それにしても、ネズミの糞が増えているのに、「俺が(ネズミシートで)つかまえるからいい」と言って、動かなくなってしまう。絶対に、ネズミ対策工事をさせないようにする。これで、こっちが、どれだけこまることになるか、ぜんぜんわかっていない。ネズミの糞が増えていると言っているだろ。親父に言ったのに、発狂モードで真っ赤な顔をして、無視だ。そういうところで、スイッチが入ってしまうと、ずっとゆずらないんだよ。でっ、これが肝心なことなんだけど、それで、相手がどれだけこまっても、相手がこまっているということがわからない。ネズミシートで捕まえたとしても、ネズミが家の中に入ってきてから、捕まえるわけだから、ネズミの糞が増えるんだよ。そんなことは、説明しなくてもわかることなんだよ。けど、何回も説明した。けど、わからないのである。自分の中で、ネズミ対策工事をさせないということになったら、もう、絶対の意地で、すべてのことを否定して、絶対にネズミ対策工事をさせないようにするのである。もともと、親父が、魚を一日に二三時間、テーブルの上に出すことにこだわって、ネズミが入ってくるようになったのである。普通の人なら、やらないことをやったのである。そして、これも、何回も何回も、「魚を出しっぱなしにすると、くさいからやめろ」ぼくが親父に言ったのである。言わなかったことじゃないのである。けど、鼻が正常なら、絶対にわかることを否定して、ゆずらないのである。自分が「魚を一日に二三時間、テーブルの上に出すことにしたら、どんなことがあっても、なにを言われても、魚を出しっぱなしにするのである。
粗大ごみの処理をしなければならないのだけど、ネズミが家の中に入っていた期間が長いので、いたるところに、ネズミの糞が落ちているのである。でっ、そのネズミの糞を、ダニに刺されながら、片づけたのが俺なのである。ところが、俺に……そういう、いやな思いをさせているということは、一向に思い至らないのだ。これも、言われないから知らなかったのではなくて、何十回言われても、わからないままなのである。そして、ここでも、「ネズミがきたのは、親父が魚をだしっぱなしにして、部屋ににおいを充満させたからだ」ということを、(俺が親父に)言うと……言われた親父は、「出してないよぉ!!出してないよぉ!!出してないよぉ!!」とわめいて、出したということを認めないのだ。こんなのない。その場だけ、言い逃れをすれば、それで、本人は住んでしまうのである。しかも、これ、悪意があってやっていることではないのである。自然に……ごく自然にそうなってしまうのである。親父の反応パターンが、このように決まっているのである。自分が認めてしまったら、まずいことになる場合は、絶対の意地で、どんなうそをついても、認めないのである。バレバレの嘘をついても、認めないのである。相手が知っていることで、何回も、もめたことなのに、「嘘」を真っ向から言って譲らないのである。これも、「相手をこまらせるために、嘘を言ってやろうと思って」やっていることではないのである。常に、そういう、反応をして、暮らしているのである。だから、一緒に住んでいるこっちは、ものすごく嫌な思いをすることになるのである。ところが、親父のほうは、まったく何もやったつもりがない状態で暮らしているのである。何十年間も毎日そういう状態なのである。どうしてかというと、意図して、やっていることではないからだ。「嘘をつこう」と思って嘘をついているのではなくて、その都度、ごく自然に嘘をつくということになっているのである。そして、「嘘をついた」という自覚は、嘘をついているときも、嘘をついたあとも、ないのである。それで、本人は、「へいき」なのだ。こんなの、ない。「お父さんだって、ちゃんと言えばわかってくれるよ」というような発言をする人がいるのだけど、これだって、どれだけ現実離れした発言か、本人はわからないのである。親父と一緒に住んでいるわけではないので、わからないのである。家族として……ここ重要なのだけど……家族として、一日でも親父と一緒に住んだことがあれば、わかることなのだけど、家族として、一日も、親父と一緒に住んだことがないので、わからないのである。何度も言うけど、そういう気楽な発言をしている人は、わかっていないということがわかっていない。