たとえば、「ニコニコすれば、いいことがある」ということについて考えてみよう。
とりあえず、「ニコニコすれば、いいことが起こる」と「ニコニコすれば、いいことがある」は、等価だとする。
この場合、「XをすればYが起こる」ということになって、一〇〇%構文になる。
すべての(ニコニコすることにおいて)ニコニコすれば、一〇〇%の確率で、いいことが起こるのである。
これは、いいことが起こらないということはないということを意味している。
さらに、ニコニコしたのに、悪いことが起こるということはないということを意味している。
ところが、実際には、ニコニコしても、いいことが起こらないことはあるし、ニコニコしていても、悪いことが起こることはある。
だいたい、ニコニコ教祖でも「わたしだって、つらいことはあった」と言っているのである。
幼児期から、ニコニコしていたのに、成人してから、なにか深刻な病気にかかったらしい。まあ、病気にかかったとしよう。その場合、じつは、ニコニコしたのに、悪いことが起こったということになる。
ニコニコしていたのに、いいことが起こったのではなくて、悪いことが起こったということになる。
ニコニコすれば、いいことが起こるので、悪いことが起こるのは、おかしいのである。
これは、「ニコニコすれば、いいことが起こる」という理論が間違っているということを意味している。
ニコニコ教祖も気にしていないけど「ニコニコすれば、いいことが起こる」という文がもつ意味と「(すべてのニコニコすることにおいて)ニコニコすれば、一〇〇%の確率で、いいことが起こる」という文がもつ意味は、等価なのである。
そして、じつは「ニコニコする」というのが、一意には決まらないのである。「いいこと」も一意には決まらない。
だから、ほんとうは、「ニコニコすれば、いいことが起こる」という文は、意味が不定である文なのだ。
しかし、いちおう、言いたいことは通じる。
ニコニコ教祖が言いたいことは……「ニコニコすれば、いいことが起こる場合がある。私の場合は、いいことが起こった」ということなのである。
「ニコニコすれば、いいことが起こる場合がある。私の場合は、いいことが起こった」ということを「ニコニコすればいいことが起こる」と一〇〇%構文で表現してしまうので、問題が発生する。
たとえば、名前だけ店長は、ニコニコしていないから、不幸なのではないのである。
名前だけ店長が不幸感を感じているのは、長時間労働が、長期間、続いたことによって、つかれがとれない状態で生活をしているから、不幸であると感じているのである。つまり、不幸なのである。
短時間睡眠で、長時間労働をしているので、体がだるくて、くるしいのである。
実際に、自殺してしまったわけだから、不幸だと思っていたのだろう。
また、長時間労働が長期間続くと、自分の時間をもてなくなる。
風呂にゆっくり入る時間すらないのだ。恋愛などはできないだろう。休日出勤はあたりまえなので、ほんとうに、そんなことをしている暇がないのだ。
ブラック社長は、自分の利益のために、名前だけ店長を低賃金と無賃金で、使い倒すつもりなのである。
そのブラック社長がつくりだした構造によって、名前だけ店長は、不幸な生活をしているのである。
原因は、ブラック社長が作り出しているのである。
ブラック社長が、名前だけ店長の言うことをきいて、名前だけ店長にサービス残業を押しけることをやめたら、その分、名前だけ店長は、不幸な生活から解放されるのである。
まず、じゅうぶんな睡眠時間を確保することが、絶対に必要なのである。
ところが、ニコニコ教祖は、名前だけ店長がどういう理由で、不幸感がある生活をしているのかということを、無視して、「ニコニコすればいいことがある」「ニコニコすれば、いいことが起こる」と言うのである。
名前だけ店長が、言われたことを実行するとなると、めちゃくちゃにつかれた状態で「ニコニコしていなければならなくなる」のである。
これは、苦痛だと思う。
条件に関係なく「ニコニコすれば、いいことが起こる」ということはない。
もとの原因が、寝不足や超過労働なのであるから、そこのところどうにかしなければならないのである。
ちなみに、ぼくの場合は、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が問題なので、ヘビメタ騒音がどうにかならなければ、ぼくの場合も、ニコニコしたところで、不幸感がある生活を続けることになるのである。
だいたい、「ニコニコすれば、いいことが起こる」というのは、一〇〇%の因果関係があるということを言っているのである。ニコニコすることが原因で、かならず、いいことが起こるということを言っているのである。法則性があるようなことを言っている。
しかし、ほんとうは、法則性なんてないのだ。
ニコニコしたのに、悪いことが起こる場合だってあるのである。一〇〇%の確率で起こることではないのに、一〇〇%の確率で起こるという意味の文を、ニコニコ教祖は言ってしまっている。
何度も言うけど、ニコニコしたことで、不愉快な出来事が発生する場合だってあるのだ。
ニコニコしても、ニコニコしたこととは、関係なく、悪い出来事が発生する場合だってあるのだ。
そういう可能性を、ガン無視して、自分の場合は、ニコニコしていたらいいことがあったから、「ニコニコすれば、いいことが起こる」と言ってしまっているだけなのだ。
何度も言うけど、ニコニコ教祖もまた、自分が言おうとしていることと、自分が言ったことの、ズレに気がついてないのだ。
「ニコニコすれば、いいことが起こる場合はある。すくなくても、わたしの場合、ニコニコしたら、いいことが、一回以上、あった」ということを……ニコニコ教祖は……言いたいだけなのだ。
それを、一〇〇%構文で言うから、一〇〇%詐欺になってしまう。
そして、子どものころから、「ニコニコすればいいことが起こる」と思って生きてきたのに、「わたしだってつらい思いをしたことがある」と言うのであれば、それは、「ニコニコしていたのに、悪いこと(つらいと思うこと)が起きた」ということを意味しているのである。
「ニコニコすればいいことが起こる」と言っているけど、悪いことが起きたということは、「ニコニコすれば、悪いことが起こる場合がある。わたしの場合は、ニコニコしていたので悪いことが起こった」と言うこともできるのである。
「ニコニコすれば、悪いことが起こる場合がある。わたしの場合は、ニコニコしていたので悪いことが起こった」ということを、頭のなかで、変換すると「ニコニコすれば、悪いことが起こる」と言うことができるようになるのである。
「頭のなかで、変換すると」と書いたけど、これは、一〇〇%構文を使って、一〇〇%詐欺をするときの変換だ。
ほんとうは、「ニコニコすれば、悪いことが起こる」という文の意味と「ニコニコすれば、悪いことが起こる場合がある。私の場合は、ニコニコしていたので悪いことが起こった」という文の意味は、等価ではない。
ところが、頭のなかで変換しているとき、これらの文の意味が等価であるという誤解が成り立っているのである。
なので、最初から誤解が成り立っている文が、できあがってしまう。