2018年12月31日月曜日

俺はこのまま終わるのか?


俺はこのまま終わるのか?
こんなところで、終わるのか?
これ、しあわせじゃない。

   *   *   *

ほんとう、気違い兄貴、おまえが横でヘビメタを鳴らすから、俺がどれだけさみしい思をして生きていると思っているんだ?? ヘビメタ騒音でズタボロで社会に適応できなくなってしまっただろ。気違い兄貴が、意地になって、夢中になってヘビメタを鳴らすから、俺がどれだけ他のやつからから軽蔑されてきたと思っているだ? ゆるせない。こんなのはゆるせない。兄貴がヘビメタ鳴らしていたからだ。他のことじゃない。兄貴が鳴らしていたヘビメタが原因で、俺はこまっていた。いまもこまっている。どれだけ言っても、親父のような態度で、やめてくれなかった。それがすべてだ。それで、『静かにしてやった』『ゆずってやった』と思っているんだからな。それも、親父とまったくおなじだよ。親父、そっくり。親父の態度で親父の意地で、気違いヘビメタを、他所じゃ絶対にあり得ないようなデカイ音で、毎日毎日、ずっと、午後一一時一一分まで鳴らしていた。だから、ヘビメタ騒音が原因で、鳴り終わったあと、眠れなくてこまった。これ、鳴り終わったあとに眠れなくなるって……他の人は、無視しがちなことだ。軽視しがちなことだ。けど、重要なことだからな。しかも、鳴り終わっているなら、ヘビメタ騒音のせいではない……と考えるやつがいたとしてもおかしくはない。そいつからすれば、「ヘビメタ騒音のせいにしている」のだろう。けど、そいつだって、起きているあいだずっと至近距離でヘビメタを鳴らされ続ければわかると思うけど、気が立って眠れない。何時間も何時間も、ああいう音を、どでかい音で鳴らされ続けると、人間は眠れなくなる。眠るべき時間に眠れなくなる。そりゃ、鳴らしたくて鳴らしているやつはすっきりして、ぐっすり眠れるのだろうけど、鳴らされたくないやつは、絶対に眠れなくなる。これも、『受けとめ方のちがいだ』と言えば、言えなくもない。けど、だからと言って、非常識なデカイ音でヘビメタを何時間も何時間も、鳴らし続けていいという理由にはならないのである。どっちが悪いことをしているのかまるでわかってないやつらがいる。そういうやつらだって、ほんとうは、あの音で五分間鳴らされたら「うるさいうるさい」と言ってカンカンに怒るね。七時間とか一〇時間とかならされたら、夜眠るはずの時間になっても眠れないということを経験するだろう。しかも、それは、意識では制御できないのである。これも、やられてみればわかるよ。経験してみればわかる。なんでも、意識で制御できるようなことをいいやがって……。そういう前提でものを言いやがって……。実際に経験してないからわからないだけの話だろ。そういう発言をするのは、人間として善いことなのか悪いことなのか? 悪いことだ。

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2018年12月28日金曜日

言霊の真実 形態素と音素と偶然

ちょっとだけ言霊について書いておく。言霊というのは、暗示と形態素と音素にわかれる。



たいていの場合は、ただ単に暗示について言っているだけだ。『騒音サイコパス』に出てくる「親父」や「兄貴」のように、都合が悪いことは反対の言葉で否定して、自分がやりたいことをやってしまうという場合、「そんなんじゃない」とか「やってない」とか「やってやった」というのは、自己暗示として働くのである。



また、「顔色が悪いですよ」「病気なんじゃないですか」というような他者からの暗示は、そのまま、暗示として働く。暗示に弱い人は、たしかに気分が悪くなる。しかし、これは、気分が悪くなっただけで、なんらかの病気になったということを意味してない。



一方、書き言葉が模様として力を発するという考え方がある。これは、暗示ではなくて、文字がもつ形態がそのまま力を発しているという考え方だ。しかし、文字自体が持っているはずの力は、文字を読める人にしか伝わらないという場合が多い。もし、文字が読める人にだけに効力を発揮するのであれば、それは、暗示の一種だと言うことができる。



文字が読めない人にはなんとなくとがった感じがするとか、なんとなくまるい感じがするとかそういう感じしか与えない。模様としてきれいとか、模様としてきたないという印象は与えられるだろうけど、それは、●を見て「なんかまるい感じがする」とか▲を見て「なんかとがっている感じがする」といったものとおなじだ。



音自体が力(ちから)を持っているということも考えられる。それは、たいていの人間にとって心地いい音と心地悪い音が存在するというようなことを言っているだけだ。これは、認める。不快な音と好ましい音がある。



しかし、言霊における音素というのは、言葉そのものがもつ音自体ではなくて、全体としての意味が関係している場合が多い。つまり、その音を聞いて、意味がわかる人にしか効力を発揮しない場合が多い。



その場合は、書き言葉とおなじように、暗示が関係している。「言ったら、その通りになった」というのは、他者に対する暗示、自分に対する暗示、偶然のいずれかだ。



だいたい、言葉に対応した音自体ということを問題にするならば、固有の音というのは、ないと考えるのが適切だ。これは、どういう意味かというと、おなじ文字列を読むにしろ、人が違えば、音自体を構成する要素が違ってしまうということを意味している。



おなじ文字列を読み上げた場合、おなじ文字列として聞こえるのは、実は、ゲシュタルト(質)が関係している。ようするに、全体性のなかで、違う音素(音自体)をおなじ音素(音自体)だと感じているにすぎない。



「ありがとう」と言っても、人の声が違えば、その「ありがとう」は、違った音素(音自体)で成り立っているのである。たとえば、身長一九〇センチ、体重一二〇キロの男性が言う「ありがとう」と身長一四〇センチ、体重四〇キロの女性が言う「ありがとう」は、おなじように「ありがとう」と聞こえるのだけど、「ありがとう」という音自体は、違うのである。



人間の頭がゲシュタルト(質)に対応しているので、あたかもおなじ音として感じることができるものなのである。つまり、言葉に対応した音というのは、言う人によって違う。



よく「波動」というとをいうけど、波動自体が違うのである。おなじように「ありがとう」と発音しても、人が違えば、「ありがとう」という音自体は違った波動をもつものなのである。この場合、波形といってもいい。



なので、音自体に力(ちから)があると言っても、そういうふうに言っている人が考える音は実際には、発音する人によって違うという現実を受け入れなければならない。なので、音自体に予言としての意味はない。



ただ単に「いやな音」とか「好ましい音」といったような意味で、人間に影響を与えるだろうけど、それ以上の意味はない。言葉としての意味は、音自体にはないのである。なんでなら、読み上げる人が違えば、音自体が違ってしまうから。



もうひとつの「偶然」というのは、偶然に当たるということだ。たとえば、「明日は晴れる」と言ったとしよう。そして、次の日晴れたとしよう。この場合は、偶然に当たったということになる。偶然にあたっただけなのだけど、あたかも、その人が言ったことが現実化したととらえることができる。



この場合、言葉には本当は、意味がないのだけど、言葉の意味と事象の時系列的な関係が人の考えに影響を与えてしまうのである。



ようするに、当たった以上、「言葉に力がない」と言うことはできない。これは、本当に力を持っているということではなくて、その時点で否定することばできないということだ。つまり、その時点ではいちおう仮説として成り立つのである。



ようするに、当たった場合だけが成り立っているのであれば、「言葉には力がある」「晴れると言ったから晴れた」と考えたとしても、間違っているとは言えない。



しかし、それは、実際に言葉が天気に影響を与えているということを意味しているのではない。あくまでも「推論」として間違ってはいないということだ。これは、あくまでも、その時点では、ひとつの仮説として否定できないということを言っているにすぎない。



「言ったことが当たった場合」は「当たった」というとだけに注目して、あたかも言葉に力(ちから)があるという仮説を信じてしまう人がいるけど、それは、仮説でしかない。なので、「言ったことが当たらなかった場合」についても、おなじように考えなければならないのである。また、違う仮説が真である偽であるかについても考えなければならない。



しかし、「言葉には力がある」ということを信じたい人は、偶然の結果を必然の結果だと勘違いしてしまう。これは、ただ単に、勘違いだ。間違いだ。



「言葉には力がある」と信じたい人は、常に、現実の事象を見るときに「言葉には力がある」というバイアスがかかっているのである。



なので、一回でも当たれば、「言葉には力がある」と信じてしまう。本当は、すべの事象に成り立つ法則ではないのだけど、あたかも、すべての事象に成り立つ法則のように感じてしまう。ただ、それだけだ。これは、推論の方法が間違っているだけなのである。



以上、自己暗示、他者からの暗示(ただたんに暗示)、偶然ということについて考えてきた。言霊の正体は、自己暗示、他者からの暗示(ただたんに暗示)、偶然だけだ。

2018年12月27日木曜日

ビメタ騒音なしの一一歳、一二歳、一三歳、一四歳、一五歳、一六歳、一七歳、一八歳、一九歳、二〇歳、二一歳、二二歳、二三歳、二四歳、二五歳の時間

もう、つかれた。
起きて買い物に行って、帰ってきただけだけど、
もう一度、寝るよ~~

来年は、金を使うつもりだ。
やりたいことはやっておくかなぁ。

しかし、本当につかれた。そして、わかい時間がなかったので、ぼくはくるしい。気分的にくるしい。
本当にヘビメタ騒音なしの人生が欲しかった。ヘビメタ騒音なしの一一歳、一二歳、一三歳、一四歳、一五歳、一六歳、一七歳、一八歳、一九歳、二〇歳、二一歳、二二歳、二三歳、二四歳、二五歳の経験が欲しかった。ヘビメタ騒音なしの一一歳、一二歳、一三歳、一四歳、一五歳、一六歳、一七歳、一八歳、一九歳、二〇歳、二一歳、二二歳、二三歳、二四歳、二五歳の時間がほしかった。全部ない。全部、ヘビメタ騒音に汚染されている。どうしても、気分が晴れない。どうしても憂鬱。どうしても、不愉快。どうしても腹立たしい。

