2023年12月16日土曜日

ポジティブなのは、いいけど、ネガティブなのは悪いという考え方が、はやっている

 たとえば、「生き返ると言えば、死んだ人は生き返る」ということが、まちがっていることだというのは、わかるだろう。

これは、だれが言っても、そうなる。生き返らない。

「俺は、言ったことが現実化した」と言っている人が、言ったって、生き返らない。「俺は、言ったことが現実化した」ということと「言ったことが現実化する」ということは、ちがうことなんだ。

けど、「俺は、言ったことが現実化した。言霊にはすごいチカラがやどっている。言ったことが現実化する。これは正しい」と思ってしまう。

そして、「俺は、言ったことが現実化した」ということだって、「言ったあとに現実化したこと」にほかならないわけで、「言ったから」現実したわけではない。

言霊の力によって現実化したのではなくて、現実的な行為によって現実化したのだ。

だから、ウソを言っているのである。けど、本人は、ウソを言っているつもりがない。

本気で、「言霊には、すごい力が宿っている。言ったから現実化した」と思っているのである。問題なのは、ポジティブとかネガティブということにかんする考え方だ。

ポジティブなのは、いいけど、ネガティブなのは悪いという考え方が、はやっている。一般的だ。生き返るということについて言えば、「言えば生き返らせれることができる」ということが、正しいことだということになってしまう。

「できる」というのは、ポジティブで、「できない」というのは、ネガティブだからだ。そして、こいつらは、「おまえができないと言ったから、できない」ということを言い出す。人のせいにするのだ。なにが、「すべては自己責任」だ。ふざけるな。

言霊と自己責任論は、たいていの場合、セットになっている。「すべては自己責任だ」と言っているやつが「おまえができないと言ったから、できない」と言うのは、矛盾している。他人のせいにしている。

「おまえができないと言ったから、できない」は、「おまえがネガティブなことを言ったから、ネガティブな結果になった」というように、言うこともできる。

「ネガティブなことを言うと、ネガティブな結果になるから、ネガティブなことを言うのは、よしましょう」ということになってしまう。

「生き返ると言ったって、死んだ人は、生き返えらない」ということは、言えなくなってしまう。「生き返ららない」というのは、ポジティブなことではなくて、ネガティブなことだからだ。このことにかんして、ポジティブなことしか言えなくなったら「生き返る言えば、死んだ人は生き返る」と言わなければならなくなる。ウソを言うしかないではないか。事実とは異なることを言うしかないではないか。こういうことになってしまうのである。

普通の人は、「生き返る言えば、死んだ人は生き返る」とは言わない。どうしてかというと、そういう現実を突き付けられたことがあるからだ。死は、不可避なので、死ということについて考えると、「生き返ると言っても、生き返らない」という結論に至ることになる。

これは、だれでも突き付けられている問題だから、そういう現実的な思考が働くのである。

けど、ある条件が成り立っている人にしか成り立たないことだと、たちまち、現実的な思考は後退して、言霊的な思考が前面に出るということになる。

たとえば、きちがい的な兄が、きちがい的な意地で騒音を鳴らすという条件が成り立ってない人には、その条件は、簡単に無視できることなのである。なので、言霊的な思考が前面に出て「できると言えばできる」「ポジティブなことを言えば、ポジティブなことが起こり、ネガティブなことを言うと、ネガティブなことが起こる」などと言えるようになる。

これは、その人にとって、その条件が成り立ってないから、言えることだ。

『きちがい的な父』という条件や『きちがい的な兄』という条件が成り立ってない人は、成り立っている人の発言を、ネガティブな発言だととらえて、「ネガティブな発言をしているからダメなんだ」とダメダシをすることができる。こんなことが、まかり通っているのが、この世だ。

「生き返らせることは、できないと言うから、生き返らせることが、できないんだ」「生き返らせることができると言えば、生き返らせることができる」……と、真顔で言われたら、どんな気分になるか。

*     *     *

「イタイイタイ病」という条件をかかえると、「イタイイタイ病」条件をかかえてない人から、言霊的なことを言われようになる。言霊的な助言を受けるようなポジションに移行してしまうのだ。

これは、やっかいだ。

言霊的な助言をするほうは「イタイイタイ病」という条件をかかえてない。かかえていないから、言えるだけなのだけど、本人は自信をもって「いたいいたいと言うから、いたくなる」と言うわけだ。「いたくないと言えば、いたくなくなる」と言うわけだ。さらに、「これは、科学的な実験でたしかめられたものだ」と言うわけだ。こんなの、ない。

「できる」と言うことは、ポジティブでいいこと。「できない」と言うことは、ネガティブで悪いことだと考える人が多い。できる→ポジティブ→いい発言→いい人という連想が(多くの人の頭のなかに)成り立っているとする。できない→ネガティブ→悪い発言→悪い人 という連想が(多くの人の頭のなかに)成り立っているとする。

じゃあ、「生き返ると言えば、人は生き返る」と言う人は、いい人で、「生き返ると言っても、人は生き返らない」と言う人は、悪い人なのか。

「できると言う人はいい人で、できないと言う人は悪い人だ」……こういう考え方は、よくない。こういう感じ方がはやっているんだよなぁ。これは、よくないことだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。