴らしていた。兄貴が鳴らしてた。起きているときに、鳴らすつもりで鳴らしていた。意地になって鳴らしていた。けど、本人は、「鳴らしたつもりがないまま」なのである。本人の意識としては、あるいは、本人の主観としては「そんなんじゃない」つもりのままだ。これが、他の人には絶対にわからないんだよな。そして、おそろしいことに、気違い兄貴本人にもわからない。他の人以上に、わかってないところがある。自分がやったことなのに、まるで自分がやったことじゃないみたいな主観しか成り立ってない。認知しか成り立ってない。責任なんてしょうじるわけがないだろ。罪の意識なんてしょうじるわけがないだろ。気違い兄貴の態度や認知は、「さいしょから!!」おかしいんだよ。それがわかってない。よその家では、一日だってやれないことを、一四年以上、こだわって毎日やり続けた。これが、わかってない。やった本人がわかってない。こだわりきってやった本人がわかってない。いつもいつも、ほんとうは大事件なのに、本人はまったくなにも悪いことをしてないつもりなんだよな。「よそのいえ」で一日やればわかるかよ。それがどれだけ、大事件か。非常識なことか。刺しあいになってしまうことか。殺し合いになってしまうことか。殺さなければやれ続けることになってしまう。殺さなければ……殺して排除しなければ、毎日毎日、いつもいつも、やれら続ける状態が続く。これがどういうことだかわかってない。兄貴は、現実を無視して、親父とおなじ意地で、鳴らしてた。現実を無視するしくみも、現実を無視する意地!!!も、親父とおなじ。ああいう態度で、本人がやりたいことを、やり続けるということが、相手にとってどれだけ腹が立つことか、気違い兄貴はわかっているよね。自分が親父にやられた分はわかっているんだよな。親父とおなじやり方で、自分が弟にやったことは、親父とおなじようにまったくわかってない。「まったくやってないつもり」のままだ。あれだけこだわって、あれだけ長い期間やったのに、本人は「つもりがないまま」だ。これ、こんなの、わかるやつ、いない。他人で、こんなことがわかるやつ、いない。それがという意味を持つのかわかるやつがいない。

「鉄板の意地」でやって、「鉄板の意地」でやったということを否定する。毎日それの繰り返しだ。毎日、毎時間、毎分、毎秒、それの繰り返しだ。現在進行形で「やったってやってない」ことになっているのである。どれだけ、意地になってやっているか!!!

ほんとうに、こんなの、普通の家に育った他人がわかるわけがない。だから、他人は常に「うちのげんじつ」を無視したことを言う。かならず、他人の認知と、「うちのげんじつ」のあいだに差がある。

すげー、喉がかわく。

すげー、喉がかわく。
九割がた完成しているのに、残りの一割を書かずにずっと、しまってあるものがある。それを、出したら、しばらく「やろうとすること」をサボるか。

ヘビメタ騒音のことがでかくてでかくてだめだ。

ほんとう、こんなからだじゃなかったのに。
ヘビメタが鳴ってなかったら、こんなからだじゃない。

   *   *   *

気違い兄貴、どれだけのことが発生したと思っているんだよ。
あんなに意地になってやって、やったつもりがないのかよ?

   *   *   *
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2018年3月29日木曜日

「すべては自己責任」は「すべては他己責任」

起きた。どうしてもヘビメタ騒音がくるしい。ヘビメタ騒音で頭がくるしい。どうしても、くるしい。

どうしたものかな? これ、ほんとう、くるしいんだよな。

ヘビメタ騒音を一〇年以上毎日経験した人じゃないとわからない。至近距離の、気違いによるヘビメタ騒音を一四年以上経験した人じゃないとわからない。わかるわけがない。

「ハナシデキク」のと、実際に毎日やられるのとでは、天と地の差がある。どれだけ、がんばって明るく前向きに生きていたとしても……毎日、あの頑固さで、気違いの音をずっと聴かされ続ければ……爆音で聴かされ続ければ……元気じゃなくなる。暗くなる。この、「元気がない」とか「暗い」というのは、たとえば、就職活動をする上で、ものすごくデカイ欠点となるのである。

その欠点を、一四年以上かけて、作っていたことになる。

醸成、っていい言葉なんだけど、悪いことに使って言えば、ヘビメタ騒音の憂鬱、ヘビメタ騒音の不安、ヘビメタ騒音による体力不足、ヘビメタ騒音による学力不足が一四年以上かけて醸成された。

これは、一日でできあがるものじゃないのである。騒音とか言うと、なんか、一日のことを考えてしまう人がいるのである。

たとえ、一四年以上毎日と言われても、その人のなかでは「一日の騒音」のあるシーンしか思い浮かばないので、そういう場合のことしか考えられない。一四年も続いた場合のことなんて絶対に考えられない。

だから、「たとえ、鳴ってたとしても(仮定)過去のことは過去」などと言ってしまう。

こいつは知らないだけなんだ。

俺のいまの状態がわかってない。そりゃ、「うるさいな」と感じたシーン、体験しか思い浮かばないのであれば、それをもとにして考えるわけで、一四年間実際に続いた場合のことに関しては、考えることさえできない。

だから、現在に影響がないものだと勝手に仮定してしまう。けど、それは、違う。しかも、自己責任とか頭がおかしい。自分が、自分のことに関して自己責任だと考えるというのは、よくわかる話だ。

「すべては、自己責任」というのはそういう話しなのだ。

しかし、そういうことを軽々しく口にする人間は、そういう意味でこの言葉を使っているわけではない。他人の話をしているのである。他人の身の上に起こったことは、すべてその他人の責任だと言っている。

意味が違う。すべてが自己責任であるのなら、法律も裁判所もいらない。どうしてなら、すべての人が、「すべては自己責任」と言って、自分のみにしょうじたことは、自分のせいだと思ってあきらめるからだ。

けど、自分がなにもその他人に悪いことをしてないのに、その他人が自分を包丁で刺したら、自分の責任ではないと考えるはずだ。自分に落ち度がある場合はある。

その場合は、その落ち度に関しては自己責任なのだと思う。

しかし、落ち度がないのに、自己責任だと考えればいいという考えのもとに法律や社会制度が作られているわけではない。ということは、自分の責任と他人の責任をわけて考えるのが一般的だということを意味している。

すべては、自己責任なら、犯罪なんてしょうじようがないのである。みんな、好き勝手にやりたいことをやって、やられたやつはやられたやつが悪いと思っている状態になってしまう。やられたやつはやられたやつが悪いというのは、自分を中心としてみた場合の「自己責任」じゃない。

それこそ、すべては、他人の責任という意味での「自己責任」になってしまう。「すべては自己責任」などという言葉を他人に押しつけてくるやつは、なぐっておけばいいんだよ。なぐられたのはそいつの責任だとそいつは考えるのだろうから。

そいつにとって、「すべては自己責任」なのだからなぐられた責任は、自分にあると考えるはずだ。自分のせいで!なぐられたのである。他人は悪くない。「すべては自己責任」なんて軽々しく口にするやつは、なにも悪いことをしてないのに、なぐられたすべての人に対して、それは、「おまえの責任だ」と言っているに等しい。

すべての他人においてしょうじることは、すべてその他人のせいだと言っているのである。これが、「自己責任」の中身だ。

それではどうして、「すべては自己責任」などという言葉が、すがすがしく感じられるのであろうか? それは、自分の範囲に限定して「自分の身に起こったことは、すべて自己責任だ」と言っているように感じるからである。

この場合は、自分というのが、話者だけに限定されているように感じるから、聞いた人はなんとなく、すがすがしく感じる。

けど、話者は本当は、そういう意味で言っているのではなくて、「すべては他人の責任だ」と言っているのである。こういうことを言う人は、実際に自分が理由なく不利益をこうむると途端に怒る。

自分に非ががある場合ですら、怒って、他人の責任を追及する。そういう人間が多い。「すべては自己責任」などと言っておきながら、自分の不愉快を他人のせいにするやつが多い。

たとえば、「すべては自己責任」という考え方について批判されたとする。そうなると、怒る。ムッとする。「なんだこんにゃろう!!」という気持ちになる。「こいつは、へんなりつくをいって」と怒る。自分が怒ったのは、批判した人のせいなのである。ぜんぜん「自己責任」じゃない。

しかし、やはり、人は「すべては自己責任だ」というような言葉を「すがすがしく」感じてしまうときある。どうしてかというと、それが一種の理想像としてひびくからだ。

たとえば、Aさんが「すべては自己責任だ」と言っているところをBさんが聞いたとする。そうすると、BさんはAさんが一種の決意表明をしているように思ってしまうのである。

「どんなことがあっても、自分は人のせいにはせず、自分の責任だと考える」と言っているように思ってしまうのである。実際にAさんの気分はそういうものなのだろう。けど、実際にはAさんは決意表明だけをしているという場合がある。

自己責任だと言った場合の「自己」、自分の責任だと言った場合の「自分」というのが、実は「話者自身」ではなくて、「ある他者」であるばあいがある。すべては自己責任なのだから、ある他者の身に起こったことは、その他者の責任なのである。

これが、話者を「自分」だとすると、この話者は、他人のことについて話しているのである。

しかし、Aさんが「すべては自己責任」と言っている場合、AさんはAさんことについて述べているとBさんは、認識してしまうのである。実際に、Aさんも決意表明をしているときは、そういう意味で言っているつもりなのだろう。

けど、Aさんが「すべては自己責任」という言葉になれてしまうと、実は「ある他者の身に起こったことは、すべてその他者の責任」という意味での「自己責任」にすりかわってしまう。

たとえば、だれもが安全だと考える道を、だれもが安全だと考える時間に歩いていたら、通り魔にさされたとしよう。ようするに、危険な地帯の道を、深夜二時など危険な時間に歩いていたわけではなくて、普通の時間に普通の道を歩いていたとする。その場合は、さされた側の責任はかなり少ない。ゼロと言ってもいいのではないかと思う。

「すべては自己責任だ」と言っている人は「すべてはあなたの責任だ」と言っているわけで、「すべては自分の責任だ」と言っているわけではないという問題が発生する。

「あなたの身に起こったことは、すべて、どんなことでも、あなたの責任」なのだ。「すべては自己責任」という言葉は実はそうやって、他者を責めるための言葉であって、「自分の身に起こったことはすべて自分の責任だ」という意味ではないのである。

むしろ、「あなたの身に起こったことは、すべてあなたの責任であるが、私の身に起こったことは、私の責任ではない」と言っているのに等しい。そういうふうに感じないのは「自分」という言葉が原因だ。

なんとなく、「自分自身」という言葉が「私自身」を意味しているように思っているのである。実際の場面では、実はそういうふうに思ってない。

「すべては自己責任」などと言っている人は、具体的な場面では「自己責任」だとは思ってない。具体的な場面では、自分に責任がないことに対しては、「そんなのは私の責任じゃない」と言う人たちなのである。

具体的な場面でなく、自分がひとりで家にいるときなど……自省の時間があるときに、現実世界をはなれて「すべては自己責任(自分も含む)」などと思っているだけなのである。

現実の場面では、自分に責任がないことを、自分のせいにされたら、激しく「ことあげ」をして、激しく相手を責める。

「すべては自己責任」などと他人に対して軽々しく口にする人は、実際の場面では、やはり他人を責めることが多い。これは、エビデンスはない。

けど、「すべては自己責任」「すべては自己責任」と瞑想の時間に思っている人は、実際の場面では、自分に責任がないことに関して、自分に責任があるとされたら、怒る人たちなのである。

これは、「すべては自己責任」などと言いつつも、日常のさまざまなことで、怒っている人たちの日記を読んで、思ったことだ。

そういう人たちが、多い。経験的に多いと思う。

「すべては自己責任」などと軽々しく口にする人たちは、実に、細かいことで怒っている。人のせいにして怒っている。人に原因があるとその人が考えている場合は、人を責めたり、人に対して怒りをぶつけたりする。

あるいは、自分に疑いがかかれば、激しく抵抗する。(これは、ほんとうに自分がやったことではないのに、自分に疑いがかかって、他人から責任追及をされたというようなエピソードだ)。

すべては自己責任なら、他人から疑われたということも、自己責任であり、すべては自己責任なのだから、甘んじて受け入れなければならないのである。そこで、不愉快になったり怒ったりすることは、「すべては自己責任だ」と考えている人にはないことなのである。

「すべては自己責任」という言葉を発している人がどういう意味で「すべては自己責任」という言葉はを使っているかというと、「あなたの身に起こったことはすべてあなたの責任」という意味で使っているのである。「私の身に起こったことはすべて私の責任」という意味で使っているわけではない。「私の身に起こったことはすべて私の責任」という意味も含まれている場合は、自省の時間や瞑想の時間に限られる。

すべては自己責任という言葉には、三つの意味がある。

(1)私の身に起こったことはすべて私の責任
(2)あなたの身に起こったことはすべてあなたの責任(自分のことに関しては考えられていない)
(3)私の身に起こったことはすべて私の責任であって、かつあなたの身に起こったことはすべてあなたの責任

瞑想したり、自省している時間は(1)の意味か(3)の意味で「すべては自己責任」という言葉を使っている人がほんとうに、具体的な場面で(1)の意味や(3)の意味でその言葉を使うかどうかということを考えると、(1)の意味や(3)の意味では、その言葉を使わないと思う。現実の場面で使われる場合は常に(2)の意味なのである。

そして、(2)の意味でその言葉を使っているということは、他者に対して無限の責任追及をしているのであって、(他者に対して)責任追及をしやすい傾向があるということを暗示している。(1)の意味で「私の身に起こったことはすべて私の責任」という言葉を使っている人は、他者の出来事に対して一切合切言及してない。つまり、他人の責任を問うてない。

(1)の意味で「すべては自己責任」という言葉を使っている人は、実際に自分の範囲に「責任」を限定している。しかし、(1)の意味で決意表明をしている人の多くは、実際の場面では、(2)や(3)の意味で、「他人の責任」を追及している。

そして、(2)や(3)の意味で、「すべては自己責任」という言葉を使っている人は、やられたほうの他者にすべての責任を押しつける。かならず、やられたほうのせいにするわけで、なぜかは知らないけどやったほうの責任を問わない。

たとえば、なにもしてない相手を包丁でさしたひとを、やった人(第一者)だとする。また、その行為者に包丁でさされた人を(やられた人・第二者)とする。その場合、(2)や(3)の意味で「すべては自己責任」と言っている人は、かならず、第二者の責任を追及する。「すべては自己責任」という言葉自体は、第二者に対して無限の責任を追及する「道具」として機能している。なぜか、第一者の責任は、追及しない。こういうところで、おかしい。

俺は定年退職したけど終身名誉サラリーマンで無職じゃない 無職か有職かは身分じゃない

ユー! 俺が、お母さんの食事を作ってやらなかったらどういうことになってたと思ってるんだよ。俺が、気違いヘビメタにやられたからだを引きずって、ごはんを作ってあげてたから、どうにかなった。

まあ、親父のことは考えてなかったけど、こっちに帰ってきてからずっとめしは自分でつくっている。病気でほぼ寝たきりの母親のために、ずっと俺がめしを作ってきたんだよ。ほんとうにまるでわかってないな。

ぼくの場合は、ヘビメタ騒音で働けなくなっただけだから、介護無職ではないけど、介護無職の人だっている。介護のような、シャドーワークを無視するというのはよくない。

外で働いて報酬としてお金をもらうということだけが、働くということではないということに注目しなければならない。

作りおきをしておいたので、料理をする時間は自由だった。だるいときも、なんとか力を振り絞って、そこそこのものは作っておいた。

   *   *   *

●無職はなにもしてないので、無価値か? という問題について。


あとは、ローマ字入力練習サイトを作って、ずっと、良い子のみんなにローマ字入力を、教えているのだ。あのサイトは、一時間、二時間以上ねばる子が、一日に二〇人ぐらいはいるんだよ。一四年間だったら、どれだけの子供が、あのサイトを利用してローマ字入力(パソコンの文字入力)を習得したかわからない。



   *   *   *

●社会に貢献してない無職はゴミくず同然と言っていいのかという問題。


ところで、

「社会に貢献しないとゴミくず同然」というようなことを平然と言う人たちがいる。しかし、それはおかしい。そんなことを言ったら、人間はゴミ同然の存在として生まれてきて、ゴミくず同然の存在として死ぬということになってしまう。どうせ、定年退職すれば自分だって、無職になるわけだから、あんまり無職を悪く言うもんじゃない。



自分は働いてきたからいいのだという人がいるけど、働いている状態か働いていない状態かは、過去のことではなくて、現在の状態について言うべきことだ。だから、むかしは働いていたとしても、いま働いていなければ、働いていないということになる。そして、働いていなければ、通常は、「無職である」と言っていい。(無職ではない場合もあるんだけどね)。



俺は四〇年間働いたから、終身名誉サラリーマン(終身名誉正社員)で無職じゃないとか思っている人がいそうだけど、それは間違っている。無職かどうかは、身分じゃないんだよ。

これ、身分制度と勘違いしている人がいるんだよな。だから、無職は「えたひにん」で、自分は「武農工商」のうち「商」だから人間として上だというような勘違いをしてしまう。サラリーマンをなんか、身分のようにとらえている人がいる。
サラリーマン(正社員)は身分じゃない。正規雇用されている時期が終われば、正規社員ではなくなる。終われば、正規社員じゃないただの人なんだよ。働いていなければ、無職なんだよ。



無職を「ゴミくず同然」と馬鹿にしている人は、最後には自分の言葉が自分に返ってくるんだよ。だから、そういうことはおよしなさい。それから、外で働いてない人は社会に貢献してないと考えるのはおかしい。存在しているだけで社会に貢献している。価値があるとか価値がないというのは、人それぞれが決めることだ。





   *   *   *

●うんこ製造器という言い方をするのであれば、人間はみんなうんこ製造器


あとは、「働いてない人はうんこ製造器」という言い方があるが、人間は「うんこ製造器」に他ならないのである。言ってみれば、働くうんこ製造器と働かないうんこ製造器がある(いる)ということになる。

だいたい、「無職はうんこ製造器」「働いてないやつはうんこ製造器」とか言う人に限って、「人間は助け合い」とか「困ったときは、おたがいさま」とか「社会は助け合いでできている」などと言う。自分が矛盾したことを言っているということに気がつかないのかね。



何度も言うけど、うんこ製造器であるかどうか問題にするのであれば、存在している人間はすべてうんこ製造器なのである。人間だけではなくて、犬や猫もそうだ。動物はうんこ製造器ということになってしまう。よく考えてものを発言したほうがいいと思う。



こういう発言の裏には、無職蔑視があって、その無職蔑視はなんか身分制度のような感覚に裏付けされているのである。(実際に、自分が無職であっても、無職ではないと感じている人が多い)。働いているとき、「無職はうんこ製造器」と言っていた人が、働けなくなったら、自分のことについてどう感じるかが問題だ。

「自分は働けるから価値のある人間だ」と根底のところで思っているのであれば、自己無価値感にとらわれるだろう。働いているか、働いていないかに関係なく、価値があるという考え方のほうが、より有効に人生を生きられるとは思わないか?

しつこくなるけど、無意識的なレベルで「働いている自分には価値があるが、働いていない自分には価値がない」と思っていると、働いているときはいいけど、なんらかの理由で働けなくなったときは、悲惨だぞ。まあ、自分は終身名誉サラリーマンだから、よいのだいう逃げ道もあるけどな。けど、それは意識レベルの話しで、無意識レベルで「働いてない人には価値がない」と思っているとなると、やはり、問題がある。




2018年3月28日水曜日

あの時、こころがやぶけた。

あの時、こころがやぶけた。
ぼくはもうやっていけない。
鳴らすな!! おまえ、そういう態度で鳴らしやがって!!

まるまる荘時代とおなじだ

本当につかれたな」と感じてしまう。

これ、かわらないよなぁーー。
かわらない。ずっとつらいままだ。

コンビニに行ってくる。
チャオ

やめるか。やめてもいいな。大差ない。
ほんとう、つらい。最近特につらい。

よくなってないもんなぁ。まるまる荘時代とおなじだ。
あーーあ。ぜんぜんかわらない。

2018年3月27日火曜日

「苦しんで自殺してください」

「やりたいこと」がなんか、「やりたくない」ことになっている。「やりたかったこと」が「めんどうなこと」になっている。「めんどう」なのだから、やりたくないことなのだろう。

にしても、きゅうにあたたかくなった。

布団をはいだ。これは、しかたがない。
気温がかわりすぎる。これはやばい。

どうするかな。これから~~
言いたいことはあるんだよ。けど、どれだけ言っても、他人には届かない。届くわけがない。そうなると、人間関係の問題が解決しない。もう少し詳しく言うと、人間関係の基礎の問題が解決しない。

俺にとって、ヘビメタ騒音問題はそういう問題だ。

あれが、影響のないものだと思っているのかよ? あれが、ちょっと考え方をかえれば解決する問題だと思っているのかよ? そんなんじゃない。はじめから、そんなんじゃない。

ほんとうに、全部、他人が見えないところ……他人には見えない部分で、俺をめちゃくちゃにする。俺を能力不足にする。ヘビメタ騒音が影響を与えないわけがないだろ。むかしからそうだよ。いまだって、そうだよ。「まいにち」というのがデカすぎる。デカいんだよ。

意思は関係がない部分で、デカいんだよ。

修復不能、なんだよ。

手が届かないんだよ。

まあ、これも、見えてない他人にしてみれば「ぐだぐだ言っている」ようにしか見えないのだろう。ヘビメタ騒音に毎日、午後一一時一一分まで、やられてない人にはわからないだろうけど、俺に「通勤して働け」というのは、俺に「苦しんで自殺してください」と言っているのとおなじなんだよ。そういう問題だ。ヘビメタ騒音は最初から、そういう問題だ。

気違い兄貴は、朝から鳴らせるときは、朝からずっと夜の一一時一一分まで鳴らして、なにも影響を与えてないつもりでいる。ヘビメタ騒音のことを知らない人は、日曜日や祝日、夏休み、冬休み、春休み、普通に暮らしているのだと思っている。普通に暮らしていて、それなんだと思っている。ヘビメタ騒音のことを言っても、それは、「お兄さんと相談すれば簡単に片付くような小さな問題だ」と思っている。

ようするに、ヘビメタ騒音の影響というものを認めてない。で、これは、僕にとっては、ゆるせないことだ。ヘビメタ騒音は、強制能力低下ギブス、強制遅刻発生ギブス、強制鬱発生ギブスなんだよ。見えないけど、そういう機能を持つギブスなんだよ。つねにそういうギブスをつけて生きてきて、いいわけがない。

だれにもわからないかもしれないけど、くるしすぎる。

強制能力低下ギブスと言ったけど強制能力低下装置と言ってもいい。これが強烈すぎる。普通に生きるということができなくなる。普通の感情がなくなっていく。普通の人間関係がなくなっていく。

ヘビメタ騒音で絶交した。親友と絶交した。他の友達とも、けっきょくはヘビメタ騒音で絶交したようなものだ。絶交ではなくても、ヘビメタ騒音のことが直接の理由で、はなれていく。これ、ほんとうにわからないのだろうけど、そうなんだよ。

毎日毎日、つ・も・っ・て、みろ!!!

