2021年5月11日火曜日

「努力すればできるようになる」は悪の呪文(5)「もっとできる」ようにしなければならない

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(本当は、「努力をすればできるようになる」という考え方が、社会に悪影響を及ぼしているという論考の、最後の部分になるけど、あいだをぬかして、さきに書いておく)。

番号をつけるとしたら(5)ぐらいかな?

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「人間は働くべきだ」という考え方と「努力をすればできるようになる」という考え方があわさった場合、「努力してもできるようにならない人」にストレスを与える。このストレスは、自身の存在にかかわることなので、めったに消えない。常に、ストレスにさらされているということになる。

このストレスは、「努力してもできるようにならない人」本人にとっても、社会にとっても、よくないストレスだ。はっきり言ってしまうと、そういうふうに、「努力してもできるようにならない人」を追いつめるから、爆発する人が出てきてしまう。

もちろん、そういうストレスで爆発する人だけではないと思う。しかし、爆発する人のなかには、「努力すればできるようになる」と圧力をかけられたにもかかわらず、できなかった人が含まれていると思う。

ここで出てくる「爆発」というのは、ストレスが爆発して他人を傷つけるような行為をしてしまうことを意味している。何度も言うけど、部分にしかすぎない。ほかにもストレスになる理由あるので、ほかの理由で爆発する人もいる。

しかし、「人間は働くべきだ」という考え方と「努力をすればできるようになる」という考え方が両方とも成り立っている社会では、「努力をしてもできない人」は相当においつめられることになる。

また、「できる」というのが、ひととくらべてできるかどうかということなのだから、一応は、適応して働いている社会人も、たいへん強いストレスにさらされていると言っても過言ではない。単にできるのではなくて、「もっとできる」ようにしなければならないからだ。まわりの人の平均か、あるいは中央値よりはできるようにしなければならない。

けど、そうなると、平均があがっていく。けど、実際には「できない」人がいるので平均はそれほどあがらずにすむ。しかし、まわりの人との「比較」が「できる」とか「できない」といったことのベースになっているということは意識しておこう。

ようするに、一応は適応して働いている人も、「人間は働くべきだ」という考え方と「努力をすれば、もっとうまくできるようになる」という考え方の結合で、相当にストレスをため込んでいるものと想像できる。

「人間は働くべきだ」という考え方と「努力をすればできるようになる」という考え方は、日本社会において、人を仕事に縛り付ける役割をしていると思う。それは、多大な圧力をうむことになるので、両方ともうたがってみる必要があるのではないかと思う。

特に「努力をすればできるようになる」という考え方は、いままで見てきたように、理論的に、破綻している。すべての場合において努力をすればできるようになるということは言えないにもかかわらず、あたかも、すべての場合において努力をすればできるようになるというような文脈でその言葉が発せられるのだ。

この言葉を言われたほうは「できるようにしなければならない」のである。「努力をしてもできない」あるいは「努力をしてもできなかった」ということは、認められない。

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「できる」とか「できない」ということが、他者との比較によって出現する概念だということは、もっと、正確に論じなければならない。あとは、「できるようになる」という考え方と「もっとできるようになる」という考え方はちがうのだけど、おなじこととして認識されているところがある。「できるようになる」と「もっとできるようになる」は一度、別のこととして考えて、あとで、同じ意味を有している場合について考えようと思う。

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「努力して、できる楽しみ」はある。別にそれを否定しているわけではない。しかし、適応範囲が問題だ。適応範囲が自分であれば問題がない。適応範囲が「他人」だと問題がしょうじる。しかし、「努力すればできる」というのは、職場や学校において他人に発せられる言葉なのだ。それは、他人ができるようにならないとこまる人が言う言葉だ。適応範囲が自分自身なのであれば、問題はない。

「できないことでも、努力してできるようにすればいい」……本人がそうしたいのなら、もちろん、問題はない。できないと思っていたことが、できるようになれば、楽しいと思うこともある。他人におしつけるのは問題があるけど、本人が本人におしつけて、克服する状態……あるいは、できるようにする状態を楽しんでいれば問題はない。

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「その場所で努力するのが肝心だ」という考え方がある。

 

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

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認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。