『欲しがりません、勝つまでは』という標語があったのだけど、これは、ほしいものをがまんして、ほしがらずに、勝つまで(くるしい状態でも)がんばるというような意味になる。
明るいことを思えば、明るいことが起こるとする。明るいことを思えば、すぐに、明るいことが起こるはずなのである。〇・一秒内に起こると思えば〇・一秒以内に起こることなのである。
どうしてかというと、思えば、思った通りになるからだ。
「思う」ことは、自由なのである。どんな内容を思っても、自由なのである。どんな内容でも思うことができるのである。
そして、どんな内容でも、現実化するのである。
だから、〇・〇〇〇〇一秒以内に、こういうことが起こると思えば、思った通りに、〇・〇〇〇〇一秒以内に思ったことが起こるのである。
「いつか」起こるだろという話ではないのである。
ところが、思ったことが、いつか起こるということになってしまっているのである。明るいことを思えば、その明るいことが、いつか起こるということになってしまうのである。
「明るいことを思えば、その明るいことが、いつか起こるはずなので、つらい現実にたえて生きていきましょう」ということになってしまう。
そうなると、つらい状態が続くのである。
明るいことが「いつか」起こると思って、つらい現実を受け入れて生きるということになってしまうのである。
だから、現実の生活は、つらい生活なのである。
わからないかな?
つらい現実だからこそ、そのつらい現実からのがれることができる理想の生活がほしいのである。
現実がつらいから、明るいことを考えて、つらい現実をがまんするということになってしまう。「いつか」起こるだろうという希望が、実際には、つらい現実をささえているのである。
いつか明るいことが起こるはずだと思って生きている状態は、つらい状態なのである。
わからないかな?
これも、トリックなんだよ。「いつか」なのか、「すぐに」なのかは、重要な問題だ。
そして、「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」という文には、「いつか」も「すぐに」も含まれていない。文としては、どっちでもいいのである。
しかし、思霊主義者は、実際には「いつか」起こるだろうということを言っているのである。「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」という文を考えた場合、当然、「明るいことを考えれば、明るいことが、一秒以内に起こる」ということも含んでいるのである。
「制限時間」関する制限はなにもない。なにもないのである。だから、時間制限がある文も成り立っているのである。
ところが、思霊主義者は、「すぐに起こるはずがない」「短い制限時間の中でおこるはずがない」と考えているのである。
「なんかの内容を考えた場合、その考えた内容が起こるのは、制限時間内ではないのである。思霊主義者は「明るいことを考えれば、明るいことがいつか起こる」だろうということを言っているのである。
これだと『欲しがりません、勝つまでは』という標語のようになってしまう。
明るいことが起こるまでは、明るいことを考えながら、つらい現実にたえて生きていこうということになってしまうのである。
明るいことを考えれば明るいことが(ほんとうに)起こるなら、たえて生きていく必要がないのである。
思えば、思った通りになるのだから、思った通りにして、生きていけばよいのである。
長い間、ずっとずっと、つらい現実に我慢する必要なんてないのである。
思えば、思っただけで、思ったことが「すぐに」現実化するのだから、すぐに現実させてしまえばよいのである。
ところが、「すぐに」現実化すると思っても、すぐには現実化しないので……「いつか起こるだろう」と我慢に我慢を重ねて生きていくということになってしまうのである。
あるいは、すぐには現実化することはないと無意識的に考えているので……「いつか」現実化するだろうと、我慢に我慢をかさねて、暗い現実に対処して生きていかけなればならないのである。
けっきょく、暗い現実に対処して生きていくということが、続いてしまう。
ほんとうに、思ったことが現実化するのであれば、すぐにかえられることだ。
思ったことが現実しかないから、たえてたえて、生きているのである。おかしいじゃないか。
思ったことが現実化するのだから、すぐに現実化すると思ったことは、すぐに現実化するのである。思ったことが現実化するのだから、〇・一秒以内起こると思っていることは、〇・一秒以内に起こるのである。
ところが、だれもそんなことは信じていないのである。「思えば、思ったことが現実化する」と言っている人たちは、みんな「〇・一秒以内に、これこれが起こると思えば、〇・一秒以内にこれこれが現実化する」とは思っていないのである。
制限時間があることについては、まったくダメなのである。
「思えば、思ったことが現実化する」と言っている人たちは、みんな、「思ったところで、思い通りになるはずがない」「すぐに現実化すると思っても、すぐに現実化することはない」と無意識的には思っているのである。
繰り返しなるけど、「いつか」という言葉をつけて、安心したいだけなのである。「いつか」思った通りになると思って生きているわけである。
そして、ただ単に生きているわけではなくて、我慢して生きているのである。
思い通りじゃない状態で、ずっと生きているのである。それなのに……というか……それだからこそ……「思ったことがいつか現実化する」という希望的な言葉がうけるのである。
けど、それは、「制限時間内には起こらない」という無意識的な確信のもとに、言われる言葉なのである。
これだと、現代版『欲しがりません、勝つまでは』になってしまう。
「明るいことを考えれば明るいことが起こるので、いまは、我慢に我慢をかさねて、つらい思いをして生きていきましょう」ということになってしまう。明るいことを考えれば、明るいことが起こるなら、すぐに、明るいことが起こるようにすればいいのである。くるしい思いをして生きていく必要なんてないのである。