毎日毎日。毎日毎日。しかも、情け容赦無用で、頑固にやり切ったやつが、「やってない」つもりでいるんだよな。これは、やっているときからやってないつもりなんだよ。

だから、どれだけ堆積しても、……こっちには、負の感情!が堆積しても、やっている本人(行為者本人)はまったくやってないつもりなんだよ。知らないことなんだよ。関係がないことなんだよ。こんなのも、ない。こんなのは、他の人には絶対わからないことだ。そういう、言ってみれば「透明な部分」が強烈にデカイ影響を与える。

毎日!苦しんで、自殺してください。毎日!通勤してください。

「どうせ、ヘビメタ騒音なんて言ったって、たいしたことじゃないんだろ。過去のことなんだろ。だったらできる。だったら影響がない。だったら、考えかをちょっとかえれば、すぐに治る。こだわっているからいけないんだ。だれだって、ちょっとぐらい困難はある。いや、人生とは困難の連続だ。しかし、逃げてはいけない」と誰かが言ったとする。

ちょっとぐらいの困難だと思うのか? そんなの、小学六年生のときに全面的に鳴りやんだらそうだろうけど、ずっと二五歳まで鳴っているのだから、そうじゃない。そのあいだにどれだけのことがつもったか、僕という個体じゃないからわかってないだけだろ。ヒトゴトだから、人のからだだから、わかってないだけだろ。

「人生とは困難の連続だ」……それは、肯定する。すなくても、自分の場合は肯定せざるを得ない。しかし、あなたが経験した困難と、僕が経験した困難は、質的に、また量的に違うかもしない。それに関してはどう思っているのだ?

「しかし逃げてはいけない」……逃げてないから、生きているんだろ。俺が、逃げずにたたかって生きているのがわからないのか?

それと、補足だけど「苦しんで自殺してください」というのは、「毎日、苦しんで自殺してください」とおなじだ。毎日なんだよ。毎日!!

「人に迷惑がかかることは別だが」


   *   *   *

ここで言うことかどうかまようけど、最近のスピリチュアリズム世界や一般向け心理学界では、夢中になることをすすめることがある。自己投出。自己投入。自分が好きなことを夢中になってやることはいいことだという風潮がある。



けど、兄貴や親父のような夢中になっているひとに困らされて、神経症や鬱病になった場合は、無意識的なところで、本人が夢中になることに「まった」がかかる。



ようするに、やられた本人がスピリチュアリズム世界の人や一般向け心理学界の人のアドバイスを受ける場合、なんとなく、(無意識的な)抵抗がある場合がある。ようするに、夢中になる人が理想像にならないのである。夢中になってやった人が、感覚のずれた人で、道徳心がない人だと、犠牲者が出る場合がある。犠牲者にしてみれば、自分をひどい目に遭わせた人間と同じ「ような」人間にはなりたくないという無意識的な抵抗がある。



これも、まったくうけないと思うけど、言っておかなければならないことだから言っておこう。他の人のことは気にしないで、本人が好きなことに夢中になることがいいのだということがよく言われる。他の人のことは気にしないでというのは、他の人の批判や他の人の偏見を気にしないということだ。常識的に考えれば、この歳でやるのははずかしいことなのだけど、それでも、他の人の目を気にせず、夢中になってやると、道が開ける。人間的に成長する。というような話だ。



「もちろん、人に迷惑がかかることは別だが」というようなただしがきがつく。しかし、やる人を本人1だとすると、本人1が、人に迷惑かがかかるようなことをしているにもかかわらず、本人1が「自分は人に迷惑が狩るようことをしていない」と認識している場合はどうなのかということは、当然のごとく、話題にならない。



スピ界でも心理学界でも、やりがちが推奨されている。どうしてかというと「そんなことはない」からだ。人に迷惑がかかることをやっている人は、人に迷惑がかかることをやっているという意識があるはずだ」という理論が成り立っている。それから、常識的に考えて、「迷惑がかかること」に関する感覚には大差がないということが前提になっている。そして、この前提は言及されることがない。だから、「他の人の目を気にしないで、自分が好きなことに夢中なってやると、世界が開ける」というようなことが、言われる。



もちろん、「人に迷惑がかかることは別だが」という但し書きは重要だ。それすらつけない場合もある。そういうことを言う人にとってみれば、道徳心がない人間や感覚がずれている人間がいるということが、さほど問題ではないように見えるのだろう。感覚がズレている人間というのは、たとえば、うちの兄貴のように、物理的にデカイ音で鳴らしても、デカイ音で鳴らしているという感覚が成り立たない人間のことだ。どれだけデカイ音で鳴らしていても、本人のなかでは、「静かな音」なのだ。無意識的に感覚をずらして、自分がやりたいことをやってしまう人がいる。そうなると、その周りにいる人は迷惑を被る。しかし、やっている本人は「迷惑行為をしているつもりがない」。……そういうことが現実にありうる。くた、道徳観が欠如している人間だっている。その人が、「別に悪いとは思わないこと」であって、なおかつ、「やられると困る人が出ることを」をやった場合、被害者が出る場合がある。道徳観がない人が、時間内になるべく多くの人を殺すことに夢中になったら、被害者が出るだろ。けど、スピ界や心理学界のひとが「夢中になることはいいことだ」といういうことを言う場合はそういうことに対する配慮が欠落しているのである。



2018年3月25日日曜日

意思ではどうにもならない部分がつもっていく

紅茶を飲んでいる。



しかし、こうやって希望がないまま時間がすぎていいのだろうか。

やりたかったことは、絶対にできない。



もう、やりたかったことが、セピア色だ。ぼやけている。

現実には満足しない。代替物ではだめなんだ。



チョコがうまい。

紅茶とチョコの組み合わせはいいな。



代替物じゃダメだなんて言ってないで、必死になってしがみつくべきなんだよ。時間は有限なんだから。けど、本気になれない。やっぱりヘビメタ騒音の記憶でくるしい。ヘビメタ騒音の雰囲気で「気持ちがあがらない」。あがらないんだよな。この雰囲気! ヘビメタ騒音の雰囲気だ。日曜、昼のヘビメタ騒音の雰囲気。



他の人に合わせて、ブーストアップしなきゃいけないときも、気持ちがさがってしかたがない。気持ちがあがらない。いやいや付き合っているような状態になってしまう。最大でそれだ。相手が最高にいい人でもそんな感じになる。ヘビメタ騒音の堆積で気持ちがあがらないから。ヘビメタ騒音の堆積というのが問題なんだよな。毎日はきつかった。アイツは毎日やりやがって……。

本当に毎日はきつすぎる。他の人には、毎日やられたということが本当にはわかってない。毎日本当にやられたことがないから、「堆積」の部分がわからない。つもるんだよぉ。つもるんだよぉ。意思ではどうにもならない部分がつもっていく。意思は……。意思はもがくということだ。あきらめないでもがくということだ。気違い兄貴のヘビメタ騒音のなかで、俺がどれだけもがいたか!! どれだけ!! これ、本当に、全部が敵対するようになってしまうんだよな。

   *   *   *

あんまり関係がないけど、ちょっとだけ関係があるから言っておくかな。言いにくいことなんだよな。どうして、言いにくいかというと、いちいち反論が浮かぶからだ。で、この反論は、本当はたいした反論じゃない。本質的な反論じゃない。けど、感情的な反論で、ありがちな反論なんだ。で、この反論に対処していると、言いたいことが言えなくなってしまうというたちがわるい反論なのだ。その反論を言う人たちにかんしては、「例外はある」というヒトコトで、黙らせることができる。けど、感情的になった人は、反対することをやめない。そして、倫理の問題を持ち出す。これは、生きていく上でなにが優先されるべきかという価値観の問題なので、さらにたちが悪い。

やめた。そのうち書こう。

あ、けど、言いにくいことは書いているんだよ。普通だったらカッコウワルクて言いにくいことを書いている。「ヘビメタ騒音で勉強することができなかった」ということだって、言いにくいことなんだよ。カッコウワルイから。いいわけをしているように思われるから。けど、じゃあ、あの圧倒的な時間はなんなんだ? ということになる。だから、そういうことの……これまた板挟みで苦しんだ。で、苦しんだということが、人生上の事実であるならば、書かないわけにはいかない。いいわけだと言ってくる人がいるから、書かない……というわけにはいかない。カッコウワルイから書かないというわけにはいかない。人生がかかっている。これ、事実なのである。事実。どれだけ長い時間これで苦しんだか……。僕は「この世」の「人間の感情」を書こうとしているわけで、この部分をカッコウワルイという理由で抜かすわけにはいかない。






「内面の失敗」が、外面化していく過程

言ってはいけないことかもしれないけど、





つまんねぇ~~~~



つまんねぇ~~~



やっぱり、ヘビメタ騒音で、全部だめだ。くるしい。全部というのは、イ・ラショナル・シンキングだけどね。



しかし、全部と言っていいほど、だめなんだ。くるしいんだ。いま、くるしいんだ。いま、ヘビメタ騒音の堆積でくるしいんだ。俺の人生がどういうものになってしまったか? いまだってくるしいんだぞ。気違い兄貴。いま、俺は、くるしい。気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始めてから何十年経ったか? いま、くるしい。どんどん重たくなってくるよ。俺の人生がない状態だ。気違い兄貴が、ヘビメタをやめてくれたら、こんなことになってない。気違い兄貴が、普通のうちでヘビメタを鳴らすようにヘッドホンをしてくれたら、こんなことになってない。

どれだけ言っても、時間はもどらない。けど、時間を戻したとしても、気違い兄貴が、一日中、ちゃんと静かにしてくれると言うことはないと思う。過去にもどって、どういうやり方で、気違い兄貴に働きかけても、気違い兄貴は絶対の意地で一秒もヘッドホンをしないまま、毎日、ガンガン鳴らしていたと思う。それから、本当に、ギャグの世界だからな。あんなデカイ音で鳴らしておいて「静かにしてやった」とかギャグの世界だからな。本当「うち」でしか成り立たないよな。よそのうちでそんなことをやったら、「ふざけんな」と言われておしまいだ。やり通せるわけがない。よそのうちでやり通すことを考えてみろよ。気違い兄貴。それが、どれだけ悪いことか、わかる。それがどれだけ迷惑なことかわかる。気違い兄貴だってわかっているから、「よそ」のうちでは、一分も、気違い兄貴が鳴らしたい音で鳴らせないわけだろ。鳴らすときはかならずヘッドホンをするわけだろ。どうして、そういうことが「うち」でできないのか? なめてたからだよ。気違い親父とおなじやり方でやりきっていいと「ふんでいた」からだよ。それ以外にない状態なのである。それ以外にない。一日中、そういうモードでくらしていたから、一日中、どんなときも、絶対にゆずらなかった。それが気違い兄貴だ。なにを、兄貴の嫁さんの前で「ゆずった」とか言ってるんだよ。俺が兄貴のヘビメタ騒音で高校を落ちていたとき、兄貴は、こだわりつくして、二週間ですら、まったく静かにしてくれなかっただよ。そういう思い込みというか、基準がおかしい。感じ方の基準がおかしいんだよな。一旦そういうモードになったら、親父のようにかわらない。何十年間でもかわらない。うちでやったことは、その当時のままの感覚でいる。いつまでもいつまでも……。よそのうちで一日に一時間ですらできないことを、入試だろうなんだろうが、ずっとやり続けた。これが事実だ。本当に兄貴は親父とおなじ。自分が気違い的な意地でやったことがまったくわかってない。一五年間毎日毎日頑固に、そういうモードでやったことがまったくわかってない。事実がわかってないなんておかしいだろ。この頑固さと、わからなさが、おなじ強度なんだよな。どっちも、マックス。極限。最大値。だから、頑固にやったことは、頑固に認めない。やったと認めない。あれだけ頑固にやったことを、認めないとか、本当に頭がおかしい。

死にたい。

時間が経つにつれて、くるしくなるな。失敗が、あらわになっていく。気違い兄貴のヘビメタにさらされたときにしょうじた「内面の失敗」が、外面化していく過程だ。僕の人生というのは、気違い兄貴のヘビメタ騒音が鳴っていたときにできた「傷」が外面化していく過程だ。

こういうふうに言うと、「思っていたから、現実化した」と血も涙もない人が言うかもしれない。その人は、気違いヘビメタが鳴っていたというとを無視している。鳴っているときの俺の状態を無視している。「根拠がない話し」じゃないのである。だれだってわかることなのである。「このままじゃだめだ」「このまま鳴ってたら僕の人生は……」と考えるのは、あたりまえのことなのである。あの騒音のなかで、勉強ができない状態でそう考えないほうがおかしい。

本当に、全部が全部、ヘビメタ騒音だった。

俺がここで言っていることは、小学六年生の俺が思っていたことだ。「このままでは……」「からだきつい……」「どうしても、遅刻してしまう」「どうしても、気違いヘビメタの中で教科書をそろえることができない」「どうしても、宿題を終わらせることができない……」「このままでは、死んでしまう」「このままではつらすぎる」「やめてほしい」「眠れない」「くるしい」「死にたい」


絶対にやめてくれなかったけどな! 一四年間毎日の事実だ。

   *   *   *

ヒトゴトダトオモッテ、カンタンニイイヤガッテ!!

   *   *   *
ヘビメタで、人生、ない。どうしても、つらい。
まだ、寝てない。いつもこんな感じの朝だった。ヘビメタをやられたあとの朝がどれだけつらいか。そんな朝がなん全治にも続いてどれだけつらいか。気違い兄貴は親父とおなじ頭の構造だから、一切合切わかってない。自分が死にものぐるいで押しつけたことが、一切合切わかってない。やってないつもりだ。ぜんぜん関係ない人のつもりでいるのである。張本人のくせに。で、言われると、怒って、しがみつく。自分がやりいたことに、細部までこだわってこだわって、しがみつく。絶対にゆずらない。だからゆずてっないのに、本人は「ゆずってやった」と思っている状態が続く。そうやって、毎日やっているあいだ、「ゆずってやった」と思っている状態が続く。ごだわってこだわってこだわって、絶対にゆずらないでやっているのに、本人はゆずってやったと思っている。ほんとうーーに自分が関係ない人のつもりでいるんだよな。兄貴がやって困っていることなのに、兄貴がまるで関係がない人のつもりなんだよ。これも親父と他の家族のあいだで生じていた関係だ。兄貴と俺の関係は、親父と兄貴の関係とおなじなのである。やり付けるほうが絶対ゆずらないでやり付けるけど、本人はまったくつもりがないままだ。本人はまったく関係がないと思っている状態だ。こっちが「言えば」、言われた途端に、怒り狂って、はねのける。この「はねのけ」というのが、完全なんだよ。で、「はねのけている」構造自体が、本人にとって認識できないものなのである。だから、一〇〇%こだわってこだわってやっていることが、一〇〇%こだわってないことになってしまっているのである。完全に忘れている。完全にやってないのとおなじ気分でいる。だから、本人は常に「つもりがないまま」なのである。実際には、こだわりきって一〇〇%やるんだけどな。一〇〇%やってないのとおなじ気持ちでいる。ずっとそういうのが何年も何年も、何千日も何千日も、成り立ってしまう。毎日毎日、完全にあたりまえ。毎日毎日、意識せず、完全にあたりまえ。言われたら、言われた瞬間に怒って、はねのけてわすれてしまう。完全に忘れることができる。だから、ぜんぜん悪意がない。悪意がないのに悪意がなければできないことを、常にやっている。だから、やっているほうと、やられたほうのあいだは険悪になる。けど、やっているほうは、どこまでも、関係性にはこだわらない。だいたい、やっているほうは常にやってないつもりなんだからな。険悪だと言うこと自体がまったくわかってない状態だ。

気違い兄貴! 気違い兄貴と親父のあいだに成り立っていた関係が、俺と兄貴のあいだに成り立っている。兄貴がやり尽くして、やってないつもりでいる。兄貴が押しつけて、押しつけて、まったく押しつけてないつもりでいる。気違いヘビメタが鳴っているという状態を俺に押しつけまくった。その生で、俺は……勉強ができずにくるしんだ。

いまも、苦しんでいるよ。気違い兄貴にやられまくった俺の人生というのは、なんなんだと、常に考えているよ。兄貴のヘビメタで毎日死にそうな気分だったんだよ。俺はさんざん言ったからな。

親父の「精神構造」「思考回路」とおなじしくみが成り立って胃から、親父のようにわかってないだけだろ。このわかってないというのも、完全にわかってないんだよ。

だから、親父になにを言ってもむだなように、兄貴になにを言ってもむだなんだよ。けど、親父の「単発気違い行為」とは違って、兄貴のヘビメタ騒音はこたえたぞ。あんなのやられて、勉強ができるわけがないだろ。遅刻をしないで学校に行けるわけがないだろ。

ケー君が、家の前で待っていたとき、「ちゃんと、時間通りに出てやれよ」とか兄貴が言ってたけど、兄貴!! おまえのせいで、時間通りに起きられないんだよ。門の前でまたせてしまうんだよ。親父とおなじなんだよ。どこまでもどこまでも、気がつかない。どれだけ言われても、実際に鳴らしているときは、気がつかない。兄貴がずっと鳴らしているから、眠れなくなって遅刻してしまうんだよ。本当まるまる。本当、まるまる。

2018年3月24日土曜日

「言えばつたわるのではないか」という間違った考えにとりつかれている

やっぱり、横になるしかないか。

起きてから四時間ぐらいでまた横になるのはどうかと思うんだけど、しかたがない。まだ、ちゃんとしたごはんを食べてないしなぁ。



昨日、麻婆豆腐を作ったから、それを食べるか。

昨日と言うよりも、今朝か。時間、ずれまくり。



人に会う約束をしても、時間通りに行く自信がないよ。一日だけであって、俺が昼間モードになっていれば、近くなら会えるかもしれない。

ヘビメタ騒音でこんな調子だから人付き合いは悪いよ。

で、まあ、引きこもりの定義に当てはまるようになってしまったんだけどな。昨日、書いたようなことでもめるしな。



本当、つまんねぇ。
つまんない。
ちなみに、いま午後七時三三分だから、鳴ってない。けど、午後七時一二分までは鳴っている状態だし、七分後に鳴り始める。そうしたら、午後一一時一一分まで絶対どれだけなにを言っても、一秒もやめてくれない。一秒もヘッドホンをつけてくれない。それで!!気違い兄貴は「静かにしてやったつもり」があるらしいんだよな。「そんなに鳴らしてない」という気持ちがあるらしいんだよな。ハンダゴテのときの親父の態度なんて、目じゃないよ。気違い兄貴、おまえ、いつも、ハンダゴテ事件の時の気違い親父の態度よりも、ひどい態度で鳴らしてた。まあ、態度としては完全におなじだ。認知が本当ひどい。感覚が本当にひどい。気違い兄貴が、気違い親父にどれだけ「そのハンダゴテは使えない」と言っても、気違い親父が認めなかっただろ。で、その状態・調子というのは他の人にとって信じらないことだから、「そのハンダゴテは使えない」とちゃんと言ったということについて他の人が……うちのことを知らない他の人が……疑問に思って信じないわけだよ。ヘビメタ騒音もおなじだ。気違い兄貴の態度が、「ちゃんとわかる」人なんていない。わからない他の人たちは「お兄さんにちゃんと、言えばよっかたのに(ちゃんと言わないからダメなんだ)」と誤解する。こういうふうに、ぬれぎぬを着せられるんだよ。毎日常に! おまえ、たえられるわけがないだろ。ヘビメタ騒音は毎日だった。ハンダゴテ事件はたったの二日だ。そして、親父が怒っていた時間は一日目が一〇分程度、二日目も一〇分程度だ。それでも、気違い兄貴が二日間ずっと怒ってしまうような状態になる。気違いヘビメタは、親父とのやりとりよりも、きついんだよ。気違い兄貴と気違い親父がハンダゴテのことでもめていた一〇分間……気違い兄貴は、どういう気持ちになったと思っているんだよ。気違い兄貴が鳴らしているあいだ、俺は、気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられて、ものすごくいやな気持ちになっていたんだよ。で、親父の態度に腹が立つというのはわかる。それは、ぼくもやられたからだ。他の人は、わかってない。世界中で本当のことを知っているのは、俺と、兄貴とお母さんだけだ。他の全世界の人は、「うちの世界」のことについて知らないのである。「うちでの親父の態度」について知らないのである。これがどれだけ世間一般の人との認知の差をもたらすか? で、常識的な人はみんな……やられたほうをせめる。誤解してせめる。「そんな人いないだろう」「そんなことはないんじゃないか(言えばつたわるのではないか)」という間違った考えにとりつかれているのである。だから、事態を見誤る。真実が見えない。偏見で目が曇って、事実がわからない。しかし、(常識という名の)偏見があるから、事態をその通りに認識せずに、自分の色眼鏡を通して認識してしまっているのだというような認知は成り立たない。だって、知らないわけだから。自分の判断(認識)が正しいと思っている状態が続くわけだから。なんのあとも続くかというと、「親父に言ってもむだなんだ」と兄貴や俺が、「よそのひと」にいった後も続くわけだよ。よその人の認知は、「親父に言ってもむだなんだ」と言われたあとも、言われる前とおなじなんだよ。だから、これはこういうことだったと弁明しなければならなくなる。この弁明だって、どれだけの人がわかるか、わからない。

気違い親父の壁、気違い兄貴の壁が、他の人にはまったくわからない。俺が説明しても、わからない人が多い……とする。こんな世界は、いやだ。いやだけど、どうもそうなんだよな。けど、俺は説明することをやめないけどね。

