2021年6月9日水曜日

学校は「比較」の「容器」だ。「比較をするな」と言ってもむり。

日本の学校に入れられてしまったら、動作がにぶい人は、いろいろとせめられることになる。人よりも早く動くことができるというのは、才能だ。 才能がある場合はいいけど、才能がない場合は、それだけで、せめられるのである。「クラスの足をひっぱる」と言われる。この「せめ」は、学校公認である。近代的な教育システムが作り出しているものだ。必然的に、せめられることになっている。もし、せめられることを回避したいなら、「努力をする」しかない。しかし、努力をしてもできない人はいる。努力をしても動作がにぶい人は、動作がにぶいということだけで、せめられる。なぜか? 「足をひっぱるから」である。そして、「努力をしてない」ということになってまうからだ。「努力をすればできるようになる」と考えている人から見ると「できるようにならないのだから、努力をしてない」ということになってしまう。

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学校は「比較」の「容器」だ。学校自体が比較の容器なのだから、学校に入っているのに、比較されないということはない。かならず、比較される。全体のなかでの自分の位置(地位)みたいなものを思い知らせるために、学校があると言っても過言ではない。学校は比較の容器だから、学校のなかにいて、「比較をするな」と言うのはむりなのである。あるいは、学校のなかにいる人間にたいして「人と比較をしても意味がない」というようなことを言うのは、まったく無意味なことだ。どうしてなら、自主的に比較しようがしまいが、比較されていることにはかわりがないからだ。そして、特に比較という意味を持たないものまで、比較された結果が反映されることになる。たとえば、AさんとBさんがいるとする。その場合、Aさんが、別に比較をしてなくても、Bさんのなかで、Aさんが自分より下なのであれば、BさんのAさんに対する行動にその認識が反映される。Aさんは、抽象的な意味での比較を無視することができるけど、Bさんの自分に対する行動は無視できない。Bさんのことについて書いたけど、学校に参加しているすべての人間が、Bさんとおなじような他者なのだから、Aさんがもし、ほんとうに、実際に行動にあらわれる「比較」を無視するのであれば、学校に参加しているすべての他人の「比較」を無視しなければならなくなるのである。これは、現実的ではない。どうしてなら、特に比較という要素を持っているように見えないものに関してまで、比較が影響を及ぼしているからだ。

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たとえば、「自分は自分」「他人は他人」「自分は自分なのであいつがどれだけできるかは関係がない」という考えを持っている人がいたとする。しかし、「自分は自分、他人は他人」という考え方もじつは、比較のうえに成り立っている考え方のである。一度は、比較を受け入れ、比較を内面化したから、「自分は自分」「他人は他人」と言っているにすぎない。「自分は自分」といった「自画像」は、他者との比較によって作り出された「自画像」なのだ。ここでいう、「自画像」というのは、「自己のイメージ」だ。自分のなかにある自己のイメージ自体が、他人との比較によって作り出された自己のイメージなのであるから、「自分は自分」「他人は他人」と言っても、「他者との比較」を含んでいる。

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この時間も鳴ってた。どれだけ言っても、やめてくれなかった。きちがい兄貴が、きちがい親父の形相で、きちがい的な無視をして鳴らす。

この時間も鳴ってた。

 

2021年06月12日(土) 04:00

 

騒音サイコパス 13 

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わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。