どれだけ休んでも回復しない 認知と現象


いやー、ほんとうにつらいことになった……。
まあ、なんとか復活。昨日の夜は、なんかやばかった。
あんまり体調がいいとは言えないな。

体調だけではなくて、ネットの調子もよくなくて、こまっているよ。
ネットが頻繁にだめになる。

ここ五日間ぐらい、外に出れない状態になっていた。外出ができない。けど、なんとなく、復活したので、これからなにか食べてこようかなと思っている。が、しかし、体調が完全に戻ったわけではなくて、かなりだるい。

ぼくの日々は、ヘビメタ騒音に汚された日々なんですよ。
いまも。汚染除去がすすんでない。汚染除去、できない。
五〇〇〇日つもったまま、生きている。

汚染が少なければ、体力復活の魔法によって……つまり、普通の快復力で、回復するのだろうけど、一四年五ヶ月と、あまりにも長い間汚染され続けたので、もう、回復できない。気違いヘビメタに、五〇〇〇日やられたときの体力のまま生きている。

五〇〇〇日やられたときの回復力のまま生きている。普通の人間……五〇〇〇日やられてない人間になにがわかるか? 五〇〇〇日以上やられていない人間が、「休めば回復する」と思っていたとしても、そうではない人間がいるんだよ。

五〇〇〇日以上やられていない人間は、自分の常識で、休めば回復すると思っているので、「どれだけ休んでも回復しない」ということを聞くと、「こだわっているからだめなんだ」と思うわけだよ。

これは、こだわるとこだわらずに関係なく続く不調だ。たとえば、パンチドランカーになった人は、パンチドランカーになってしまったことにこだわり続けているからパンチドランカーになったわけではない。こだわっているから、本来は(人間にそなえつけの回復力で回復するはずなのに)回復しないというわけではない。

もっとはっきり言えば、水俣病の人は、水銀にこだわっているから、回復しないのではない。水俣病の人が、本人の中に蓄積された水銀にこだわろうが、こだわるまいが、本人の中に蓄積された水銀は、その効果を現す。

常に、ヘビメタ騒音に汚された空間でいいわけがないだろ。これ、一二月二七日の午後二時二一分……ヘビメタが鳴っていた。ものすごい音でヘビメタが鳴っていた。一〇年以上、一二月二七日の午後二時二一分はヘビメタが鳴っていた。気違いヘビメタを聞いたことがない人が、経験したことがない音でヘビメタがガンガン鳴ってた。

鳴ってたら、俺がどれだけ兄貴の部屋に怒鳴り込もうが、鳴っている状態が続く。気違い兄貴を殺してしまわないと、気違い兄貴が気違いなので、気違い的な意地で「こだわって」「こだわりの音で」鳴らし続けるからだ。

これ、やめさせるとしたら、殺さなきゃならない。そういう意地なんだよ。兄貴も親父も「そういう意地」でこだわりつくした迷惑行為をやる。

けど、本人にとっては、……どれだけ相手が説明しても……迷惑行為じゃないんだよ。自分が被害者だと思っている。「やめろ」と言われたら、(自分が)なにもしてないのに、相手が攻撃をしてきた! と思うのだ。ようするに、相手をクレーマーだと思うわけだ。

やめるはずがない。「なんだ!そんなの!!」と怒り狂って、やめない。

本人してみれば、相手の都合はすべて「なんだ!そんなの!!」と思えることなんだよ。ともかく、自分がやりたいように、やりたいわけで、やりたいことを、さまたげるような情報は、すべて、理解する前に却下だ。

まあ、怒った時点で……いちおうは理解しているのだけど、普通の理解じゃないのである。

予感? 感じ? としての理解だ。……認めてしまったら、自分が思い通りにできない「予感」があるのである。だから、正反対のことを言ったり、「なんだそんなの」と言って認めない。却下と言ったけど、正反対のことを言ったり、「なんだ!そんなの」と言うことで、相手が言ったことを、無効化するのである。

一旦、無効化したら、「言われたって言われてない」状態になる。「知らなかった」ということになる。「知らなかった」というようなことを言い出すのは、完全にさってからだ。相手が、言っていることを認めとしても、自分がいま「ゆずらなくてもいい状態」になったあと、「知らなかった」と言うようになる。

そりゃ、何十万回言われたって、「やりたいうちは」知らないんだよ。言われたことにならない。こういう気違いなんだけど、普通の人は、こういう気違いがいるとは思ってない。

だから、「家族で話し合えばいい」というようなことを言うけど、そういう気違い構造が成り立っているから、話しあいはできない。これも、俺が「怒って言った」「やめてくれと怒鳴った」と言えば、「怒って言うからだめなんだ」「ちゃんと静かにいわなきゃだめだ」あるいは「やめてくれと怒鳴ったからだめなんだ」「ちゃんと静かにいわなきゃだめだ」と言うわけだよ。そいつは! 事情を知らないそいつは、そういうことを言う。

俺が「静かに言った」と言えば、「そういうことは、怒鳴って言わないとつたわらないだろ」「そういうことは、強く何回も言わないとだめだろ」というようなことを言う。そいつは! 気違い兄貴や気違い親父の認知構造を知らないそいつは、そういうことを言う。

ようは、言うやつの言い方が悪かったから、言われたやつがわからなかったのだと思っているのだ。それは、言われたやつには落ち度がなく、言ったやつが(へたくそだから)悪いのだと言っているのである。

ようは、言ったやつの落ち度をせめている。そのわりには、そういう人間は、「人をせめてはいけない」とか「人のせいにしてはいけない」というようなことを言う。

ヘビメタ騒音問題について、俺の言い方のせいにしているではないか。

「お兄さんに伝わらなかったのは、おまえ(エイリ)の言い方が悪かったからだと、俺のことをせめている」ではないか。

こういうやつが常識的な人なのだ。

親父や兄貴みたいな気違いだと……認知がズレた人だと……やられた方が、ヨソの人から悪く言われるのである。ヨソの人は、親父や兄貴の「認知のズレ」が理解できない。常識の範囲外なのである。

「そういう反応をする人はいない」ということになっているのである。その常識的な人のなかでは!! だから、言い方が悪かったから、つたわらなかったのだ……というような補足的な説明をしだす。これは、現象を補足的な説明で理解しようとするこころみだ。

こうだったから、そういうことが起こったのではないかと、言うわけだ。けど、その補足的な説明が現実に合致してないのである。

もっと正確に言うと、現実の現象に合致してない。現実の現象をうまく説明していない。これは、親父や兄貴のように「認知がズレた人がいる」という前提で全体の現象を理解しなければ理解できない。

2018年12月25日火曜日

「どーにか」と言ってもな……。


あーー、つまんない。
ぼく、つまんない。
つーまんない。
つーまんない。

あーー、この先どうしようかな?
くるしいな。
この繰り返しはくるしい。
どーにしかないと……。
「どーにか」と言ってもな……。

2018年12月24日月曜日

普通の人間の無視じゃなくて、『言われた』ということも、無視して、なくなくっちゃっている状態


世間は、クリスマスイブらしい。他の人のブログを見て、気がついた。あーー、ぜんぜん気がつかなかったよ。

ぼくの頭にはヘビメタ騒音の悪夢が色濃く残っていて、ずっと、それとたたかっている。たたかっている状態だ。ヘビメタ騒音のクリスマスなんて、めちゃくちゃに決まっているだろ。

あしかけ一五年ヘビメタ騒音以降のクリスマスなんて、ひえひえで、さみしくて、憂鬱で死にそうな気持ちになってすごしているに決まっているだろ。

どれだけ、気持ちを盛り上げようとしても無理なんだよ。

ヘビメタ騒音以降、他人は「トゲトゲ」だ。これがわかるか? この意味がわかるか? 気違い兄貴のやつ自分が夢中になってやっているだけで、やっているあいだどれだけ、「やめてくれ」ということを言われても、わからないんだよな。

言われたことになってない。

一日に一四時間こだわりつくして、絶対にゆずらないで、頑固に、自分が満足できるデカイ音で鳴らしていても、本人は、一四時間、ずっと静かにしてやったのとおなじ気持ちでいる。あるいは、最初から、鳴らしてないのとおなじつもりでいる。最初から鳴らしてないので、ヘビメタ騒音がなんなのかわからないといった気持ちとおなじ気持ちでいる。そりゃ、たとえば、自分がヘビメタを一日に一分も鳴らしてないのに、「ヘビメタ騒音を鳴らすな」と言われたって、頭にクエスチョンマークが浮かんだ状態になるだけだろ。

一四時間鳴らしてないのに、「兄貴が一日に一四時間も鳴らすからつらかった」と言われたって、『なにを言っているんだ?』と思うだけだろ。それとおなじなんだよ。

それとおなじぐらいに、関心がない。

『関係がない』と思っている。

気違い親父とおなじように、気持ちがくっついてないんだよね。

やりたいときは、自分がやれればいいわけで、それ以外のことは一切合切、関係ないわけ。「やめろ」と言われたら、それは、やりたい自分にとって不都合なことだから、無視しておしまい。

この無視が、普通の人間の無視じゃなくて、『言われた』ということも、無視して、なくなくっちゃっている状態なんだよな。だから、次に『兄貴が一四時間鳴らしてたから、うるさくてこまった』と言われたら、「自分の行為と関係があること」を言われているように思えない。思うことに失敗する。

