2023年12月15日金曜日

土台無理な話なのである。

 きちがい家族にやられると、常識的な人が「敵」になってしまう部分がある。

そりゃ、よくわからないやり方……常識的な人にはよくわからないやり方で、働けないからだになったら、働けないということで、常識的な他人がせめめてくる。常識的な他人にしてみれば、働けないことではないのだ。

常識的な他人は、経験的に、そういうことを、きちがい家族に、長期間にわたって、毎日毎日やられたことがないので、それが、「働けなくなるようなことだ」という認識がない。

常識的な他人は、「たとえそういうことがあったとしても、働けるはずだ」と、ごく常識的にそう思う。ところが、そうじゃないのである。たとえば、きちがいヘビメタ騒音による、はりつめた状態を七年間毎日経験すると、睡眠回路が「誰でも壊れて」一定の時間に起きられなくなる。そうなると、通勤ができなくなる。週に三回でも、通勤するとなったら、むりな話だということになる。そういうからだになる。けど、ほかの人は、経験的に、そうなったことがないので、わからないのである。そして、たとえば、きちがい的な家族が、きちがいてな意地で、それだけの騒音を毎日、長時間鳴らすということが、常識的な人の身の上には、まったくまったくしょうじないので、常識的な人にとっては、想像するだけの問題になる。実際にやられたわけではないので……一倍速で経験したわけではないので……それがそういう問題だということがわからない。そうなる」ということが体でわかっているわけではない。だから、「たとえ、そうされても、そうならないのではないか」と軽く考えてしまうのである。ところが、人間なら、だれでもそうなるものだと、ぼくは思う。健康的な人でもそうなるし、騒音耐性がある人でもそうなる。肝心なのは、「世界で一番きらいな音」だということだ。たとえば、ヘビメタは、ぼくにとっては、世界で一番嫌いな音の集合だけど、ほかの人にとってはそうではない。だから、その「ほかの人」特有の、一番嫌いな音を、あのでかさで毎日、長時間・聞かされるという状態を、経験してもらわなければならない。ところで、やっている人間の態度は問題だ。態度は、感情に影響をあたえる。やっている人間が「やってないつもり」「関係がない人のつもり」でやっていたら、それは、頭にくる。こういうことが、すべて「常識はずれ」なのである。だから、うちで、発生していたことは……きちがいによって発生したことは、「常識的な人」にはわからない。けど、「騒音はよく鳴っているし、騒音経験はあるので」そういう騒音だと、勝手に、常識的な人が考えてしまうのである。だから、ようするに、そういうふうなものだと、きちがい兄貴の騒音について、考えてしまう。なので、ここでも、考え違いがしょうじる。普通の人……常識的な人は、きちがい家族による騒音にいて、ごく普通に、ごく常識的に、考え違いをしてしまのである。まちがった認識をもってしまうのである。なので、やっかいだ。くそ凡人が「そんなのはたいしたことがない」「そんなことで、働けなくなるはずがない」「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と思って、きちがい的なことを言ってくるなので、ごく普通の人も、敵になる。

常識的な人が、ごく普通に「言霊的な解決方法」を口にするけど、それは、実際にやられた人にとっては、「無理な話」なのだ。言霊的な解決方法を口(くち)にする人は、「無理難題」をおしつけているとは、考えない。けど、言霊的な解決方法を口(くち)にする人は、特殊な家族にやられた人に、無理難題をおしつけることになる。どうしてかというと、その、言霊的な解決方法が、カスだからだ。土台無理な話なのである。「生き返ると言えば、生き返る」と言霊主義者が言ったとする。「生き返るといえば、死んだ人だって、生き返る。だから、生き返るといえばいい」と助言しているようなものなのだ。けど、生き返ると言ったって、死んだ人は、生き返らない。土台無理な話だ。で、死人に関しては、そういうことだということが、経験的にわかるけど、ヘビメタ騒音で通勤ができなくなったということは、経験的にわかってないのである。なので、その方法は、有効だと言い張るのである。けど、こっちにしてみれば、「生き返ると言えば、死んだ人は生き返る」と言われているようなものなのだよ。そのくらい無理な話なんだよ。けど、「無理だ」ということが言霊主義者や常識的な人にはわからない。経験的に、わかってないからわからない。『有効だ』と思ってしまう。「自分」が「到底無理な話」をしているとは、到底思えない。そういうところに、ズレがしょうじるのである。どうしてズレがしょうじるかというと、常識てな人は、きちがい家族による騒音を経験してないからだ。きちがい家族の行為が、「ブラックホール」になってしまうのである。きちがい家族の態度が、「盲点」になってしまうのである。きちがい家族が、ふたりいたら、そりゃ、もっともっと、誤解をうける。たとえば、「親なら、そんな音で鳴っていたらやめさせるはずだ」と常識的な人は思ってしまうからだ。ところが、そうじゃないのである。けど、これも、「そうじゃない」ということを、言葉でちゃんと説明したとしても、常識的な人は、きちがい家(け)で育ったわけではないので、わからないのである。感覚的にわからない。

