2018年12月13日木曜日

気違い兄貴がヘビメタ道具を買ったときから人生がかわってしまった


俺はふたたび、いいことを考えて眠る。

至近距離で実行可能ないいことを考えるよ。



正直言ってつかれたよ~~

つかれた~~

今日もつかれた。



ヘビメタ騒音がなかった人生が欲しい。

ヘビメタ騒音がなかった人生が、どーーしても、欲しい。

気違い兄貴がヘビメタ道具を買ったときから人生がかわってしまった。これ、本当にデカイ。他の人にはまったくわからないのだろうけど。






2018年12月12日水曜日

そういう精神主義的なことは、おなじ条件でおなじことをやられた人じゃないと、ダメだ


紅茶がうまい。
紅茶はいいね。このあいだ言ってた砂糖代用品を買うかどうかまよっている。あれで、麦茶を飲むというのは、いい感じがする。麦茶はものすごく安いからな。コスパが高い。

ここにも書くべきではないのかもしれないけど、ヘビメタ騒音のことで、けっこう頭がいっぱいだ。で、夢もそれに関連したいやな夢だった。生活のすべてがそうなるんだよ。ともかく、俺は今日、悪夢を四回ぐらい見た。それぞれ別の話だけど、不愉快な話しだ。寝過ぎもダメなんだけど、つかれているんだよな。その疲れというのが、いまではすべてがヘビメタ騒音に関連している?つかれなんだよ。

ともかく、ぼくはなにをやるにしても普通のスタートラインには立ってないのである。

まあ、エアコンがつけられる部屋にいて、好きなときに紅茶を飲めるのだから、それは、いいことなんだけどさ……。

そう言えば、アレルギー系の飲み薬をアマゾンで買うかどうかまよっている。たぶん医者でもらったやつとおなじ成分(の一部)が入っていると思うやつを見つけた。

寝る前に『いいことを考えて寝よう』みたいなことを書いたけど、結果は悪夢四個だった。悲惨な結果だ。まあ、これに関しては、「特に悲惨だと思わない」という考え方もできる。こういう小さいことに関しては『受けとめ方の問題』ということになるけど、『ヘビメタ騒音』に関しては受けとめ方の問題ではないという部分がある。あれを『受けとめ方の問題』だと言われると腹が立つなぁ。だって、そういうふうに言っているやつだって、たとえば、午後四時から午後一一時一一分まで、気違いヘビメタをあの至近距離で、あの音のでかさでやられれば、眠れなくなって、次の日に影響が出る。やられているあいだも、受けとめ方の問題だ』などとこころでどれだけ強く思っても、「くっそうさるなぁ!!」という基本的な感じ方は変えられないのであり、くるしい思いをすると思う。これが、かえられると思っている人は、どれだけぶたれたって、痛いと思わないというような人間だ。痛さだって、受けとめ方の違いなのだから。で、そういう精神主義的なことは、おなじ条件でおなじことをやられた人じゃないと、ダメだと思う。本当におなじことを経験した人じゃないとダメだと思う。実際におなじように、おなじ期間、やられた人じゃないと、『言う権利がない』。そもそも、言う権利がないんだよ。同じ体験をした人が言うならいいけど、同じ体験ではなければならない。『同じような体験』とか『似たような体験』じゃダメだ。

それから、ヘビメタ騒音問題というのが、親父のハンダゴテ問題以上に、『ダメ問題』なんだよ。これは、どういう意味かというと、ヘビメタ騒音であらわれる症状がすべて『だめ人間』に関連しているということだ。これがデカイんだよな。もちろん、学力的な意味で能力を下げられるけど、他のところでも、能力を強制的に下げられる。そうなると、まわりの人が、能力の低い人に対する態度で俺に対処してくるということになるので、俺にしてみれば言い様のないようのない不愉快な気持ちを感じるということになる。




2018年12月10日月曜日

「普通にだるい状態」に出世したい


「特別にだるい状態」から「普通にだるい状態」に出世したい。気違いヘビメタでからだがボロボロ。満身創痍のからだで、外に出てもいいことがないんだよ。常日頃から、常に「ヘビメタ騒音の時間」がある。本当にヘビメタで、他の人にはまったくわからないかたちでダメージがある。『鳴り終わったら関係がない』なんて到底言えない状態なのに、●がおかしい、想像力がないやつらがそういうことを言いやがる。

本当、腹立つ。


   *   *   *

やっぱり、ヘビメタでくるしい。ダメだ。こりゃ。
これ、どれだけ言っても、他の人にはわからないことなんだよな。デカイテレビの音ぐらいの騒音が一日に一時間ぐらい鳴っていたと思う人がいるんだけど、そういうことじゃない。

俺が騒音時間と騒音音量について説明したあとですら、そういう感覚しかないんだよな。しかも、『相手』は強く言えば、やめてくれる相手だと思っている。俺が兄貴のことを説明したあともそう思っているんだよな。

そんな、ちょっとデカイ騒音が一時間鳴っている……ぐらいの騒音じゃないから。本当にくるしい。すべてがズタボロになる。気違い兄貴が、あんなデカイ音で……普通の人が想像できないような音で鳴らさなければならないという法律はないのだから、鳴らさなきゃいいんだよ。

けど、気違い兄貴のなかには、すべての時間、ヨソの家では絶対にあり得ないようなデカイ音で、鳴らさなければならないという気違い的な法律が成り立っていて、つねにその法律に従って鳴らしまくる。

どんな、細かい時間も使って鳴らしまくる。もちろん、長く使える時間は、ずっと使って鳴らしまくる。鳴らすとしたら絶対に『よその家では一分だって鳴らせないようなデカイ音で』鳴らすのである。

で、自分が気違い的にデカイ音で鳴らしているという感覚が、『親父のように』ないんだよね。現実否定。普通なら、一目でわかることを、否定する。正反対のことを言って否定する。頭がおかしいレベルで否定する。ずっと否定する。生きているかぎりずっと否定する。

気違い兄貴が鳴らしている音がデカすぎる音だというのは、幼稚園生だってわかることなんだよ。気違い兄貴だって、ヘビメタでなければ、一秒でわかることなんだよ。それが、何十年間もわからない。

わからなければ!!!