『自分に関係がないことを言われている』『自分が、自分に関係がないことで文句を言われている』という気持ちになり、胸くそ悪い不愉快な気分になる。で、胸くそ悪い不愉快な気分になったら、無視しておしまいなんだよ。だから、永久これが繰り返される。

何万回言ってもおなじだ。自分に関係がないことで文句を言われているような気にしかならない。で、もうひとつの自分は、やりたいことは絶対の意地で自分が思ったとおりにやりたいわけだから、まったく無視して、自分がやりたいように、思った通りに夢中になってやる。

それが、九〇デシベル付近、九五デシベル付近の音で、ヘビメタを鳴らすということであれば、絶対の意地でそうする。

だから、そうしているのだけど……「そうしている」というつもりが、※いつも※ない。物理的にはやっているのだけど、そして、やっているというつもりがあるのだけど、「相手との関係」や「相手が自分のやっていることでこまっている」ということが徹底的にわからないのである。これは無視すれば、「やったってやってない」ことになってしまう。相手の存在や自分に「やめてくれ」と言ってきたということを無視してしまうので、相手にとって、やったってやらなくたってどうでもいいことだと、考えるまでもなく決めつてしまうのである。……相手の気持ちは完全に無視して、自分の気持ちだけになるから。無視すると言うことも無視するかたちで、完全に無視する。「ないこと」になっている。言われた瞬間、怒るということは、気違い兄貴が瞬間的には相手が言っていることを理解したということなのである。けど、怒ったら、その瞬間、本人のなかでは終わっている。完全に関係がないことになっている。自分がやっていることと、相手の気持ちが完全に関係がないことになってしまう。強制的に、どれだけやったって相手はこまらないと言うことに、してしまうのである。瞬間的にそうする。そうなると、ずっとそのあと、そういう『認知』を引きずって、やり続ける。相手が気にしてないという認知のまま、ずっとやり続ける。何万回言われても、言われた途端にそうなるから……もっと正確に言えば、怒った途端にそうなるから、怒った瞬間をのぞけば、まったく気にしないでやり続けることになる。そもそも、言われなかったのとおなじ気持ちで、やり続けることができる。まったく気にしないでやり続けることができる。

気違い兄貴は、たぶんだけど、自分がエレキギターを弾いているとき、自分がエレキギターを弾いているということは理解していると思う。ただ、相手がどれだけ『エレキギターの音がうるさいからヘッドホンをしてくれ』と言ったとしても、相手と自分の行為が結びつかないのである。相手の気持ちと自分のやっていることが結びつかない。だから、関係なくやる。

やっていることはわかっているけど、「やめろ」ということを言われると、怒って無視する。それは、親父が怒って無視したのとおなじなのである。

兄貴に、『ハンダゴテが使えなかった』という都合が悪いこと……その時!の親父にとって都合が悪いこと……を言われて、怒っている親父とおなじなのである。

で、自分が怒ってしまえば、それでおしまいだ。考えるまでもなく、終わっているのである。感情が切れている。自分が怒って無視すれば「あったってないこと」になってしまうのである。「やったって、やってないこと」になってしまうのである。

だから、まったく気にしないで、その行為を続けることができる。その行為を続けているのだから、続けているわけで、また、言われる可能性があるのだけど、言われるまでは、まったく言われなかったのとおなじ気分でやりきることができる。

で、つぎ言われたときもまったくおなじ反応で切り返す。……おなじ反応しかしないので、何万回「やめろ」と言われても、まったく関係がないつもりで「やりきる」ことができるのである。「やりきったら」それがどれだけ長い期間でも、やってないのとおなじなのである。

一五年間こだわりつくして毎日やったことでも、「やった」と言われたら「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と親父のようにいいきることができるのである。兄貴は……。兄貴は親父とおなじだから、その時不都合なことを言われたら、その時!! 「否定しておしまい」なのである。まったくなにも残らない。反省なんてするわけがない。なんてたって、「やってない」と思っていることなのだから、反省できるわけがない。「そんなんじゃない」のだから。

2018年12月21日金曜日

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2018年12月20日木曜日

派遣社員のボーナスがない……そりゃ、あたりまえ  …共同体のうちとそと

派遣社員のボーナスがない……そりゃ、あたりまえ。あたりまえだけど、日本人の働き方、労働意識にものすごい悪影響を与えると思う。

派遣にも、いろいろなタイプがある。派遣社員?が派遣会社の従業員(正社員)になっている場合と、派遣社員が派遣会社と個別に契約を結んでいる場合がある。派遣社員が派遣会社と個別に契約を結んでいる場合、派遣社員は個別に請負業をやっているようなもので派遣会社に所属しているわけではない。

で、あんまりこれは、意識されていない。

けど、派遣会社の従業員は、派遣会社の正社員だ。この場合、派遣会社の従業員(正社員)が、ボーナスを要求する先は、派遣会社そのものだということになる。

しかし、派遣されている人は、派遣先の会社に所属しているような錯覚があるので、派遣先の会社にボーナスを要求したくなる。あくまでも、ボーナスをもらうとしたら、自分が所属している派遣会社からもらうべきで、派遣先の会社は本当にまったく関係がない。

理論的に考えるとそうなのだけど、感情的に考えると、その会社の正社員がボーナスをもらっているのに、自分たちはボーナスがもらえないのは、ケシカランと思っても不思議ではない。

これは、派遣先の会社では、事実上、正社員とおなじ業務をしていて、その会社(派遣先会社の社員)のような気持ちがあるからだ。それは、しかたがない部分がある。

どうしてかというと、普通は、その会社で働いている以上、その会社に所属しているような気分になるからだ。実際には、派遣会社に所属しているわけで、その会社(派遣先会社)には所属してないというのは、頭では理解できるけど、こころでは、※げせない※ものになる。

これは、あたかも、占有権と所有権のちがいが、区別できなくなっているような状態とおなじだ。その人がもっていると、その人の持ち物で※あるかのように※、外からは見える。

使っているうちに、その人も、その人の持ち物であるかのように思ってしまう。さらに、あまりにも長い間使い続けると、いつのまにか所有権がしょうじてしまうものもある。しかし、所有権は所有権だから、他に所有権者がいるのであれば、その持ち物は、その所有権者のものだということになる。いくら、占有していても、その持ち物は所有権者のものだということになる。

けど、普通は、使っている人が所有権者であるかのように誤解してしまう。こういう誤解と同じような感覚が成り立っているのではないかと思う。

正社員にはあるボーナスが自分たちにはない……こういうことに不満を感じる派遣社員はたくさんいるだろう。いるだろうけど、派遣先会社にどれだけ文句を言ってもしたがない。「ボーナスをくれ」という相手は、派遣先会社ではなくて、派遣会社(派遣元の会社)だ。派遣会社にボーナスを要求するべきなのである。

しかし、個別に契約をしている場合は、当然、派遣会社にもボーナスを要求でないというとこになる。だって、その会社の正社員(従業員)じゃないから。

で、まあ、理屈はそうなんだけど、これは、禍根を残す。本当はやっちゃいけないことをやっている。本当はやっちゃいけないことを国が推し進めている。これはまずい。基本的にまずい。

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正社員という法律用語はないので、単に従業員と言いたいのだけど、いちおう、慣例に従って正社員という言葉を使うとする。

正社員にはあるボーナスが自分たちにはない……こういうことに不満を感じる派遣社員はたくさんいるだろう。いるだろうけど、派遣先会社にどれだけ文句を言ってもしたがない。「ボーナスをくれ」という相手は、派遣先会社ではなくて、派遣会社(派遣元の会社)だ。派遣会社にボーナスを要求するべきなのである。

しかし、個別に契約をしている場合は、当然、派遣会社にもボーナスを要求でないというとこになる。だって、その会社の正社員(従業員)じゃないから。

で、まあ、理屈はそうなんだけど、これは、禍根を残す。本当はやっちゃいけないことをやっている。本当はやっちゃいけないことを国が推し進めている。これはまずい。基本的にまずい。

おなじところでおなじように仕事をしているために、その会社共同体の一員であるかのように感じてしまうのだけど、会社共同体の一員ではないということを突きつけられたとき、人は、自分が差別されていると感じてしまうのではないだろうか。ボーナスしかり、休憩所(レストルーム)しかり。

おなじところでおなじように仕事をしている(ともに働く)とあたかもその共同体の一員であるかのように感じてしまうということは、占有しているとあたかも所有権が発生したように感じてしまう感覚とおなじなのではないかと思う。

片手でつかまえて、外に出したかった



蚊を殺してしまった。はぁーー。なるべく殺生はしないようしているんだけど、反射的に殺してしまった。顔の前にひゅっと出てきたので、思わずパチンとやってしまった。これは、片手でつかまえて、外に出したかった。実際、このあいだからずっと、そうしてきた。四連続ぐらいそうしているのだけど、今朝、片手でやってつかまらなかったんだよな。両手で空間ができるようにつかまえた場合、逃がしてやるときに、窓を開けるのがたいへんなんだよ。うまくあけられない。しかし、冬だというのに、蚊が多い。どっこから入ってきてるんだよ?
多い。なるべく片手でつかまえて、手のひらを刺されないように、手を振りながら窓のところまで行って、それで、窓を開けて、外に放つのだ。ちなみに、手を振ると刺されないかどうかはわからない。手を振って窓のところまでもっていって刺されたことはない。
なんか、ぽとっと落ちた蚊を見ると、むなしい。片手に薄手の手袋をしていた。これは、100円ショップで100円ぐらいで買ったやつなんだけど、いちおう、手袋をしたままキーボードが打てる。

2018年12月18日火曜日

どーすっかな。兄貴のヘビメタで人生全部がズタボロだよ

眠っていたけど、起きた。

腹がへったので、セブンイレブンの豚汁をご飯にかけて、レンジでチンして食べた。

そのあと、もものゼリーを食べた。

いま、ファンタ・メロン味をちょっとだけ飲んでいるところ。全部飲むつもりは毛頭ない。



なんだか知らないけどこころぼそいので、すぐに、ぐっすり眠りたいけど、どうかな?