2018年3月23日金曜日

類推して考えろ

俺はこのまま死ぬんだろうかと考えていたら暗くなった。

このままというのは、このままこういう暮らしをして、結婚も海外旅行もせず、死ぬんだろうかという意味。



元気がないわけよ。本当、ヘビメタ騒音以降なにをやるのもしんどい。



気持ちがあがらない。



あっ、実はコンビニまで買い物に行ってきた。

サンドイッチを食べて、コーラフロートという飲み物を飲んだところ。

コーラフロートは販売機で一〇〇円で買った。



まあまあ、うまいかな。けど、そういうことじゃないわけ。



頭がもやもやだ。ヘビメタ騒音で本当に人生がなかったな。本当につらいだけの人生になっちゃったな。学力低下ギブス、体力低下ギブス、鬱増進ギブス、不安増進ギブス、睡眠相破壊ギブスをつけられて、暮らしてきたようなものだからな。で、そのギブスは他の人には見えないわけだから、そのギブスをつけて能力が低下している僕が、本当の僕に見えるわけ。こんなの、たえられるわけがないだろ。何年間も何年間も毎日、そんな暮らしでいいわけがない。気違い兄貴だって、よそのうちではヘッドホンをして静かにしているのだから自分がどれだけデカイ音で鳴らしてきたか、本当はわかっているはずだ。無意識的なレベルではわかっているはずだ。けど、気違い親父とおなじで、意識のレベルではまったくつもりがないままなんだよな。自分が中学生、高校生のとき、一日でも、あんなデカイ音で、気違い兄貴が嫌いな曲が鳴ってたら、どう思うんだよ? あんな音で鳴らしていいわけがないだろ。中間テストのとき、午後一時三〇分から午後一一時一一分までずっと、兄貴が嫌いな曲をずっと繰り返し繰り返して、鳴らしていいわけがないだろ。それで、「協力してやった」「静かにしてやった」と、鳴らし続けたやつが言ったら、どう思うんだよ? 兄貴はどう思うんだよ。兄貴が「し・ら・ず・に」押しつけてきたことだからな。「し・ら・ず・に」というのが嘘なんだけどな……。本当は、嘘なんだよ。けど、これも、親父のやり方で押し切って、嘘をついてないことにしてしまっている。一旦そう思ったら、どれだけ嘘をついていたって、嘘をついているつもりなんてしょうじない。そういうレベルの意地悪をずっと、頑固にしてきたんだよ。自分でわかってないだけの話だろ。やってないんじゃなくて、一〇〇%やりきって、やってないと思っているだけなんだよ。一日だけで困るに決まっているだろ。しかも、世間の人は「そんな人いない」「ちゃんと説明すればわかってくれるはずだ」と言うわけだからさ。「家族で話し合えばいい」「お兄さんと相談すればいい」と言うわけだからさ。どれだけずれているか。死にたい。気違い兄貴はわかってないけど、自分が一日でもやられたら、はらわたが煮えくりかえって、むしゃくしゃな気分になる。で、そういう気分で睡眠相がこわれていく。そして、他の人から嫌われる要素が出てくる。これは、まあ、いろいろだよ。そして、学力低下ギブス・反勉強ギブスをつけられているから、能力的にはおとっているやつに、威張られなきゃいけないような状態になってしまうんだぞ。中学生、高校生にとって、学力なんてどうでもいいと言えると思っているのか? 毎日、家にいるすべての時間を使って、俺の勉強を邪魔しているのに、それがわからない。わからなかったから、何万時間やろうが、やったつもりがない状態のままなんだよ。親父とおなじだから。親父と接触したらどれだけ、はらわたが煮えくりかえって、むちゃくちゃな気分になると思っているんだよ。一〇分間接触してしまったら、一〇分間、めちゃくちゃな気分になるんだぞ。一〇分間だけではなく、その日イチニチジュウめちゃくちゃな気分になるんだぞ。それは、気違い親父の「態度」に原因がある。気違い親父の「認知」に原因がある。で、気違い兄貴のヘビメタ騒音一〇分は、気違い親父との接触時間一〇分よりも、はらわたが煮えくりかえる一〇分なんだよ。おまえが、まったく気にしないで鳴らしていた時間、俺は、気違い親父にやられている時間よりも、腹も頭もむちゃくちゃに煮えくりかえってめちくちゃな状態だったんだぞ。それが、一日に約七時間とか、約一四時間とか続いていいわけがないだろ。入試の前の冬休みも、あれだけ何回も何回も「やめろ」と言っているのに、一分だって静かにしてくれなかったよな。それで、「静かにしてやった」「協力してやった」と思っているのが気違い兄貴だ。自分が「うち」でしたことの意味がわかってない。このわかってないというのは、親父のように!!わかってないわけで、本当にまったくわかってない!! 本当に、自分が違う曲で、一〇時間やられれば、どれだけこたえるかわかるはずなのに、一〇時間鳴らせるのであれば、一〇時間鳴らして一秒だってゆずってくれなかった。一四時間鳴らせるときに、四時間慣らさないで、一〇時間にしてくれたことすらないんだよ。一四時間鳴らせるのであれば、夏休み最後の日だろうが、試験前の冬休みだろうが、毎日連続して、一四時間鳴らしていた。それが気違い兄貴だ。おまえ、気違い兄貴、あの音のでかさで、自分が嫌いな曲を一四時間、繰り返し繰り返し聞かされたらどういう思いがするか、実験的にやってみろ。そんなの一分だっていやなんだろ。一分だって、いやでいやでしかたがないから、どれだけやってみろと言われたって、やらないわけだろ。そういうことを、毎日、知らないで?一〇〇%おつけていたのが気違い兄貴だ。調子がいいことを言うな。それじゃ、一日に何時間、ヘッドホンをして鳴らしてたんだよ? ゼロ時間ゼロ分ゼロ秒だろ。ふざけるな。常に俺の部屋は気違い兄貴のヘビメタ騒音で埋め尽くされた板。壁からせめてきた!! ふざけんな!! あんなデカイ音で鳴らして、なにが「静かにしてやった」だ。ふざけんな!! 嫁さんの前で何十年間嘘ついているんだよ? そういう嘘をつく「意地」とヘビメタを鳴らす「意地」はおなじなんだよ。兄貴の態度と親父の態度は、一〇〇%おなじなんだよ。類推して考えろ、俺にとって兄貴の態度がどれだけ腹立たしいことか。兄貴がやったことがどれだけ俺の人生にダメージをあたえるか。自分のことして考えてみたことがあるか? ないだろうけど、考えてみろ。と言っても、気違い親父とおなじで、どれだけ胸の上に手をのせて考えてみようとしても、一切合切考えられないんだよな。気違い兄貴の「やってやった」は気違い親父の「やってやった」とおなじ。気違い兄貴の「静かにしてやった」は気違い親父の「ハンダゴテを出してやった」とおなじ。まったく意味がない譲歩。相手にとってまったく意味がない譲歩をして、一〇〇%譲歩してやったつもりになっているだけだ。そういう行為、そういう態度全体が、どれだけ頭にくると思っているんだよ!!

   *   *   *

俺がヘビメタ騒音で、どんだけかっこわるい思いをしてきたと思っているんだよ。俺が高校に落ちていたとき、俺は、つるしあげられたんだぞ。サボっているように言われたんだぞ。気違い兄貴、どれだけ、交渉しても一秒も静かにしてくれなかった。それが事実だ。


他の人にはまったくわからないことだろうけど、「俺ができない」と言っているときは、否定するな。俺が何千時間、何万時間、十数万時間のトライの結果を言っていると思っているんだよ? どれだけの気違い兄貴の否定のタイトが含まれていると思っているんだよ。兄貴よ。兄貴は親父とおなじように気違いの壁だった。高くそびえ立つ、気違いの壁だった。どれだけなにを言っても通じなかった。

けっきょく、自分がやりたいことを一〇〇%押し通した。だから、俺が帰ってきてから、勉強をするということができなかった。それがどういう毎日で、それがどういう影響を与えていると思っているんだよ? 気違い親父とおなじように、これまた、自分が一〇〇%やったことを一〇〇%否定する。

俺が小学六年生のころから、絶対の意思で頑固にがんばってできなかったことだから、できないと言っているんだよ。軽々しく否定するな! けっきょく、やられたことの総体的な量がわかってないだけじゃないか。

   *   *   *

本当、つまんない。
あきらめるしかないか。本当につまらない。
それにしてもヘビメタ騒音でくるしい一生だったな。ヘビメタ騒音しかない。無職はヘビメタ騒音派生物・状態なんたけど、本当に、無職で俺がどれだけ他の人から下に見られたか。無職で、俺がどれだけ恥を搔いたか。他の人には「通勤ができない」ということがわからないのだろうけど、一五年間ヘビメタ騒音にたえてきた俺にとっては「絶対」なんだよ。絶対の条件なんだよ。絶対の条件になってしまった。さんざんがんばって、通勤ができないからだになってしまった。

「そこなんとか(通ってください)」というのは、俺に対する冒涜だ。俺が「できない」と言ったら、できないんだよ。俺がどれだけの思いでその言葉を発していると思っているんだよ? 気違い兄貴の態度、ヘビメタ騒音の壁……の記憶がそこに濃縮されている。本当に経験したやつじゃないとわからないのだろうけど、そこに、すべてが凝縮されている。ヘビメタ騒音にたえたすべての時間が凝縮されている。俺がやられたこと、すべてが凝縮されている。俺は軽い気持ちで言っているんじゃないんだよ。ちょっと努力すれば、通えるようになる……ような状態はヘビメタ騒音一ヶ月目あたりでこえた。そのあとは、精神の人」になって通っていたわけたけど、七年で限界をむかえた。それから、どれだけがんばっても、通えない。この通えない」いう経験が本当にわかってない。「たるんでいるから通えない」という感じなんだよな。そんな軽いものじゃない。そんな簡単なことじゃない。そんなに簡単に克服できる障害じゃない。重さがわかってない。一五年の重さがあるんだよ。実際には七年の連続だけどな。七年の毎日、の、連続ってどういうものだと思っているんだよ。七年間毎日、ガンガン鳴っているのに、死にものぐるいで通った……。通ったということが、どういうことだと思っているんだよ? どれだけいい人でも「そこなんとか」とか言ったら、切る。絶交!! 付き合わない!!!

   *   *   *

気違い兄貴はわかってないだろうけど、親父の態度で鳴らしてたんだよ。一秒だってゆずるわけがないだろ。俺のこころは、気違い兄貴のきちがいの壁を越えられかなった。けっきょく、気違い兄貴が好きなようにやる毎日というのが、本当に毎日続いた。どれだけ鳴らされている最中つらかったか……どれだけ、鳴らされたあとの深夜がつらかったか。どれだけ鳴らされたあとの早朝がつらかったか。どれだけ、鳴らされたあとの朝起きる時間がつらかったか。全部、つまっているんだよ。

気違い兄貴は、気違い親父の態度で拒絶した。

一秒だってちゃんと静かにしてくれなかった。それが毎日の態度だ。それがずっとあたりまえだった。気違い兄貴が家住んでいるあいだ、ずっとあたりまえだった。言ってどうなるというものではなかった。けど、まるで、言えばどうにかなるようなものだと、他人は、考える。気違い兄貴や気違い親父ですら、いまになればそんなふうなことを言いやがる。じゃあ、その一四年はどうだったんだよ。こんなのはおかしい。こんなのはおかしい。

一二万七千時間が圧縮されているんだよ。俺が「できない」と言ったら、できないんだよ。まるでちょっと努力すればできるみたいな軽い調子で言いやがって。絶対ゆるさんからな。どれだけの、時間が圧縮されていると思っているんだよ。どれだけ俺がひどい時間をすごしてきたと思っているんだよ。一定の時刻に起きるということが、俺にとってどういうことだと思っているんだよ。どういうことだと思っているんだよ。死んだ方がましなんだよ。どれだけ努力しても治らなかったことなんだよ。一二万七千時間が凝縮された時間なんだよ。朝でも、昼でも、夜でも、一定の時刻に起きるとなったら、死ぬしかないんだよ。死ぬしかないと思う時間をすごすしかないんだよ。そして、その時間をすごしたあと、「行った」としても、からだが慣れて楽なるなんてことはないんだよ。どんどんどんどんくるしくなるんだよ。一日目よりも二日目がくるしくなるんだよ。三日目より四日目がくるしくなるんだよ。三〇日目より、三一日目のほうがくるしくなるんだよ。三二日目には死ぬしかないという状態になる。だいたい、その三一日間だって、遅刻する。何日も遅刻する。

俺が通学も通勤もできないといったら、文字通り!通学も通勤もできないということなんだよ。これ、兄貴のヘビメタ騒音にさらされてない人が、簡単なことだと思って、がたがた言うのは、本当にゆるせない! ゆるせない!!

まあ、「ゆるせない!!」と叫べば、俺がヘンな人だと思われるわけだけどな。俺がコミュ障だと思われるわけだけどな。けど、違うんだよ。それは、気違いヘビメタをあしかけ一五年間経験したことがあるかどうかの違いなんだよ。だれだって「通学も通勤もできない」状態になる。けど、経験してない人はそれがわからない。どれだけの体験がつまっていると思っているんだよ。どれだけの眠れない深夜の時間がつまっていると思っているんだよ。どれだけの破滅的な朝の時間がつまっていると思っているんだよ。朝、起きるとすると、その時間に一二万七千時間のつらい経験が爆発する。朝じゃなくても、昼でも夜でも、時間を決められたらそうなる。

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ヘビメタ騒音は常に、生きるか死ぬかの問題だった。人生をつぶして、生きているんだよ。通わないことを選択して生きるしかないから生きているんだよ。通うことを選択したら、死んでる。通うことをある時点で選択したら、生きてない。もちろん、通うことを選択したことがある。けど、数十日でやめた。数十日で死ぬしかなくなるからな。眠れないまま行って、帰ってくるなんていう日が、何日もある。帰ってきても、眠れない。数時間眠れない。そして、あのヘビメタ騒音の午前四時、午前五時とおなじ体の状態になる。死にたくなる。死ぬしかないという気持ちになる。俺がどれだけトライしたと思っているんだよ?? 軽く言うな。ヘビメタ騒音さえ一四年と数ヶ月続かなければ、俺だってそんなからだにならなかった。そんな障害を抱えなくてすんだ。

他の人は、ヘビメタ騒音障害を抱えてない。それは、通勤通学している人だけではなくて、ニートや無職の人でも抱えてない。ニートや無職の人が、昼夜反転しても、それは、僕の睡眠障害とは違うんだよ。だから、ニートや無職の人だって、通っていれば、からだが慣れてくる。たとえば、「週に三日通ってからだを慣らしてから、週に五日通うようにすればよい」というようなアドバイスが現実的なアドバイスになる。けど、それは、ヘビメタ騒音を一四年と数ヶ月間毎日経験してないニートや無職に対するアドバイスだ。

2018年3月22日木曜日

腹がしくしく痛い。

正直言って、腹がしくしく痛い。
こうなると、外に出るのもやっかいだ。
買い物に行けない。

いつもにもまして、もわーっとする。頭がもわーっとする。
本当にヘビメタ騒音がなければ、こんなことなってないんだけどな。ちょっとなぁー。長すぎたなぁー。

ビオフェルミンを投下しているけど、あんまり、効かないなぁ。

やばい、ハライタイのは、やばい。



2018年3月21日水曜日

無職の側のコミニュケーション能力の問題じゃない 日本労働教徒の偏見の問題

前投稿の続き
   *   *   *



これも、言っておくけど……ぼくの場合、コミニュケーション障害というわけではない。それは、ヘビメタ騒音にさらされていた中学高校の六年間ですら、友達がたくさんいたということで証明できる。

けど、このヘビメタ騒音にさらされていた期間の長さというのは重要だ。右肩下がりに、すべてのことがさがっていく。コミニュケーション能力?も一〇年過ぎた頃から、なんとも言えないかたちで……言ってみればヘビメタ騒音に汚染されたかたちで、さがっていく。おもしろくないのである。人といてもおもしろくない。相手の期待にうまく添うことができなくなる。期待というのは、行動の期待だ。テンションが低くて、腰が重く、憂鬱で、相手がさそってきても、対応ができなくなる。


で、無職、引きこもりということになったとしたよう。そうすると、無職や引きこもりに対して偏見を持っている人とのあいだに溝ができる。

日本人のほとんどが無職に偏見がある人たちなのだから、日本人のほとんどと、うまくいかなくなるのである。もちろん、ヘビメタ騒音のことを話すと「そんなんじゃむりだ」とすぐに理解してくれる人たちもいるけど、ヘビメタ騒音のことを話したあとも、「働けるはず」なのだから「働くべきだ」という考えにこだわる人たちがいる。

その人たちのなかではぼくは「働けない人」ではないのだ。「働けるのに働かない人」なのだ。何回も言っているだろ。「ヘビメタ騒音で通勤できなくなった」と。

本当にめんどうだな。

破綻を感じるよ。

そいつらのほうが多数派なんだからな。どれだけヘビメタ騒音が、たたっているか。たたってきたか。

こういう精神論のところでも、ものすごく立場が悪くなる。

とりあえず、日本労働教徒と言っておくけど、日本労働教徒にとって「働いていない人」はすでに罪人なのである。無職は犯罪者予備軍どころか、犯罪者なのである。自分のことを犯罪者だと思っているやつらと、うまくいくはずがないだろ。

コミニュケーション能力の問題じゃないのである。まあ、(当時)嘘をつけばよかったわけだけどさ。正直に無職だと言ったら、偏見にさらされる。「働いていない人はけしからん」「働いてない人は悪い人だ」「働いてない人は犯罪者だ」というのは偏見だろ。わからないかな? 


たとえば、日本人をうらんでいる人たちがいるとする。その人たちのグループに日本人が「日本人です」と自己紹介をして入っていくのはものすごくむずかしいことではないか?

たとえその日本人が、コミュニケーション障害者じゃないとしても、そのグループのすべての人が日本人に対して、偏見がある人たちなのであれば、日本人としてその人たちとつきあうのは、めんどうなことになるだろ。

口を開けば、日本人の悪口を言う人たちと仲良くやる必要性があるのかどうかは別にして、そういうグループに、「自分は日本人である」と自己紹介して入っていった場合、いろいろなコミニュケーション上のトラブルがしょうじることが予想できる。

反日本・民族差別主義者の中に、日本人が入っていったら、その日本人に特にコミニュケーション上の問題がなくても、その日本人は、うまくグループの人とコミュケーションできないと思う。

それは、その日本人の問題ではなくて、反日本・民族差別主義者の偏見の問題だろ。ようするに、友好的なコミュケーションができなくなるのは、その日本人のコミュニケーション能力の問題ではなくて、反日本・民族差別主義者の偏見の問題だろ。

これは、日本労働教徒のなかに、「自分は無職である」と自己紹介して入っていく場合とおなじなんだよ。だから、その人!のコミニュケーション能力の問題ではなくて、まわりの人の偏見が問題なのだと言える。

 

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ヘビメタ騒音でどうしてもくるしい。
どうしてもくるしい。この人生はなんだ? ヘビメタ騒音でどうしてもくるしい。いま、くるしい。むかしくるしかったけど、いまはくるしくないことじゃなくて、いま、くるしい。どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。俺の人生を返してくれ。気違い兄貴!

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話を元に戻していっておくと、働いているか働いていないのかは、その人が良い人かどうかとは関係がない。この簡単なことですら、日本労働教徒は目が曇ってわからなくなっている。働いている人の中にも、悪い人はいるし、働いていない人の中にも良い人はいるのである。人格とは関係がない。働いているかどうか、無職かどうかは人格の善し悪しとは関係がない。しかし、日本労働教徒は働いている人は善い人で、働いていない人は悪い人だと決めつけている。そういう偏見がある。しかし、この偏見はあまりにもあたりまえだから、偏見だということに気がつかない。これは、「働いている人は善い人で、働いていない人は悪い人だ」という共同幻想が成り立っているということを意味している。けど、その共同幻想はいろいろなところで問題がある。





つまんねぇ、人生だよな

つまんねぇ、人生だよな。どれだけ僕が自分の人生をたいせつしようとしてきたか? 気違いヘビメタ騒音で全部吹っ飛んだ。まったく、人生を考えてない人とおなじ状態になった。そういう人たちは、自業自得と言われる。ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音。


  *   *   *

しかし、おれ、つかれたな。
おきて、めしをくっただけで、つかれている。
これが毎日だもんな。

あんまり生きるのにむいてないな。
けど、ヘビメタ騒音があしかけ一五年間もフルに鳴ってなかったら、違うんだよな。ヘビメタ騒音の連続で、生きるのにむいてないからだになった。これ、からだだけではなくて、意欲とかそういうものに、ものすごい影響がある。

   *   *   *

だめだ。気持ちが落ちてしかたがない。

   *   *   *

いったい、俺の人生はなんだったのか?
なんなんだよ?

本当に頭にくる。
いまの時間、ヘビメタが鳴ってた。
爆音で鳴ってた。鳴らせる最大限の音で鳴ってた。
どれだけ言っても、やめてくれなかった。
この部屋で俺が爆音にさらされ続けて、勉強することも、興味がある本を読むこともできなかった。興味がある本ですら、爆音のなかで聞くと、理解できないし、いやな記憶が残る。その本に「ヘビメタ騒音のいやでいやでしかたがない記憶」が残ってしまう。爆音のなかで、なにかをやろうと思えば思うほど、そういうことになってしまう。我慢できない気違いヘビメタが、壁の向こうでガンガン鳴ってた。で、俺の部屋も、壁がスピーカーのように鳴ってた。本当に、騒音気違い空間。あんなの、ない。気違い兄貴なんて、よその家じゃ、一分だってできないんだからな。うち弁慶。うち気違い。

本当に、くるしいな。いまもくるしい。けっきょく、どうにもならなかった。気違い兄貴が好きなように鳴らして俺が、どうにかするということはできなかった。すべて破綻した。その試みはすべて破綻した。これ、できない。けど、「できない」と言うと「できないと言っているからできないんだ」というようなことを言う人がわいてくる。その人は、気違いヘビメタを経験したわけじゃない。気違い兄貴や気違い親父がいるわけじゃない。家族の中にそういう人がいて、気違い的な行為に夢中になっていることがあった人じゃない。やられてないから、そう言える。
ともかく、気違い兄貴が好きなだけ鳴らして、それで、俺が気持ちの問題として対処するということはできなかった。睡眠回路の崩壊だって、そういう問題のうちのひとつだ。

一五年目からは、ヘビメタが実際に鳴りやんだので、俺のほうの問題だけになる。よその人は、「鳴っていたのはわかるが、それでもまるまるできるはずだ」ということを言う。しかし、できない。本当に、こっちの問題じゃないのに……。だれだって、おなじようにやられれば、同じような状態になるのに……。やられてないから、好き勝手なことを言える。そういうことを言う人は、自分の意見に自信がある。その意見というのは、自分の考えだからだ。けど、それは、その人の経験の中にある考え方だ。気違いヘビメタをあしかけ一五年間にわたって毎日、聞かれさていればそういう人だって、そういうことが言えなくなる。ただ単に、経験不足なだけだ。まあ、そういうことを言うと「俺だったら、いつまでもやられてない」ということを言い出すわけだけど……。ともかく、そういうやつとは話があわない。

世界中で俺ひとりなんだよな。あの中で暮らしたのは。真横で暮らしたのは。お母さんは、斜め下だから、眠れるぐらいの音になっている。おまえ、一日だって、めちゃくちゃだよ。これ、本当、経験してないやつが好き勝手なことを言う。けど、経験してないやつのほうが圧倒的多数派なのだから、感覚的に言えば、圧倒的多数派のひとりが言う意見にうなずく人が多いわけだ。

これ、本当に案外まじめな人も「実際に鳴ってたとしても(仮定)、通勤ぐらいできる」と言うんだよ。鳴らされてないのに……。実際に経験したわけではないのに……。一年ですら毎日ヘビメタ騒音生活をしたわけじゃないのに……。こういうやつが、「俺らの時代は、成績がいい人でも高校を出て働いていた」なんて言うんだよ。成績がいい人は、ヘビメタ騒音を浴びてないだろ。どうして、比較対象になるんだよ。そこをのぞいて比較するな! そいつの言いたいことはこういうことだ。「成績がいい人でも、お金がなかった場合、大学進学をあきらめて高卒で就職して働いた。だから、エイリさんだって大学とかそういうことにこだわってないで、働くべきだ」と。けど、その人は……経済的な問題で大学進学をあきらめて働いた人は、頭の良さの証明はできている。ヘビメタ騒音にやられずにちゃんと毎日学校に遅刻せずに通ったという履歴もある。ぜんぜん違うじゃないか。その人が、夜の一一時一一分まで毎日ガンガン鳴らされて、眠れないまま、午前四時を迎えて、三時間ぐらいしか眠ってない状態で、生活をしていたというわけではない。言っておくけど、うちも貧乏だ。最初の入学金だけは払うと言っていたので、「出たとこ勝負」で受けていただけだ。基本的にはヘビメタ騒音がなければ、優待生として学費を払わずに大学に通うことができたと思う。あるいは、貸与ではなくて、給与で奨学金をもらうことができたと思う。最悪貸与であったとしても、ヘビメタ騒音がなければ、俺はバイトだってなんだってできた。パソコン関係の修理や家庭訪問サポーターとして、起業だってできたはずだ。ヘビメタ騒音ですべてが崩れる。この「ヘビメタ騒音で」というところが、まるでわかってないんだよな。「成績がいい人でも、お金がなかった場合、大学進学をあきらめて高卒で就職して働いた。だから、エイリさんだって大学とかそういうことにこだわってないで、働くべきだ」というようなことを言う人は、ヘビメタ騒音の威力がわかってない。これも、俺のそもそもの能力や、そもそもの資質の問題にされてしまう。ようするに、「甘えたことを言ってサボっているからいけない」という意見だ。こいつらは! 一度もヘビメタ騒音を浴びたことがないのに、そういうことを言うか? ヘビメタ騒音があしかけ一五年毎日鳴ってたからできないと言っているだろ。最初に言っているだろ。こういう、なんて言うのかな?……想像力がない、頭が悪い人が、好き勝手なことを言うんだよな。俺は好き勝手なことを言われるポジションに追い込まれていく。時間とともに……気違いヘビメタにさらされる時間が長くなればなるほど……自分の精神力や体力や睡眠力ではどうにもならないことになって……他の人から、悪く言われる。だから、「いきがたい」と言っているのに、「いきがたさ」について考えようと言っているやつですら「成績がいい人でも、お金がなかった場合、大学進学をあきらめて高卒で就職して働いた。だから、エイリさんだって大学とかそういうことにこだわってないで、働くべきだ」みたいなことを言う。

本当にどんだけなんだよ。むりにきっまっているだろ。むりじゃないというのであれば、俺とおなじ分だけヘビメタ騒音を浴びて、せめて一〇年間生活してから言ってくれ。それができないというのであれば、言うな!