どれだけ、血相を変えて、すべての時間鳴らしてたって、鳴らしたことにならないんだよ。そういう音で鳴らしたことにならない。本人のなかでは、『普通の音で鳴らしてた』ということになっているのだろう。

ぜんぜん違うのに、頭がおかしいからわからない。

芝居をしているのではなくて、『ハンダゴテが使えない』ということをどれだけ言われてもわからない親父のように、わからない。あれ、兄貴は、(やっている当時)芝居でやっているのかと俺は思ってたけど……そうじゃなかったんだな本当に耳が普通に聞こえるなら、あの音が、普通の音に聞こえるというのはおかしい。明らかにデカイ音として聞こえなければならない。

これ、本当に、親父とおなじなんだよな。

頭の物理的構造が親父とおなじだったんだな。……感覚器からして「いいかえる」。見えたって見えない、聞こえたって聞こえない、くさくたってくさくない……全部おなじ。やったってやってない……全部おなじ。

そうやって気違い的な意地でずっと、『ヨソの家では一分だってあり得ないようなデカイ音で』鳴らしたから、俺がどれだけひどい目に遭っていると思っているんだ。気違い兄貴がハンダゴテで恥をかいたなんてことは、俺がヘビメタ騒音で恥をかいたことにくらべたらなんでもない。

回数だって、俺の方が四〇万回ぐらい多い。いま更新中だからな。あんまりにもはずかしくて書けないことが頭の中をまわっている。ゆるせない。これ、本当、普通の人もやられてみればわかるけど『鳴っているときだけうるさい』というような問題じゃないのである。

全部がめちゃくちゃになる。

『全部がめちゃくちゃになる』ということがからだでわかってないだけだろ。『過去のことはどうでもいい。過去のことは現在に影響を与えない』なんて言うやつはからだでわかってないだけなんだよ。

そりゃ、ヒトゴトだったら、自分のからだではないのだから、なんとだって言える。で、その言葉が俺を傷つける。はっきり言って、どれだけいい人でも、腹が立つよ。どれだけ世話になった人でも腹が立つよ。親友でもなんでも腹が立つよ。そういうことを言うやつには激しい怒りを感じる。いまもだ。

けど、そういう人たちは、単に自分の感想を言ったにすぎないという考え方に立つこともできる。しかし、それにしては、侮辱している。こんな侮辱あるのかな? これ、「(そのように言われたことでエイリが)侮辱されたと感じるのはおかしい」と感じるやつもいるんだろうけど、違う。やられてみればわかるよ。何千日も、何年も何年も、毎日積み重なればわかるよ。

気違いがやりまくる……やっている気違いはまったくやっているつもりがない。デカイデカイ音で鳴らしているという現実を無視する。(こっちが)どれだけ言っても、無視する。こういう空白。気違いの頭のなかにだけ成り立つ、こういう現実否定の空白。現実否定の空白にもしづいて、気違い的な意地で一〇〇%やっているのに、本人は一〇〇%やってないと思っている。

全部の時間、デカイデカイ音で鳴らしているのに、全部の時間、デカイデカイ音で鳴らしてないと思っている。こういう空白。意識の空白。認知の空白。こんなのない。

全部、やりがちじゃん。影響を受けないようにしようとしても、うけた。これも、実際に『やられてない人』はわかってないんだよな。受けないようにしようとしても受けるんだよ。これも、本当に頭にくる。

で、ただ単に感想を述べたのに、俺が怒ると、その人にとっては、俺が発達障害に見えるんだよな。そういう言い方をするのであれば、発達障害はどっちか? そういう言い方をするのであれば、想像力がなくて、あるいは、常識に従いすぎて、俺が言っている基本的な情報を無視しているのはどっちかということになる。俺が言っていることを無視するな。発達障害じゃないんだろ。

一日に一時間ぐらい、ちょっとデカイ音で鳴らされたぐらいの問題じゃないとずっと言ってるだろ。実際に会った人には、ちゃんと、時間の長さと音のでかさと期間の長さについて言っているだろ。(このサイトの読者に関しては、このサイトに俺が書いた部分を読んでない人もいるだろうから、そういうことは言わないけど。小説に収録した分は削除しているからね。)

ともかく、俺がちゃんと、時間の長さと音のでかさと期間の長さについて言ったにもかかわらず、それを過小評価したり、嘘だと思う人は、俺を侮辱している。言いたいことは、『俺が腹を立ててあたりまえなんだ』といこうとだ。

特に、俺とおなじ時代を生きて、俺のことをよく知っているのにもかかわらず、……俺がされたこと、俺が経験したことを(自分の体験ではないけど)知っているのにもかかわらず、そういうことを言う人からは……そりゃ、気持ちがはなれるよね。そういうことを言う人から、俺の気持ちがはなれる。

で、気違い兄貴に言っておくけど、そういうことになっちゃうんだよ。気違い兄貴にわかるように言っておく。ハンダゴテの問題は、親父が『金を出したくない』という気持ちで、金を出さないことにこだわりつくしたから発生している問題なんだよ。