どーすっかな。兄貴のヘビメタで人生全部がズタボロだよ。



   *   *   *



そう言えば、ご飯がなくなったので、ご飯を炊かないとだめだなぁ。ああああ。

ひとり、ひとりーー。



眠れないとしたら、ちょっとやばいな。

横になっていたとき、兄貴の態度について考えていた。ゆるせない。ゆるせないという気持ちが繰り返しおそってくる。ほんとうにゆるせない。





この世の普通の雰囲気があるかぎり


寝た。寝た。ずっと眠ってた。冬眠のごとく寝ていた。ずっと寝て曜日だ。
昨日、しょうべんに起きて、ご飯を食べたり、ネットを見たりした以外はずっと寝ていた。医者にもらった薬よりも、市販の蕁麻疹の薬が眠たくなる。ほぼ同じ成分だと思うのだけど。
まあ、ともかく、昨日は、なんか、小便と栄養補給のために起きた以外はほとんど寝ていたということだ。

なんか、今日起きたときも、また寝るのかなと思っていたけど、セブンイレブンに買い物に行ったので、なんとなく目が覚めた。セブンイレブンの冷凍スパゲッティーを食べたくなったので買ってきた。

で、風呂に入って、コーラを飲んだ。(湯船につかってコーラを飲んだ。うまい。)

しかし、冬。このあいだ夏だったのに、もう冬。
まじで、寒い。昨日の朝なんか、本当に冷たい雨が降ってた。この時期の冷たい雨の中、通学していたとき、本当につらかった。冷たい雨の中歩くのはだれにとってもつらいことだと思うけど、ぼくの場合は、ヘビメタ騒音が積み重なる。ヘビメタ騒音でつらいのに、冷たい雨の中を歩かなければならないのだ。昨日の夜まで、ずっとヘビメタにやられていて、眠れない真夜中と早朝をすごし、ボロボロの状態で、冷たい雨の中に出ていくつらさはない。寝不足で、体力がない状態で、冷たい雨の中を歩くつらさといったらない。

コンビニに行くときもコンビニから帰ってくるときも、ヘビメタ騒音の道を通らざるを得ないので、くるしい気持ちになる。俺が動いても、俺が自分の脳みそを抱えて動いている以上、気違いヘビメタにやられていた頃の感覚というのが、消えない。ようするに、どこを歩いていても、この世の普通の雰囲気があるかぎり、ヘビメタのこの世の雰囲気があるのだ。

(だれにとってもつらいことだと思うけどと書いたけど、一部の例外はいるだろう。だれにとってもではなくて、ほとんどのひとにとってつらいことだろうと思う。)




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騒音サイコパス18: 兄のヘビメタ騒音で人生がない
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2018年12月16日日曜日

起きてから寝るまで、作業中もヘビメタ騒音のことばかりだ

外壁修理をした。

その時、目にほこりが入った。



いちおう作業終了。



いま、風呂から出たところ。



なんか目がごろごろする。



   *   *   *



今日は、エアコンつけっぱなし。

いちおう、屋根とエアコンはある。

   *   *   *

目がごろごろするけど、寝る。あーあ。
まだちょっと余力があるけど、このまま起きていると腹がへってまたご飯を食べて歯磨きをしなければならなくなる。


しまったな。防塵サングラスをかけてやればよかった。完全なやつがどこかにいってない。隙間がある防塵サングラスしかない。

にしても、本当に、ヘビメタが鳴ってたな。この時間。日曜日はずっとうるさかったなぁ。

この世の感じが、こういう感じなんだよ。これは、きつい。起きてから寝るまで、作業中もヘビメタ騒音のことばかりだ。『あんなにこだわってやったのに、やってないとか言って……』『あれだけゆずらないで頑固にやったのに、ゆずったとか言って……』というようなことが頭の中をまわってる。

2018年12月13日木曜日

気違い兄貴がヘビメタ道具を買ったときから人生がかわってしまった


俺はふたたび、いいことを考えて眠る。

至近距離で実行可能ないいことを考えるよ。



正直言ってつかれたよ~~

つかれた~~

今日もつかれた。



ヘビメタ騒音がなかった人生が欲しい。

ヘビメタ騒音がなかった人生が、どーーしても、欲しい。

気違い兄貴がヘビメタ道具を買ったときから人生がかわってしまった。これ、本当にデカイ。他の人にはまったくわからないのだろうけど。






2018年12月12日水曜日

そういう精神主義的なことは、おなじ条件でおなじことをやられた人じゃないと、ダメだ


紅茶がうまい。
紅茶はいいね。このあいだ言ってた砂糖代用品を買うかどうかまよっている。あれで、麦茶を飲むというのは、いい感じがする。麦茶はものすごく安いからな。コスパが高い。

ここにも書くべきではないのかもしれないけど、ヘビメタ騒音のことで、けっこう頭がいっぱいだ。で、夢もそれに関連したいやな夢だった。生活のすべてがそうなるんだよ。ともかく、俺は今日、悪夢を四回ぐらい見た。それぞれ別の話だけど、不愉快な話しだ。寝過ぎもダメなんだけど、つかれているんだよな。その疲れというのが、いまではすべてがヘビメタ騒音に関連している?つかれなんだよ。

ともかく、ぼくはなにをやるにしても普通のスタートラインには立ってないのである。

まあ、エアコンがつけられる部屋にいて、好きなときに紅茶を飲めるのだから、それは、いいことなんだけどさ……。

そう言えば、アレルギー系の飲み薬をアマゾンで買うかどうかまよっている。たぶん医者でもらったやつとおなじ成分(の一部)が入っていると思うやつを見つけた。

寝る前に『いいことを考えて寝よう』みたいなことを書いたけど、結果は悪夢四個だった。悲惨な結果だ。まあ、これに関しては、「特に悲惨だと思わない」という考え方もできる。こういう小さいことに関しては『受けとめ方の問題』ということになるけど、『ヘビメタ騒音』に関しては受けとめ方の問題ではないという部分がある。あれを『受けとめ方の問題』だと言われると腹が立つなぁ。だって、そういうふうに言っているやつだって、たとえば、午後四時から午後一一時一一分まで、気違いヘビメタをあの至近距離で、あの音のでかさでやられれば、眠れなくなって、次の日に影響が出る。やられているあいだも、受けとめ方の問題だ』などとこころでどれだけ強く思っても、「くっそうさるなぁ!!」という基本的な感じ方は変えられないのであり、くるしい思いをすると思う。これが、かえられると思っている人は、どれだけぶたれたって、痛いと思わないというような人間だ。痛さだって、受けとめ方の違いなのだから。で、そういう精神主義的なことは、おなじ条件でおなじことをやられた人じゃないと、ダメだと思う。本当におなじことを経験した人じゃないとダメだと思う。実際におなじように、おなじ期間、やられた人じゃないと、『言う権利がない』。そもそも、言う権利がないんだよ。同じ体験をした人が言うならいいけど、同じ体験ではなければならない。『同じような体験』とか『似たような体験』じゃダメだ。

それから、ヘビメタ騒音問題というのが、親父のハンダゴテ問題以上に、『ダメ問題』なんだよ。これは、どういう意味かというと、ヘビメタ騒音であらわれる症状がすべて『だめ人間』に関連しているということだ。これがデカイんだよな。もちろん、学力的な意味で能力を下げられるけど、他のところでも、能力を強制的に下げられる。そうなると、まわりの人が、能力の低い人に対する態度で俺に対処してくるということになるので、俺にしてみれば言い様のないようのない不愉快な気持ちを感じるということになる。




2018年12月10日月曜日

「普通にだるい状態」に出世したい


「特別にだるい状態」から「普通にだるい状態」に出世したい。気違いヘビメタでからだがボロボロ。満身創痍のからだで、外に出てもいいことがないんだよ。常日頃から、常に「ヘビメタ騒音の時間」がある。本当にヘビメタで、他の人にはまったくわからないかたちでダメージがある。『鳴り終わったら関係がない』なんて到底言えない状態なのに、●がおかしい、想像力がないやつらがそういうことを言いやがる。

本当、腹立つ。


   *   *   *

やっぱり、ヘビメタでくるしい。ダメだ。こりゃ。
これ、どれだけ言っても、他の人にはわからないことなんだよな。デカイテレビの音ぐらいの騒音が一日に一時間ぐらい鳴っていたと思う人がいるんだけど、そういうことじゃない。

俺が騒音時間と騒音音量について説明したあとですら、そういう感覚しかないんだよな。しかも、『相手』は強く言えば、やめてくれる相手だと思っている。俺が兄貴のことを説明したあともそう思っているんだよな。

そんな、ちょっとデカイ騒音が一時間鳴っている……ぐらいの騒音じゃないから。本当にくるしい。すべてがズタボロになる。気違い兄貴が、あんなデカイ音で……普通の人が想像できないような音で鳴らさなければならないという法律はないのだから、鳴らさなきゃいいんだよ。

けど、気違い兄貴のなかには、すべての時間、ヨソの家では絶対にあり得ないようなデカイ音で、鳴らさなければならないという気違い的な法律が成り立っていて、つねにその法律に従って鳴らしまくる。

どんな、細かい時間も使って鳴らしまくる。もちろん、長く使える時間は、ずっと使って鳴らしまくる。鳴らすとしたら絶対に『よその家では一分だって鳴らせないようなデカイ音で』鳴らすのである。

で、自分が気違い的にデカイ音で鳴らしているという感覚が、『親父のように』ないんだよね。現実否定。普通なら、一目でわかることを、否定する。正反対のことを言って否定する。頭がおかしいレベルで否定する。ずっと否定する。生きているかぎりずっと否定する。

気違い兄貴が鳴らしている音がデカすぎる音だというのは、幼稚園生だってわかることなんだよ。気違い兄貴だって、ヘビメタでなければ、一秒でわかることなんだよ。それが、何十年間もわからない。

わからなければ!!!