こういう人たちが言う「まず、週三日でもいいから、アルバイトをして、からだを慣らして……」というのは、成り立たない。これ、俺がヘビメタ騒音のなかで、どれだけためしたと思っているんだ。からだなんて、いつまでたっても慣れないんだ!! ヘビメタ騒音一五年というのは、そういう病なんだよ。これがわかってない。こういうやつら。「よそのひと」はこういうやつらなのだから、こんなやつらと、つきあえるわけがないだろ。




2018年3月20日火曜日

だから、罪の意識も、やめてやろうという気持ちもない

ともかく、ヘビメタ騒音でくるしいな。あいつが、息を吸うように、毎日、すべての時間、気違いヘビメタを、鳴らし始めた。それからは、もう、地獄だ。一〇年、二〇年、三〇年、四〇年毎日が、地獄だよ。どういうこだわりで、どういう頻度で、「鳴らした」と思っているんだよ?

あれで、「そんなに鳴らしてないつもり」なのかよ?
あれで「ゆずってやったつもり」なのかよ?

完全に、まったくゆずらないで、ガンガン鳴らし続けて、そういうふうに思えるところがおかしいと言っているだろ!!

気違い親父がずっと気違い親父であるように、気違い兄貴は、楢はじめたあの時から、いまのいままで、ずっと気違い兄貴のままなんだよ。いまは別のところに住んでいるから、鳴ってはいない。

けど、あしかけ一五年は、きつかったぞ。若いときの、一五年は、きつかったぞ。人生に影響を与えないわけがないだろ。気違い親父とおなじでまったくわかってないな。まったくわかってないことは、どれだけやったってやってないこととおなじなんだよ。

完全にイコール。

本人のなかでは完全にイコール。

だから、どれだけ家族会議で鳴らすな」と言われても、その日、一二時間鳴らせるなら、絶対の意地で一二時間鳴らして、一分だって一秒だってヘッドホンをしてくれなかったのが気違い兄貴だ。「いつもそうなんだよ」。例外なくいつもそうなんだよ。

本当は、一日だけ例外があるけど、その一日の例外を除けば、本当一五年間毎日、すべての日が、例外なくそうなんだよ。本当に毎日、すべての日、絶対ゆずらないで、すべての時間、鳴らしていたのが気違い兄貴だ。それで、「たいしてやってないつもり」「たいして鳴らしてないつもり」らしい。

だから、そういうふうな発想でずっとずっと、鳴らしたんだよ。ガンガンガンガン、最高の音で鳴らしているあいだ、ずっとそういう気持ちだから、「こだわりの最高にデカイ音で鳴らしている」ということに気がつかない。

親父のように、「やってしまったら」もう、関係がないわけで「やってない!!やってない!!」というモードになってしまう。

まあ、これも、やっているさいちゅうから、そういうモードでやって、こだわりの最高にデカイ音で鳴らしているということに気がつかない。

本当は、鳴らしているあいだずっと、ヘッドホンをして鳴らすこともできた。ヘッドホンをして鳴らすことを、ゼロだとする。鳴らしてない状態だとする。一二時間、鳴らせるときも、一二時間、ゼロにすることができた。それをしなかった。

一〇〇%時間絶対のこだわりで、鳴らしてた。だから、鳴らしているといっているのに、本人は、まったく鳴らしてないのとおなじ気持ちなんだよな。自分が、「抵抗なく」全部の時間、思いっきり鳴らすことができれば!!「協力してやった」「鳴らしてない」ということになってしまう。

どれだけ言っても、どれだけもめても、どれだけぶつかっても、気違い兄貴が、気違い親父モードではねのけて「抵抗がなかった」ということにしてしまうのである。こんなの、刺さなければわからないし、刺されたってわからないままなのだ。俺が兄貴を包丁で刺した場合、やっと兄貴は、俺が包丁で刺さなければならないほど怒っていたというとがわかる……のかもしれない。

刺されなければ、どれだけやったって、俺が怒っているというとが、みじんもわからないままなのだ。俺にとって兄貴の騒音は、切羽詰まるほど……刺さなければならない気持ちになるほど、重要な問題なんだよ。それがぜんぜんわかってない。親父とおなじでやりっぱなしでまったく関係がないつもりでいる。そういう一五年間だ。そういう、「押さえつけた」一五年間だ。一五年間毎日だ。

本当、押さえつけているのに、わかってない。押さえつけて、自分が常に、自分の都合を通して、相手が困って困ってしかたがないようなことをやっているのに、まったくやっているつもりが生じないのである。これは、全部やっている毎日なんだよ。全部の時間やっている毎日なんだよ。一秒だってゆずらずにやっている毎日なんだよ。

現在進行形で夢中になって押しつけている毎日なんだよ。現在進行形で常に、夢中になって相手が困ることを、押しつけて、押しつけて、押しつけている状態なんだよ。毎分毎秒、家にいたらそうなんだよ。そうじゃないときがないんだよ。つねにそうなんだよ。

刺されたって、わからないんだろうけど……。自分が痛い思いを(実際にすれば)ちょっとはわかるかもしれない。気違い兄貴の道具を壊したって、気違い兄貴に、「やっていい」理由をあたえるだけで、だめだ。気違い兄貴を刺さなければ、気違い兄貴は、これっぽっちもわからないまま、ずっとやり続けてしまう。どれだけ、言ってもやり続けてしまう。
やっているあいだじゅう、ズッとやっているつもりがない状態でやり続ける。

やってしまったら、まったく関係がない状態になってしまう。じゃあ、ゆずるのかと言ったら、〇・一秒だって絶対にゆずらない。命がかかっている。〇・一秒だって絶対にゆずらないで、「全部やりきること」に命がかかっている。そういう状態なんだよ。こだわってない状態じゃない。

こだわりつくしている。

そして、こだわりつくして、「押しつけている」。

本人がそうすることで、相手に(そういう状態)を押しつけているのに、本人はまったくそのつもりがないのである。それは、相手がどれだけ大声で言ったって、言われたら怒るだけで、言われたということにならない。言われた瞬間に怒って、「絶対にやってやらない」という気分になって、頑固にやるのだけど、本人はそうしたというつもりが、瞬間的になくなってしまうのである。

で、常に、連続的にそうなのである。だから、どれだけなにを言ってもつうじないという状態が成り立つ。で、その状態は、兄貴が一〇〇%やっている状態なのである。気違い的にデカイ騒音を押しつけている状態なのである。

   *   *   *


こういうことを言うと、僕がこわい人間だと思う人がいる。うらみに満ちている近づきたくない人間だと思う人がいる。けど、本当毎日、何年間も何年間も、自分の人生がなくなることをやられ続けて、いいと思う?

どれだけ言っても、無視してやり続けている人間が、やっているつもりがなくていいと思う? 兄貴を殺すか、自分の人生を殺すかの二者選択をずっとせまられて、つねにまけてきて、一日に一分もゆずられない状態で、自分の人生がボロボロになる時間をすごしていいと思うの?

これ、鳴ってたらどれだけ、正論を言っても、どれだけきれいごとにしがみつこうとしても、むりなだよ!! 本当にやられてない人はまったくわかってない。俺が最初の気持ち……。正論やキレイゴトを言う人たちの気持ちはわかる。理論もわかる。

それは、やられてない状態で俺が考えていたことでもある。

本当毎日、ずっと、やられ続けて、自分の生活が崩壊して、他の人から悪く言われているのに、それで平気なのか?

想像力がないからわかってないだけの話だろ。毎日、兄貴の殺すか、自分の人生が(このまま、だめになるか)の二者選択を押しつけられた。ヘビメタ騒音がずっと鳴っているということはそういうことだ。で、本当による、鳴り終わったあとが、まったく眠れなくなってくるしい。

これ、他の人たちにしてみれば、眠れる時間なのに、サボって眠ろうとしなかったというようなことなんだよな。

だから、「自己責任」なんだから。いくら嘆いてもむだだ。それはわかる。けど、本当に一五年間こんなとをやられて、それでいいと思う。やったやつはまったくやったつもりがないんだぞ! 軽い気持ちで、まったく気がつかずに鳴らしたというスタンスをとっているんだぞ。

だいたい、「そんな、デカイ音で鳴らしてない」というスタンスをとっているんだぞ。これは、カオ君が「こんなデカイ音で鳴らしたら弟さんがかわいそうだ」と言ったときからそうなんだよ。どれだけ爆音で鳴らしたって、本人が鳴らしたい音で鳴らしている限りは、「そんな、デカイ音じゃない」つもりなんだよ。

だから、罪の意識も、やめてやろうという気持ちもない。「そんなにデカイ音で鳴らしているつもりがない」状態で、鳴らしているわけだから、兄貴にとって「意識的には」たいしたことじゃないのである。

「たいしたことじゃない」のであれば、本当にヘッドホンをするとか、ちゃんと静かにしてやるということができるはずなのに、それはないんだよ。永遠にない。気違い兄貴が、「うち」でやる以上、絶対の意地で、最大限のデカイ音で鳴らしてたんだよ。

そして、入試の前に静かにしろと言われると五分間だけ、最大の音マイナス一デシベルで鳴らしたんだよ。その五分間をのぞいて最大の音で鳴らしたんだ。最大の音マイナス一デシベルは、よその人が聞いたらおどろいてしまうようなデカイ音なんだよ。

そういうデカイ音で鳴らして「そんな、デカイ音とじゃない」「たいしてデカイ音じゃない」と感じていたのが気違い兄貴だ。

けど、「よそでは」それはできない。一分だってできない。だから、本当はデカイ音だということを、気違い兄貴は、無意識的には知っていた。ようするに親父がつくった家でだけ、気違いモードで鳴らしたんだよ。で、いつまでもつまでも、そういう気違いモードからぬけない。だから、「うち」でやったことに関しては問題がないつもりなのである。

こころなかで、それは、イーブンなのである。やっていいことなのである。どうしてかというと、自分が気違い親父にさんざんやられたからだ。本当に、ちょうど一五年間、気違い親父が、すべての常識と、自分がやっていること……現在進行形でやっていることを無視して、「好きなように」やってきたのである。

これは、絶対無責任の境地にたってやったことだ。絶対無責任の境地にたってやったことは、どれだけ、やったってやったことにならないのである。これが!! これがわかる他人が、どれだけいるか? ひょっとして、これがわかる人は、地球上に俺ひとりなのか? そして、本当にやられてない人たちは、キレイゴトを言って俺のせめるのか?

「対処能力」「説明能力」と「常識」

どうしようかな。

はぁーー。



働くとは?



これねぇ~~



俺の場合を言えば、ヘビメタ騒音がなければ、それで済んだ。気違い兄貴が毎日ヘッドホンをしてくれればそれで済んだ。毎日、ヘッドホンをしないで爆音で聞いたから、問題が生じた。で、この問題は、そこだけにとどまるものではないんだ。これがねぇ……。言いがたいことがいっぱいある。



「週三日のアルバイトでもすればいい」と言う人がいた。週三日のバイトでも、週一日のアルバイトでも、時間を決められたら、もうそこでおしまいなんだよ。どれだけ努力しても、どれだけがんばってもできないということになる。で、ヘビメタ騒音に最低でも七年間毎日さらされて、睡眠回路がこわれたという経験がない人には、そこらへんがどうしても、わからないんだよな。だから、「働けるのに働こうとしない人だ」と見なされる。そいつだって、ヘビメタをあれだけデカイ音で、あれだけ長い時間、毎日毎日、あれだけ長い期間にわたって鳴らされ続ければ!!睡眠回路がこわれて、週に一回だろうが、時間を決められたら働けないからだになるはずなんだよ。もちろん、そいつは「自分は、対処能力があるからずっと鳴らされ続ける」なんてことはないと思うのだろう。そういう、自信があるのだろう。しかし、これも、気違いの構造がわかってないから、そう言っているだけだ。もう、本当に全部が違う。これ、わからないやつにはわからないんだよな。自分がやられなかったからといって、勝手なことを言うな。たまたま、気違い家族にあたらずに、気違い家族がめちゃくちゃにこだわって、気違い的にデカイ音で、気違い的なヘビメタ騒音を、気違い的な意地で鳴らし続けるという現実に遭遇しなかっただけの話しなのだ。「能力」の違いじゃない。やられた結果、週に一回も、働けない状態になったけど、それは、やられた結果だ。「対処能力」だって、気違い的な人のことがわかってないからそういうだけだろ。気違い兄貴が高校一年生のときに、ヘビメタを鳴らし始めた。気違い兄貴が高校一年生のとき、俺は小学六年生だったんだ。そして、いちおうは大黒柱であり、親権の持ち主である親父は、気違いだったんだ。兄貴のきちがい感覚は、親父の気違い感覚のコピーだからな。だからなにかというと、気違い親父に頼ることもできなかったと言うことだ。で、気違い親父が対外的に「親」であり「親権の持ち主」であったから、ヘビメタ騒音問題も片付かなかった。これも、いいわけだなんだと言ってくるやつがいると思うけど、そいつらはわかってない。対外的に責任者である「親」が、気違いなんだぞ。兄貴がああいう人格になったのは親父のせいなんだぞ。兄貴は、親父が子供(兄貴と俺)にやり付けたことをそのまま利用して、そのままのモードでヘビメタを鳴らしているんだぞ。それはどういうことを意味しているかというと、「うちではあたりまえのことだ」ということを意味している。気違い親父が親権者であるということは、いろいろな影響を与える。「対処能力」に影響を与える。これが、普通の親に育てられた人にはまったくわからないことなんだよな。対処能力って、「うちの問題に対する対処能力」「家族の問題に対する対処能力」であるわけだから。まわりの人は父親が、気違い的な父親だということがわかってない。決定的に、まわりの人と俺、あるいは「うちのなかの人」の認知が食い違うところだ。本当に「よそのひと」にはわからないような言いがたいしくみが成り立っている。気違い親父と気違い兄貴は、言いがたい性格をしている。普通の人にはまったくわからない、認知構造をもっている。普通の人は、親父と兄貴が普通の人だと思ってる。そして、普通の人には、俺がたとえ、親父や兄貴のへんな部分を説明しても、わからない。ちゃんと説明したって、「そんなことはないだろう」と決めつけて理解しない。ハンダゴテの説明とおなじで、「気違い兄貴の説明が悪かったから、お父さんがわからなかったんだ」とよその人たちは、完全に誤解する。そんなのは、「説明能力」の問題じゃないんだ。この場合は、兄貴の側の説明に問題があったわけではなくて、親父の側の認知構造に問題があったわけだから。けど、よその人は、わからない。説明されても、信じない。「へんだなぁ」と半信半疑のままだ。だから、「かりにそうだとしても」というような過程のなしが出てくる。そして、「ともかく、こうしろ」「ちゃんと説明すればわかってくれるのだから、説明しろ」ということを言う。だから、基本的には平行線のままだ。「現状」が維持される。「介入」はない。「そんなへんなひと、いるわけない」というよその人の間違った推論がまちがっているわけで、説明のしかたが悪かったわけじゃないんだよ。「説明能力」の不足ではない。兄貴の側の説明能力に問題があったわけじゃないんだ。これがわからない。で、ハンダゴテの場合は、親父の認知の問題なんだけど、ヘビメタ騒音の場合は、兄貴の認知の問題なんだよ。そして、付け加えて言えば、親父の認知の問題でもある。だから、ハンダゴテの問題は、親父の認知の問題であり、ヘビメタ騒音の問題は兄貴と親父の認知の問題だと言える。というわけで、ひとり増えている。ダブルパンチだ。二重拘束だ。けど、この二重拘束は、正反対のメッセージを送っているというダブルバインドではない。同方向の認知のズレだ。



「そんな、子供に怒ってばかりいた親がどうして、お兄さんがヘビメタを鳴らしたときは怒らなかったんだ」と疑問に思うやつがいた。そいつは、本当にまったくわかってない。まった、く、わかってない。親父のしくみがまったくわかってない。



それから、親父さんが、もしかりに本当にそんなひとだったら、精神科に連れて行けばよかったのに(精神科に連れて行かなかったから行けないんだ)というような考えをもつ人がいるんだけど、これもわかってない。そんなの、連れて行けるわけがないだろ。俺と兄貴は当時子供だったんだよ。親父が一番荒れていた時期に、子供だったんだよ。それから、お母さんは、子供とおなじように「やられてたんだよ」。「もし、それが本当だったら、奥さんが精神科に連れて行くはずだから(うそだ)」と考える人がいたんだけど、やられているお母さんが、親父を精神科に連れて行けるわけがないだろ。



当時は、「雷親父かぁ。雷親父なんてどこだっている」なんて、言われて相手にされなかった可能性がある。精神科にお母さんが親父のことで相談に行っても、場違いなところに行ったということになるんじゃないかな。いずれにせよ、当時の常識があるからなぁ。それから、だれが精神科の治療費を払うんだよ? 当時、一五〇〇円ぐらいで買えるハンダゴテのことで、あれだけもめているんだぞ。こういうことがまったくわかってないんだよな。



で、ともかく、「介入がなかった」ということが問題なんだよ。これは、本当にわかりにくい。そんなの、精神科に連れて行かなかった家族が悪いというように思う人がいるけど、その人は、「当時の常識」や「うちでの親父の態度」「妻の態度」がわかってない。親父のことで相談しに行ったって、親父を精神科に連れて行かなければむりなんだよ。それから、「やったってやってない」という認知が成り立っているところから考えて、まったく病識がないわけだからな。いまだから、「大人の発達障害」ということが問題になっているわけだけど、当時はそんな概念はないんだよ。



親父は、自分の言い分が通らなければ、手を上げたことがあるけど……つまり、口の中が切れるようなピンタをしたことがあるけど、回数が少なすぎる。昼間から酒を飲んで暴れてたというわけでもないし、働いていないというわけでもない。「介入」はない。それから、お母さんが精神科に相談に行ったとしても、追い返されただけだろう。当時の常識と居間の常識は違う。これも、わかってないやつらがいるんだよな。俺より年上だから、当時を知っている人間だけど、そういう人間でも、わかってない。

2018年3月19日月曜日

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無職の現象学: 働きたくないでごさる 絶対に、働きたくないでござる

無職性とは?

みんなが働く社会よりも、みんなが働かなくてもいい社会のほうがいい社会なんだ。みんながみんな働く社会よりも、みんながみんな働かなくてもいい社会のほうが、いい社会なんだ。実際に、赤ん坊、子供、学生、定年退職者、専業主婦は働いてない。みんながみんな働くというのは、最初からむりがある。だから、「みんな」と言っても、「みんな」のなかにだれがはいっているかの違いでしかない。「みんなが働く社会」と言っても事前に、働かなくてもいい人たちが設定されている。「働かなくてもいい人たち」の範囲に関して考えが違うだけだ。

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あんなのない。

とりあえず、スパゲッティーを食べて、紅茶を飲んで落ちついたところだ。思考はねぇ……。実は起きたときから……いや、起きる前から、ヘビメタ騒音のことを考えていたから、フル回転だよ。けど、本当に、困った。ヘビメタ騒音で困った。だれにも、この困り方がわからない。他の人は、自分の騒音体験や自分の睡眠リズムから、ものを考えるから、気違いヘビメタに一五年間さらされ続けた僕のことはわからない。毎日、約七時間から約一四時間、午後一一時一一分まで、あのものすごい音にさらされたあと、眠れない状態になるというのがわからないんだよな。「だれだって朝はつらい」とか「俺だって、朝、つらいときがある(けど、がんばって働いている」とか思うわけだけど、それはちがう。俺が、深夜の二時を越えて朝の四時ぐらいまで眠れない状態で暮らしてたというのがわかってない。毎日、七年間そういう状態で暮らしていた。午前四時に寝て、午前七時三〇分起きて、ご飯も食わないで、学校に行ってた。これがどういうことだかわかるか? 土曜も日曜もヘビメタが鳴っているということがどういうことだかわかるか? 普通の日を破壊したヘビメタが土曜、日曜、祝日、夏休み、冬休み、春休みも、「いちにちじゅう」鳴っているんだぞ。一日に一四時間コースになる。土曜日は違うけどね。一週間に一日の休みもなく、ずっと毎日、ヘビメタが約七時間以上鳴っている状態なんだぞ。七時間浴びたあとは、どれだけつかれていても、神経がさかだって眠れない状態なんだぞ。けど、そんなのは、他の人は経験してない。自分で、夜遅くまでラジオを聞いて、寝不足だとか、自分で、夜遅くまでゲームをして、寝不足だとか、自分で、夜遅くまで勉強することを選んで、寝不足だとかそういう人たちばかりだ。そういう人たちは、自分が避けられないことで、寝不足になっているわけではない。唯一、どうしてもさけられない残業で寝不足になっている人たちとは、条件が一致する。しかし、その人たちは、働いている……。俺は、他の人たちから見れば、サボっているようにしか見えない。遅刻したとき、「夜遅くまでヘビメタ騒音が鳴ってたから遅れた」と言ってもいいわけをしているようにしか見えない。だいたい、午後一一時一一分には鳴り終わっているのであれば、午後一一時一一分までは、うるさくて眠れないという理屈はわかるけど、それ以降眠ろうと思えば、(もう鳴ってないのだから)眠れたはずだという理屈を展開する人がいる。けど、こういう人も、一日に七時間から一四時間「自分の部屋」であのヘビメタを!!浴び続ければわかるよ。毎日のことだからな。一日で終わってくれることじゃないんだからな。一日だけ、午後一一時一一分まで鳴っていたというのであれば、その日は一二時ぐらいは眠れるかもしれないけど、違うんだよな……。毎日おなじようにずっと、つもっていくとなると違う。ここらへんのことなんて、地球上で「わかっている」のは、俺だけなんだからな。そりゃ、他の人には、わからないよな。他の人から見れば「一一時一一分には鳴りやんでいるのだから、そのあと眠れないなんていうのはいいわけだ」ということになるのだろう。まあ、「お兄さんと話し合えばいい」というのがつくけどな。「家族で話し合えばいい」……。こういう言葉がどれだけ俺を傷つけるか。傷つけたか。これ、そういうことを言う人にちゃんと、家族で話し合ってむだだということを説明しても、親父の構造や兄貴の構造を、その人たちは、信じないので、俺が勝手にへんなことを言っているだけだと考えるんだよ。「ともかく」という便利な言葉もあるしな……。


もう、これはだめだ。死ぬ。あんなのない。

ずっとおなじなんだよ。気違いヘビメタを鳴らされ始めてからずっとおなじなんだよ。気違い兄貴が、あの日、ヘビメタを鳴らし始めた日からずっとおなじなんだよ。他の人とのあいだに溝ができる。他の人が絶対に理解できない障害を背負い込んでしまった。この障害は、他の人にはわからない。だから、他の人から見ると、俺がたるんでいるように見える手の゛ある。俺が甘えているように見えるのである。俺がサボっているように見えるのである。もう、こんなのない。