兄貴がコミュニーション障害みたいに言われたり、説明がへたくそすぎる人みたいに言われたり、そのハンダゴテが使えないハンダゴテだと判断できないバカな人みたいに言われるのは、親父がこだわったからだ。親父側の問題なのである。

けど、ヨソの人から見ると、兄貴側の問題であるように見える。兄貴の能力が劣っているから、そういうことになるとヨソの人は(勝手に)見なして、そういうふう見なした上で(自分なりの)感想を言ってくる。それは、そう見えてしまうのだからしょうがない。

けど、これは、ヨソの人の……間違いなんだよ。兄貴のヘビメタ騒音問題も、兄貴が気違い的デカイ音で、すべての時間鳴らすことにこだわりつくしたから生じていることなんだよ。兄貴が『ヨソの家』で静かにするように、一日中ヘッドホンして静かにしてくれたら、こんな問題は生じてない。俺のヘビメタ騒音問題は、兄貴が自分が満足できるデカイ音でヘビメタを鳴らすということにこだわったから生じていることなんだよ。

これは、親父のハンダゴテ事件とおなじだ。親父が、普通ならこだわらないことに、こだわってこだわってゆずらなかったから、ヨソの人から兄貴が劣った人間のように言われるという問題が生じている。

まさに、気違いヘビメタ騒音問題もそうなんだよ。気違い兄貴が、よその家で静かにするように、普通にヘッドホンをして静かにしてくれたら、生じなかった問題なんだよ。俺とヨソの人の対立は、生じなかったことなんだよ。

   *   *   *

俺がまるで「こわいひと」のように思われるんだぞ。ここに、ずっと書いているだけで、そう思われる。一部の人はそう思う。この一部の人たちとは、性格が悪い人たちだと思うので、つきあいたくはない。

けど、これも不幸なことで、気違い兄貴が『自分の音にこだわりつくして、すべての時間その音で鳴らす』ということを一四年間にわたって毎日しなければ、生じなかったことなんだよ。少なめに言って一四年間って、どういう期間の長さだと思っているんだよ。親父のようにやったそばから、忘れて、やったそばから『ぜんぜん関係がない人』になっているから、ぜんぜんわかってないんだよ。

こだわりつくして、意地に鳴ってやっている本人がまったくわかってないという、気違い空間。こんなの、普通の家に育った人に、わかるはずがない。片鱗でもわかるはずがない。実際に、七時間から一三時間、あの至近距離で、あの音のでかさでやられたことがない人は、一日の中で七時間、ヘビメタが鳴っているということの意味がわからない。

あの音のでかさで、一日に七時間ヘビメタが鳴っているということの意味が、本当にわからない。本当に『鳴っているときだけ、うるさくてこまる』というような問題だと勘違いしている。そんなんじゃない。

『そんなのお兄さんに言えばいい』というようなことを言う人は、こういうことに関しても、軽めに考える傾向がある。これだと、本当はお兄さんはタイして鳴らしてなかったんだけど、エイリが小さな音に異常にこだわる人だからそういうふうにいつまでもこだわって言っている……と思っているように思える。

全部、違う。

『エイリが小さな音に異常にこだわる人で』というところを、エイリが『「普通のよくある騒音」に異常にこだわる人で』と言い換えてもおなじだ。全部違う。普通のよくある騒音じゃない。

この人たちは、せいぜい、隣の部屋でテレビが大きめの音で鳴っているぐらいの騒音しか体験してないのではないかと思う。しかも、鳴らしている人は『音をさげてくれ』と言われれば、音をさげたのだと思う。ぜんぜん違う。

そういうレベルの騒音じゃないからこまっているんだろ。
そういう人じゃないからこまっているんだろ。

俺は、何度も言うけど、気違い兄貴がフォークギターをずっと練習していたときは、なにも言わなかった。三味線でもたぶんなにも言わない。あんな漆喰壁の和室で、あんなデカイアンプ付きスピーカーを使ってエレキギターを鳴らしていたから文句を言っている、わけだ。これ、ぜんぜん違う。六畳間にあんなデカイスピーカーを三つも持ち込んでガンガン鳴らしている。テレビについているスピーカーとは、ぜんぜん違うんだよ。

別次元。

出せる音がそもそも違う。そういうことも、わからないまま、俺の言っていることを否定するやつというのは、どういう頭の持ち主なんだ? 『そんなんデカイ音で鳴らす人はいない』『デカイ音で鳴らしてたら絶対に家族が文句を言う。言わないなんておかしい。(エイリの話しは)嘘に違いがない』こういう、常識的な思考をする人たちは、間違っている。現実がわかってない。

けど、現実がわかってないのにもかかわらず、俺に対して判断を下す。それは、親父の性格を理解せずに、『ちゃんと説明すれば、お父さんはわかったはずだ。おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪いからわからなかったんだろ』と思った人の判断とおなじだ。根本が間違っている。

まあ、間違っているということは、認めたくないから、認めないと思うけど。そういう傾向は一般の人にもある。別に、親父や兄貴のように認知システムがおかしい人だけにしょうじることじゃない。

ともかく、『鳴ってたとしても、たいしたことないだろう』と思う人はみんな、間違っている。ものすごく基本的なところで間違いを犯している。そういうことじゃないんだ。そういうふうに言っている人だって、実際におなじ態度でおなじことをおなじ期間やられたら、わかる。

『過去なんて関係がない』『過去は現在に影響を与えない』と言っている人だって、働けないからだになる。なので、無職歴がつもるようになる。鳴っていなければよゆうで合格した大学にも受からなくなる。からだがだるくて睡眠回路がこわれて、引きこもりになる。『俺だったら、静かにさせることができる』『いっくらなんでもそんなに長い間やられてない』と言っている人だって、やられる。

