2023年12月12日火曜日

現実の社会というのは、そういうところがある。

 まあ、似ているとは書いたけど、別にその人たちが、ぼくに対して、親父がやったことや、兄貴がやったようなことを、やったわけではない。

それはわかっている。

似ているとは書いたけど、その人たち……言霊主義者や精神世界の人は……ほかの人に対しても、親父がぼくにやったことや、兄貴がぼくにやったことを、やってない!

その人たちの近くには、ようするに……うちの親父のような人や、うちの兄貴のような人が……いない。すくなくても、家族として一緒に住んだことがない。

なので、「わかってない」。

わかってないところがあるんだよね。

たしかに、たしかに、言霊主義者や精神世界の人が、きちがい親父がぼくにやったことや、きちがい兄貴がぼくにやったことを、ほかの人たちに対して、やったとは思えない。そういうレベルではちがう。

だって、そうだろ。

きちがい親父やきちがい兄貴は、特殊な人なのだから。きちがいのなかでも、特殊な気ちがいなのだから……。

で、ともかく、ほかの人……世間の人……普通の人……は、無意識に問題があるようなきちがいと一緒すんだことがないので、無意識に問題があるようなきちがいがどういう態度で、どういうことをやるのかぜんぜんわかってないのだ。

やったあとの、きちがい側の感覚というのも、わからないと思う。わかってないと思う。そりゃ、いっしょに家族として暮らしてみなければ、わからない。わからない部分がある。どうしたって、わかるには、いっしょに住む必要がある。

いっしょに住むということが、どういうことなのか、わかってないかもしれないけど……あるいは、所与のものとして軽視しているかもしれないけど……ともかく、そういう無意識に問題がある人と、いっしょに住むということは、とてつもなく、たいへんなことなのだ。

ここで、すべての常識が「ひんまがって」しまう。

けど、世間の人……普通の人……は、言ってみれば、常識のなかで住んでいる人なのである。なので、ぼくがかかえた問題の『本質』がわかってない。これ、わかってないのだ。

はじめから、終わりまで、まったくまったく、わかってない。

だから、わかってないという意味で、気楽なことが言えるわけ。わかってないという意味で、勘違いしたことを、勘違いしてないつもりで、言えるわけ。

無意識に問題があるようなきちがい家族が、やったことの影響をというのを、無視してしまう。わかったつもりでもわかってないのだ。

だから、普通の人たちは『影響』について、とてつもなく、表面的な理解しかしない。

それは、ブラック社長が、名前だけ店長のつかれについて、表面的な理解しかしないのとおなじだ。ブラック社長は、名前だけ店長の話を聴いて、「ようするに、疲れているんだろ」というところまで理解する。

けど、どういうふうにつかれているのかはぜんぜん理解してないのである。

そして、「できると言えばできる」とか「つかれたと言うからつかれるんだ」という言霊主義者的な反応をする。

名前だけ店長が実際に経験しているつかれと、ブラック社長が、名前だけ店長の話を聴いて、ブラック社長の頭のなかにつくりあげた「名前だけ店長が経験しているつかれ」は、一致してない。

完全に一致してない。

けど、どれだけ、名前だけ店長が、ブラック社長に自分のつかれについて説明しても、ブラック社長はそういうレベルの!!理解しかないだろう。そして、ブラック社長は、『完全に理解した』と思うのである。

ブラック社長は、『名前だけ店長が経験しているつかれについて、完全に理解した』と思うのである。これは、最初に言われたときの理解度と、ものすごく説明されたときの理解度が、おなじだということを意味している。

意味していると言ったって、ぼくがそういうふうに言っているだけだけどさぁ……。

ようするに、名前だけ店長が、どれだけ詳細に、自分のつかれについて説明したとしても、ブラック社長は、「ようするに、つかれているんだろ」という最初の理解とおなじレベルの理解しかしなのである。

なので、どれだけ詳細に説明をうけたとしても、「できると言えばできる」とか「つかれたと言うからつかれるんだ」という「まとはずれな」反応しかしないのである。

だから、名前だけ店長は、失望するんだよ。あるいは、絶望するかもしれない。

この一連のやりとりで、けっきょく、絶望してしまうほうは、名前だけ店長だ。ブラック社長は、ぴんぴんしている。ぜんぜんかわらずに、ぴんぴんしている。理解度もかわらずに、ぴんぴんしている。

けど、名前だけ店長は、日常の業務につかれはて、ブラック社長に自分の状態を説明しても、むだだったということに失望してしまうのである。現実の社会というのは、そういうところがある。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。