2021年6月19日土曜日

「選択をすれば現実化する」  これには、トリックがある

 こういう、考え方は精神世界の中では、くり返し現れる考え方だ。

なので、もうちょっと説明しておこうかな。
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東京に住む、あるサラリーマンが、しかめっつらをして、行きたくない会社に行ったとする。この場合、そのサラリーマンが、しかめっつら面をすることを選択したということになる。また、その会社に行くということを選択したということになる。すべては、そのサラリーマンの選択の結果なのだ。

どうだろうか? これだけ聞くと、正しいことを言っているように思えないか? これには、トリックがある。

そのトリックというのは、自分の意志で決められることについて語ったあと、すべては、選択の問題だと語るというトリックだ。

「選択できることもあるし、選択できないこともある」ということを認めない。

選択しておこなっていることを「例」としてあげたあと、このようにすべては、選択しておこなっているということを言う。だから、なんとなく正しいように聞こえてしまうのだ。

そのサラリーマンのことをサラリーマンAということにしよう。また、サラリーマンAが通っている会社を会社Aとしよう。たしかに、サラリーマンAは会社Aに通うことを選択した。過去において選択した。

なら、自分で選択したと言えるのではないか。
もちろん、そういうふうに言える。

しかし、ちょっとだけ、付け加えておきたいことがある。それは、過去のある時点で、サラリーマンAは、どの会社にも就職できるけど、会社Aを選択したわけではないということだ。

サラリーマンAは、本当は、Bという会社に就職したかった。しかし、Bという会社からは、お祈りレターをもらったのである。ようするに、Bという会社には就職することができなかった。

その場合、Bという会社を選択する自由があったかと言うとない。

もちろん、Bという会社に応募するということは、選択できた。しかし、Bという会社には就職するということは選択できなかった。相手があることは、自分の意志通りにはいかないことがある。

たとえば、サラリーマンAは、実は、Cという会社に就職したかったとする。けど、Cという会社はあまりにもレベルが高いので、最初から、応募をすることをあきらめたとする。

この場合は、選択肢に入れることができたのに、選択肢に入れなかったという判断をしたということになる。こういう場合は、「選択できた」のに、選択しなかったと言うことができる。

サラリーマンAが自分の意志で、選択しなかったのである。精神世界の人たちは、こういうことについてばかり言うわけである。

最初から、あきらめたのだから、結果は出てない。この場合、あきらめないで、応募したら入社できたかもしれないということが、成り立つ。そりゃ、「できかたもしれない」ということは、言える。だから、AがCという会社を選択しなかったから、ダメなんだとも言える。言えるだけなんだけど、言える。

会社Bの場合は、選択して応募したのに、ことわられたわけだ。この場合は、選択できなかったと言うことができる。
しかし、こういうことは、無視してしまう。

いまや、思えば、それはかなうということになったのだから、思えばいいということになってしまう。「選択」をすれば、その内容はかならず現実化するのだから、選択できないことも、選択すればいいということになってしまう。

自分が、選択をするまえにあきらめたことに関しては、「選択しなかったから、現実化しなかった」ということも、成り立つ。だから、正しいことのように思えてしまう。

これからは、むりだと思ってあきらめていたことも、選択すればよいのである。そうすれば、現実化する。

一時的に、こういう気持ちになっている。

けど、選択をすれば、現実化するということは、まちがっている。選択をすれば、現実化することもあるけど、選択をしても、現実化しないこともある。「選択をすれば現実化する」というのは、一〇〇%のことが、一〇〇%現実化するということを言っているのである……この時は。

まず、選択をしたものと選択をしなかったものにわけるとする。そうすると、選択をしたものは、すべて選択をしたものなので、「選択をすれば現実化する」と言った場合には、選択をしたものは、すべて現実化するということになる。

けど、実際には、選択をしたのに、現実化しなかったこともある。

たとえば、AさんがBという会社で仕事をすることを選択して、面接を受けたけど、AさんはBという会社で仕事をすることができなかった。

Bという会社に入社することができなかった。

「選択」をしても、それが、すべて、かなうわけじゃない。

これは、だれでも知っている。

セミナー会場にいる人も知っていることだ。けど、一時的に「選択をすれば、現実化する」と思ってしまう。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。