これ、相手が気違いなのかどうかわかってない。

法律だって、相手が未成年でこっちが未成年で、親が『気違い』であれば、味方をしてくれない。騒音に関する法律というのは、たいへんに弱い。『家族で話し合ってください』なんてことになる。親が気違いだけど、その気違いのしくみがわからないんだよな。兄貴のヘビメタ騒音は、親父のすべてのことに対することのコピーだ。

問題の発信源……諸悪の根元である親父が……是正できるわけがないでしょ。家族で話し合えって言われても……。お母さんは、こまっているだけで、強制力がない。おまけに、最近になって気がついたことだけど、お母さんには、うちの問題を隠したがる傾向がある。するっとこれも、かわしちゃうところがある。

お母さんは、兄貴に注意してくれるけど、兄貴が無視すればそれでおしまいだ。親父も兄貴もお母さんがどれだけ注意しても、きかない。やりたいことは絶対の意地でやる。注意されたから、「やらないでゆずる」なんてことは、絶対にあり得ない。一分だってあり得ない。

そういう構造が、できあがっている。

気違い兄貴が鳴らす前から、実はできあがっている。親父が気違い的な意地でやり始めたことを、家族はとめられない。どれだけ注意しても、気違い親父が絶対の意地でやりきる。

しかも、親父のなかでは「やった」ことになってないのである。こんなのは、信じられない。信じられないという気持ちもわかる。けど、うちではそうなんだよ。本当にヨソの人にはわからない問題を抱えて、本当にこまったよ。

2018年12月9日日曜日

もっとちゃんと自分の頭で考えた方がいいんじゃないかと思う


起きた~~
ちょ~~つまんない~~

けど、丁寧な人が米を届けてくれた。米一〇キロ買っちゃったよ。『重いのありがとうございます』と言ったら『いえ、とんでもない』と言っていたなぁ。まあ、運ぶ人や出荷する人に配慮すると五キロなのだが、一〇キロ買ってしまった。

まあ、一〇キロなら、どうにかなるだろう。

これが、九州のお米で、うまいんだよ。ブレンドなんだけどね。安めでうまい。水が水道水で、あの日に汚染されて飲めなくなったみずがめの水なんだよね。活性炭をいっぱいみずがめに放り込んで、放射線量が下がったんだけど、あんまり信用してない。

けど、ずっと飲んでいる。水道水なんだよな。むかしはペットボトルで買ってたけど、いまは、水道水だ。九州あたりに引っ越した方がいいんだけどな。ここから、九州に引っ越すとなると、ものすごく金がかかりそうなんだよな。家の修理とか引っ越し代は、長年の節約を吹き飛ばすような効果があるから、金銭的にはなるべくしたくないことだ。

しかし、みんなどうなんだろうね。
まあ、ぼくの場合一五年毎日ヘビメタ騒音があるので、すべての基準で他の人とは違ってしまったんだよ。で、また、こういうことを、書くと、アクセスが減るんだよ。けど、俺は書くよ。書きたいから書くのだ。

本当にくるしいんだよ。

理屈では書かないほうがいいと言う人たちや離れていく人たちの気持ちはわかる。わかるよ。わかるけど、いちおう書いておきたい。自分が人生の中で本当に思ったことを書いておきたいんだよ。

まあ、普通の人と普通に交わるには、このとは隠しておいた方がいいことだ。このことというのはヘビメタ騒音のことだ。俺がやった悪いことじゃなくて兄貴がやった悪いことなのに、なぜか、誤解する人たちがいる。

その人たちは、無職や引きこもりというものに偏見がある。その偏見が強すぎるから、『だれだってあれだけ長い期間、あれだけでかいヘビメタ騒音を鳴らされたら、無職引きこもりになる』ということがわからないだけだ。

引きこもりに関してはいつでも解消できる。英会話学校や料理学校に通えばいい。おカネのことを考えてやらないけど、それだけで、引きこもりの定義からは、はずれる。

旅行だって、行こうと思えば行ける。ただ、旅行中ずっと、ヘビメタ騒音の雰囲気にさいなまれるから、暗い顔にならざるを得ないが……。そして、もし誰かと旅行に行ったとして、僕がずっと暗い顔をしていると、その人があんまり言い思いをしないだろうということを考えて、誰かといっしょに行くというのは、なしにしているわけだ。

実際、むかしぼくのことを少しでも元気づけようと、いろいろと連れて行ってくれた友達がいたんだけどね……。まあ、あんまり俺は、元気ではないわけ。気を遣わせるのもなんだし、俺がむりやり気を遣って明るいふりをするのもこころが破けそうになるので、いまも、これからもするつもりはない。

   *   *   *

『そんな音、鳴らされたら働けなくなるよな』と一発でわかる人と、『過去のことは関係がない』と頭がおかしい誤解をするやつと、どう違うんだろうな。過去のことでも関係があるんだよ。本当に頭にくるやつらだ。

ぼくは別に引きこもっている人やもと引きこもりをバカにしてない。ぼくは別に底辺の人をバカにしてない。ただ、引きこもりを甘えだというもと引きこもりは問題だと思うし、「鬱病は甘えだ」というようなこと言うもと鬱病患者のことも問題だと思う。

あくまでも、そういう発言をした人たちだけだから。別に、もと引きこもりでも、そういう発言をしなければいいわけ。「自分の場合は甘えだった」……これならいいわけ。けど、そのあとに「だから、引きこもりは甘えだ」と言うのであれば、問題があると思う。引きこもり出ない引きこもりはいないので「引きこもり」と言った場合は、「引きこもり全体」を指すということがわかってない。

