たとえば、単に「楽しい」と言っている場合、なんで楽しいのかわからないのである。本人にもわからない。自分を楽しくするために「楽しい」と言っているということはわかる。しかし、その場合の「楽しさ」は、ほんとうに、日常生活における、文脈のある「楽しさ」とおなじなのだろうかという問題がある。はっきり言ってしまえば、自分を楽しませる目的で、「楽しい」と言っているということを、本人は知っている。ならば、その楽しさというのは、そういう楽しさでしかない。日常生活における文脈のある楽しさというのは、いっしょに遊んでいて、楽しいと言うような楽しさである。楽しく感じることが目的ではなくて、実際の活動のなかで「楽しい」と感じる瞬間があったということだ。「楽しい」と言うと、言っただけで楽しい気分になる「ような気がする」というのは、日常生活における文脈のある楽しさを、人生のなかで、何回も何回も、繰り返し、感じてきたから、起こりえる現象だ。こっちの経験がなければ、「楽しい」と言ったって、なにが楽しいのかさっぱりわからないということになる。ようするに、複数回の「楽しい経験」をなんとなく「想起しているから」、なんとなく、「楽しいと感じている」のである。つまり、もともとの「楽しい経験」がなければ「楽しい」と言ったって、想起できるものがないのだから楽しくならない。自分が「楽しい」と思わず言ったとき、「楽しい」という言葉と、経験の結びつきがしょうじ、その結びつきの記憶が、「楽しいと言えば、楽しいと感じる」という現象を引き起こしているのであるなので、もし、「楽しいと感じるための行為ではない行為」によって、現実的な楽しさを感じたことがなければ、「楽しいと感じるための行為」で楽しいと感じることがないのである。
それから、「楽しい」と言った場合の「楽しさ」の強度と、ほんとうに楽しい体験をしている場合の「楽しさ」の強度はちがう。ほんとうに楽しい体験をしている場合の「楽しさ」のほうが、強度が強い。圧倒的に強い。「楽しいと言って楽しく感じる」「楽しいと言えば楽しい感じがする」と言った場合の、楽しさというのは、実際の経験の「うつしえ」にすぎない。そして、強度が弱いのである。「楽しい楽しい」と言えば楽しく感じるというのは、そういうふうに感じるべきだと思って感じている、ものすごく弱い楽しさなのである。「楽しいと言えば楽しく感じるらしいから、そうなのだろう」と思って、楽しい体験を想起するわけでもなく、ただ単に、楽しいと言ったから楽しいはずだという思い込みによって発生する「楽しさ」は一番、強度が弱いものなのである。この、強度の強さを、無視するという考え方は、非常に、偏った考え方だ。実際に体験しているときの「楽しさ」と「楽しいと言えば楽しく感じるはずだから、楽しいと感じているのだろう」と思って感じている「楽しさ」は、強度がちがうのである。 強度の順番を言ってしまえば、ほんとうにたしい体験をしている場合の楽しさが一番で、ほんとうに楽しい体験をしているときのことを想起した場合の楽しさが二番で、楽しいということでなんとなく楽しい気分になっているような気がするという場合の楽しさが三番だ。そして、三番の楽しさと、一番の楽しさでは、楽しさの強度がまったくちがう。
現在、なんとかweb系の仕事で食べています。このブログで扱う問題は「この世とはなにか」「人生とはなにか」「人間とはなにか」「強迫神経症の原因と解決法」「うつ病の原因と寄り添う方法」「家族の問題」などについてです。
2023年12月23日土曜日
「楽しさ」の強度
毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/
ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。
自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。
●ヘビメタ騒音というのは
ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。
あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。
俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る
日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
ぼくはまけない
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。
認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。
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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。
死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。
過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。
用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。