2023年12月10日日曜日

自分のなかの「集合的な他者」が集合的に問題になっているにすぎない

精神世界の人は、自分の気持ちと世界が連動していると思っているから、自分が明るいことを思えば、世界に明るいことが起こると信じている。この場合は、「自分」対「世界」で自分の心理的な状態が、そのまま、ほんとうの世界に影響をあたえると思っている。

ところが、他人は、自分の気持ちとは関係なく動くので、悪い意志をもったものがいると、悪い意志を実行する。

その場合、自分の気持ちとは、関係なく、悪いことが発生する。

社会において、とても力をもった人が、悪いことをする意志にみちあふれている場合は、やはり、社会的に悪いことが発生するのである。なので、この場合は、「自分」対「世界」という構造が成り立たない。「自分」対「世界」という構造が成り立たないので、「他人」対「世界」というような構造を考えなければならなくなる。

その場合、他人というのは、集合的な他人なのである。「社会意識」とか、「集合的な無意識」とかという言葉で、そういうことを語る場合がある。精神世界の人は、そういうことを、「社会意識」とか、「集合的な無意識」とかという言葉で語る場合がある。

その場合、じつは、社会意識というのは、自分のなかの「社会意識」でしかない。自分の意識(社会意識)なのである。自分の意識のなかにある、社会意識なのである。

ほんとうは、自分が明るい社会や明るい未来を考えれば、それでおしまいなんだよ。自分が明るい社会を考えれば、実際の社会が明るくなるのである。それで、おしまい。

けど、実際には、自分がどれだけ明るい社会を考えても、暗いことが起こる。なので、「社会」という別の要素を持ち込まなければならなくなるのである。「自分」対「世界」だけだったのに、「自分(社会意識)」対「世界」という構造を考えなければならなくなるのである。

それは、いってみれば、じつは「自分が明るいことを考えると、世界が明るくなる」という理論がくずれていることを意味している。

自分が明るいことを考えれば、世界が明るくなるという理論が正しい理論であるならば、自分が明るいことを考えれば、世界は明るくなるので、それで、話が終了する。ところが、ならない……。ならないから、「自分(社会意識)」というものを考えなければならなくなるのである。しかし、明るい思霊主義者は、それに気がつかない。気がついていない。

なぜ、他人に「明るいことを考えましょう」「明るいことを考えると、明るいことが実現されるので、明るいことを考えたほうがいいですよ」と言わなければならないのかというと、すでに、「明るいことを考えると、明るいことが実現される」という理論が、破綻しているから、他人に言わなければならなくなるのである。

その他人というのが、たとえば、自分とおなじ力がある他人として、仮想されているのだけど、集合的な他者なのだ。その集合的な他者というのは、自分のなかにある集合的な他者でしかない。

社会意識とか、集合的無意識とか、集合的他者とかという言葉を使うにしろ、自分のなかの「集合的な他者」が集合的に問題になっているにすぎないのである。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。