いたしかたがない状態で引きこもっている人もいる。その人の場合は、甘えじゃない。けど、一緒くたにして『引きこもりは甘えだ』と言う人はそういうことが、完全にわかってない。だから、いちおう批判したわけで、言いたいことはそれだけだ。

引きこもりじゃなくて、もと鬱病患者が『鬱病は甘え』といった場合でもおなじだ。あるいは、無職全般に対する激しい偏見もおなじだ。働いているかどうかで人の善し悪しは決まらない。

しかし、常識にとらわれている人の頭には『働いてない人は悪い人だ』という根拠のない妄想が浮かんでしまう。

これも、『すべては思考』にとらわれているからで、現在無職である人にもいろいろな人がいるのだから、一概には言えないということがわかってないのだ。無職ではない無職はいないのだから、「無職」と言ったらすべての「無職」を指すことになる。これがわかってないんだよね。

一括思考。
すべては思考。

どういう事情があっていま現在無職なのかということを、考えなければならない。それを全部一緒くたにして、『働いてない人は悪い人だ』と決めつけてしまう。これが善いことか悪いことかと言うと、これは悪いことだ。そういうごく普通の当然の意見が封殺されている。もっとちゃんと自分の頭で考えた方がいいんじゃないかと思う。

この日差しのなかでくるしかった。


そろそろ眠たくなったので、布団の中にはいる。

眠たくなったとは言え、たぶん、午前一一時ぐらいまでは眠れない。



いまから、作業できるかな?

できないな。



それにしても、ヘビメタでくるしかった。

この日差しのなかでくるしかった。



「あれ、本当にあれだこだわってやって、やったつもりがないのかよ」というような言葉が浮かんでくる。道を歩いているときもめしを食っているときも作業しているときも浮かんでくる。



自分が歩いているシーンが浮かんでくる。その時考えていることはやはり「ヘビメタ騒音のなかでくるしかった」「あいつは、こだわりきってガンガン、デカイ音で鳴らしていたのに、デカイ音で鳴らしていたつもりがないのかよ?」「俺がどれだけ、『やめてくれ』『静かにしてくれ』と言ったと思っているんだよ??」「本当に細かい時間まで使って気違いヘビメタを、デカイデカイ音で鳴らしやがって」というようなことだ。



気違いヘビメタで弱ったからだでずっと生きてきた。ゆるせない。こういう日差しのとき、残留ヘビメタ騒音で、くるしかった。からだがつらくてつらくて、たまらなかった。こういうからだをむりやり動かして、他の人に遅れて!ついていって、いやだった。気違いヘビメタを前日、前々日、一〇〇日前、二〇〇日前とやられなかったら、俺だって元気に先頭をつっぱしっているんだよ。どんだけ……。本当に、何千日もやられて、からだが弱くなった。すべての時間、つらい状態になった。これ、本当に、『騒音の問題』と言うと、鳴っているときだけうるさくてこまるんだと思う人が多いけど、ぜんぜん違う。平均八時間ぐらい鳴っている騒音はすべてをぶちこわす。能力、機会、人間関係、すべてをぶちこわす。どうしたって、低位に甘んじなければならなくなる。しかも、からだがくるしい状態で無理してがんばって、低位だ。(実際には、学力的には常に平均以上だったけど)。常に不利なんだよな。常にハンディがある状態で、のろのろやっている。



だれだって、俺とおなじように、家族に気違いがいて、そいつがめちゃくちゃな意地で騒音を鳴らし続けたら、愚痴を言うのに、俺が愚痴っぽい人間だと思われるわけだよ。気違い兄貴よ! 気違い兄貴は親父とおなじだ。親父が怒ったあとまったく気にしてないのとおなじだ。兄貴が怒ったあとまったく気にしないでヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らしたけど、親父のように『それに気がつていない』のだよ。これ、ズッとやっているのに、ズッとやってない気持ちになってしまう。そんなのは知らない』というのは、やってないという意味なんだよね。じゃあ、一分でもヘッドホンをつけてくれるのかというとそれは、絶対にない。気違い親父が、ハンダゴテの金を出さないように、絶対にない。で、やっているのに、本人は『気にしてないから』やってないつもりになっている。気にせずに……相手が言ったことは気にせずに、自分の都合を押し通して、一〇〇%自分がやりたいようにやれば、それで、「やってない」つもりになってしまう。そういうところがあるんだよ。一〇〇%やりきっているのに……続けてやっているにもかかわらず……一〇〇%やってないつもりになっている。まったく知らないつもりになっている。こんなのあるか?って。あるんだよ。うちだとある。毎日普通に、そういうことが成り立ってしまうのが、うちだ。だから、普通の家に育った人には絶対にわからない。感覚としてわからない。だから、『言えばいい』とか『家族で話し合えばいい』というような助言を俺にする。けど、その助言は無意味だ。で、無意味だということを説明しても、その人はその人で、認めない。自分の助言が無碍にされたような気分になって、不愉快になる。そうすると、俺とその人とのあいだ亀裂が走る。気違い兄貴の性格を巡って、意見が対立するというわけだ。これは、『親父にちゃんと言った』という兄貴と、『ちゃんと言えばつたわるはずだ』という第三者のあいだに亀裂が入るのとおなじだ。当の本人は、まったくシランプリなんだよ。「どれだけこういうことがあった」ということをこっちが言っても、「なんだ!そんなのぉ!!」と口を立てて目を三角にして怒った途端に、忘れてしまう。ぜんぜん関係がな人になってしまう。そのあとずっと、それを押し通したとしても、まったくやってないことになってしまう。それというのは、当の問題行為だ。押しつけている毎日がずっと続く。押しつけられている毎日が続く。どれだけこまっても、気違いが異常な意地でやり通す。異常な感覚で「やってない」と思ってしまう。やっているのにぜんぜん関係がないつもりで」気違いが自分の意地を毎時間毎時間、押し通す。気違いだから、是分自分が好きなようにやりきれたら!!やってないのとおなじなんだよ。「やってない」『そんなことは知らない』と思ってしまう。その都度、『やっているじゃないか』と言っても、本人が怒っちゃったらおしまいなんだよ。で、本人が怒るのは決まっている。それは、『自分』がやりたいことを、相手が「やめろ」「やめてくれ」と言うからだ。最初から、怒ることが決まっている。で、怒ったら、一瞬で忘れる。そういうことを、何万回、何十万回繰り返しても、本人は『まったく知らない状態』を維持できる。主観的には『まったく知らない状態』なんだよ。あるいは、主観的には『まったく関係がない状態』なんだよ。



