きちがい兄貴の騒音で、つらかった。めちゃくちゃだった。どれだけ、気を取り直しても、だめなのである。ぼくがどういう気持で、くらしていたか、みんなわかってない。特に、言霊にこだわっている人は、まったくわかってない。けっきょく、言霊を信じているというのは、それだけ、運がよかった?ということだ。本人はどう感じているのかわからないけど、すくなくても、きちがい家族による騒音は、経験してない。この『きちがい家族』というのが重要なんだよ。みんな、理解してくれない。きちがいの感じ方がわかってない。きちがいの態度がわかってない。きちがいの認識がわかってない。どんだけ、くるっているのか、みんなわかってない。きちがい家族が、どれだけくるっているか、みんな、経験的にわかってない。わかってないと、言霊のような、妄想理論にたよることができるのである。どうしてかというと、幼児的万能感が残っているからだ。言霊にこっている人の、反応というのが、これまた、ある意味、きちがい兄貴の反応と似ているのである。一兆分の一だけど、似ている。現実を無視するところが似ている。理論的な矛盾を、無視するところが似ている。
みんな、ヘビメタ騒音、一日分もわかってない。
そんなことで、解決できるわけがないだろ。
相手がきちがいだと、ほんとうに、とことん、こまるなぁ。そして、きちがい親父がいるということが問題なんだよ。きちがい兄貴のほかに、きちがい親父がいるということが、絶望的な問題を引き起こす。きちがい親父の存在は、きちがいヘビメタ騒音問題にも影響をあたえている。
イチニチブンでも、わかってない。イチニチブンでも、わかってない。
言えば、問題解決……こいつらも、妄想的な人間だ。こまるんだよ。