2021年6月30日水曜日

外向的な性格と内向的な性格

 

外向的な性格と内向的な性格というものを考えた場合、外向的な性格のほうが、内向的な性格よりも物事を楽しむことができると考えている人がおおいのではないかと、ぼくは、思う。

しかし、内向的な性格とは、自分の内側に興味を持っている性格であり、自分が興味を持っていることに関しては、楽しむことができるのだ。

外向的な性格の場合、他人に興味を持っている性格であり、他人といっしょにいることや、他人となにかをやることに楽しみを感じる性格なのだ。

なので、別に外向的な人のほうが楽しむ能力があるというわけではない。内向的な人にも、自分の興味がむくことに関しては、夢中になって楽しむ能力があるわけで、楽しむ能力がないというわけではない。あるいは、楽しむ能力において、外向的な人とくらべて、比較劣位であるわけではない。

しかし、イメージとしてはどうしても、内向的な人は暗い、外向的な人は明るいというような感じにななる。そして、暗いよりも、明るいほうがいいという感じ方が一般的だ。

なので、内向的な人は、楽しんでないような印象を受ける人が多いのではないかと思う。しかし、内向的でも楽しんでいる人はいる。なので、問題はそこではない。

問題なのは、経験なのだ。どんなことを経験してきたかということが、「楽しむことができるかどうか」ということに影響を与える。そして、意識的な意志では、これをかえることができない。にもかかわらず、「かえることができる」と考えている人が多いことが問題だ。

自然な感情を生み出す部分の上に「意識的な意志」がのっかっているので、自然な感情を生み出す部分には、「意識的な意志」の手が届かない。自然な感情を生み出す部分を「意識的な意志」が制御しようとしてもむだだ。制御できないところに、自然な感情を生み出す部分がある。「意識的な意志」が効率を考えて、どれだけ、自然な感情を生み出す部分に命令をしても、その命令は届かない。自然な感情を生み出す部分が、「意識的な意志」の味方をしているときだけ、「意識的な意志」が機能する。あるいは、機能していると本人が自覚することができる。意識的な意志も自然な感情が生み出す部分なので、意識的な意志が自然な感情を生み出す部分を自由に操作するということはできない。 

自然な感情を生み出す部分がなんらかの理由で損傷してしまった場合、意識的な意識がどれだけ命令をしても、自然な感情がわきだすということはない。自然な感情を生み出す部分が、「楽しいと思う感情」を生み出しているので、この部分を、意識的な意志でどうにかしようとするのはまちがっている。

しつこくなるけど、あたかも、意識的な意志で自然な感情を操作できるということを言っている人たちがいるけど、この人たちは、たまたま、自然な感情を生み出す部分が破壊されてないだけなのである。 

自然な感情を生み出す部分が「意識的な意志」を生み出し、自然な感情と意識的な意志が「同じ方向を向いている状態」しか経験したことがないので、あたかも、自分の(意識的な意志)が自分の(自然な感情)を制御できると思ってしまっているのである。これは、ある意味しあわせだけど、まちがっている。

自然な感情を生み出す部分が、なんらかの理由で破損してしまった人に、意志の力で、自然な感情を制御することができるというようなことを言うのは、有害だ。

本人(たち)が「同じ方向を向いた状態」しか経験したことがない、ある意味、しあわせな人(たち)なので、損傷を受けてしまった人(たち)のことがわかってない。この人(たち)は、わかってないだけなのだ。この人(たち)の主張は残念ながらまちがっている。

 

 

 



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。