当の行為を意地を張ってやっている気違い兄貴に言っても、気違い兄貴は、気違い親父のように否定しておしまいだ。「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という感覚さえ成り立っている。「おまえの行為だからだ」と言っても、そういうのは、『すり抜けて』わからない。



兄貴にわかるように言っておくと、親父は、親父が押しつけたハンダゴテについて、兄貴が『これこれこういう理由で恥をかいた』ということを言っても、「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という気持ちになっていたんだよ。俺が兄貴に、兄貴のヘビメタ騒音のことについて、文句を言っているのに、兄貴には「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」というような気持ちが……親父とおなじように……成り立ってしまう。そのくらいに「つもり」がないんだよ。じゃあ、ちょっとでも本当にゆずってくれるかというと、それは絶対にない。ゆずるなら、自分がゆずりたいようにゆずるわけで、これは、『うちにあるハンダゴテを用意してやった親父』とおなじ状態だ。「うちにハンダゴテがあるのだからそれを持っていけ」と言っている親父は、最大限に譲歩して、ハンダゴテを持ってきてやったつもりなのである。だから、最大限譲歩してハンダゴテを持ってきてやっているのに、『使えない』と文句を言ってくる兄貴の方が悪いと本気で思っているんだよ。なにも、意地悪でそうしているつもりはないんだよ。気違い親父の感覚で行動すると、どこからスタートしても、そういうもめごとがしょうじる。で、本人は意地悪でそういうことをしたというわけではないというのが問題の深さを物語っている。こんなのは、本当は、悪意があって、(本当は使えないと知っていたけど)わざと知らないふりをして、恥をかかせてやろうというようなプランを立てなければできないことなんだけど、ごく普通にそうなる。だれもが使えないとわかるようなハンダゴテを物置から出してきて、相手がどれだけ『使えない』と言っても、『使える使える』と言って押しつける。それで、兄貴が学校で恥をかいても、シランプリだ。それは、説明されなかったからわからないのではなくて、説明されても、わからない。現実を否定して受けとめない。だから、言われたあとも、言われてないのとおなじ状態を維持することができるのである。どれだけ『使えなかった』と言われても、使えないという現実は絶対に認めないままだから、気持ちに変化がない。認知・認識に変化がない。親父にとってはどれだけなにを言われても『使えるハンダゴテ』のままだ。そして、兄貴がそのハンダゴテで……自分が押しつけたハンダゴテで笑いものになったということも認めない。要するに、自分が押しつけたハンダゴテで長男が恥をかいたということも、認めない。認めなければ、それは、親父にとって「ないこと」なんだよ。現実ではないことなんだよ。あるいは、「なんだ!そんなの」という言葉を発して、相手にとっての『意味』を否定すればそれでおしまいだ。相手の気持ちということにかかわるけど、これも、現実否定の一種だ。認めたくないこと、認知したくないことは、「なんだ!そんなの!」と言って認めないのである。本人戸って都合が悪いことを言われたら、「なんだ!そんなの!!」と怒って、おしまいだ。本人が怒ったら、それで、おしまいなんだよ。気違い親父には、どうして兄貴がハンダゴテのことで親父に文句を言ってくるのか、まったくわからない状態を維持することができる。言われたあとも、本当にわからない。実際には二回しかもめてないけど、何百回、何千回もめても、わからないままだ。こういう人間がいるということが、ヨソの人にはわからない。