2018年3月18日日曜日

現在進行形で絶対に認めない。つもりがないままやり続ける。

今後のことを考えているんだよ。

今後のこと……。



本当に、どれだけ……。このヘビメタ騒音空間。ヘビメタ騒音人生。あいつまったく、無関係にすべての時間!!鳴らしやがって……。

どれだけ言っても、親父のように、まったく通じない。自分が鳴らすのはあたりまえで、一分だってゆずってやらないけど……自分は一切合切関係がないと思っているんだよ。

気違い兄貴にとって「うち」というのはそういう空間なんだよ。親父以上に、どれだけなにを言っても、通じない。最初から、すべての時間、自分が思ったとおりの音で鳴らすことは決まっていることで、それをかえるつもりはまったくない。

けど、そういう気持ちに気がついてない。だから、嘘の譲歩しかしない。嘘の譲歩をしているあいだ、俺が精一杯怒鳴った声よりもデカイ音で、ガンガンガンガンガン、鳴っている。

親父が、居間にいたから、「いまの時間(日曜日の午後一時は、ガンガンガン鳴ってたんだぞ!」と精一杯、怒鳴ったら、「そんな大きな声を出すな」みたいなことを言って不快な表情をするんだよ。あいつは、兄貴がガンガン鳴らしていたときは「ちょっとぐらいしかたがない」と(俺に)怒鳴って、絶対に注意しようとしなかったんだよ。

そういう一四年間毎日だ。

これ、一度そうなると、絶対に、かえないんだよ。これも、親父と兄貴でおなじだ。二階で鳴らしている兄貴のヘビメタノ音が、一階の居間で怒鳴っている僕の声よりも、一階の居間で、でかいんだぞ。一階の居間の室内で精一杯怒鳴っている人の声よりも、二階で鳴らしている兄貴の音のほうがうるさいんだぞ。怒鳴り声をかき消すような音で鳴っているんだぞ。一階の居間で聞いて、二階の兄貴の部屋の音のほうがでかいんだぞ。そういう気違い的な音で鳴らしているんだぞ。

気違い兄貴がうちにいるときは、うちじゅう、気違いヘビメタ騒音がガンガンひびいている状態だ。くっそうるさい。階段も風呂も、トイレも、全部、俺が精一杯怒鳴った声よりも、デカイ音で鳴っている。気違い兄貴よ! 一日でもいいから、いま住んでいるところで、当時あたりまえだと思っていた音で鳴らしてみろ。日曜日、朝の一〇時から、夜の一一時一一分まで鳴らしてみろ。風呂と飯の時間を合わせて三〇分とっていい。

一日中鳴っているということが、どういうことなのか、わかるよ。

兄貴の嫁さんと嫁さんの家族が、経験的にわかる。これ、わかってないんだよな。だから、いまだに「仮定の話」になっている。「もし、弟さんが言っていることが本当だったら、ひどいよ」と兄貴の嫁さんが兄貴に言うわけ。そうすると兄貴が「だから、静かにしてやったって言っているだろ」と言って、おしまい。

あとはなにも感じないんだよ。

で、そういう原理で、そういう感覚で、ずっと鳴らしてた。兄貴が鳴らしているときに「鳴らすな」「ヘッドホンをしてくれ」と言われると、兄貴は、むかつくわけだよ。「人がせっかく鳴らしているのなんだぁ!」という気持ちになる。機嫌がいいときに「わかったわかった」と言っても、けっきょく、五分間ぐらい一デシベルぐらいしかさげない。

この一デシベルぐらいさげた音というのは、一階の居間で聞いて、俺が精一杯、怒鳴っている声よりもはるかにデカイ音だ。

親父は、午後一時に家にいるということは絶対にないんだよ。日曜日でも祝日でも、絶対にない。兄貴が本格的にうるさくする前に、パチンコ屋に行く。で、まあ、当時、親父がかりにパチンコ屋に行かなくても……絶対に注意しなかったと思うけどな。

これ、本当、一度、兄貴に注意しない方向で、スイッチが入ると。あしかけ一五年間絶対になんだろうが注意しないんだよ。実際には、俺が気違い親父と気違い兄貴に積極的に働きかけて、二回だけひらいた家族会議で、ぼそっと「静かにしてやれ」と言ったことがあるけどな。

それは、俺が兄貴を下の階に連れてきたからなんだよ。兄貴が二階で鳴らしているときは、絶対に、兄貴の部屋に注意しに行かなかった。あしかけ一五年間毎日、あの破壊的な音で、兄貴が鳴らしているのに……自分の息子が鳴らしているのに……二回だけだぞ。

しかも、「言ったからいい」ということになってしまう。結果はどうだっていいのである。実際に一〇分でも静かになったかどうかなんて、気違い親父にとってはまったく気にならないことなんだよ。

家族会議なんていたって、兄貴がむすーーっと押し黙っているだけで、一切合切なにも言わない。で、兄貴が首を縦に振らずに、入学試験一日前でも、二階に上がって、二階に上がった時間以降ずっと午後一一時一一分まで、本人が飯を食うときと、風呂に入る時間を抜かして、ずっと鳴らしてた。

ものすごくデカイ音で鳴らしてた。あれで、「静かにしてやったつもり」なのかよ? 本当に、親父以上にひどいやつだ。

家族会議? 何ヶ月も前から、「交渉のテーブルにつけ」と俺ががんばって、一〇分で終了だよ。お母さんに「しずかにしてあげて」と言われたら、兄貴は、ふくれるからな。怒って、二階に行って、ガンガン鳴らしてた。これが本当のことなのに! まるで、親父のようにわかってないからな。自分がこだわりつくして、毎日毎日やったことなのに、ほんにんがぜんぜんわかってないなんてことがあるかよ!! あるかよ!!

あるんだな。これ、嘘みたいな感覚だけど、そういうに考えると兄貴の行動が納得のできるものになる。気違い親父とおなじで、はねのけてしまったら、もうそこで、おしまいなんだよ。本人のなかでは終わっている。事実「言われなかった」ということになってしまう。

だから、「気づかずに」ずっと鳴らすことができる。「試験前なのに、こんなに鳴らしたら、やばいかな?」なんてことは、交渉のテーブルでどれだけなにを言われても考えないんだよ。鳴らしているあいだ、無の境地になって、「鳴らすことだけに集中して」鳴らす。

だから、他のことは一切合切考えてないんだよ。あれだけでかい音で慣らして、弟が入試だから静かにしてくれと言っているのに、入試前でも、無の境地になって、自分が鳴らしたい音で、正確に鳴らし切ることだけに集中して鳴らす。

だから、鳴らす前に、弟が家族会議で「やめてくれ」「ヘッドホンしてくれ」と言ったことなんて、まったく、考えてない状態になる。

完全に忘れる。

家族会議のあと、弟が一〇回二〇回、三〇回「やめろ」と(自分が鳴らしているときに)怒鳴ってきたというのは、はねのけた瞬間に忘れてしまう。親父とおなじ脳みそだから、怒って、はねのけたら、その瞬間に、言われたことを忘れて、まったくなにも言われなかった気分になって、鳴らし続ける。絶対に、一秒だって、ヘッドホンはしない。入試だろうがなんだろうが絶対に一秒だってゆずってやらない!!

そういう強い意志で鳴らしてたんだよ。「知らなかった」「そんなつもりじゃない」とか言っているけど、頭がおかしいから、なんの罪の意識もなく、そういうことが言える。

   *   *   *

こっちは、おまえ、そいうことを経験したことがないやつに、正論を言われて、くるしい状態追い込まれるよ。いまだってそうなんだよ。いまだって……。「過去のことは過去のことだ」「人のせいにするな」「すべては自分の責任」「そんな年で、働いてないなんておかしい」「決まった時間に起きれないなんていうのはあまえだ」。

気違い兄貴のヘビメタ騒音のなかで七年間たえて、一日に二、三時間しか眠ってない状態で学校に通った俺が、そういうことを言われる。

言っているやつは、気違い兄貴のヘビメタ騒音を一四年間経験したことがない。そりゃ、そういうことをされなければ、普通に通うことができるだろ。俺だって、鳴らされる前は普通に決まった時間に起きて通うことができた。

けど、七年間毎日やられたら、どれだけがんばってもできないことになった。週一回ですら、決まった時間に決まったところに行くということが、どうしてもできない。そういうからだになった。

それを……毎日七年以上経験してないやつが……あまえだとか言う。そりゃ、経験してないのだから、やられてないのだからできるだろ。そういうことを言う人が経験している「朝がつらい」状態と俺が経験している「朝がつらい状態」はまったくちがうものなんだよ。

おなじだというのであれば、おなじことを経験したあとに、言ってくれ。おなじことを経験したあとに、そんなことが言えるのであればな!!

   *   *   *

「現在進行形で騒音を押しつけている」ということは、現在進行形で絶対に認めない。気違い兄貴がずっとやってきたことはそういうことだ。だから、常にうちのなかは、人が精一杯、絶叫している声よりデカイ音でヘビメタ騒音がひびきわたっていた。家の中のどこにいても、人が精一杯、絶叫している声よりデカイ音でヘビメタ騒音が鳴っている。

入試シーズンだろうが、中間テスト前だろうが、中間テスト期間中だろうが、期末テスト前だろうが、期末テスト期間中、ずっと、毎日、毎時間、毎分毎秒鳴っている。そういう音のでかさで鳴っている。

それで、俺の勉強の邪魔をしたつもりがまったくないんだよ。兄貴は、俺の勉強の邪魔をしたつもりがまったくない。おまえ、気違い兄貴!!中学の一日目から、ずっと、午後一一時一一分まで、俺の勉強の邪魔をして、よくそういうとが言えるな!!

   *   *   *

ぼくはもうだめだ。こんなことを考えて生きていたら……。こんな気持ちで生きていたら……。ずっとずっと、くるしかった。ずっと死にたかった。けど死ねない。だから、希望にすがりつく。けど、希望にすがりついても、日常はくるしい。気違いヘビメタにやられたあと、ずっと、くるしい。友人関係だって……けっきょくは、ヘビメタ騒音でこわれる。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音でこわれている。ずっと続いたから。二日、三日のことじゃないんだよ。

「悪気なし」に「こまる」ことを繰り返すことができる

いろいろと腹が立つ記憶がまいあがってくる。だめだ。こりゃ。
ほんとうに、どうしてこういうことになってまうんだ。
全部がつらい。 本当にうまくいかなかった。気違い兄貴……。おまえ、あれをまったくつもりのないまま実行していたのかよ。一分もゆずってくれなかったじゃないか。となりで家を建てる工事が始まったとき、工事の音が鳴りやんだあと、どれだけ言っても、気違い兄貴が一分もゆずってくれなかった。あの時、最初の大学入試を一ヶ月後にひかえて、くるしかったんだよ。一時間ずっと鳴っているということは、一時間ずっと鳴っているということだ。俺が文句を言った後、一時間鳴らしたら、一時間鳴らしているということだ。俺は横の部屋で、気違い兄貴のきちがいヘビメタに包まれて、くるしかった。となりの家の工事が終わって、やっと勉強ができる時間になった午後八時、おまえ、ガンガン鳴らしてたじゃないか。「こんくらいの音で鳴らしたってかまわない」という気持ちなんだろ。それじゃ、「こんくらいの音で」いま住んでいるところで鳴らしてみろ。入学試験がないにしろ、文句を言われるから。一時間だって一〇分だって、一分だって、文句を言われるから。どうして、カオ君が一分でわかったことが、兄貴は一〇年間も、二〇年間も三〇年間もわからないままなんだよ。どうしてか? 親父の頭とおなじだからだ。親父の頭の「つくり」とおなじなんだよ。兄貴の頭の「つくり」が! 入学試験一週間前だろうが、一二時間鳴らせるのであれば、一二時間きっかり鳴らすことにこだわり続けて、一分も、一秒もヘッドホンをしてくれなかったのが気違い兄貴だ。どれだけ言ったと思っているんだよ。一日にどれだけ「やめてくれ!やめてくれ!」「静かにしてくれ」「交渉のテーブルについてくれ」と言ったと思っているんだよ。何十回言っても、静かにしてくれなかっただろ。あれ、本当にこたえた。やられているあいだも、やられたあとも、こたえた。あれだけやられたあと、眠れないまま試験を受けに行くときの気分と言ったら、ない。あんなのはない。最初から負け戦だ。しかも、試験前の一日だけそうされたのではなくて、試験の六年前からそうされてきたのである。こんなの、ない。六年間毎日……いや、六年以上毎日……ずっと毎日勉強の邪魔をされた。こんな受験生、いまどきいない。当時の「いまどき」いない。そんなのはあり得ないんだよ。

あとは、親父のことを思い出す。これ、兄貴がうるさくしているときは、親父は頑固に兄貴に文句を言わないことに夢中になってた……。これ、へんな表現だけど、そうなんだよ。

気違い親父は、スイッチが入ってしまうと、とめることができない。本当にひどい発達障害なんだよな。あれ、本当に困るんだよな。どれだけ言っても、伝わらない。「こまる」というのが根本的に伝わらないんだよな。だから、「悪気なし」に「こまる」ことを繰り返すことができる。相手が困ることを、相手がどれだけ困るからやめてくれと言っても、まるで聞こえなかったように、やり続けるのである。反応もおかしい。これ、言いようがないけど反応がおかしい。本当にどれだけそのままはっきり言っても相手の気持ちだけは絶対に理解しないで、へんな返事をするんだよ。へんな反応をする。

これ、考えてみたら、おなじなんだよな。兄貴も親父もおなじなんだよな。これ、本当に本人はまったくわかってないからな。本人には、まったくなにもつたわらないんだよ。何万回言っても、まったく言ってないのとおなじ。まったく「言われなかった」のとおなじなんだよ。で、自分の考えだけで、自分がやろうとしていたことを頑固にやる。だから、相手……誰か困った人が……兄貴や親父の行為で困った人が……「困ったからやめてくれ」と言ったって絶対にやめない。「やめてくれ」と言われたら、火に油をそそぐようなな状態になってしまう。やめてくれ」と言われたら、エンジンがかかって、真っ赤な顔をして、あぶらあせをかいて、ひきつって、頑固にやる。無視してやるとき、ひきつっているんだよ。頑固さがある。意地があるんだよ……。無視している意地がある。真っ赤な顔をしてやりやがる。だから、本当は「やめてくれ」と言ったことはつたわっているんだよな。本人がやめたくないだけで……。言ったときはね!! けど、言い終わったら、一秒で関係がない状態になってしまう。一秒というか、〇・一秒。やれるなら、……繰り返しやり続けることができるなら……実力行使?できるなら……それは、絶対にやってないことだと認知されてしまう。聞こえてないふりをする……無視をするけど、聞こえている。だから、真っ赤な顔をして、こだわってやる。けど、〇・一秒時間がすぎてしまえば、言われたということも、無視できる。だから、結果的には、「知らなかった」「そんなつもりじゃなかった」ということになる。けど、頑固にやって絶対にゆずらない。

   *   *   *

親父の場合、本当に、悪意がない場合でもそういうことになってしまうんだよな。ふたつのケースがあるけど、微妙すぎて言えない。ともかく、親父とかかわると、ものすごくひどい目に遭わされるんだよ。親父がまったく悪意がなくても、ひどい目に遭わされる。親父とかかわったら、「おしまい」なんだよ。本当に、相手を困らせてやろうというつもりがない場合も、相手は困ったことになるんだよ。不幸なことになるんだよ。なにかしら、不幸なことになる。

親父にかかわると、あり得ないところで、不幸のタネがまかれる。こんなことがこんな不幸な出来事につながるのか?と思うようなことが頻発する。で、そのときに言っても、絶対に通じないんだよな。本当に、いやな目に遭わされる。

だから、手伝って欲しくないときに、「手伝ってやる!手伝ってやる」といって聞かない。これも、一度スイッチが入ったらぜったいにゆずらないんだよ。本当に相手の状態とか相手の気持ちがまったくわからない。どれだけ、ちゃんと言っても、まったく通じない。気違い親父のほうの気持ちだけなんだよ。「手伝ってやる!手伝ってやる!」と言っているときは、親父のほうの「手伝ってやる!」という気持ちだけなんだよ。相手が、困るからやめてくれと言っても、それは、聞こえない。聞こえたって無視する。何十回、怒鳴るようなデカイ声で言っても、おなじ。

2018年3月17日土曜日

フォークギターぐらいの音までさげて一秒間 我慢するということは絶対にない

やっぱり、ヘビメタ騒音で人生がない。ヘビメタ騒音でくるしい。こんな人生じゃ意味がない。ほんとうに毎日ひどいハンディだったな。ヘビメタ騒音障害でうまく生きていくことができなくなった。これ、どれだけ言っても、他の人にはわからないんだろうな。特に、常識に縛られている人にはまったくわからないと思う。ちょっとは障害が生じるめしにズムを考えろよ。「そんなことあるわけがない」「そんな人いるわけがない」「言えばいいのに」「俺だったらそんなことにはならない」……全部、わかってないからそう言えるだけなのに、本人は気がつかない。

ほんとう、どんだけのハンディになるか。どれだけの障害になるか。

毎日あんなことをされて、いいわけがないだろ。いいわけがないんだよ。心の持ちようとか、気違いが家族で、気違いが気違い的にだ割って、気違い的にデカイ音で、気違いの音を鳴らすということが、根本的にわかってないやつが、間違った前提に立って、間違った推論をして、間違ったことを言う。けど、そいつらが多数派だ。気違いの意地と常識的な人の常識にはさまれて、いつも誤解されている。

あんなにやられて、普通の気持ちを維持できるわけがないだろ。あんな態度で、あんなに、毎日毎日、やられて、普通の健康状態を維持できるわけがないだろ。鳴り終わったらもう、関係がない思う……あさはかさ。バカさ加減……。

けど、あっちが常に多数派だ。見るからに働けないような障害を持った人には優しいやつが、ヘビメタ騒音障害にはまったく理解がなく、「そんなのはおかしい」「へんだ」と言う。これは、俺が言っていることに疑問を持っているということだ。俺の言ってることが真実ではなく、妄想なのではないかと疑っている言葉だ。あるいは俺が嘘をついているのではないか、大げさにものを言っているのではないかと疑っている言葉だ。

こういう言葉を、普通に普通の人が口にする。本人がおなじ量やられたら、絶対に俺と同等かそれ以下の状態になるのに、本人はやられてないから、やられてない状態でやられた状態を想像することになる。

けど、それは、やっぱり、ぜんぜんちがう。ぜんぜんちがったものを想像しているだけだよ。ほんとうはわかってない。まあ、せめて、一年間ぐらいは俺とおなじ生活をしてみれば、一四年間続いた場合の状態がある程度は正確に想像できると思う。けど、まったくやられてない人が、自らの騒音体験をもとにして、俺のヘビメタ騒音の効果(負の影響)を推し量ろうとするのは、むりだ。むりがある。

けど、むりあるとは思わないんだろうなと思う。あの態度で、あのけたたましい騒音を、あれだけ長い期間押しつけられて、いいわけがないんだよ。で、一般の人は気違いのしくみがわかってない。『うちでだけ狂う人』の精神状態がわかってない。殺さなきゃ一分だってやめさせることができないという事実がわからない。

そんなことはないのではないか……とこころのどこかで思っている。

けど、間違いだ。それは、うちにいるときの気違い兄貴の状態、気違い兄貴の感覚、気違い兄貴の脳みそがわかってないから、そういうふうに想像してしまうだけだ。通常の騒音とはちがうし、通常の騒音のしくみとはちがうんだよ。これ、ほんとうに、どれだけ。で、一番わかってないのが『兄貴』なんだよ。二番目にわかってないのが親父だ。

やっている本人が、一番わかってない。

それで、自分が狂ってやる状態を維持する。狂ってやったことはすべて、……ほんとうすべて!!やってないことなのである。本人してみれば、『そんなの知らない』ことなのである。『そんなのやってない』ことなのである。じゃあ、本当に譲ってくれるのかといったら、鬼の意地、気違いの意地で、一秒だってゆずらない。

けど、ゆずらずにやり続けたということが、これまた、親父のようにわかってない。兄貴は、親父のようにまったくわかってない。四人家族で二人が狂っているんだぞ。そして、狂い方が、『意地になる』という狂い方なんだよ。

で、本人が意地になってやっているのに、本人が遣ったということを、意地になって認めない。つねにそう以降との繰り返しだ。毎日、そういうことの繰り返しだ。だから、毎日にやってたって、毎日にやったつもりがない状態が成立してしまう。一晩、眠ったら、そういうこともあるかもしれないと思っている人が多いかもしれない。少ないかな? わからない。

けど、なんて言うのか……毎日というか、毎分毎秒なんだよな。現在進行形でそういうことが成り立っている……感覚としてはそういうことが成り立っている。この感覚というのは、もちろん、やっている本人の感覚だ。だから、本人は、まったく気がつかない。けど、常にそうやって、気違い丸出して自分の意地を通すんだよ。

で、常に、『通したつもりがない』と言う状態になっている。

だから、本人はほんとうに、まったくやったつもりがないし、関わったつもりがないのである。自分外を意地を張ってやったことなのに、どこか、自分に関係がない話を聞いているような態度なんだよ。やるときは、やると決まっているので、そういう態度で無視して絶対に鳴らす。

その場で、殺されなければ、……命ある限り、絶対の意地で、ヘビメタを思った通りのけたたましい音で鳴らす。自分が思ったとおりの音にこだわりつくしているわけで、自分が思ったとおりの音で鳴らさなければ、気が済まないのである。

気が済まない。

一秒だってほんとうにゆずって、人の話し声ぐらいの音で鳴らすということはない。フォークギターぐらいの音で鳴らすということはない。そこまで音をさげると『感じが出ない』からだ。自分が鳴らしたい音というのがあって、その音に、こだわりつくしている。細部の細部までこだわりつくしている。だから、ステレオにも金をかける。

デカイ音で鳴らすというのは、「こだわりの音」のなかの一番でかい部分だ。一番重要な要素だ。だから、絶対にゆずらない。ゆずったつもりのときも、自分かこだわっている音で鳴らしているわけで、普通の人が聞いたら『おどろくような』爆音だ。気違いだから、気がつかない。どれだけ言われても気がつかない。

気がついてしまってほんとうに、フォークギターぐらいの音までさげなければならなくなるというのは、絶対にいやなのである。一日に一時間だろうが一分だろうが、そういう時間ができてしまう……自分が思ったとおりの音で鳴らせない時間ができてしまう……というのは、命がけで、さける。気違い的な意地でさける。

だから、本当に音下げてやるというのは、絶対になにがあっても、一日に一分だろうがやってやらないことだ。

気違い兄貴のなかで決まっている。

だから、中間テストのときも、ものすごく苦労したよ。あれだけ、試験期間中にずっと鳴らしておいて、弟の勉強の邪魔をしているつもりがまるでしょうじないんだよ。親父とおんなじなんだよ。ハンダゴテのときの親父が、気違い兄貴が困っているということを絶対にどんなことがあっても認めなかっただろ。

気違い兄貴わかるように言っておくけど、気違い兄貴の態度というのは、親父の態度おなじだ。『試験だから静かにしてくれ』と言われたときの気違い兄貴の態度は『ハンダゴテを買ってくれ』と言われたときの気違い親父の態度とまったくおなじなんだよ。