どれだけ、血相を変えて、すべての時間鳴らしてたって、鳴らしたことにならないんだよ。そういう音で鳴らしたことにならない。本人のなかでは、『普通の音で鳴らしてた』ということになっているのだろう。

ぜんぜん違うのに、頭がおかしいからわからない。

芝居をしているのではなくて、『ハンダゴテが使えない』ということをどれだけ言われてもわからない親父のように、わからない。あれ、兄貴は、(やっている当時)芝居でやっているのかと俺は思ってたけど……そうじゃなかったんだな本当に耳が普通に聞こえるなら、あの音が、普通の音に聞こえるというのはおかしい。明らかにデカイ音として聞こえなければならない。

これ、本当に、親父とおなじなんだよな。

頭の物理的構造が親父とおなじだったんだな。……感覚器からして「いいかえる」。見えたって見えない、聞こえたって聞こえない、くさくたってくさくない……全部おなじ。やったってやってない……全部おなじ。

そうやって気違い的な意地でずっと、『ヨソの家では一分だってあり得ないようなデカイ音で』鳴らしたから、俺がどれだけひどい目に遭っていると思っているんだ。気違い兄貴がハンダゴテで恥をかいたなんてことは、俺がヘビメタ騒音で恥をかいたことにくらべたらなんでもない。

回数だって、俺の方が四〇万回ぐらい多い。いま更新中だからな。あんまりにもはずかしくて書けないことが頭の中をまわっている。ゆるせない。これ、本当、普通の人もやられてみればわかるけど『鳴っているときだけうるさい』というような問題じゃないのである。

全部がめちゃくちゃになる。

『全部がめちゃくちゃになる』ということがからだでわかってないだけだろ。『過去のことはどうでもいい。過去のことは現在に影響を与えない』なんて言うやつはからだでわかってないだけなんだよ。

そりゃ、ヒトゴトだったら、自分のからだではないのだから、なんとだって言える。で、その言葉が俺を傷つける。はっきり言って、どれだけいい人でも、腹が立つよ。どれだけ世話になった人でも腹が立つよ。親友でもなんでも腹が立つよ。そういうことを言うやつには激しい怒りを感じる。いまもだ。

けど、そういう人たちは、単に自分の感想を言ったにすぎないという考え方に立つこともできる。しかし、それにしては、侮辱している。こんな侮辱あるのかな? これ、「(そのように言われたことでエイリが)侮辱されたと感じるのはおかしい」と感じるやつもいるんだろうけど、違う。やられてみればわかるよ。何千日も、何年も何年も、毎日積み重なればわかるよ。

気違いがやりまくる……やっている気違いはまったくやっているつもりがない。デカイデカイ音で鳴らしているという現実を無視する。(こっちが)どれだけ言っても、無視する。こういう空白。気違いの頭のなかにだけ成り立つ、こういう現実否定の空白。現実否定の空白にもしづいて、気違い的な意地で一〇〇%やっているのに、本人は一〇〇%やってないと思っている。

全部の時間、デカイデカイ音で鳴らしているのに、全部の時間、デカイデカイ音で鳴らしてないと思っている。こういう空白。意識の空白。認知の空白。こんなのない。

全部、やりがちじゃん。影響を受けないようにしようとしても、うけた。これも、実際に『やられてない人』はわかってないんだよな。受けないようにしようとしても受けるんだよ。これも、本当に頭にくる。

で、ただ単に感想を述べたのに、俺が怒ると、その人にとっては、俺が発達障害に見えるんだよな。そういう言い方をするのであれば、発達障害はどっちか? そういう言い方をするのであれば、想像力がなくて、あるいは、常識に従いすぎて、俺が言っている基本的な情報を無視しているのはどっちかということになる。俺が言っていることを無視するな。発達障害じゃないんだろ。

一日に一時間ぐらい、ちょっとデカイ音で鳴らされたぐらいの問題じゃないとずっと言ってるだろ。実際に会った人には、ちゃんと、時間の長さと音のでかさと期間の長さについて言っているだろ。(このサイトの読者に関しては、このサイトに俺が書いた部分を読んでない人もいるだろうから、そういうことは言わないけど。小説に収録した分は削除しているからね。)

ともかく、俺がちゃんと、時間の長さと音のでかさと期間の長さについて言ったにもかかわらず、それを過小評価したり、嘘だと思う人は、俺を侮辱している。言いたいことは、『俺が腹を立ててあたりまえなんだ』といこうとだ。

特に、俺とおなじ時代を生きて、俺のことをよく知っているのにもかかわらず、……俺がされたこと、俺が経験したことを(自分の体験ではないけど)知っているのにもかかわらず、そういうことを言う人からは……そりゃ、気持ちがはなれるよね。そういうことを言う人から、俺の気持ちがはなれる。

で、気違い兄貴に言っておくけど、そういうことになっちゃうんだよ。気違い兄貴にわかるように言っておく。ハンダゴテの問題は、親父が『金を出したくない』という気持ちで、金を出さないことにこだわりつくしたから発生している問題なんだよ。

兄貴がコミュニーション障害みたいに言われたり、説明がへたくそすぎる人みたいに言われたり、そのハンダゴテが使えないハンダゴテだと判断できないバカな人みたいに言われるのは、親父がこだわったからだ。親父側の問題なのである。

けど、ヨソの人から見ると、兄貴側の問題であるように見える。兄貴の能力が劣っているから、そういうことになるとヨソの人は(勝手に)見なして、そういうふう見なした上で(自分なりの)感想を言ってくる。それは、そう見えてしまうのだからしょうがない。

けど、これは、ヨソの人の……間違いなんだよ。兄貴のヘビメタ騒音問題も、兄貴が気違い的デカイ音で、すべての時間鳴らすことにこだわりつくしたから生じていることなんだよ。兄貴が『ヨソの家』で静かにするように、一日中ヘッドホンして静かにしてくれたら、こんな問題は生じてない。俺のヘビメタ騒音問題は、兄貴が自分が満足できるデカイ音でヘビメタを鳴らすということにこだわったから生じていることなんだよ。

これは、親父のハンダゴテ事件とおなじだ。親父が、普通ならこだわらないことに、こだわってこだわってゆずらなかったから、ヨソの人から兄貴が劣った人間のように言われるという問題が生じている。

まさに、気違いヘビメタ騒音問題もそうなんだよ。気違い兄貴が、よその家で静かにするように、普通にヘッドホンをして静かにしてくれたら、生じなかった問題なんだよ。俺とヨソの人の対立は、生じなかったことなんだよ。

   *   *   *

俺がまるで「こわいひと」のように思われるんだぞ。ここに、ずっと書いているだけで、そう思われる。一部の人はそう思う。この一部の人たちとは、性格が悪い人たちだと思うので、つきあいたくはない。

けど、これも不幸なことで、気違い兄貴が『自分の音にこだわりつくして、すべての時間その音で鳴らす』ということを一四年間にわたって毎日しなければ、生じなかったことなんだよ。少なめに言って一四年間って、どういう期間の長さだと思っているんだよ。親父のようにやったそばから、忘れて、やったそばから『ぜんぜん関係がない人』になっているから、ぜんぜんわかってないんだよ。

こだわりつくして、意地に鳴ってやっている本人がまったくわかってないという、気違い空間。こんなの、普通の家に育った人に、わかるはずがない。片鱗でもわかるはずがない。実際に、七時間から一三時間、あの至近距離で、あの音のでかさでやられたことがない人は、一日の中で七時間、ヘビメタが鳴っているということの意味がわからない。

あの音のでかさで、一日に七時間ヘビメタが鳴っているということの意味が、本当にわからない。本当に『鳴っているときだけ、うるさくてこまる』というような問題だと勘違いしている。そんなんじゃない。

『そんなのお兄さんに言えばいい』というようなことを言う人は、こういうことに関しても、軽めに考える傾向がある。これだと、本当はお兄さんはタイして鳴らしてなかったんだけど、エイリが小さな音に異常にこだわる人だからそういうふうにいつまでもこだわって言っている……と思っているように思える。

全部、違う。

『エイリが小さな音に異常にこだわる人で』というところを、エイリが『「普通のよくある騒音」に異常にこだわる人で』と言い換えてもおなじだ。全部違う。普通のよくある騒音じゃない。

この人たちは、せいぜい、隣の部屋でテレビが大きめの音で鳴っているぐらいの騒音しか体験してないのではないかと思う。しかも、鳴らしている人は『音をさげてくれ』と言われれば、音をさげたのだと思う。ぜんぜん違う。

そういうレベルの騒音じゃないからこまっているんだろ。
そういう人じゃないからこまっているんだろ。

俺は、何度も言うけど、気違い兄貴がフォークギターをずっと練習していたときは、なにも言わなかった。三味線でもたぶんなにも言わない。あんな漆喰壁の和室で、あんなデカイアンプ付きスピーカーを使ってエレキギターを鳴らしていたから文句を言っている、わけだ。これ、ぜんぜん違う。六畳間にあんなデカイスピーカーを三つも持ち込んでガンガン鳴らしている。テレビについているスピーカーとは、ぜんぜん違うんだよ。

別次元。

出せる音がそもそも違う。そういうことも、わからないまま、俺の言っていることを否定するやつというのは、どういう頭の持ち主なんだ? 『そんなんデカイ音で鳴らす人はいない』『デカイ音で鳴らしてたら絶対に家族が文句を言う。言わないなんておかしい。(エイリの話しは)嘘に違いがない』こういう、常識的な思考をする人たちは、間違っている。現実がわかってない。