2018年12月8日土曜日

「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」について


ああ、それと! ぼくはそのうち、貧乏生活をやめる!
わりとリッチな生活に移行するつもりだ。
そのうち、「あのころは貧乏生活?をしてたなぁ」と思うようになるだろう。いちおう、宣言しておく。
で、言いたいのは宣言をしておけば現実が追いつく(現実になる)というような考え方は、別にきらいじゃない。本人がそう思っていることは別にいいわけ。けど、それが宇宙をつらぬく絶対法則だとか、どんな人間にも成り立つというような話になってくると違うんだよね。どうしてかというと、人を責めることになるから。これ、他の人に向かっていっている人たちはわからないのだろうけど、案外人を責めている。たとえば、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことを言ったりする。『言えば……、現実が言ったとおりになる』という考え方なんだよ。そうなると、実際に病気である人は、好きで病気になっているということになってしまう。好きで病気を治そうとしないということになってしまう。「言えば……治るのに、どうして言わないんだ」というような責めがしょうじる。「言った」と言う人には、「本当に思って言ってない」とか「もっともっと、たくさん言わなきゃダメだ」というようなことを、アトダシで言うようになる。どうして、アトダシかというと、最初に言った言葉は「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という意味であるわけで、『言い方』とか『本当にそう思っていったかどうか』ということが、問題になってないからだ。言えば……ただ、言っただけで……どんな言い方でも!ただ言っただけで……絶対に病気は治るのだから、そもそも、言い方が問題になるわけがない。アトダシで、ぜんぜん違うことを言い出す。それに、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人だって病気で死んでしまったりしている。それから「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」とか普段人に対して言っている人だって、虫歯になって歯が痛くなれば、歯医者に行く。虫歯も一種の病気なので、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という言葉は虫歯の場合でも成り立つ。虫歯だけダメだとかそういうことはない。「虫歯が治ると言えば、絶対に虫歯は治る」のである。しかし、実際には『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』と言っても、虫歯が治らない場合がある。というか、ほぼ一〇〇%『虫歯が治る』と言うことでは、虫歯は治らない。「言ったら治った」と言っている人は、なにか他のことをしている。言ったことと、なにか他のことをやった時期が近接しているので、『言ったから治った』と本人が思っているだけだ。ともかく、宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人は、現在病気である人を責めている。本人がいい気分になって気がついてないだけだ。けど、自分が病気なら一回目は!!!「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言われても悪い気はしないだろう。なんと言っても自分の病気が治ると他人が言っているわけだから、不愉快ではない。けど、治らない状態が続いて、ずっと言われ続けたらどうか? 言われ続けた人は「ふざけるな」と言いたくなるだろ。言われ続けた人は「すでに何回も言った」と言いたくなるだろ。そうすると「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本気で信じている人は「言い方が悪い」「本当に心をこめて言ってないからダメなんだ」と間違った前提に立って、人を責めることになる。なので、他人に対して宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことは言わなほうがいい。自分のなかで自分に対して言っていればいいことで、他人にいうべき言葉ではない。特に、宇宙をつらぬく絶対法則としては言うべきではない。

というわけで、本人が「病気が治る」とか言うことは別に悪いことではないわけ。「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本人が信じていて、本人が本人に対して「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言うのはべつにいいわけ。どんどんやって欲しいわけ。けど、他の人に言うのはどうかな? 特に宇宙をつらぬく絶対法則としていうのはどうかなと思う。