これも、説明すれば、相手がわかってくれるのかというと、あんまりわかってくれないときのほうが多い。「話自体がへんな話」なので、ぼくが嘘を言っていないのに「そんなこと、あるかな」などと疑問を呈したことを相手が言う場合が多かった。そういうところで、相手が疑問をもったまま会話が終わる場合が、あった。俺が言ったことをちゃんと認めてくれる人よりも、疑問をもったままの人のほうが、はるかに多かった。それが、現実だ。疑問をもっている人は、ぼくが嘘を言っている可能性について考えているわけで、ぼくが本当のことを言ったという認識はないわけ。だから、親父は、ごく自然に頭がおかしい反応をするのだけど、よその人は、それが理解できないから、よその人は、俺が嘘を言っていると思うことが多かったのである。
そして、親父の「脳みその問題」と兄貴の「脳みその問題」は、この点について、おなじなのである。自分が、認めたら「やばいことになる」と思ったことは、どれだけ明らかなことでも、頭がおかしいレベルで、否定して、認めないのである。認めなければ、頑固にやったって、一階もやったことがないことになってしまうのである。本人のなかで、そうなってしまうのである。だから、頑固にやり通して、頑固にやったということ自体を認めないという……摩訶不思議な状態が成り立ってしまうのである。こういう状態で、きちがい兄貴は、「ヨソのうちでは一分だって鳴らせないような音のでかさで」……ヘビメタを毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らし続けたのである。きちがい親父ときちがい兄貴は、おなじ構造の脳みそをもっているので、何百回、何千回、何万回、何十万回……「ヘビメタ騒音でこまる」ということを言われたって、まったく、気にしないのである。俺がこまっているということが、まったくわからないのである。これも、親父の話で言えば、魚のにおいが、くさいということを、認めないレベルで認めないときとおなじなのだ。ちょっとでも、自分にとって、不利なことを言われると、発狂して、認めないモードになってしまうのである。どれだけ明らかなことでも、絶対に、なんだろうが認めないのである。しかも、そうやって、明らかなことを認めなかったということも、認めないのである。あたりまえだ。意図的に認めないようにしようと思って認めないのではなくて、ごく自然に、認めないのである。その場合も、よその人は「そんなのは変な話だ」と思うのである。「ちゃんと言えば、わかってくれるよ」と思うのである。ほんとうは、そのよその人だって、おなじことをやられれば、宿題ができなくなるのに、「騒音が鳴ってたって宿題ぐらいできる」と(俺に対してその人が)言いやがるのである。 これだって、ちょっとした対立だ。「そのよその人だって、おなじことをやられれば、宿題ができなくなるのに」と書いたけど、もちろんそんなことは、証明できない。俺がそういう風に思っているだけだ。俺は、実際にやられたできなくなると思うけどね……。
聴覚が正常なら、「でかい音だ」ということは、説明されなくてもわかることなんだよ。けど、「でかい音だ」ということを認めてしまうと、やばいことになるのである。音を下げなければならなくなってしまうのである。音を下げるのは絶対に、いやなんだよ。だから、「でかい音じゃない」ということになる。兄貴のなかで、ごく自然にそうなってしまう。一度そういうスイッチが入ってしまうと、認めない状態でずっとやり続けることになるのである。親父だって、ほんとうにネズミが入ってきて、ネズミに(親父本人が出していた魚を食べられてしまう)ということが発生するまで、魚を出し続けたのである。兄貴の場合、兄貴がでかい音で鳴らし続けても、兄貴がこまるということがなかった。俺がこまっているだけなのである。俺がこまっているから、兄貴に対して、これこれこういうことでこまるということをどれだけ言っても、兄貴のなかでは、即座に否定されることであって、兄貴のなかに入らないのである。これが、奇妙奇天烈な態度で、ほんとうに、わかっていな状態で、その行為をやり続ける。相手が死ぬほど、こまっていたって、自分はこまらないわけだから、ずっとやり続けてしまうのである。