どんだけの意地で認めないか。どれだけなにを言っても、一分間ですら、やめてくれなかった。これが、あしかけ一五年間、数ヶ月切り捨てで一四年間の事実だ。

2018年3月16日金曜日

ヘビメタ騒音下の選択は僕の選択ではない。

横になっていても、あんまりつかれがとれない。どーーしたもんだ。考えることは、ヘビメタ騒音と今後の人生のことだけだよ。恋愛関係はあきらめないとだめかな。なんか、いろいろと気持が……。あの時、あの時、あの時。ヘビメタ騒音が鳴ってなかったら……。(まあ、こういうことに関しても、何回過去にもどっても、その時の選択はかわらないというようなことを言う人たちもいるけど、その人たちはヘビメタ騒音を経験してない。あの時ですら、八年間、毎日、つもったヘビメタ騒音を経験してない。ヘビメタ騒音が「ある」か「ない」かは、重要な問題だ。僕が帰りたいのは、ヘビメタ騒音が鳴ってなかった場合の過去だ。気違い兄貴が、一日目に、ヘッドホンをしてくれた場合の過去だ。二日目以降も、鳴らすときは、ずっとヘッドホンをしてくれた場合の過去だ。他の人たちにとっては、「あたりまえ」の過去だ。他の人たちにとっては、ヘビメタ騒音が鳴ってない過去にもどるわけだから。あるいは、ヘビメタ騒音が鳴ってない過去にもどるということを考えるわけだから。ヘビメタ騒音に汚染されて、八年目にあの子に会った。ヘビメタ騒音が鳴っていないのであれば……ずっと、八年間も毎日鳴ってないのであれば、その状態での選択は、本人の選択だということになる。本人が選択したということになる。けど、ヘビメタ騒音下での選択は、僕の選択であっても僕の選択ではない。ヘビメタ騒音が鳴ってない過去を選択できるのであれば、その問題は回避できる。ヘビメタ騒音下での、僕の選択は、僕の選択ではない!!! 言ってみれば、選択肢がない状態だ。他の人たちには、ヘビメタ騒音はない。八年間毎日続いているヘビメタ騒音なんてない。毎日、午後一一時一一分まで、鳴っているヘビメタ騒音なんて内。どれだけやめろと怒鳴り込んでもずっとイチニチジュウ!!続いてしまうヘビメタ騒音なんてない。ないのであれば、選択は自由だ。本人がそれを選択したなら、本人が選択をしたということになる。けど、ヘビメタ騒音下の選択は僕の選択ではない。

   *   *   *

ヘビメタ騒音が鳴っている中で、どのような選択をしても、こうなるしかないんだよ。働けないからだになるしかない。ここでいう働くというのは、一定の時間に出勤して週休二日ぐらいで働くことだ。あるいは、週三日ぐらい、時間を決めて!!!働くことだ。

ヘビメタ騒音が鳴っている限り……気違い兄貴が気違い兄貴の感覚で、気違いヘビメタをあの音のでかさで、鳴らしているかぎり、どんな方法を選択しても、どうしても働けないからだになる。あとは、学力に関しては偏差値で言えば、二五ぐらいはさがる。学力よりも、生活体力のほうがはるかに問題なんだけどな……。

これ、本当にヘビメタ騒音障害がどういう障害なのか、わからない人はまったくわからないんだよ。ある程度正しい予想をする人にしても、実際には自分で経験したわけじゃないのだから、ひどさがわからない。ひどさがわからないと、「(エイリは)働けるのに働かない人だ」と誤解してしまうのである。「どんなことがあっても働いたほうがいいよ」「たとえ、ヘビメタ騒音が鳴ってたにしろ、なんとか体を慣らして働いたほうがいいよ」と言ったやつ。

もう前に一度書いたから、あんまり詳しく書かないけど、その人が病気になって、動けない状態で横たわっているところに行って、「どうして働かないんですか?」「働いたほうがいいですよ」「体調が悪いのはわかるけど、動けないなんていうのは、甘えだ」「外から、自分の姿を見たほうがいい」「おむつをしている赤ん坊じゃないのだから働ける」と言ってやる。「動けないのだからしかたがない」とその人が言ったら「動けないと思っているから、動けないんだ。動けると思えば、いくらでも動ける」と言ってやる。

2018年3月15日木曜日

僕の常識とは土台が違う

気違い家族に毎日たたられたことがない人が言うことを僕は、まったく信用できない。家族というのが問題なんだよ。家族というのが……。毎日おなじうちで、いっしょにすごしている人間であるということが、強烈に重要だ。

学校でいじめられても、学校でいじめられるだけなら、生活を一緒にしている家族にいじめられることとは違った意味を持つだろう。毎日、いっしょに暮らしているものが気違いだった場合……どういうことになるか? ここで言う気違いというのは、感覚がずれているということである。

感覚がずれているというのは、たとえば、大きな音で鳴らしているのに、大きな音だということを絶対に認めないというようなことだ。そして、さらに、認めないということを認めないということだ。この認めないということを認めないというのは、強烈だ。

常にやっているのに、やってると思ってない。心底!やっていると思ってない。けど、こだわりつくしてやる。絶対にやることが決まっていることで、絶対にやりきるのだけど、本人は、やっているさいちゅうも含めて(あたかも)やってないのとおなじ感覚しかもてない。どれだやっても、やってないのとおなじ「つもり」でいる。がめつく頑固にやっているのに、あたかも、やってない場合とおなじ認識でいる。やっているのに、やってない場合とおなじ認識しかしょうじない。

万力をぎちぎちに締め付けるような、真っ赤を顔してやっていることが同時に「やってないこと」なのである。こういうタイプの気違いおなじ家の中にふたりいる。これがどういうことか、そういう状態を経験した人以外、わからない。こだわりつくしてやっているのに、やってないと思っている……。

そんなことはあるはずがないのだけど、ある。気違い的な意地で絶対にゆずらないでやっていることが、同時にやってないことである……そんなことがあり得るはずがない。あり得るはずがないことなのだけど、あり得る。毎日、頑固にそうする気違いがいる。気違いは本当に「やったつもりがない」ままなのである。

で、これは、親父がやり始めたことで、手本は親父なのである。なにを言いたいかというと、うちでは気違い兄貴が、そういうことをやり始める一五年も前から、親父が普通にそういうことをしていたと言うことだ。「あたりまえ」なのである。「うちではあたりまえ」。「うちではあたりまえ」なんだけど、血相をかえて、気違い的な意地でやっているほうは「やってない」と思うことができる。

これが、うちではあたりまえに成り立っていたことだ。二四時間中二四時間、常にそういうことが成り立っている。

そりゃ、人格に根ざしたものだから、親父回路は親父回路で不変なんだよ。だから、親父は親父のやりかたでしか(世界)を認知しない。そりゃそうだろう。親父回路を搭載しているのに、親父回路ではない回路で世界を認知するなんてことはない。二四時間中二四時間、親父の頭の中には親父回路があるのだから、親父回路が世界を認知しするやり方でしか世界を認知でない。気違い兄貴もおなじだ。

で、よその人は、全員……ほぼ全員……そうではない家族といっしょにすごしてきたのである。どれだけの違いか。どれだけ、違うか。そりゃ、わからないよな。わかるわけがない。世の中の常識や、ある人が正論として語ることは……僕の常識とは土台が違うものなのである。

他の人にはもっともらしそうに聞こえることが、僕にはもっともらしいことに聞こえない。そりゃ、そうだろう。土台が違うのだから。

   *   *   *

感覚を切ったらそうなんだよ。場面場面がつながってないというのもある。親父も兄貴も、本人がやりたいことは、どれだけ他人がなにを言おうと、やりたいかたちに細部までこだわって、頑固にやる。けど、不都合なことは認めなくないんだよ。不都合なことは認めたくないという無意識があまりにも強くて、場面場面が、連続してない。つながってない。

不都合なことことを言われて、自分が怒ったら、もう、「言われなかった」ということになってしまう。不都合なことの内容は、それぐらいに、認めたくないことなのである。

逆上してはねのけたら、もう、そのシーンはなかったことになってしまうんだよ。相手が「やめてくれ」言ってきたという事実がなくなってしまう。現実認知から抜け落ちてしまう。そうなると、何万回言われても「知らなかった」ということになってしまう。本人は「うそ」をついているつもりがないのだけど、「言われなかった」「知らなかった」という「うそ」をつくことになる。

適切な反応を返さない人は幼稚なのではない

会社に新しい人が入ってきた場合、まあ、いろいろ話しかけるよなぁ。そして、話しかけたにもかかわらず、相手が返事をしなかったり、「ああ」とか「うう」とかわけのわからない短い言葉を発しただけだと、あんまりいい気持ちがしないというのも事実だ。話しかけても無視したり、あんまり意味のない返事しかしかない人には何種類かのタイプがある。

で、まあ、常識側の人は「せっかく、話しかけてやったのに、無視しやがって」とか「俺のことがきらいなのかな? それじゃ、わざわざ話しかけなくてもいいや」と思ったりもする。だから、返事をしなかった人に対してあんまりいい感じを持たないし、それ以降「話しかけよう」と思う気持ちがなくなる。これは、自然なことだと思う。

だから、別に悪くはない。

悪くはないけど、返事をしなかった人を「幼稚」とか「子供」とディするのはよくない。ディするというのはまあ、悪口を言うということだ。常識側の人も、その人に対してあんまりいい思いをもたないわけだから、悪口を言いたくなる気持ちもわからないではないけど、「人見知りというのは、社会人になったら言い訳にはなりませんよ」などとは言うべきではない。まず、本人が「自分は人見知りなので、(ちゃんと答えることができなくても)しかたがない」と言ったわけではないのに、「自分は人見知りなので、しかたがない」と思っていると思うのは、いかがなものかと思う。

幼稚とか子供とか、人見知りとかいったものではなくて、ほんとうに障害である可能性があるからだ。あるいは、障害ではなくても、ひどい状態を経験したために、人間に関して負の学習をしてしまった場合もある。負の学習に関しては、だれもが陥るところなので、常識側の人もいつそうなるかわからないところがある。

かりに、適切な答えを返すということを適切な答えを返す能力と仮定してみた場合、幼稚、子供、人見知りというのは、言ってみれば、最初からできないということを想定しているわけで、できていたことができなくなるといった場合を想定してない。普通に、「適切な答えを返すことができた人」が、ある日、できなくなるという場合がある。だから、この場合は、一旦はちゃんと発達してできていたわけだから「幼稚」「子供」「人見知り」というわけではない。

発達障害ではないけど、認知症というものについて考えてみよう。たとえば、六〇歳で認知症になった人は、五九歳までは「適切な答えを返すことができた」のである。だから、認知症になったあと「適切な答えを返すことができなかった」からといって、「幼稚」「子供」「人見知り」と決めつけるのは、間違いだと思う。認知症の場合は、「幼稚」「子供」「人見知り」ではないのであれば、なんらかの障害の場合は、どうだろうか?

   *   *   *

・場面緘黙症タイプ(内側は非常に発達していて、高度な思考にたえられるので、幼稚とか子供というわけではない。こういう人は、わかってない」わけではなくて、わかりすぎているのである。気がつかないわけではなくて、いろいろと気づいていることがありすぎて、緊張をうんでしまうのである。

なので、思考は高度に発達していて、なおかつ、空気が読めないというわけではない。読めるのだけど、気にしすぎてだめになるタイプだ。言ってみれば、他の人より、過剰にいろいろなものを読み取ってしまうので、緊張してあたふたして、うまく、答えを返せないという状態になってしまう。場面緘黙症タイプを「幼稚」「子供」などとディするほうが間違っている。場面緘黙症タイプを「幼稚」「子供」などと悪く言うほうが、それこそ、「人のことが考えられない幼稚な性格」なのではないかと思う。

   *   *   *

発達障害タイプ(相手に関心がないタイプ。相手が言っていることの本当の意味を読み取る能力は低い。言っていることを文字通りに理解してしまうために、「円滑なコミニュケーションをしましょう」という相手の意図がわからない場合がある。いずれにせよ、障害だとしたら「幼稚」「子供」など決めつけるのは、失礼だと思う。障害者を「幼稚」「子供」などとディするほうが、幼稚で子供だと思うなぁ。)

偏屈タイプ(コミニュケーションに関する特殊な考えをもっているので、主義として相手とのコミュニケーションをしないようにしているタイプ。これはけっこうめずらしい。けど、そういうタイプの人もいる。孤独を愛するタイプなので、ほっておこう。)

負の学習タイプ(場面緘黙症にかなり近い状態。親に問題がある人が多い。場面緘黙症をちょっと弱くした感じ。場面緘黙症にはいたらないけど、健常者と場面緘黙症者の中間あたりの存在。言語的には、じゅうぶんに発達していて、高度な思考にたえられるので、幼稚とか子供というわけではない。問題のある親とのコミュニケーションにつかれてしまったタイプ。あるいは、いやなことがたくさんありすぎて、コミュニケーションに前向きになれないタイプ。補足。こういうタイプはつらいことや不愉快なことを何回も何回も繰り返し経験してきたのではないか。普通の人よりも厳しい環境下で育ったと言えるのではないか。普通の人よりも、親に甘えることができなかった人が多いのではないかと思う。エビデンスはない。)

人見知りに関しては、テーマが大きすぎる。「幼稚」「子供」と「人見知り」では軸がちがいすぎる。人見知りはわりと壮大なテーマだよ。


   *   *   *

場面緘黙症タイプはほんとうにいろいろなことを気にしすぎておかしくなっているタイプだから、幼稚とはほど遠い。

ところで、話しかけたのに、無視して?反応を返さないというのは、「子供」だろうか? 「子供」は他人の働きかけに対して、反応を返している。たとえば、幼稚園の幼児は、先生の働きかけに対して反応を返しているし、他の園児の働きかけに対して反応を返している。

むしろ、ぎゃーっとわめいたり、泣いたり、飛び跳ねたりして、反応が過剰だ。子供は別に反応を返さないわけではないのである。なので、「反応を返さないので子供だ」と思う思考回路には、問題がある。

赤ん坊ですら、母親の働きかけにいろいろな反応を返している。赤ん坊、幼児、子供は、他者の働きかけに対していろいろな反応を返すのが、普通だ。

それでは、人見知りということについて考えてみると、人見知りである子供は、すでに人見知りなのである。だから、「反応を返さない」というのは、一般的な子供の特徴ではなくて、すでに人見知りである子供の特徴だということになる。

人見知りにも、いろいろなタイプがあると思う。人見知りというのは、たぶん、

   *   *   *

まあ、俺にしても、何回か話しかけたのに、無視されたり、「えっ」と思うような素っ気ない返事をされたりした場合、それ以上話しかけるのはやめようと思う。

けど、別に、「幼稚だ」「子供だ」と悪口を言う気にはなれない。その人が悪い人でなければ、折に触れて、なるべくコミュニケーションの輪に入れるように気を遣う。で、「幼稚だ」「子供だ」と言っている人は、「そういう気を遣わせるな(特別な配慮をしなければならないような気分にさせるな)」ということを言っているわけだろ。他人が自分に「気を遣うこと」を要求するなということを言っているわけだろ。

それは、ある意味正しい。

しかし、ほんとうにその「反応を返さない人が」そういうことを「要求」しているかどうかはわからない。「気を遣うことを要求」していた場合、そういうことを要求するのは、甘えだ(幼稚だ)と言いたいのだと思うけど、相手が「要求」してないのに、要求していると仮定して話をすすめるのは問題がある。実際には、「幼稚だ」「子供だ」と思っている人の頭のなかでは、それは、仮定されていることではなくて、断定されていることだ。だから、「甘えるな」という結論にいたるわけだから。

俺の考えでは、返事を返さなかった人は、別にそこまで要求してないと思う。ようするに、気を遣う場合は、気を遣いたい人が勝手にやっていることだ。だから、別に甘えでもなんでもない。実際に、その人が「もっと、僕に気を遣って話しかけてくださいよ」と要求してくるなら「甘え」だと思うけど、「話しかけてくるな」という態度なのだから、要求してないと考えるのが妥当だろう。

   *   *   *

それから、そういう人(「幼稚だ」「子供だ」と言う人)に限って、人のために生きる、人のために働くなんてことを言うんだよ。利他主義的なことを言うわけ。けど、実際の場面では、弱っている人?に気を遣うわけではなく、むしろ、「甘えんな」「ふざけんな」と敵意をむけてしまうのである。

  

普通のやつが敵になっちゃうんだもんな

こころがおどらないなぁ~~

どうするかな。



ここは、アクセスを無視したぼくの日記なので、自由に書かせてもらうけど、こころがおどらない。



まあ、理由はいろいろある。



どうなんだろう。書きたいことを書けなくなるといろいろ問題があるなぁ。世間の常識的な思考とヘビメタ騒音のリアルにはさまれてきついな。こんなの俺しかわからないことだからな。普通のやつが敵になっちゃうんだもんな。ヘビメタ騒音派生問題がでかすぎる。

2018年3月13日火曜日

子供に愛情持っている親もいるし、子供に愛情持ってない親もいる

これは、きつい。やっぱり、この現実はかわらないのか?

いま、幼稚園児がぎゃーぎゃーさわいでうるさいけど、こんなものじゃないのだ。もう、ほんとうに破壊的な騒音だった。ぜんぜん違う。普通の生活騒音とぜんぜん違う。どうしてもつらい。鳴らされているあいだじゅう、どうしてもつらい。無視して勉強するということが、どうしてもできなかった。破壊的な音だから。

気違い兄貴よ! おまえ、カオ君が一分で理解したことを、何十年も絶対に認めないで理解してないわけだからな。気違い兄貴の音は、気違い兄貴が最大限ゆずってやったつもりの時間も含めて、強烈にデカイ。物理的に強烈にデカイ。だから、気違い兄貴にしたって、いま住んでいるところでは、ヘッドホンをして鳴らしているんだろ。

どうして弟の人生なら破壊してもいいんだよ。

一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、一四年間にわたって、毎日、破壊的な音で鳴らしていた。どれだけ言っても、親父のタイトでしりぞけて、頑固に鳴らしていた。兄貴が鳴らしたい音に執着して鳴らしていた。だから、デカイ音で鳴らしてないわけじゃないんだよ。

『静かにしてくれ』と言われた後も、デカイデカイ音で鳴らしていた。

それが兄貴のスタンダードだ。
毎日やったことだ。

毎日、毎時間毎分毎秒、頑固にやったことだ。本当にゆずるなんていうのは、絶対にあり得ないことなのである。一秒間ほんとうにゆずってやらなければならないとなったら「うちでは」もう、発狂するほど腹が立つんだよ。

一秒間、ヘッドホンをしてゆずってやらなければならないということを押しつけられて、一秒間ヘッドホンをしたら、一秒間発狂するほど腹を立てて「もう、こんなのやってられるか!!!」という気持ちになるんだよ。

だから、絶対に、一秒だってゆずらずに鳴らした。

ほんとうには絶対にゆずらない。
親父とおなじだからな。

本人が、発狂して「しりぞけたら」もう、一切合切関係がなくなってしまう。感覚的に一切合切関係がない存在になってしまう。発狂して相手の言い分をしりぞけたら、もう、ほんとうに「やったってやってない」の境地に入ってしまうのである。

ほんとうは、言われた後、意地になってやっているのに……発狂的意地で、ゆずらずにやっているのに……まったくやってないという気持ちになってしまう。また、「ぜんぜん言われなかったから知らない」という気持ちになってしまう。

「やるな」と言われたあと、一二時間やったら、一二時間やったんだ。「デカイ音で鳴らすな」と言われたあと、一二時間、デカイ音で鳴らしたら、一二時間デカイ音で鳴らしたということになる。事実そうしたわけだから。

けど、執着してやりきった兄貴のほうは、ぜんぜんやってないつもりなのである。『鳴らしてないつもり』なのである。デカイ音で鳴らしてないと思っている一二時間なのである。

こういうのが、ほんとうに『常識的な人』にはわからない。

だから、俺が悪く言われる。

「そんなの、言わないからダメなんだ』『問題解決能力がないんじゃないの』と。『そんなことってあるのかな』『そんな人っているのかな』と思われる。気違い兄貴の態度があまりにも変だから、そういうふうに思われる。

気違い兄貴だって親父にさんざんやられたのに、俺には、親父の態度でさんざんやって、気がつかないんだからな。本人が気がつかなければ、固執して頑固に一四年間、毎日やったことで、一日もやったことじゃないんだ。

『そんなの知らない』『そんなんじゃない』『静かにしてやった』と平気で嘘をつける。鳴らしているときから、そういう態度だ。現在進行形で鳴らしているときの態度がそういう態度だ。これ、ほんとう普通の常識的な家で生まれ育った人には、根本からわからないんだろうな。

だから、『話し合えばいい』『言えばわかってくれる』と間違った前提に立って間違ったことを言う。けど、『人間はこうだ』『家族はこうだ』『親はこうだ』という考えをもっている人は、これまた、絶対に例外があるということを認めない。認めようとしない。これは、ちょっと話がずれるけど、言っておこう。

たとえば、「子供を愛してない親なんていない」「子供に愛着感じない親なんていない」ということを言う人たちがいる。けど、その人たちはぜんぜんわかってない。たとえば、うちの父親は、親として愛情がない。父親としての愛情がない。

けど、「子供に愛着感じない親なんていない」という人たちは、それを否定する。父親自身が、本人が一歳の時に、母親も父親もこの世にいなかったので、親から愛情を受けたことがないのだ。

で、うちの父親にとって、『家』というのは、虐待された『家』でしかない。ロールモデルが完全にない。欠如している。そりゃ、親が(理由もなく)虐待してきたら、親というのは、虐待してくるものだと思うだろ。理由もなくというのは、ほんとうに理由もなくなんだよ。

その場面に応じた理由はない。

父親が、ようするに、その親代わりの人たちにとって、いらない子供だったんだよ。だから、愛情はない。逆に食い物がないのに、食い物を与えなければならないということで、(その『家』の親が)(赤ん坊の父親を)うらんでいる。

怒りの対象になる。

駆け落ちして縁が切れた(親戚)のこどもなんて、金のないその『家』にとっては、邪魔な存在しでしかないんだよ。だから、愛情はない。こういうことを言うと『そんなのは親じゃない』とか言い出す人がいる。

けど、それは、言ってはいけないことだ。生物的な親、社会的な親の話をしているのだから、生物的な親、社会的な親であれば、親なんだよ。

「愛情がないのは親じゃない」とか言い出す。そういうことを言ったら、話しの根底がめちゃくちゃになるだろ。俺が言いたいのは、「すべての親が子供に愛情持っている」という幻想はよくないということだ。

例外がいる。
例外を認めないのはよくない。

子供に愛情持っている親もいるし、子供に愛情持ってない親もいるのだ。これが現実なのに、「子供に愛情持ってない親はいない」という間違った幻想を持ち込んで、『例外』を追い詰める。『例外』が言っていることを認めない。これは、よくないことなんだよ。『例外』というのは、『例外的な人』という意味ね。

「すべての親は子供に愛情を持っている」という仮説に立つと、説明ができない事象があるんだよ。だから、そういう事象を認めずに、間違った理論で、例外的な人をまるこめこもうとするのは、よくないことだ。

「実は、親は愛情があったのに、子供がそれに気がつかなかっただけだ」とか「実は、親は愛情があったのに、ちょっとしたボタンの掛け違いで、それを表現できなかっただけだ」とか「子供ほうの気持ちが、親の行動になってあらわれたのだ」というような説明をする。はっきり言って、そういうケースもあるだろう。最初からそういうケースがあると言うことは認めている。けど、そうじゃないケースもあるのだ。だから、そうじゃないケースである人は、そういう「説明」を聞いたときに、違和感をおぼえる。そして、自我・意識側がそういう解釈をしようとすると、真実を知っている無意識側があばれだすということになってしまう。そうなると、自我は安定せず不安な気持ちになる。あるいは、さまざまな身体症状がしょうじる。だから、例外的な人の場合は、そうだったという残念な現実を認めなければならない。まあ、認めなくても、いいけどさ。そういう場合は、やはり、神経症的な症状に苦しむことになると思う。(むかしの言い方で心身症を含む)。

「ほんとうは、愛情があったのに、不器用な父親がその愛情をあらわすことができず、子供がある事件をきっかけに父親は自分を愛していないと誤解した」……そういうケースもあるだろうけど、そうじゃない場合もあるんだよ。だから、すべての場合、お涙ちょうだいケースだということはない。あたっている場合もあるけど、あたってない場合もある。

