2023年12月29日金曜日

もう、こどものころには「条件のちがい」をはねのけられないような状態になっている

いかなる現実の条件も無視するという、条件が成り立っている。

ようするに、無言ではあるけど、『条件なんて関係がない』という考え方が成り立っているのだ。

そうなると、条件がいい人や条件が中ぐらいの人が、条件が悪い人を追い込むことになる。

そして、追い込むことが、もはや、奨励されているのである。

この条件のよさとか悪さというのも、相対的なものなんだよ。自分を中心として、相手の条件がいいとか条件が悪いということが決まる。

上位一〇%と下位一〇%をぬかした部分が八〇%を構成する普通の人たちだ。

もちろん、上位一一%から二〇%までに入る人と、下位一一%から二〇%までに入る人の条件はちがう。けど、おなじだということになっているのである。条件による違いというものを無視することが、前提条件になっているので、おなじだということになる。 

「コツコツ努力をすれば、成功する」という言葉は「おなじ条件のもとで、コツコツと努力した人は成功するけど、コツコツと努力しなかった人は、成功しない」という意味を持つ言葉として流通する。

そして、これに、自己責任論が、すいつく。

そうなると、条件が悪い人は、追い込まれることになる。家族がきちがいだということは、条件が悪い人のなかでも、かなり条件が悪いほうに入るのだけど、そんなのは、無視される。

「条件なんて関係なく、コツコツ努力をすれば、成功する」というような思想がはやっていると、ある層……たとえば、きちがい的な家族にたたられている層は……非常においつめられるのである。生きにくくなるのである。

凡人が凡人の首をしめるように、誘導されているのである。こういう思想がはやっているというのは、たぶん、偶然ではなくて必然だ。悪い人たちが、ある目的のために、はやらせておいたのである。

そう考えると、いろいろと、納得がいく。

凡人が凡人の首をしめると言ったけど、これは、ちょっと優位な凡人が、ちょっと劣位な凡人の首をしめるということだ。それが、普通のことになってしまうのである。そういう連鎖が、上のほうから下まで、一貫して成り立っている。なので、特に条件がいいわけではない凡人が、条件の悪い人を、追い込むことが可能になる。 

極端に条件が悪い人も、「自己責任論」と「努力論」を思想として受け入れているために、社会に文句を言うこともなく、自殺していくのである。

条件が悪い人も、「自己責任論」と「努力論」の正しさを信じ込むように誘導されている。条件が悪い人が、『条件の違い』について言及するのは、みっともないことなのである。そういう感じ方も成り立っている。

ようするに、条件が悪い人も、「自己責任論」と「努力論」を思想として受け入れているから、自分を殺すしかない状態になってしまうのである。「すべては自己責任」「自分のせい」と思って、死んでいく。

けど、条件のちがいがある。生まれたときの条件のちがいは、特に、大きな条件のちがいだ。生まれたときの条件のちがいが、さまざまな条件のちがいを、時系列的に生み出していくのである。

そして、過去のできごとは、現在に影響をあたえるので、もう、こどものころには「条件のちがい」をはねのけられないような状態になっているのである。条件のちがいをはねのけるには、これまた、努力をするしかないということになっている。

しかし、条件が悪いと、努力そのものができない。

自殺をしてはいけませんということになっているけど、それは、建前だ。社会的な自殺対策も、もちろん、建前だ。実際には、ちょっと優位な凡人を刺客として、ちょっと劣位な凡人のところに、さしむけている。頭のいい人たちが、凡人を洗脳して、優位な凡人を、劣位な凡人のところに派遣している。

ちょっと優位な凡人というのは、たとえば、先輩社員や先輩アルバイトだ。職階がおなじでも、あるいはアルバイトでも、先輩と後輩のちがいがある。先輩は「そこでは」ちょっと優位な人間なのだ。つまり、ちょっと優位な凡人だ。ヒエラルキーというと、頂点や底辺が、注目されがちだけど、自分を中心にした「ヒエラルキー」が成り立っている。

ちょっと優位な凡人が、ちょっと劣位な凡人の首をしめるときに使う思想が、自己責任論と努力論だ。これが、人類のありかたとして普遍的なありかたなのかというと、そうではないと思う。人類はほんとうは、そういうこととは関係なく、しあわせに存在することができると思う。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。