けど、現実がわかってないのにもかかわらず、俺に対して判断を下す。それは、親父の性格を理解せずに、『ちゃんと説明すれば、お父さんはわかったはずだ。おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪いからわからなかったんだろ』と思った人の判断とおなじだ。根本が間違っている。

まあ、間違っているということは、認めたくないから、認めないと思うけど。そういう傾向は一般の人にもある。別に、親父や兄貴のように認知システムがおかしい人だけにしょうじることじゃない。

ともかく、『鳴ってたとしても、たいしたことないだろう』と思う人はみんな、間違っている。ものすごく基本的なところで間違いを犯している。そういうことじゃないんだ。そういうふうに言っている人だって、実際におなじ態度でおなじことをおなじ期間やられたら、わかる。

『過去なんて関係がない』『過去は現在に影響を与えない』と言っている人だって、働けないからだになる。なので、無職歴がつもるようになる。鳴っていなければよゆうで合格した大学にも受からなくなる。からだがだるくて睡眠回路がこわれて、引きこもりになる。『俺だったら、静かにさせることができる』『いっくらなんでもそんなに長い間やられてない』と言っている人だって、やられる。

これ、相手が気違いなのかどうかわかってない。

法律だって、相手が未成年でこっちが未成年で、親が『気違い』であれば、味方をしてくれない。騒音に関する法律というのは、たいへんに弱い。『家族で話し合ってください』なんてことになる。親が気違いだけど、その気違いのしくみがわからないんだよな。兄貴のヘビメタ騒音は、親父のすべてのことに対することのコピーだ。

問題の発信源……諸悪の根元である親父が……是正できるわけがないでしょ。家族で話し合えって言われても……。お母さんは、こまっているだけで、強制力がない。おまけに、最近になって気がついたことだけど、お母さんには、うちの問題を隠したがる傾向がある。するっとこれも、かわしちゃうところがある。

お母さんは、兄貴に注意してくれるけど、兄貴が無視すればそれでおしまいだ。親父も兄貴もお母さんがどれだけ注意しても、きかない。やりたいことは絶対の意地でやる。注意されたから、「やらないでゆずる」なんてことは、絶対にあり得ない。一分だってあり得ない。

そういう構造が、できあがっている。

気違い兄貴が鳴らす前から、実はできあがっている。親父が気違い的な意地でやり始めたことを、家族はとめられない。どれだけ注意しても、気違い親父が絶対の意地でやりきる。

しかも、親父のなかでは「やった」ことになってないのである。こんなのは、信じられない。信じられないという気持ちもわかる。けど、うちではそうなんだよ。本当にヨソの人にはわからない問題を抱えて、本当にこまったよ。

2018年12月9日日曜日

もっとちゃんと自分の頭で考えた方がいいんじゃないかと思う


起きた~~
ちょ~~つまんない~~

けど、丁寧な人が米を届けてくれた。米一〇キロ買っちゃったよ。『重いのありがとうございます』と言ったら『いえ、とんでもない』と言っていたなぁ。まあ、運ぶ人や出荷する人に配慮すると五キロなのだが、一〇キロ買ってしまった。

まあ、一〇キロなら、どうにかなるだろう。

これが、九州のお米で、うまいんだよ。ブレンドなんだけどね。安めでうまい。水が水道水で、あの日に汚染されて飲めなくなったみずがめの水なんだよね。活性炭をいっぱいみずがめに放り込んで、放射線量が下がったんだけど、あんまり信用してない。

けど、ずっと飲んでいる。水道水なんだよな。むかしはペットボトルで買ってたけど、いまは、水道水だ。九州あたりに引っ越した方がいいんだけどな。ここから、九州に引っ越すとなると、ものすごく金がかかりそうなんだよな。家の修理とか引っ越し代は、長年の節約を吹き飛ばすような効果があるから、金銭的にはなるべくしたくないことだ。

しかし、みんなどうなんだろうね。
まあ、ぼくの場合一五年毎日ヘビメタ騒音があるので、すべての基準で他の人とは違ってしまったんだよ。で、また、こういうことを、書くと、アクセスが減るんだよ。けど、俺は書くよ。書きたいから書くのだ。

本当にくるしいんだよ。

理屈では書かないほうがいいと言う人たちや離れていく人たちの気持ちはわかる。わかるよ。わかるけど、いちおう書いておきたい。自分が人生の中で本当に思ったことを書いておきたいんだよ。

まあ、普通の人と普通に交わるには、このとは隠しておいた方がいいことだ。このことというのはヘビメタ騒音のことだ。俺がやった悪いことじゃなくて兄貴がやった悪いことなのに、なぜか、誤解する人たちがいる。

その人たちは、無職や引きこもりというものに偏見がある。その偏見が強すぎるから、『だれだってあれだけ長い期間、あれだけでかいヘビメタ騒音を鳴らされたら、無職引きこもりになる』ということがわからないだけだ。

引きこもりに関してはいつでも解消できる。英会話学校や料理学校に通えばいい。おカネのことを考えてやらないけど、それだけで、引きこもりの定義からは、はずれる。

旅行だって、行こうと思えば行ける。ただ、旅行中ずっと、ヘビメタ騒音の雰囲気にさいなまれるから、暗い顔にならざるを得ないが……。そして、もし誰かと旅行に行ったとして、僕がずっと暗い顔をしていると、その人があんまり言い思いをしないだろうということを考えて、誰かといっしょに行くというのは、なしにしているわけだ。

実際、むかしぼくのことを少しでも元気づけようと、いろいろと連れて行ってくれた友達がいたんだけどね……。まあ、あんまり俺は、元気ではないわけ。気を遣わせるのもなんだし、俺がむりやり気を遣って明るいふりをするのもこころが破けそうになるので、いまも、これからもするつもりはない。

   *   *   *

『そんな音、鳴らされたら働けなくなるよな』と一発でわかる人と、『過去のことは関係がない』と頭がおかしい誤解をするやつと、どう違うんだろうな。過去のことでも関係があるんだよ。本当に頭にくるやつらだ。

ぼくは別に引きこもっている人やもと引きこもりをバカにしてない。ぼくは別に底辺の人をバカにしてない。ただ、引きこもりを甘えだというもと引きこもりは問題だと思うし、「鬱病は甘えだ」というようなこと言うもと鬱病患者のことも問題だと思う。

あくまでも、そういう発言をした人たちだけだから。別に、もと引きこもりでも、そういう発言をしなければいいわけ。「自分の場合は甘えだった」……これならいいわけ。けど、そのあとに「だから、引きこもりは甘えだ」と言うのであれば、問題があると思う。引きこもり出ない引きこもりはいないので「引きこもり」と言った場合は、「引きこもり全体」を指すということがわかってない。

いたしかたがない状態で引きこもっている人もいる。その人の場合は、甘えじゃない。けど、一緒くたにして『引きこもりは甘えだ』と言う人はそういうことが、完全にわかってない。だから、いちおう批判したわけで、言いたいことはそれだけだ。

引きこもりじゃなくて、もと鬱病患者が『鬱病は甘え』といった場合でもおなじだ。あるいは、無職全般に対する激しい偏見もおなじだ。働いているかどうかで人の善し悪しは決まらない。

しかし、常識にとらわれている人の頭には『働いてない人は悪い人だ』という根拠のない妄想が浮かんでしまう。

これも、『すべては思考』にとらわれているからで、現在無職である人にもいろいろな人がいるのだから、一概には言えないということがわかってないのだ。無職ではない無職はいないのだから、「無職」と言ったらすべての「無職」を指すことになる。これがわかってないんだよね。

一括思考。
すべては思考。

どういう事情があっていま現在無職なのかということを、考えなければならない。それを全部一緒くたにして、『働いてない人は悪い人だ』と決めつけてしまう。これが善いことか悪いことかと言うと、これは悪いことだ。そういうごく普通の当然の意見が封殺されている。もっとちゃんと自分の頭で考えた方がいいんじゃないかと思う。

この日差しのなかでくるしかった。


そろそろ眠たくなったので、布団の中にはいる。

眠たくなったとは言え、たぶん、午前一一時ぐらいまでは眠れない。



いまから、作業できるかな?

できないな。



それにしても、ヘビメタでくるしかった。

この日差しのなかでくるしかった。



「あれ、本当にあれだこだわってやって、やったつもりがないのかよ」というような言葉が浮かんでくる。道を歩いているときもめしを食っているときも作業しているときも浮かんでくる。



自分が歩いているシーンが浮かんでくる。その時考えていることはやはり「ヘビメタ騒音のなかでくるしかった」「あいつは、こだわりきってガンガン、デカイ音で鳴らしていたのに、デカイ音で鳴らしていたつもりがないのかよ?」「俺がどれだけ、『やめてくれ』『静かにしてくれ』と言ったと思っているんだよ??」「本当に細かい時間まで使って気違いヘビメタを、デカイデカイ音で鳴らしやがって」というようなことだ。



気違いヘビメタで弱ったからだでずっと生きてきた。ゆるせない。こういう日差しのとき、残留ヘビメタ騒音で、くるしかった。からだがつらくてつらくて、たまらなかった。こういうからだをむりやり動かして、他の人に遅れて!ついていって、いやだった。気違いヘビメタを前日、前々日、一〇〇日前、二〇〇日前とやられなかったら、俺だって元気に先頭をつっぱしっているんだよ。どんだけ……。本当に、何千日もやられて、からだが弱くなった。すべての時間、つらい状態になった。これ、本当に、『騒音の問題』と言うと、鳴っているときだけうるさくてこまるんだと思う人が多いけど、ぜんぜん違う。平均八時間ぐらい鳴っている騒音はすべてをぶちこわす。能力、機会、人間関係、すべてをぶちこわす。どうしたって、低位に甘んじなければならなくなる。しかも、からだがくるしい状態で無理してがんばって、低位だ。(実際には、学力的には常に平均以上だったけど)。常に不利なんだよな。常にハンディがある状態で、のろのろやっている。