2018年3月12日月曜日

起きたとき、めちゃくちゃな気分になる

ほんとうにヘビメタに殺された。気違いヘビメタにやられた。この不安はない。

   *   *   *

いやー、起きたとき、めちゃくちゃな気分になるなぁ。死ぬなぁ。あの雰囲気はない。起きたとき、まだ暗かったんだけど、今日はゴミ出しに行かなければならないと思ったら、気違いヘビメタ騒音の朝とおなじ気分になった。あんな気分でいいわけがないだろ。

ほんとうに無慈悲に、やりたいだけやりやがって。どれだけなにを言っても、絶対に一分もヘッドホンをしてくれなかった。こだわりのデカイ音で鳴らし続けた。それが気違い兄貴がこの世でずっとやってきたことだ。どうして否定する? 『そんなつもりじゃなかった』『静かにしてやった』……嘘をつくなよ。で、嘘をついているつもりがないんだろ。そういう状態で、どれだけ怒鳴り込んでも、一秒もゆずらずに鳴らしてたんだよ。全部の時間、自分が好きな音で鳴らすことができれば、体感的にはゼロなんだ。我慢したことがないから、……ほんとうに我慢したことがないから……全部の時間、自分の好きな音で鳴らすことができたから……記憶にないだけ……なんだよ。気違い兄貴のつもりがないというのは、そういうことだから。……あとは、気違い的なことなんだけど『こんなことになるとは、思わなかった』なんて、兄貴の嫁さんの前で兄貴が言っているんだけど、『なる』と思って、一分でも長く、ヘッドホンをして静かにしてくれればよかっただろ。ヘッドホンをつけると感じが出ない……それだけの理由で、弟の人生を破壊した気分はどうだ? どのみち、なにもやってないつもりのままだろ。そういう感じ!そういう状態で、実際にやれるなら、自分が好きな音でガンガン鳴らしてたんだよ。こっちが、中間テストだろうが期末テストだろうが、一分だって、一秒だって、ヘッドホンをして静かにしてくれたことがないね。いい加減、静かにしてやらなかったということを認めたらどうだ。嫁さんの前で! 部外者の前で!! よそのひとの前で!! これ、うちの人なら、どうでもいいんだよ。そういうのが、親父とおなじなんだよ。そっくりなんだよ。うちの人にはどう思われてもいいから、丸出しでやる。ムキダシ!! ほんとうムキダシ!! 意地のムキダシ!!! 一秒だって絶対にゆずってやるものか!!!というムキダシ!! 一秒だって絶対ゆずってやるものか!!という気持ちが、やっているあいだじゅう、ずっと続くんだよ。だから、ほんとうに一秒もゆずらないで鳴らし切ることができる。それで、「つもりがないまま」だ。本人は、「つもりがないまま」なのである。どれだけ言われたって、親父の態度ではねのけて、親父の感覚で「なかったことになる」。自分が発狂して、自分の意地を通したら、もう、それで、「言われなかった」ということになってしまう。だから、どれだけ言われたって「知らなかった」「言われなかった」という感覚のままだ。認知のままだ。それで、鳴らしているんだよ。それでやりきっている。だから、どこまでも、「知らないまま」やり続けることができる。「言われたって言われてないのとまったくおなじ」だから。そういう瞬間!!が常に成り立っている。だから、一四年以上そういう風な態度でやり続けても、本人はまったくやったつもりもなければ、言われたつもりもないという状態なんだよ。気違い認知だとそうなる。

気違い親父のハンダゴテとおなじで、自分にとって不都合なことを言われたら、その瞬間に怒り狂って、「言われた」ということを忘れてしまう。認知しないのである。だから、どれだけ言われたって、言われたことに鳴らない。こういうしつこさが、並みじゃない。で、こういう態度が、ごく自然に成り立っている。ごく自然に二四時間中二四時間、いついかなる時も成り立っている。だから、やっているときは、そういう態度でやって、やり終わったら、そういう態度で「やらなかった」ということにしてしまう。「そんなんじゃない」のである。気違い兄貴の意識のなかでは、つねに「そんなんじゃない」のである。けど、気違い兄貴の行動は、常にそういう行動なのである。気違い兄貴の態度は、常にそういう態度なのである。気違い兄貴の感覚は、常にそういう感覚なのである。だから、押し通す。そして、一四年以上、毎日、本人が意地になって意地になってやったことを、否定する。否定するとなったら、今度は、そういう感覚、そういう態度、そういう認知で、おなじように否定するんだよ。頑固さがおなじ。やったときのままの頑固さで、今度は、執着して執着して執着してやったことを、否定する。おなじ!!

   *   *   *

気にする必要はないと言われても、ヘビメタ騒音は気になる。これは気にすることにしようと思って気にしたことじゃないのである。これも、どれだけ言ってもわからないのか? こんな簡単なこと!

   *   *   *

深夜眠れない状態が、何千日も繰り返されていいわけがないだろ。影響、あたえるよ。あたえるに決まっているだろ。これも、過去のことは影響がないとか、気楽な人たちが言う。そういう人たちは、実際にやられてない。だから、そういうことが言える。けど、『だからそういうことが言える』という態度は、やられてしまって、社会的な地位がない状態だと、グチを言っているようにしか思われないのである。何千日もやられたことが、(いま現在に)影響を与えることがあるというのは、事実だ。

生活習慣病だって、一日の量はたいしたことがなくても、何十年と続けて毎日やっていれば、そういう病気になるということを如実に示している出はないか。毎日、何千日も続いたことが、『現在』に影響を与えることはないと、どうして言い切れる? そっちのほうが、不自然な考え方じゃないか。「過去は現在に影響を与えない」というのは、不自然な考え方なのである。どうして、これがわからないか。

手短に言って、ヘビメタ騒音の影響は、一日の量を考えても、軽いものではない。「たいしたことがない」とは言えない。毎日午後一一時一一分まで続く、一日六時間から一四時間のヘビメタ騒音は、非常に深刻な影響を与える。

   *   *   *
ダイヤ、お母さん、無理だって言ってるだろ。できないって言っているだろ。

2018年3月10日土曜日

俺が兄貴を殺さずに我慢したといこうとが奇蹟なんだよ

頭が混乱する。ヘビメタ騒音の雰囲気だ。どれだけ、やられたか! どれだけ。この不安はない。それから、なんか手続きで失敗したり、パスワードを不正に読み取られた可能性などが生じてしまった場合、ヘビメタ騒音のなかで不安になっていた雰囲気が復活してしまう。頭が混乱する。これ、ほんとう、どれだけ。

それから、特に(4)を理解してない他人なんだけど、「おまえ、ほんとうに、自分がやられたら、どんな状態になると思っているんだ?」と言ってやりたい。声を大にして言ってやりたい。

気違い兄貴、おまえが、気違い親父の頑固さで、気違い的にでかい音を鳴らし続けるから、こういうことになるんだぞ。おまえ、ほんとうにゆるさない。

これ、特に(4)を理解してない人は、俺が弱い人間だと思うのだ。弱いから『ちょっとの騒音』でそうなると思っているのだ。そういうところがある。けど、違う。俺は、強いほうだった。

けど、ヘビメタ騒音がでかすぎるのである。おまえ、デカイ幼稚園の横が、どれだけうるさいと思っているんだよ? そういうことも、ほんとうに想像できないんだろうな。ああ、(4)について疑問に思うやつは、(1)や(2)についても、疑問に思うんだよ。

そいつらは、たいした音で鳴ってなかったのに、俺が騒音に弱いから、大きな影響を受けたと考えるんだよ。けど、それはちがう。これ、ほんとうに、こういうことばかりなんだよ。

非常識なでかい音を、他の人が信じられないような非常識な態度で、鳴らすから他の人が「ご・か・い」する。ほんとうに、誤解だから。単なる誤解なんだよ。真実じゃない。

(1)(2)(3)(4)に疑問を持って俺が言ったことをそのまま信じないやつは、まるまるしてやりたい。ほんとうにゆるせない。こいつら、ほんとうに人を見下しやがって。

気違い兄貴が、あの非常識な音で、あの非常識な態度で、考えられないぐらい長い期間、気違いヘビメタを鳴らすことにこだわらなければ、こんな目に遭わされることはなかったと思う。

気違い兄貴の態度がわからないから、気違い兄貴がやったこと……実際にやったことに対して疑問を持つやつらが出てくる。そういう人と、うまくいくわけがないでしょ。

これ、屈辱なんだよ。

いちいち、屈辱だ。

いままであってきた人のなかで、ほんとうにヘビメタ騒音の効果がわかる人は、六ヶ月間、ヘビメタ騒音をやられたことがある人だけだ。その人はわかっている。

けど、他の人はわかってない。どれだけつもるかわかってない。俺は、強いほうなんだよ。刺激が強すぎたのと、刺激が続く期間が長すぎたから、過労死寸前みたいな状態になっている。

そりゃ、気違いヘビメタ騒音を午後一一時一一分まで浴びたあとは、午前四時ぐらいになるまで、眠れない。成長期に、こういう目に遭っていいわけがないだろ。気違い兄貴のせいで、身長の伸びがとまった。あいつが鳴らさなければ、午前二時ぐらいに多く放出される成長ホルモンで身長があと一〇センチぐらい伸びていた。

当時好きだった女の子が、一七〇センチぐらいあったので、コンプレックスが半端じゃない。まあ、それは、いいとして……。これ、ほんとうに、俺が弱いわけじゃないのだ。

あとそれから、ちょっとだけ思いだしたから言っておくけど、『もしほんとうなら、もっとグチャグチャになっている』と言って俺の言ったことを信じなかったやつがいる。これは、『どれだけやられたって言ったってたいしたことはないだろうといったやつとは、反対の考え方なんだよね。グチャグチャって、もう、なんか、見るからにおかしそうな人になっているということだから……。見るからにおかしそうなぐちゃぐちゃな人になってないから、真実じゃないんだろうという考え方、見なし方なんだよ。

間違っている。

気違い兄貴が親父の態度で、やりきって、親父の態度で無視して、親父の態度でやってないと思っているから、俺が、誤解を受けるんだぞ。それは、気違い兄貴が、誤解を受けたときとおなじだ。気違い兄貴がハンダゴテのことで誤解を受けたときとおなじだ。

「こんなのが使えると思っているなんて信じられない。なんてまぬけなやつだ。これが使えるように見えるのかよ」「大人なら、絶対にちゃんと言えば、わかるはずだ。おまえがちゃんと(お父さんに)言わなかったから、お父さんがわからなかっただけだろ」……全部間違っているんだけどね。

この人たちは、親父の態度と、親父の認知と、親父の感覚と、親父の無視がわかってない。だから、間違ったことを言う。おんなじなんだよ。

世間の人は、うちで、兄貴がどれだけの意地でやったかわかってないから、そういうことを言う。まるで俺が、騒音に弱いから、だめなんだみたいな思うやつが出てくる。どれだけやられたって、朝起きることができないから、働くことができないなんてなんていうのはあまえている」と思う。

そいつらが、気違いヘビメタを毎日午後一一時一一分まで、あの音のでかさでやられたら、たぶん、中学に通うことすらできないと思う。中学中退になっていると思う。それか、世をはかなんで、自殺していると思う。そういうでかいことなんだよ。そういうことなんだよ。ほんとうにわかってない。

あとは、俺が「うらみごと」を書いているので、こわい人だと思っている人がいるけど、これも、おかしい。実際におなじことをおなじ期間の長さ毎日やられれば、どういうことなのか、身をもってわかる。そういう人は、中学一年生あたりに、気違い兄貴を殺して(罪は問われないけど犯罪者になって)暮らしていると思う。俺が兄貴を殺さずに我慢したといこうとが奇蹟なんだよ。

あんなことを毎日やられて、自分の人生が台無しになって、それでいいはずがないだろ。それで、まるで「うらみごと」を言わずに、自分の状態に絶えられる人なんているわけがないだろ。俺は天使でも神様でもないんだよ。あんなのにたえられるわけがないだろ。ほんとうに、勝手に見くびって誤解しやがって……。勝手にハンディの量を間違えて、俺があまえているように言いやがって。自分がおなじことをされてみろ。

2018年3月9日金曜日

溝を感じる

あーあ、つまんない。こんなにすばらしい人間が……。こんなにいい男が……。もったいない。もったいない。



ヘビメタ騒音がなければどんなことができたんだろう。

ヘビメタ騒音がなければどんな人生を歩むことかできたんだろう。



つまんない。つまんない。



最高につまらない。

どうしてもつまらない。



ヘビメタ騒音さえ一四年間四ヶ月も続かなければ……。





正直に書いてしまうとこんな感じになる。



おもしろくないんだよね。あとは、ぼくは、なんか今年はだめそうだから、金を使おっかな。金を使うことを覚悟すれば、それなりに新しいことができる。たとえば、新しいアドビ製品をいじることができる。月五〇〇〇円の覚悟ができない。



払えるんだけどね。貯金をやめれば、ある程度は、使える。

どうするかな。ほんとう、つまらないんだよ。



で、また、買ったとしても、そんなにうれしくないんだよ。なにかを買ったとしてもそんなにうれしくない。



   *   *   *



あとは、オーバーロードの第二シーズンを見たけど、おもしろくないな。今期は、いろいろと充実している。見るやつが四本ぐらいはある。



   *   *   *

雨がしとしと降っている……。

つまんないんだよ。つまんない。あーあ。

なんか、こう、やる気が欲しい。

楽しいことをやりたいという希望が欲しい。

暗いんだよね。「やりたいこと」も含めて暗い。

ほんとうにヘビメタ騒音で希望ごとなくなった。

この人生の時間の「あれ」はない。ひどすぎる。気違いヘビメタ騒音にさらされていた時間……くるしかった。とつもなく、くるしかった。すべてが崩壊した。全部、時間をかけて、だんだんだめになる。一〇年かかった。けど、一〇年で崩壊した。これ、ほんとうに、他の人はわからないんだよな。わかるわけがない。だから、(4)を理解しないで、適当なことを言いやがる。そりゃ、経験してないのだから、わからないのはしかたがないけど、なんて言うのかな?……それ自体が……なんて言うのかな……ぼくと世間の対立構造を生み出しているんだよな。そりゃ、わからないひとはわからないわけだから。自分の身をもって経験しなければわからないことがありすぎる。俺がどんな状態で暮らしていたか……だれもわからない。どんな状態で暮らしてきたと思っているんだよ。どれだけ不利な状態で暮らしてきたと思っているんだよ。ものすごくデカイハンディがあるのに、そのハンディについて他の人に説明しても他の人はまったくわからないという状態なんだぞ。ヘビメタ騒音のハンディが、どれだけたたったか。ヘビメタ騒音なんて、……そりゃ、説明されれば少しはわかるけど……そのわかり方……理解のししかたは、経験から得られる理解の一%ぐらいでしかないんだよな。九九%は、まったくわからない。だから、その一%の理解でものを言う。ようするに、一%ぐらいのハンディしかわからないから、なんとだって好きなように正論を吐くことができる。けど、ほんとうにやられてみろ。ほんとうにやられてそんなことが言えるか? あの騒音が一〇年続いた時点で、すべての正論が無意味化する。無意味になる。……ハンディのほとんどを知らない人の正論は無意味なんだよ。けど、正論を言う人には、正論を言うだけの意味がある。これは、ヘビメタ騒音の経験から俺が言っていることとおなじで、その人の経験してきたことから、その人が言っていることだから、その人にとっては、『根拠』があるものなのだよ。だから、もう、そこから違ってしまっている。家族の中に気違いがいて、毎日やられる状態というのは、普通の人にはわからない。まったくわからない。だから、「ヘビメタ騒音が鳴っていたとしても遅刻をしないで毎日通うことはできるのだからするべきだ」という考えにこだわる。実際にさらされてない人、実際に経験してない人にとってみれば、ヘビメタ騒音なんてものはそういうものでしかないのである。「ともかく」「いいから」という言葉が続く。「ともかく、遅刻しないで」。「ともかく、宿題をやってきて」……もう、小学生のときから、何回言われたか。「だから、ヘビメタ騒音でできないと言っているだろ」……こういう内容のことを言っても……「ともかく」と言われる。「ヘビメタ騒音のことは、お兄さんに言えばいい」……「さんざん言っているんだけど、静かにしてくれない」……「ともかく、まるまるをちゃんとやってください」。……「だから……」。こういう問答になってしまう。まあ、「イエノモンダイ」に介入するのがいやなのだろう。かかわりたくないのだろう。あるいは、「家族で話し合えば、そんなのはすぐに解決する」と本気で思っているのだろう。ちがうのに……。いまですら、そうなんだからな。「お兄さんと話し合えばいい」……。どんだけ、こういう言葉で傷つくか。溝を感じるか。こういう反応をしたやつが、また、「どうして、人に相談しなかったんだ」なんて言いやがるんだからな。家族が気違いであるということがわかってない。感覚がずれた人だということがわかってない。気違い兄貴や、気違い親父になんらかの「はなし」が通じると思っている。そこからして間違いなんだよ。そこからして、わかってない。大きな誤解をしている。けど、ほとんどがそういう人だ。そりゃ、家族に気違いがいる人なんて少ないわけだから……。そして、その気違いが、ようするに「うちでだけ狂う気違い」である人なんて、めちゃくちゃに少ないわけだから、わかるわけがない。「家族で話し合えばいい」……溝を感じる。そりゃ、感じるだろ。感じないわけがない。「ああ、この人もまるで理解しないんだな」と思う。

ヘビメタ騒音で感情が死んでいるからだめだ。


この先どうするか。いずれにせよ、ヘビメタ騒音で感情が死んでいるからだめだ。どんだけのことだったか。他の人にはわからない。

2018年3月8日木曜日

『金は使うほど入ってくる』教 ほんとうはうつわの問題じゃない

金は使うほど入ってくる……みたいな暗示があるでしょ。もし、金を使えば使うほど金が入ってくるのであれば、破産する人なんていない。

もし、ほんとうに金は使うほど入ってくるということが正しいのであれば、金遣いが荒い人がほめられて、浪費家は、賞賛される。けど、実際には、そうならない。浪費家は「無駄遣いはやめたほうがいいのではないか」と他人から言われるような存在だ。


けど、そういうことを言うと、それは、『お金に対応したうつわがないからだ』なんてことを言い出す。お金に対応した大きなうつわがある人のところにはお金がばんばん入ってくるけど、小さなうつわしかない人のところにはお金が入ってこない。……こんなふうに言う。

けど、これは、トートロジーに近い。実際に、金が入ってくれば、うつわが大きい人だということになって、実際に金が入ってこなければ、うつわが小さい人だということになる。

だから、結果から、「うつわ」という妄想的な仮想的な目に見えないものを想定することになる結果に原因がふくまれている。最初から~~。というわけで、いちおうは、人が納得するような答えをもっているのだけど、それは、ごまかしただけだ。



実際、奥さん?が、『金は使うほど入ってくる』教にはいってしまって、旦那の金をばんばん使ってしまうというようなことが発生している。奥さんは、『うつわが大きくなれば、金は入ってくるから心配ない』と言うわけ。けど、けっきょく、奥さんは旦那の金を使っている。だから、旦那としては、ほうってはおけないわけ。

奥さんが使うことで、ほんとうに、旦那さんの金のうつわが大きくなってお金が入ってくればいいけど、実際にはそうならない場合が多い。だって、うつわというのは、結果から想定された目に見えないものであるわけだから。まあ、金を使えば使うほど、旦那さんの『金のうつわ』が大きくなればいいのだけど、そうではないから、問題になる。家族間のトラブルに発展する。


『金は使うほど入ってくる』と言っている人は、ちゃんと金儲けをしている。「使う」こと以外の金儲けをしている。ちゃんと、金が入る道筋をもっている。しかし、道筋をもってない人もいる。しかし、「使えば入ってくる」という言い方だと、道筋をもっている人のところにも、道筋をもってない人のところにも、すべての金を使う人のところには、金が入ってくるという印象を与える。さらに『金は使うほど入ってくる』という言い方の中には、『使う』ことで、『金運があがって儲かる』というようなことがふくまれている。しかし、これは『入ってくる』と『儲かる』を言い換えただけだ。



金を使えば使うほど、金が入ってくるのであれば、途端にインフレーションになってしまう。実際には、自己破産する人や借金する人がいるということは、使っても、(その分だけ)お金が入ってくるということではないということを、示している。明示している。暗示じゃない! 明らかに示している。けど、そういうのは、無視なんだ。



だいたい、『金は使うほど入ってくる』と言っている人は、それで!お金を儲けている。『金は使うほど入ってくる』教に入信した人が、ばんばんお金を払ってくれるので、その人のところにはたしかにお金がばんばん入ってくる。けど、入信した人のところは『金は使うほど入ってくる』と言うことで、お金が入ってくるということがない。どうしてなら、そういうしくみがないからだ。だから、だまされる。

ほかに金が入ってくるしくみがあるんだよ。『金は使うほど入ってくる』と言う人は、『金は使うほど入ってくる』と言うことで儲けるか、他のことで儲けるパイプ(道筋)がある。だから、言葉だけに頼って、そういうパイプがない人が金を使っても、ただの浪費家になるだけだ。最悪の場合、破産してしまう。



なんでこれがわからないのか?


『金は使うほど入ってくる』教の教祖のキャッシュポイントは実は、化粧品やダイエット食品など、安く作れて、高く売れるものを、作って売っているから!なのかもしれないのだ。美肌系の下地クリームや液体は、ほんとうに安く作れる。たとえば、一本一〇円で作れるものを、二万で売れば、一万九千九百円儲かる。これは、パソコンのように、作るのに金がかかるものではない。だから、この場合は、安く作って高く売ることができればお金は入ってくるというべきなのだ。けど、それをそのようには言わずに、『金は使うほど入ってくる』と言うわけだ。実際に教祖は金を儲けているから、たくさん使うことだってできる。そうすると、見かけ上は、『たくさん使うから、たくさん入ってくる』ように見える。しかし、ほんとうは、『安く作って高く売る』から、たくさん(お金が)入ってくるだけだ。

   *   *   *

それから、『金は使うほど入ってくる』という人は、いかにも「ひとのため」にそういう考えをひろめている(教えている)ということになっているけど、『金は使うほど入ってくる』と言えば言うほど、その人のところ金が入ってくるのだから、ある種、利己主義だ。実際には、たんなる浪費家になって家庭内でトラブルを起こす人や破産する人を増やしているだけなので、利他主義とは言えない。さきのたとえを使えば「安く作って高く売れるもの」を教えてあげればいいわけだ。ほんとうに利他主義なのであれば、肝要なことを教えてあげるべきだ。けど、肝要じゃないことを教えてあげて、お金をとる。だから、あんまり、利他主義とは言えない。

こういう人が「ひとのため」「ひとのため」と言って、お金を儲ける。

   *   *   *

この文章を読んだ人は、『金は使うほど入ってくる』というまやかしの理論にまどわされて浪費することをさけることができるので、ラッキーです!

『安く作って高く売る』ということを実践すれば、金は入ってきます。確実に入ってくる。

(注解)「うつわ」というのは、(目に見えない)ポテンシャルな能力みたいなものとしてあつかわれるわけだけど、(目に見えない)ポテンシャルな能力じゃない。結果が、うつわの大きさを示している。ポテンシャルな能力値みたいに言うから、人々が惑わされる。
器が大きい→ポテンシャルな能力が高い
器が小さい→ポテンシャルな能力が低い



   *   *   *

2018年3月7日水曜日

まあ、関係がない人には関係がないけどね。

俺、つまんない。

つまんない一日が終わった。



ほんとうにヘビメタ騒音のことでくるしい。



まあ、関係がない人には関係がないけどね。



なんとか、楽しくできないかな?

