言霊主義者だって、いたくないときに、「いたい」と言って、ころぶわけではない。言霊主義者だって、ころんだあとに、「いたい」と感じて、「いたい」と言うのだ。
けど、言霊主義者は、じつは、そういう現実を無視している。「いたい」と言うから、いたくなるというのは、呪術的な意味があるのだ。
ようするに、「いたい」と言うことで「いたくなる現実」を引き寄せたという「引き寄せ感覚」がある。「いたい」と言うことで「いたくなる現実」をつくりだすような効果があると思っているのだ。
ようするに、いたくないときに「いたい」と言うと、いたくなるような現実を引き寄せることができるという感覚をもっている。
ようするに、たとえば、イタイイタイ病の患者は、いたくないときに、「いたい」と言ったから、知らぬ間に毒であるカドミウムを摂取して、「いたい」という現実をつくってしまったんだという呪術的な感覚をもっているのである。
言霊主義者はそういう呪術的な感覚をもっている。
もちろん、言霊主義者が、時系列的な出来事の順番を無視するという傾向はかわりがない。
じつは、将来、イタイイタイ病になる人は、いたくないときに「将来、自分は、気がつかずにカドミウムを摂取して、イタイイタイ病病になる」と言ったわけではない。
だから、「将来、自分は、気がつかずにカドミウムを摂取してイタイイタイ病になる」と言ったから、実際に、イタイイタイ病になったということではないのだ。
けど、こういう理論を、言霊主義者は積極的に無視して、「言ったからそうなった」という認識をもつことになる。
ようするに、実際には言ってなくても「そうなったのだから、言ったにちがいがない」と思うところがあるのだ。
そういうところも、「被害者」「やられたほう」の感情を無視している。
言ってないのだから、言ってない。
けど、「言ったから」そうなったのだと、なんとなく考える言霊主義者は、「言ってない」という現実を無視して、「言ったからそうなった」と思ってしまう。
ともかく、言霊主義者は時系列的な出来事の順番を無視して、「実際にそうなったのだから、過去においてそれに対応した言葉を言ったにちがいがない」と思ってしまうのだ。
そして、付け加えて言うなら、引き寄せ主義者における「引き寄せ」のような感覚を、言霊主義者はもっている。
だから、まあ、言霊思考や引き寄せ思考は、似たようなところがあり、一方を信じているものは、もう一方も信じている可能性がある。確率はたいへん高い。ここらへんのことは、「セット」になっている。
「被害者」「やられたほう」の感情を無視していると書いたけど、これも、自己責任論と「セット」になっている。自己責任論者も「被害者」「やられたほう」の感情を無視している。言霊主義と自己責任論は、似たようなところがあり、一方を信じているものは、もう一方も信じている可能性がある。確率はたいへん高い。ここらへんのことは、「セット」になっている。