だれだって、俺とおなじように、家族に気違いがいて、そいつがめちゃくちゃな意地で騒音を鳴らし続けたら、愚痴を言うのに、俺が愚痴っぽい人間だと思われるわけだよ。気違い兄貴よ! 気違い兄貴は親父とおなじだ。親父が怒ったあとまったく気にしてないのとおなじだ。兄貴が怒ったあとまったく気にしないでヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らしたけど、親父のように『それに気がつていない』のだよ。これ、ズッとやっているのに、ズッとやってない気持ちになってしまう。そんなのは知らない』というのは、やってないという意味なんだよね。じゃあ、一分でもヘッドホンをつけてくれるのかというとそれは、絶対にない。気違い親父が、ハンダゴテの金を出さないように、絶対にない。で、やっているのに、本人は『気にしてないから』やってないつもりになっている。気にせずに……相手が言ったことは気にせずに、自分の都合を押し通して、一〇〇%自分がやりたいようにやれば、それで、「やってない」つもりになってしまう。そういうところがあるんだよ。一〇〇%やりきっているのに……続けてやっているにもかかわらず……一〇〇%やってないつもりになっている。まったく知らないつもりになっている。こんなのあるか?って。あるんだよ。うちだとある。毎日普通に、そういうことが成り立ってしまうのが、うちだ。だから、普通の家に育った人には絶対にわからない。感覚としてわからない。だから、『言えばいい』とか『家族で話し合えばいい』というような助言を俺にする。けど、その助言は無意味だ。で、無意味だということを説明しても、その人はその人で、認めない。自分の助言が無碍にされたような気分になって、不愉快になる。そうすると、俺とその人とのあいだ亀裂が走る。気違い兄貴の性格を巡って、意見が対立するというわけだ。これは、『親父にちゃんと言った』という兄貴と、『ちゃんと言えばつたわるはずだ』という第三者のあいだに亀裂が入るのとおなじだ。当の本人は、まったくシランプリなんだよ。「どれだけこういうことがあった」ということをこっちが言っても、「なんだ!そんなのぉ!!」と口を立てて目を三角にして怒った途端に、忘れてしまう。ぜんぜん関係がな人になってしまう。そのあとずっと、それを押し通したとしても、まったくやってないことになってしまう。それというのは、当の問題行為だ。押しつけている毎日がずっと続く。押しつけられている毎日が続く。どれだけこまっても、気違いが異常な意地でやり通す。異常な感覚で「やってない」と思ってしまう。やっているのにぜんぜん関係がないつもりで」気違いが自分の意地を毎時間毎時間、押し通す。気違いだから、是分自分が好きなようにやりきれたら!!やってないのとおなじなんだよ。「やってない」『そんなことは知らない』と思ってしまう。その都度、『やっているじゃないか』と言っても、本人が怒っちゃったらおしまいなんだよ。で、本人が怒るのは決まっている。それは、『自分』がやりたいことを、相手が「やめろ」「やめてくれ」と言うからだ。最初から、怒ることが決まっている。で、怒ったら、一瞬で忘れる。そういうことを、何万回、何十万回繰り返しても、本人は『まったく知らない状態』を維持できる。主観的には『まったく知らない状態』なんだよ。あるいは、主観的には『まったく関係がない状態』なんだよ。



当の行為を意地を張ってやっている気違い兄貴に言っても、気違い兄貴は、気違い親父のように否定しておしまいだ。「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という感覚さえ成り立っている。「おまえの行為だからだ」と言っても、そういうのは、『すり抜けて』わからない。



兄貴にわかるように言っておくと、親父は、親父が押しつけたハンダゴテについて、兄貴が『これこれこういう理由で恥をかいた』ということを言っても、「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という気持ちになっていたんだよ。俺が兄貴に、兄貴のヘビメタ騒音のことについて、文句を言っているのに、兄貴には「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」というような気持ちが……親父とおなじように……成り立ってしまう。そのくらいに「つもり」がないんだよ。じゃあ、ちょっとでも本当にゆずってくれるかというと、それは絶対にない。ゆずるなら、自分がゆずりたいようにゆずるわけで、これは、『うちにあるハンダゴテを用意してやった親父』とおなじ状態だ。「うちにハンダゴテがあるのだからそれを持っていけ」と言っている親父は、最大限に譲歩して、ハンダゴテを持ってきてやったつもりなのである。だから、最大限譲歩してハンダゴテを持ってきてやっているのに、『使えない』と文句を言ってくる兄貴の方が悪いと本気で思っているんだよ。なにも、意地悪でそうしているつもりはないんだよ。気違い親父の感覚で行動すると、どこからスタートしても、そういうもめごとがしょうじる。で、本人は意地悪でそういうことをしたというわけではないというのが問題の深さを物語っている。こんなのは、本当は、悪意があって、(本当は使えないと知っていたけど)わざと知らないふりをして、恥をかかせてやろうというようなプランを立てなければできないことなんだけど、ごく普通にそうなる。だれもが使えないとわかるようなハンダゴテを物置から出してきて、相手がどれだけ『使えない』と言っても、『使える使える』と言って押しつける。それで、兄貴が学校で恥をかいても、シランプリだ。それは、説明されなかったからわからないのではなくて、説明されても、わからない。現実を否定して受けとめない。だから、言われたあとも、言われてないのとおなじ状態を維持することができるのである。どれだけ『使えなかった』と言われても、使えないという現実は絶対に認めないままだから、気持ちに変化がない。認知・認識に変化がない。親父にとってはどれだけなにを言われても『使えるハンダゴテ』のままだ。そして、兄貴がそのハンダゴテで……自分が押しつけたハンダゴテで笑いものになったということも認めない。要するに、自分が押しつけたハンダゴテで長男が恥をかいたということも、認めない。認めなければ、それは、親父にとって「ないこと」なんだよ。現実ではないことなんだよ。あるいは、「なんだ!そんなの」という言葉を発して、相手にとっての『意味』を否定すればそれでおしまいだ。相手の気持ちということにかかわるけど、これも、現実否定の一種だ。認めたくないこと、認知したくないことは、「なんだ!そんなの!」と言って認めないのである。本人戸って都合が悪いことを言われたら、「なんだ!そんなの!!」と怒って、おしまいだ。本人が怒ったら、それで、おしまいなんだよ。気違い親父には、どうして兄貴がハンダゴテのことで親父に文句を言ってくるのか、まったくわからない状態を維持することができる。言われたあとも、本当にわからない。実際には二回しかもめてないけど、何百回、何千回もめても、わからないままだ。こういう人間がいるということが、ヨソの人にはわからない。



2018年12月8日土曜日

「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」について


ああ、それと! ぼくはそのうち、貧乏生活をやめる!
わりとリッチな生活に移行するつもりだ。
そのうち、「あのころは貧乏生活?をしてたなぁ」と思うようになるだろう。いちおう、宣言しておく。
で、言いたいのは宣言をしておけば現実が追いつく(現実になる)というような考え方は、別にきらいじゃない。本人がそう思っていることは別にいいわけ。けど、それが宇宙をつらぬく絶対法則だとか、どんな人間にも成り立つというような話になってくると違うんだよね。どうしてかというと、人を責めることになるから。これ、他の人に向かっていっている人たちはわからないのだろうけど、案外人を責めている。たとえば、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことを言ったりする。『言えば……、現実が言ったとおりになる』という考え方なんだよ。そうなると、実際に病気である人は、好きで病気になっているということになってしまう。好きで病気を治そうとしないということになってしまう。「言えば……治るのに、どうして言わないんだ」というような責めがしょうじる。「言った」と言う人には、「本当に思って言ってない」とか「もっともっと、たくさん言わなきゃダメだ」というようなことを、アトダシで言うようになる。どうして、アトダシかというと、最初に言った言葉は「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という意味であるわけで、『言い方』とか『本当にそう思っていったかどうか』ということが、問題になってないからだ。言えば……ただ、言っただけで……どんな言い方でも!ただ言っただけで……絶対に病気は治るのだから、そもそも、言い方が問題になるわけがない。アトダシで、ぜんぜん違うことを言い出す。それに、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人だって病気で死んでしまったりしている。それから「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」とか普段人に対して言っている人だって、虫歯になって歯が痛くなれば、歯医者に行く。虫歯も一種の病気なので、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という言葉は虫歯の場合でも成り立つ。虫歯だけダメだとかそういうことはない。「虫歯が治ると言えば、絶対に虫歯は治る」のである。しかし、実際には『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』と言っても、虫歯が治らない場合がある。というか、ほぼ一〇〇%『虫歯が治る』と言うことでは、虫歯は治らない。「言ったら治った」と言っている人は、なにか他のことをしている。言ったことと、なにか他のことをやった時期が近接しているので、『言ったから治った』と本人が思っているだけだ。ともかく、宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人は、現在病気である人を責めている。本人がいい気分になって気がついてないだけだ。けど、自分が病気なら一回目は!!!「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言われても悪い気はしないだろう。なんと言っても自分の病気が治ると他人が言っているわけだから、不愉快ではない。けど、治らない状態が続いて、ずっと言われ続けたらどうか? 言われ続けた人は「ふざけるな」と言いたくなるだろ。言われ続けた人は「すでに何回も言った」と言いたくなるだろ。そうすると「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本気で信じている人は「言い方が悪い」「本当に心をこめて言ってないからダメなんだ」と間違った前提に立って、人を責めることになる。なので、他人に対して宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことは言わなほうがいい。自分のなかで自分に対して言っていればいいことで、他人にいうべき言葉ではない。特に、宇宙をつらぬく絶対法則としては言うべきではない。