なんとか楽しく、目標を持って……。

もう、はんべそだ。あれが、頭の中に残っている。

どうしても、ぬけない。

   *   *   *
あのときの、あれ、ない。
いま鳴っている時間帯だ。
どれだけ言ってもやめてくれなかった。
あんなデカイ音で鳴らして鳴らしているつもりがないのかよ。兄貴は、とことん、親父だな。やり方が親父とまったくおなじ。自分が親父に親父のやり方でやられたら、ものすごく腹を立てていたのに、自分は、弟に対して、親父のやり方で頑固に頑固にやって、親父のやり方でやってないと思っているわけだからな。「やってない」と思っていたと思うと、気違い兄貴の態度が納得のいくものになる。気違い兄貴の発言が納得がいくものになる。おかしいよ! あんなのは、おかしい。

まあ、他人なら、気にしないで』とか『過去は関係がない』とか言えるけど、ぼくはやられた本人だからそんなことは言えない。他の人は、『うらみをもつな』『人のせいにするな』とまるで、天使か神でなければたえられないようなことを言うけど、ぼくは生身の人間で、たえられない。これ、ずっと、小学六年生のときから続いているんだよな。ずっと、こういう状態だ。どれだけ言っても、絶対の意地で無視して、頑固に鳴らしてまったく静かにしてくれなかった!!

ほんとうにしんどい。あの態度はない! あの態度はないぞ! ほんとう!おかしい!! おかしすぎる!! あまがおかしい。親父よりおかしい。親父より長い時間、ようするに、発狂状態でたたりやがって……。まったくたたってないつもりなのかよ? 気違い兄貴が、やったことなんだよ。これ、親父のように、気違い兄貴がまったくわかってないんだよな。誰か他の人がやったことだと思っている。だから、自分は『そんなことをされなくて良かった』とまじで思っているところがある。自分は、そんなことをされずに、勉強したいときに勉強できてよかった。そんなんじゃなくてよかった……と思っているところがある。ヘビメタ騒音はいじめではないけど、いじめだとすると、俺が他のやつにいじめられているような感じなんだよ。自分がいじめているのにぜんぜん気がつかない。「へへーん、しらないよー」って感じだよ。怒りモードと無関心モードと気楽モードがあるんだけど、気違い兄貴がやっていることで、こっちが困っているのに、それをそのようには理解せずに、自分がやっていることとは切り離して、誰か他の人がやっているように感じているところがあるんだよな。そういう意味で自分が関わっている感じがしないのである。どれだけ、『兄貴の騒音が問題だ』『兄貴の騒音で困っている』ということを言われても、一切合切関係している感じ自体がしない。自分がやっていることと、だから、弟か『うるさいから静かにしてくれ』と言ってきたことが、まったく結びつかないんだよな。うるさくしているのは、誰か他の人だと思っているような無関心さがある。「しらないよー」「ばっかでー」「どうして、またせてんだよ」「どうして、宿題をやっていかないんだよ」「どうして、遅刻するんだよ」「そんなの、やっておけばいいだろ」……気違い兄貴のヘビメタ騒音のせいで、人を待たせているんだよ。気違い兄貴のヘビメタ荘麻植のせいで、宿題ができないんだよ。何回も『宿題をやるから静かにしてくれ』と言っているのに、一四時間鳴らせるのであれば、一四時間、きっかり、一秒もゆずらないで鳴らしていたのが気違い兄貴だ。「どうして、遅刻するのか?」気違い兄貴がヘビメタ騒音を鳴らしているからだよ。ヘビメタ騒音で夜眠れなくなるからだよ。俺はさんざん言っているんだぞ。俺は、さんざん言っているんだぞ。気違い兄貴が言われたときに、『そんなの関係がない』という気持ちになって無視しているだけだろ。自分が鳴らしたいわけだから、自分が鳴らしたいときに、自分が制限されるようなことを言われとる、親父のように真っ赤な顔して怒って、それで、絶対にゆずらないでやりきるという行動をとっていたんだよ。だから、俺は困っていたんだよ。それなのに、まるでつもりがないんだよな。やっているのに!! これ、ほんとう、親父とおなじなんだよな。あれ、頭の構造がほんとうに親父とおなじなんだよな。やっていることがほんとうに親父とおなじなんだよな。『やめてくれ』と言われたときの現実無視感覚と、わき起こる感情がおなじなんだよ。『やめてくれ』と言われたら、発狂モードでやりきって、絶対にゆずらないよ。あれで、ゆずったつもりだったのかよ。統合失調症者もびっくりだよ。掲示板の荒らしもびっくりだよ。そんなわけはない。あんなに意地なにって、不退転の決意で、顔を真っ赤にしてやりきったのに……やったつもりかないとか、そんなのはない。ないけど、つねにそうだったんだな。

気違い兄貴よ! おまえ、たとえば、気違い親父が「どうしてそんなハンダゴテをもっていたったんだよ?」って言ったらどう思うよ? 気違い兄貴の「どうして、またせてんだよ」はそれと同じ意味を持つ発言だぞ。親父とおなじ頭の構造をもっているのであれば、こんなことを、どれだけ言ってもまったくわからないと思うけど、気違い兄貴の態度はひどい。あんなのない。あんな迷惑な音で鳴らしておいて、まったく迷惑をかけたつもりがないんだよな。どれだけ『勉強の邪魔だからやめてくれ』『これから勉強するからやめてくれ』と言われても、まったくやめる気持ちになれなかった。一秒だってほんとうにゆずるのはいやだった。ほんとうにゆずると鳴ったら、発狂するほど腹が立つ。考えるだけで発狂してしまう……そういう拒絶なんだよ。一切合切静かにしてやるつもりがなかった。これが本当の話だろ。自分の気持ちがまったく傷つかないようにゆずってやるという話になる。気違い親父のハンダゴテよりも、役に立たないよ。気違い兄貴は、デカイデカイ音で鳴らしたいわけで、そのデカイデカイ音で鳴らしたい人が、まったく我慢しないで、静かにしてやるということだから、静かにならない。なるわけがない。いいかげん、自分が本当はまったくゆずってやりたくなかったという気持ちを持っていたということに、気がつけよ。普通だったら、一回言われた時点でわかるんだよ。親父じゃなければな。兄貴じゃなければな。おまえ、気違い兄貴!! いま住んでいるところで、当時の態度で「こんなの、うるさい音じゃないだろ』と言って、やってみろよ。一分でも五分でもやってみろよ。嫁さんの頭に角がはえるよ。嫁さんの親が「うるさい!!やめろ!!」と怒鳴り込んでくるよ。兄貴の部屋に!五分で。……それを、気違い兄貴は、弟の入試の前だろうがなんだろうが、一秒もゆずってくれなかった。「こんな



毎日、本当につらかった。

ヘビメタ騒音にやられた俺は普通の人の一〇分の一ぐらいの体力しかない。他の人が、ちょっとうらやましいな。ニートでもたいりょくがあるやつはいいや。ヘビメタがなければ、人並み以上の体力があったと思うけど、やられちったらだめだ。毎日、本当につらかった。

騒音サイコパス 21: 兄のヘビメタ騒音で人生がない 発売中





騒音サイコパス 21: 兄のヘビメタ騒音で人生がない


ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で死にたい。いまも、ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタでくるしい。どうしてもくるしい。ヘビメタ騒音で、人生が制限された。どうしても、ヘビメタ騒音のなかで勉強することができなかった。どうしても、ヘビメタ騒音のなかで、つかれずに普通に生活するということができなかった。どうしても、ヘビメタ騒音が鳴っていれば、つかれた。そして、ヘビメタ騒音は一日中鳴っていた。ヘビメタ騒音のハンディがくるしすぎる。どうしても、くるしい。





2018年3月6日火曜日

あの音で、いま住んでいるところで鳴らしてみろ!!

だからさぁ……。ぼくは、いままで、モーニングセットなるコスパが悪いものはずっとさけてきたわけ。で、まあ、金の余裕ができたので? そんなものを食べてもいいかなという気持ちになったわけ。

けど、駅前を歩いているときどういう気分になるかというと、ヘビメタ騒音にたたられていたとき、駅前を歩いているときの気分になる。あの時の不安はない。そして、不安は的中した。けど、それは、思いは現実化するということではない。気違い兄貴にやられて、高校受験の時すでに、苦しんでいた。その前の小学六年生から中学三年までの三年と半年、すでに苦しんでいた。鳴りやんでくれないと、困るのである。

これ、言葉の魔術にかかっていると、『そらみろ。現実化したじゃないか』と思うかもしれないけどちがう。鳴っているなかで、鳴ってない場合の気分で生きることはできない。

そういうことだ。気違い兄貴が、ある日、気がついて、ヘッドホンをして鳴らしてくれるところを想像したけど、そっちは、ぜんぜん現実化しなかった。なんて言うのかな……「このままではだめだ」というのは、別に考えなくたってわかることなんだよ。そりゃ、つらいわけだから。



本当に、いいようがない気分になるな。根拠がたいせつなんだよ。『そう思う根拠』がたいせつなんだよ。俺が思ったからではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っていたからなんだよ。

ちなみに、ぼくは気違い兄貴がヘビメタ騒音を鳴らすまで、ヘビメタなんてものは知らなかったから、『ヘビメタ騒音で苦しむところを想像したからヘビメタ騒音が鳴り出した』というわけではないのだ。自分の体調、自分の状態を分析すると、このままではだめだというのは、わかっていた。現実にかんする、分析の結果だ。

ともかく、やめてもらわなければ困る。

気違い兄貴が、気違い兄貴の意地で、どれだけやめろと言っても、やめないで鳴らしている状態というのが続いていたわけだから、『俺が思っていたから現実化した』のではなくて『ヘビメタ騒音が鳴っていたら、現実化した』と考える必要がある。あーあ、しかし、なんで、俺が!! 気違い兄貴にたたられなければ、こんなことをわざわざ、説明しなくても良かったのに。



たとえば、「このまま、血が出たら死ぬ」と思ったとしよう。包丁で刺されて、血が止まらないからそう思ったわけだ。そして、止血しようとしたけど、止血できず、血が出続けて死んでしまったとしよう。この場合、血が出たから死んだわけで、「このまま、血が出たら死ぬ」と思ったから死んだわけじゃない。この違いわかる?



くるしいんだよ。すでにくるしいんだよ。このままではどうにもならない(自分が思い描くような職業に就くことができない)……というのは、気違いヘビメタにやられた、中学一年生の一学期の中間テストではっきりしていることなんだよ。俺がどういう気持ちで、教科書とにらめっこしてたと思っているんだよ。鳴らされている中で教科書を見るのが、どれだけつらいことだと思っているんだよ。あ・ん・な・音で鳴らしやがって!! 気違い兄貴!! おまえ!! あの音で、いま住んでいるところで鳴らしてみろ!! 

一〇分で、嫁さんか隣の部屋の人から文句を言われるよ。
一〇分で!!

気違い兄貴が最大限、静かにしてやった音で一〇分でも鳴らしたら、非難囂々だよ。それを無視して鳴らし続けたら、どういう人間関係になると思っているんだよ?

まったく、これ、親父とおなじでまったくなにもわかってないんだよな。うちでやったことは!!親父とおなじでまったくわかってない。魔法にかかったように、無視して、わかってない。自分がやったことなのに、まったくなにもわかってない!! 親父とおなじなんだよ。

親父だって、兄貴が一歳から一三歳ぐらいまで、気違い的なことで怒り狂っていただろ。理由がないことで怒り狂っていただろ。事実だ。毎日の事実だ。気違い親父が家にいた時間は、(兄貴が家にいた時間よりも短いけど)……ともかく、家にいる時間は、つねに、なんらかの理由をつけて怒り狂っていたんだよ。で、それは、事実だ。

けど、親父はそんなことはまったく知らない。『家にいる時間は、つねに、なんらかの理由をつけて怒っていた』ということを親父に言ったら、どういう答えが返ってくるか? 『そんなんじゃない』『そんなんじゃない』『怒ってない怒ってない』という答えが返ってくるわけだよ。

本当に、そういうことをしたつもりがないんだよ。一〇年以上毎日、ひまさえあれば!家にいれば!かならず!理由を見つけて怒っていたのに、そんなことをしたつもりがまったくないんだよ。兄貴は、親父の発言を聞いてどう思うんだよ?

事実とは正反対のことを言っていると思うだろ。あれだけ怒り狂っていて、どうして、怒り狂っていたということがわからないんだ?」と思うだろ。それとおなじよ。気違い兄貴の『そんなつもりじゃない』『そんなつもりじゃない』『そんなに鳴らしてない』『そんなに鳴らしてない』というのは、親父の『そんなんじゃない』『そんなんじゃない』『怒ってない怒ってない』とまったくおなじだ。

   *   *   *

気違い的な意地で毎日毎日やっている人が、「やってない」と思っているというのが、気違い的な状態で、うちのスタンダードだ。うちでは、まったくあたりまえのことなのである。だから、他の人が誤解をする。こんなの、話しあいになるわけがないでしょ。

それなのに、『ちゃんと言わないからダメなんだ』と間違った前提に立って『えらそうな説教をするやつ』がかならず出てくる。そういう隙(すき)を与えてしまう。気違いが意地を通してやって、その気違いが、『絶対にやってない』つもりでいるから、俺が、誤解を受ける。そういう構造が常に成り立っているんだよ。

それから、『このまま血が出たら死んでしまう』ということについてだけど、もう、そう思う事態が発生しているんだよ。これがどうしてわからないか??? 血が出てないところで、『私は、いつか包丁で刺されて、血が出て死んでしまうだろう』ということを考えたわけじゃないんだよ。すでに、そう思うだけの事態が発生している。これを無視するか?

それから『そらみろ。現実化したじゃないか』と思う人はこころがゆがんでいる。スピリチュアルじゃない。

普通の気持ちの「もと」

いや~つまんない。

つまんないーーー。



今日は風呂に入るよ。なんとなく、鼻水が出やすい状態になっているけど。あーーあ。正直言って、だるい。けど、入る。



この先どうするかなぁ?

今日のことではなくて、この先の人生をどうするか?という話です。

どうしようかな??

あーあ。どうすればいいのだ? どうすれば??



   *   *   *





楽しいことが欲しい。

『タノシイコトなんて、自分で作らなきゃだめでしょ』

『タノシイコトなんて、自分で見つけなきゃあるわけがないでしょ』

と思う人がいるかもしれない。



一理あるけど、そういう状態じゃないのだ。ヘビメタ騒音で、そういう普通の気持ちが吹っ飛んでしまった後の話なのだ。普通の気持ちと書いたけど、普通の気持ちの「もと」と考えてもいい。普通の気持ちだけではなくて、普通の気持ちの根元が(普通の気持ちを生み出す部分が)損傷を受けて機能を停止している。なので、楽しいことを見つけることができない。だって、普通の気持ちであれば、楽しく感じることが、いまの状態では、めんどうくさく感じることだからだ。ヘビメタ騒音一五年目以降は、普通の気持ちを維持できない状態だ。

「ボタンの掛け違い」じゃない

体調が良くない。
だるい。

本当、気違い兄貴のやつ、真っ赤な顔をして、鳴らし続けやがって。
気違い兄貴がまるで気にしてないのは、親父が気にしてないのとおなじなんだよ。自分がやられれば、一日中腹を立てていたことを、俺にやりやがって。親父の態度で、まったく気にしない。頭の作りがおなじなんだよ。「やってない」と思っているのだから、反省できるわけがない。言われたら、言われたときに、真っ赤になって怒って、はねのけたら、それでやってないことになってしまう。そういう構造だ。だから、ずっとやり続けることができる。十数年毎日やったって、「そんなつもりはない」「やってない」と嘘でなく言える状態だ。で、そういう状態で、やりやがるんだよ。どれだけ、こっちが「やめろ」と言っても、言っているそばから、そういう状態でやりきる。顔を真っ赤にして、頑固にやり切る。その時、こっちの言い分を通そうとしたら……少しでも通そうとしたら……殺さなきゃいけない。常にそういうことを押しつけている。常にそういう状態で、好き勝手なことをやって、そういう状態を押しつけている。つねにそうなのに、つねに、そうじゃないと思っている。本人は、はねのけた瞬間に、まったく無関係なことになってしまうから、やってないのとおなじなのである。これ! これ! たぶん、他の人にいたってわからない。けど、機嫌が悪いときだけそうだったわけではなくて、つねにそうだったんだよ。そうなると、殺さなければやられ続けるという状態ができあがってしまう。これは、「ボタンの掛け違い」じゃない。さらに言っておくと、「鏡の法則」で説明できることでもない。「気にしなければいいんだ」ということでもない。やられてしまっているわけだから、ずっと困る。気違いのほうは、「気にしているやつが悪い」という理屈で、やり続けるよ。よその人の意見と、気違いの気持ち(意見)が同じ方向を向いてしまう。もっとも、気違いのほう、意見としてもっているわけじゃないのである。これが! 本当に全部『やっていること』が『やってないことになっている』というマジックが影響している。説明がむずかしくなる。

2018年3月5日月曜日

やることはあるんだけど、やる気がしない。

本当は、がたーーんと眠って、しばらく起きたくない。

けど、眠れない。



やることはあるんだけど、やる気がしない。



しかし、なんか、台風みたいになってきた。



あーあ、食料を買っておいて良かった。



もう、正直言ってくるしいんだよ。駅前に行くと、ヘビメタ騒音にやられていた一六歳の頃が、克明に思い出されて、くるしいんだよ。あいつ本当に、無慈悲にずっと鳴らしやがって。鳴らされているあいだずっとくるしいんだ。ふざけるな!



やってないことについて反省することなんてできない

やっぱり、なんだかんだ言って、つらい。どうしても、作業中、気違いヘビメタ騒音のことが思い浮かぶ。どうしても、ふとした瞬間、気違いヘビメタ騒音のことが思い浮かぶ。



あの態度はないぞ……。

あの騒音はないぞ……。

でかすぎるだろ……。

あれで、やってないつもりだったのか……。



どうしても、そういうことが思い浮かぶ。



他の人にとっては、経験したことがないのだからわからない。ずっと鳴っていると言うことは、ずっと、やられているということだ。気違い兄貴には、部屋で苦しんでいる俺の姿は見えない。気違い兄貴が自分の部屋でヘビメタを鳴らすとき、俺のことを考えないですむ。それは、気違いだから……親父とおなじ気違いだから……どれだけ言われても、壁一枚へだてて、弟がいるということがわからないのである。



いま、よそのうちに行ったら、よそのうちの人のことは気にするんだよな。「うちのひと」でなければ、気にする。けど、「うちのひと」であるかぎり、親父の態度で、親父の感覚で、絶対に気にしないで、ビタイチモンゆずらずに、自分の意地を通す。

けど、何万時間、自分の意地を通してやったにしろ、やったつもりがないんだよ。〇時間しかやってないつもりでいるわけ。あれだけでかい音であれだけ長い時間、あれだけ長い期間、ずっと鳴らし続けたのに、まったく鳴らしてないのとおなじ気持ちでいるんだよ。

だから、まったく反省しない。

やってないつもりなので、反省することができない。そりゃ、やってないことについて反省することなんてできないだろう。一〇〇%、押し通してやってきたことなのに……絶対に一秒もゆずらないでやり通してきたことなのに……本人はつもりがない。繰り返すけど、つもりがない以上、どれだけやったってやってないのとおなじなのである。

つもりがないというのは、気違い兄貴にとって「やってない」ということと、意味的にイコールだ。これは、親父もそうなんだけどな。

だから、一〇〇%意地を通してやったのに、一〇〇%やってないという認知ができあがる。頭がおかしいから、そういう矛盾に気がつかない。本人のなかでは、「あたりまえ」なのである。

いったん「あたりまえ」だと思ったら、あたりまえだと思って、やり続ける。「まずいかな」と思ってやめるということがない。どれだけ何万回、注意されても、注意されるたびに『怒って』絶対の意地でやり続ける。で、本人はまったくやってないつもりなのだ。

つもりだけではなくて、「やってない」と思っている状態でやりまくって、やり終わったら、「やってないのでまったく関係がない」という認識になってしまう。ごく自然に、毎日、そういうことが発生する。だから、毎日やりきって、毎日やってないつもりのままなのである。

だから、困る。

けど、困っているのはこっちだけで、気違い兄貴は、自分が好きなように……やりたいように、まったくセーブしないで、やりきることができるので、気違い兄貴にとってはそのような状態のほうが好ましいわけだ。で、そのような状態を放棄するということがない。

だから、絶対にゆずらない。

どれだけ、気違い兄貴がその気になればゆずれる時間だって、絶対に、その気にならないでゆずらない。これも、毎日あたりまえだ。あたりまえすぎて、そうしているということに気がつかないぐらいにあたりまえだ。だから、気がつかない。

どれだけ、言われたって、気がつかない。

で、やりきる。

……しかし、やったなら、絶対に感じなければならないことを、感じない。罪悪感なんてないのである。弟が必死に「やめてくれやめてくれ」と絶叫したことを、やり続けた……一〇時間、一一時間、一二時間、一三時間、やり続けたという気持ちがない。弟がやめてくれと頼んでくることを、無視してやり続けたという気持ちがない。弟が『明日試験だからやめてくれ』とその日、何回もなん使いも言ってきたのに、それを無視して、試験の邪魔をするべく!うるさい音でヘビメタを鳴らし続けてやった……という気持ちがない。

気持ちがなければ、どれだけ『実際に』それをしていたとしても、まったくしてないのとおなじなのである。

だから、まったく悪いと思わないのである。それは、親父がやり始めたことだけど……兄貴がまねして、ずっとやり続けた。ヘビメタ騒音のやり方が、全部そういうやり方なのである。

だから、どれだけ文句を言われても、まったく悪いと思わないまま、ずっと、自分がやりたいようにやり続ける。……何度も言うけど、うちで、そういうことをやり始めたのは、親父だ。けど、親父はヘビメタ騒音を毎日鳴らし続けたわけじゃない。

その都度、きちがい行為をしていたわけで、実際の時間は短い。気違い兄貴は、一四時間、ヘビメタを鳴らせるなら、かならず、一四時間ヘビメタを鳴らし続けたので、時間的に長い。気違い兄貴は、このちがいがぜんぜんわかってない。どれだけ俺にたり続けたか、ぜんぜんわかってない。中学高校と、ヘビメタ騒音にやられて毎日、勉強することができないという状態で、いいはずがないだろ。

そういうことも、一日中、全部の時間、邪魔して、気がつかない。気がつかないとなったら、何万回何十万回言われたって、気がつかないままなんだよ。気がつかないまま、すべての時間ヘビメタを鳴らす。

すべての時間というのは、使えるすべての時間ということだ。『すべての時間』と言っても、行きすぎた一般化、あるいは、全か無の思考というわけではない。実際に、気違い兄貴が、使えるすべての時間を使って、ヘビメタを鳴らしていた。使える時間のなかで、気違い兄貴が、ヘッドホンをしてゆずってくれた時間はない。鳴らせるのに鳴らさないで我慢してくれた時間は、一日に一秒もない。そういうことを言っているわけで、『すべての時間』といったから、間違っているということではない。以降、「すべての時間鳴らしていた」と言った場合、そのすべての時間というのは、可能なすべての時間という意味である。

   *   *   *

はふーー。つまらない。どうしても、つまらない。
そとは雨だ。

まあ、晴れていてもたいしていい気分じゃないけどな。
外には出れない。買い物はいいや。どうせ、作った親子丼をしばらくは食べるだろうから……。

やっぱり、ヘビメタでくるしい。ぼくの人生なかった。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。