2018年12月7日金曜日

『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている


まあ、いろいろなサイトを読んで、思うところがあるよ。
にしても、午前四時台は、最悪だな。ヘビメタ騒音で眠れないまま、午前四時になってしまったときのなんとも言えないあせりがある。眠らなきゃというあせりだ。そして、三時間後には、地獄がはじまっている。寝不足のまま、体を動かさなきゃならない。世間の要求にこたえなければならない。『ヘビメタ騒音で眠れない』……こういううったえかけは、あんまり意味をなさない。『そんなのは、お兄さんにいえばいい』『家族で相談すればいい』と言われておしまいだからだ。気違い兄貴の性格なんて、気違い親父の性格のように、『ヨソの人』は理解しない。まあ、ヘビメタが鳴っていると言うことはわかるのだけど、兄貴が『そんなに意地になって』鳴らしているとは思わない。そして、そうやって、気違い的にでかい音にこだわって、気違い的な意地で鳴らしているにもかかわらず、本人は「デカイ音で鳴らしているつもりがない」というのは、まったくわからない。俺だってわからない。わからなかった。気違い兄貴自身はは、デカイ音で鳴らしているつもりがないのだから、わかるわけがない。これが、気違い的な人間の利点なんだよな。「自分の意地を通す」ということに特化している。本当は正常な認知・認識を、自分の意地を通すために、まげてしまう。デカイデカイ音で鳴らしたいから、『こんなのはデカイ音ではない』と思ってしまう。感覚器のレベルでそう思ってしまう。そうしたら、もう、どれだけなにを言っても聞かない。自分がやりたいことは、自分の感覚器をずらしてまでもやってしまう。自分の感覚器をずらすのは、無意識のレベルでしているので、本人はわからない。客観的に言えば、本人だって『デカイ音で鳴らしている』にもかかわらず、そういうデカイ音で鳴らしているということ自体を認めてしまうと、デカイ音で鳴らすことができなくなる場合は、『デカイ音で鳴らしてない』と思ってしまう。そうたら、親父のように聞かない。どれだけ言っても、『こんなのは普通の音だ』『だからどれだけ鳴らしてもいい』という理屈と感情で鳴らしてしまう。
毎日どれだけ言っても、毎日おなじようにそうする。そういう感覚でやっているので、どれだけ長い時間鳴らしても本人は、まったく悪いことをしたと思わない。どれだけ長い時間、どれだけデカイ音で、何回「やめろ」と言われても、ずっとやり通して、まったくなにもやってないつもりで暮らすことができる。毎日暮らすことができる。なので、本人は、『本当に』やってないつもりで、ずっと鳴らすことができる…デカイ音で。
そういう毎日なのだけど、ともかく俺の方は、「きれいごと」はどうであれ、からだが悲鳴を上げているような状態で暮らすしかないということになる。これは、『言えば静かにしてくれるはずだ』と思っている普通の人にはまったく、伝わらない。これも、こまる。けど、俺がやって欲しいことは、気違い兄貴が普通に『ヘッドホンをして』静かにすることだ。毎日、鳴らすときはかならず、ヘッドホンをして鳴らすようにすることだ……。……これだけのことが、一四年間数ヶ月……あしかけ一五年間毎日、通らなかった。気違い兄貴は、一五年間毎日鳴らしていたけど、ヘッドホンをしてくれたときは、一日だけだ。それも、一〇分。他の日は、気違い的な意地で、すべての時間ヘッドホンしないで鳴らしていた。俺が入学試験を受ける前日だって、二日前だって、三日前だって、一ヶ月前だって、二ヶ月前だって、ずっとそうした。で、それが、本当に精神的にこたえるのである。「あんなのはない」……。いまでも「あんなのはない」と思う。特に、午前四時台、午前五時台に起きているときは、眠れないまま、入学試験に行ったときのことを思い出す。入学試験日じゃなくても、俺がどれだけ……。俺がどれだけ、午前四時台、五時台を眠れずにすごして、学校に行ってたと思っているんだよ? 破滅破綻なんだよ。限界なんだよ。そして、午後四時に帰ってくれば、ヘビメタが破滅的なデカイ音で鳴っている。どれだけ『静かにしろ」と言っても、絶対にやめない。そして、本人が風呂に入る時間と夜ご飯を食べる時間を抜かして、ずっと、午後一一時一一分ぐらいまで鳴らす。鳴らし続ける。「(弟は)明日中間テストがあるから、午後一〇時台はヘッドホンをしてやろう」なんて思わない。午後一〇時台だって、一分だって、絶対にヘッドホンをしないで、鳴らし続けた。弟にどれだけ『明日も中間テストだから静かにしてくれ』と言われても、腹を立てて鳴らしてたんだよ。腹を立ててな!! これは、親父が「このハンダゴテは使えない」「技術科の先生もそう言った」と兄貴に言われたときの反応とおなじだ。自分にとって不都合なことを言われたので、腹が立つという反応だ。怒って無視しなければ、相手の言うことを聞かなければならなくなってしまう。そんなのは、どれだけ小さなことだって絶対にいやだという意地がある。この意地が気違い的な意地で、本当にものすごい意地なんだよ。認知・認識をねじ曲げて、「そんなんじゃない」「がたがた、言ってくるな」と言って怒って、やり続ける。やり続けたのだから、やり続けたのに、やり終わった瞬間に、言われもしなかったし、やりもしなかったということになってしまう。そういう、自分にとって都合がいい『気違い頭』なんだよ。で、それでこまっているということは、家でやられている人にしかわからない。ヨソの人にもやっている本人にもわからない。まったく迷惑をかけてないつもりでそういう反応を返して、かならず、気違い的な意地で一分も一秒もゆずらないで、やりきる。そして、三六五日中三六五日、あたりまえのようにやっても、本人は、まったく一日もやってないと思ってしまう。これも、自動的にそう思ってしまうわけで、そう思ってしまったら……本人がそう思ってしまったら、他の人が……特にやられている人が……そういう人(やっている人)の認知・認識をかえることはできない。どれだけ言っても、現実を無視して、そういう認知・認識にとどまる。反対方向の意地と、やっていることに対する関心のなさというのが同居している状態だ。一切合切関係がない状態でやりきっているという認知が成り立っていて、関係があるのだということを認知できない。騒音のことで言うなら、『自分はまったく騒音を出してないので、自分はそのことには一切合切関係がない』という意識が成り立っている。一方では成り立っている。気違い的な意地で、デカイ音で鳴らすことにこだわってこだわって、デカイ音で鳴らすのだけど、一方では、『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている。デカイ音で鳴らしているあいだじゅう『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識や認知が成り立っている。だから、やり終わったときには、『本当にまったく関係がない』つもりでいられる。時間が経った後『そんなの知らなかった』『そんなのやってない』と真顔でいうことができる。あれだけ、こだわりつくして、意地になってやったことなのに……。現実世界で、自分自身が意地になってやったことなのに、やってないつもりでいられる。頭がおかしい。そういう『無関心』がある。そういう『無関心ぶり』がある。その無関心ぶりにも本人は無関心で、「自分がそんなことをしてなんて信じられない」みたいなことを言いやがるんだよ。「そんなのまったく知らなかった。なんだなんだ」……やりたいことを押し通していた当時みたいに……怒って言うことができる。「(どれだけ言われても)関心がない状態でやっていた」と言われると、不愉快になる。これは、自分が鳴らしたいときに「静かにしろ」「ヘッドホンをしてくれ」と言われたときとおなじ反応だ。

この世というのが、ヘビメタ騒音に四六時中やられているこの世


2018年12月07日00時00分27秒
うんむーー。つかれた。
どうするかな??
俺はどうすればいいんだ??
俺はどうすればいいんだ??
もう、ずっと、さっきから、俺はどうすればいいんだ?って考えっぱなし。俺は、どうすれば……。

ヘビメタ騒音で来る日も来る日もくるしかったな。ともかく、くるしかった。この世に存在するというとだけで、たいへんだった。この世というのが、ヘビメタ騒音に四六時中やられているこの世なのだから。

2018年12月3日月曜日

すべての努力が無駄になる騒音

2018年12月03日01時37分50秒
つまんね。どうかんがえてもつまんない。気違いヘビメタで人生がない。どうしても、気違いヘビメタでくるしい。あれが毎日続いて本当にすべてがだめになった。そうじゃない人生というのがない。そして、たぶんだけど、あれだけ毎日ヘビメタ騒音を経験したのは、人類のなかでぼくだけだ。ということは、ぼくがどれだけ言っても、体験としては他の人類にはわからないということになる。そして、他の人類は、自分の人生の中にあった「騒音体験」をもとにして、ぼくの騒音体験について考える。類推。推量。そりゃ、つらい」というのはわかるかもしれないけど、体験としてはわからない。類推しているだけだから、想像に頼っている部分がある。その部分が大きい。大きいと全体の認知にゆがみが生じる。ともかく、あのヘビメタ騒音にやられたのはぼくだけで、あのヘビメタ騒音のおそろしさを知っているのはぼくだけだ。すべての努力が無駄になる騒音。それがヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音生活で、全部ない。ヘビメタ騒音がなければ、ぼくが普通に勝ち得たことは、すべて、ない。気違いヘビメタ騒音にやられたからだで這いつくばって生きてきただけだ。もちろん、不効率。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。