というわけで、本人が「病気が治る」とか言うことは別に悪いことではないわけ。「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本人が信じていて、本人が本人に対して「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言うのはべつにいいわけ。どんどんやって欲しいわけ。けど、他の人に言うのはどうかな? 特に宇宙をつらぬく絶対法則としていうのはどうかなと思う。

2018年12月7日金曜日

『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている


まあ、いろいろなサイトを読んで、思うところがあるよ。
にしても、午前四時台は、最悪だな。ヘビメタ騒音で眠れないまま、午前四時になってしまったときのなんとも言えないあせりがある。眠らなきゃというあせりだ。そして、三時間後には、地獄がはじまっている。寝不足のまま、体を動かさなきゃならない。世間の要求にこたえなければならない。『ヘビメタ騒音で眠れない』……こういううったえかけは、あんまり意味をなさない。『そんなのは、お兄さんにいえばいい』『家族で相談すればいい』と言われておしまいだからだ。気違い兄貴の性格なんて、気違い親父の性格のように、『ヨソの人』は理解しない。まあ、ヘビメタが鳴っていると言うことはわかるのだけど、兄貴が『そんなに意地になって』鳴らしているとは思わない。そして、そうやって、気違い的にでかい音にこだわって、気違い的な意地で鳴らしているにもかかわらず、本人は「デカイ音で鳴らしているつもりがない」というのは、まったくわからない。俺だってわからない。わからなかった。気違い兄貴自身はは、デカイ音で鳴らしているつもりがないのだから、わかるわけがない。これが、気違い的な人間の利点なんだよな。「自分の意地を通す」ということに特化している。本当は正常な認知・認識を、自分の意地を通すために、まげてしまう。デカイデカイ音で鳴らしたいから、『こんなのはデカイ音ではない』と思ってしまう。感覚器のレベルでそう思ってしまう。そうしたら、もう、どれだけなにを言っても聞かない。自分がやりたいことは、自分の感覚器をずらしてまでもやってしまう。自分の感覚器をずらすのは、無意識のレベルでしているので、本人はわからない。客観的に言えば、本人だって『デカイ音で鳴らしている』にもかかわらず、そういうデカイ音で鳴らしているということ自体を認めてしまうと、デカイ音で鳴らすことができなくなる場合は、『デカイ音で鳴らしてない』と思ってしまう。そうたら、親父のように聞かない。どれだけ言っても、『こんなのは普通の音だ』『だからどれだけ鳴らしてもいい』という理屈と感情で鳴らしてしまう。
毎日どれだけ言っても、毎日おなじようにそうする。そういう感覚でやっているので、どれだけ長い時間鳴らしても本人は、まったく悪いことをしたと思わない。どれだけ長い時間、どれだけデカイ音で、何回「やめろ」と言われても、ずっとやり通して、まったくなにもやってないつもりで暮らすことができる。毎日暮らすことができる。なので、本人は、『本当に』やってないつもりで、ずっと鳴らすことができる…デカイ音で。
そういう毎日なのだけど、ともかく俺の方は、「きれいごと」はどうであれ、からだが悲鳴を上げているような状態で暮らすしかないということになる。これは、『言えば静かにしてくれるはずだ』と思っている普通の人にはまったく、伝わらない。これも、こまる。けど、俺がやって欲しいことは、気違い兄貴が普通に『ヘッドホンをして』静かにすることだ。毎日、鳴らすときはかならず、ヘッドホンをして鳴らすようにすることだ……。……これだけのことが、一四年間数ヶ月……あしかけ一五年間毎日、通らなかった。気違い兄貴は、一五年間毎日鳴らしていたけど、ヘッドホンをしてくれたときは、一日だけだ。それも、一〇分。他の日は、気違い的な意地で、すべての時間ヘッドホンしないで鳴らしていた。俺が入学試験を受ける前日だって、二日前だって、三日前だって、一ヶ月前だって、二ヶ月前だって、ずっとそうした。で、それが、本当に精神的にこたえるのである。「あんなのはない」……。いまでも「あんなのはない」と思う。特に、午前四時台、午前五時台に起きているときは、眠れないまま、入学試験に行ったときのことを思い出す。入学試験日じゃなくても、俺がどれだけ……。俺がどれだけ、午前四時台、五時台を眠れずにすごして、学校に行ってたと思っているんだよ? 破滅破綻なんだよ。限界なんだよ。そして、午後四時に帰ってくれば、ヘビメタが破滅的なデカイ音で鳴っている。どれだけ『静かにしろ」と言っても、絶対にやめない。そして、本人が風呂に入る時間と夜ご飯を食べる時間を抜かして、ずっと、午後一一時一一分ぐらいまで鳴らす。鳴らし続ける。「(弟は)明日中間テストがあるから、午後一〇時台はヘッドホンをしてやろう」なんて思わない。午後一〇時台だって、一分だって、絶対にヘッドホンをしないで、鳴らし続けた。弟にどれだけ『明日も中間テストだから静かにしてくれ』と言われても、腹を立てて鳴らしてたんだよ。腹を立ててな!! これは、親父が「このハンダゴテは使えない」「技術科の先生もそう言った」と兄貴に言われたときの反応とおなじだ。自分にとって不都合なことを言われたので、腹が立つという反応だ。怒って無視しなければ、相手の言うことを聞かなければならなくなってしまう。そんなのは、どれだけ小さなことだって絶対にいやだという意地がある。この意地が気違い的な意地で、本当にものすごい意地なんだよ。認知・認識をねじ曲げて、「そんなんじゃない」「がたがた、言ってくるな」と言って怒って、やり続ける。やり続けたのだから、やり続けたのに、やり終わった瞬間に、言われもしなかったし、やりもしなかったということになってしまう。そういう、自分にとって都合がいい『気違い頭』なんだよ。で、それでこまっているということは、家でやられている人にしかわからない。ヨソの人にもやっている本人にもわからない。まったく迷惑をかけてないつもりでそういう反応を返して、かならず、気違い的な意地で一分も一秒もゆずらないで、やりきる。そして、三六五日中三六五日、あたりまえのようにやっても、本人は、まったく一日もやってないと思ってしまう。これも、自動的にそう思ってしまうわけで、そう思ってしまったら……本人がそう思ってしまったら、他の人が……特にやられている人が……そういう人(やっている人)の認知・認識をかえることはできない。どれだけ言っても、現実を無視して、そういう認知・認識にとどまる。反対方向の意地と、やっていることに対する関心のなさというのが同居している状態だ。一切合切関係がない状態でやりきっているという認知が成り立っていて、関係があるのだということを認知できない。騒音のことで言うなら、『自分はまったく騒音を出してないので、自分はそのことには一切合切関係がない』という意識が成り立っている。一方では成り立っている。気違い的な意地で、デカイ音で鳴らすことにこだわってこだわって、デカイ音で鳴らすのだけど、一方では、『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている。デカイ音で鳴らしているあいだじゅう『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識や認知が成り立っている。だから、やり終わったときには、『本当にまったく関係がない』つもりでいられる。時間が経った後『そんなの知らなかった』『そんなのやってない』と真顔でいうことができる。あれだけ、こだわりつくして、意地になってやったことなのに……。現実世界で、自分自身が意地になってやったことなのに、やってないつもりでいられる。頭がおかしい。そういう『無関心』がある。そういう『無関心ぶり』がある。その無関心ぶりにも本人は無関心で、「自分がそんなことをしてなんて信じられない」みたいなことを言いやがるんだよ。「そんなのまったく知らなかった。なんだなんだ」……やりたいことを押し通していた当時みたいに……怒って言うことができる。「(どれだけ言われても)関心がない状態でやっていた」と言われると、不愉快になる。これは、自分が鳴らしたいときに「静かにしろ」「ヘッドホンをしてくれ」と言われたときとおなじ反応だ。

この世というのが、ヘビメタ騒音に四六時中やられているこの世


2018年12月07日00時00分27秒
うんむーー。つかれた。
どうするかな??
俺はどうすればいいんだ??
俺はどうすればいいんだ??
もう、ずっと、さっきから、俺はどうすればいいんだ?って考えっぱなし。俺は、どうすれば……。

ヘビメタ騒音で来る日も来る日もくるしかったな。ともかく、くるしかった。この世に存在するというとだけで、たいへんだった。この世というのが、ヘビメタ騒音に四六時中やられているこの世なのだから。

2018年12月3日月曜日

すべての努力が無駄になる騒音

2018年12月03日01時37分50秒
つまんね。どうかんがえてもつまんない。気違いヘビメタで人生がない。どうしても、気違いヘビメタでくるしい。あれが毎日続いて本当にすべてがだめになった。そうじゃない人生というのがない。そして、たぶんだけど、あれだけ毎日ヘビメタ騒音を経験したのは、人類のなかでぼくだけだ。ということは、ぼくがどれだけ言っても、体験としては他の人類にはわからないということになる。そして、他の人類は、自分の人生の中にあった「騒音体験」をもとにして、ぼくの騒音体験について考える。類推。推量。そりゃ、つらい」というのはわかるかもしれないけど、体験としてはわからない。類推しているだけだから、想像に頼っている部分がある。その部分が大きい。大きいと全体の認知にゆがみが生じる。ともかく、あのヘビメタ騒音にやられたのはぼくだけで、あのヘビメタ騒音のおそろしさを知っているのはぼくだけだ。すべての努力が無駄になる騒音。それがヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音生活で、全部ない。ヘビメタ騒音がなければ、ぼくが普通に勝ち得たことは、すべて、ない。気違いヘビメタ騒音にやられたからだで這いつくばって生きてきただけだ。もちろん、不効率。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。