2023年12月30日土曜日

こういうことの繰り返しなんだよ。

 そもそも、あんなでかい音でずっと音楽を鳴らし続けるということが、やってはいけないことなのである。やってはいけないことを、やっている……。これが重要なことなのだ。きちがい兄貴が、毎日毎日、やってはいけないことをやっている。時間なの長さだって半端じゃない。きちがいだから、「やれる時間はすべて鳴らす」というモードでやっている。それが、きちがい兄貴にとって普通のことなのだ。この「やれる時間」から「一分でも、一秒でも」ゆずってやるとなったら、それこそ、大騒ぎだ。絶対の意地でやってやらない。こうなる。ひとつひとつに「いのち」がかかっている。そういう状態だ。けど、やれる限りは……自分が好きなようにやれる限りは、……そう思ってない状態が続く。ずっとやっているのだから、「そういう意地はない」ときちがいは思っているのである。そして、普通にやっている。起きている時間の家、ご飯を食べている時間と、風呂に入っている時間はすべて、自分が思ったとおりの音で、きちがいヘビメタを鳴らすのがあたりまえだと思って、そうしている。「一秒でも、自分が、おとうとにゆずらなければならない」ということになったら、くやしくてくやしくて、発狂してしまうのである。一日に、一秒も、ゆずってないから、そういう気持に気がつかない。本人が気がつかない。「一秒でも、自分が、おとうとにゆずらなければならない」ということになったら、くやしくてくやしくて、発狂してしまうような状態で、ずっと鳴らしている。

この態度が、親父とおなじなのである。おやじが庭に竹を植えるとなったら、絶対の意地で植えるのである。おかあさんが、どれだけ「そんなところに根っこを植えたら、あとあとこまることになるからやめてくれ」「根っこがのびて、いろいろなところに竹がはえるからやめてくれ」と言っているのに、植えてしまうのである。「やめろ」「やめてくれ」と言われたら、発狂して植えてしまうのである。けど、本人は、まったく「意地になったつもりがない」のである。「やめてくれ」と言われてやめなければならなくなったら、くやしくてくやしくて、発狂してしまう状態なのである。きちがいだから、起きているときは、いつもそういう状態なのである。

きちがい親父の「竹」と、きちがい兄貴の「音楽」は、おなじなのである。態度がおなじなのである。感覚がおなじなのである。反応がおなじなのである。認識がおなじなのである。

怒るときは、無意識的な部分で理解して、意識的な部分ではまるで理解してないような状態なのである。だから、相手がこまるとか、相手がこまっているということがわからない。自分の行為で相手がこまっているということは、「どれだけ言われても」まったく残らないのである。だから、いつも「そんなつもりはない」ということになっているのである。言われたときだけ、発狂して、やり続ければ……「やってないこと」になってしまうのである。「そんなことはない」ということになってしまうのである。「やめてくれ」と言われたとき、自分がどういう態度でどういう反応をしたのかということが、自分の感覚のなかにない状態なのである。最初から、時系列的に、認識してない状態なのである。だから、もちろん、相手がやめてくれと言ってきたとき、自分がこういう態度で、こういうふうに否定して、やりきったという記憶がまったくない状態なのである。で、それは、時系列的に、ネスト構造をもっている。その都度、発狂して、やりきっておしまいだ。やりきっておしまいだ。やりきっている。相手が言ったことを、認めずにやりきっている。やった。けど、やったつもりがないのである。そういうことを、相手が言ってきたという記憶がないのである。そして、不都合なことを言われたら、その言葉を意識的には認識しないで、否定したり、無視して、やりきるという態度がおなじだから、毎回そうなるのである。そういうことをやったということ自体が……そのときは、自分にとって不都合なことなのだ。不都合なことは、無意識的なレベルでは、理解するけど、意識的なレベルでは理解せずに……内容は理解せずに、きちがい的に否定したり、きちがい的な意地で無視して、やってしまうのである。そうしたらもう、自分には関係がないことなのである。自分が意地になって、やっていることなのに、自分には関係がないことになってしまっている。これが、こまるんだよ。こういうことの繰り返しなんだよ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。