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深刻さがわかってない。そして、そういう深刻な状態になったのは、ぼくが……きちがいヘビメタが鳴っているにもかかわらず、毎日、学校に通ったからなのだ。

これが、ぼくの睡眠回路を七年かけて、破壊した。平日は毎日ということだけど、休日は、平日よりももっともっと、もっともっと、長い時間、きちがいヘビメタが鳴っていた。ようするに、午前中からなりはじめたのである。

けっきょく、休日は「やすみ」にならないのである。一日中、きちがい家族による、きちがい騒音にさらされ続けた。休日のほうが、さらされている時間が長い。休日は、一日に一三時間(じゅうさんじかん)ぐらい鳴らされた。絶対にやめない。『きちがいだからなのかどうか』わからないけど、絶対にやめない。

ところが、きちがいだから、絶対にやめなかったという認識がないのだ。これがこまる。しかも、でかい音で鳴らしているという認識はつねにないので、まったく関係がない人として、鳴らし続けるのである。どれだけ「やめろ」と言われても、やってない人として、やり続けるのである。

これが、「現実の破壊」だ。

きちがいだからできる。きちがいだから、ごく普通にそうなっている。特に、「こうしよう」と思ってやっていることではないのである。きちがいだから、二四時間中二四時間そういうモードで暮らしていて、うちにいるときは、そういうモードになってしまうのである。

そとにいるときは、うちにいるときとはモードがちがうわけだけど、それも、わざわざ、意識的にモードを切り替えているわけではないので、うちにいるときは、ごく普通にそういうモードになっているのである。

モードという言葉を使ったけど、脳みそが構造的にそうなっているのである。そういう脳みそを搭載して一日に二四時間生きているのである。脳みその物理的な構造が、かわらないのだから、うちでは、ごく自然にそうなる。二四時間中、いついかなる時も、きちがい兄貴がうちにいるときは、きちがい兄貴は、そういうモードになっているのである。 

きちがいが、常に、「現実を破壊して」生きている。きちがいが、きちがい的なことを、きちがい的な意地でやるとき、きちがいは、それをまったく、認識してないのである。そういうことをやっていると思ってないのである。きちがい的な意地で、自分の無意識を実行しているのに、自分の意識は、実行していると認識してない状態なのである。

なので、常に「関係がない人」としてやり続ける。「やめろ」と言われたら、脂汗をかいて、からだを真っ赤にして、ものすごい形相でやり続けるけど、「やったつもりはな常にない」という状態になっている。

だから、自分がやったこととして感じられないというところがある。

「やった」と言われたら、「やった」ということを認めるということが、自分にとって不愉快なことなので、そういうモード?になって、絶対に認めないのである。やり方がおなじ。何回も、ネスト構造になっているということを言っているけど、それは、こういうことだ。やりたいことをやっているとき「やめろ」と言われることは不愉快なことなんだよ。だから、無意識のレベルで相手が言っていることを無視して、がぜんやる。やりきる。けど、相手が言っていることを無視したつもりはないのである。そりゃ、そんな認識、しょうじるはずがない。だから、これも、相手がやめろと言ってるのに、自分が無視してやりきったということには、なってないのである。そういう認識がうまれないのだから、そういう記憶が残るはずがない。だから、いつも、いつも、そうやって、無視して鳴らしている……やりきるのに……本人はそういうことをしたつもりが、まったくないということになる。そういうレベルの無視だ。こんなのは、きちがいじゃないとできない。だから、そういうきちがいが、家族のなかにいる人じゃないと、きちがいにそういうことやられたということがないということになる。そうなれば、「やめてといわないのが悪いんだ」とか「すべては自己責任」という話になってしまう。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。