個別の条件を無視してしまうというのが、最大の欠点なのだ。しかし、これもまた、運用の問題がある。個別の条件を無視して「Xをすれば、幸福になる」と言ったとする。個別の条件を無視しているので、「だれもが」Xをすれば、幸福になるという意味になる。一括思考で、個別性を無視しているのだ。あたかも、いいことであるような気分にさせる。あたかも、有効であるような気分にさせる。しかし、個別性を無視しているので、条件が悪い人はXをしても、幸福にならないことが、決まっている。ところが、そこで終わりではないのだ。条件が悪い人が、条件について、口にすれば……ほんとうは、めちゃくちゃなことを言っている人たちが「そんなのは、あまえだ」「そんなのはいいわけだ」ということになっているのである。これも、運用上、決まっているプロセスなのである。だから、「Xをすれば、幸福になる」という嘘を押しつけられた上に、失敗すれば、「そんなのは、あまえだ」「そんなのはいいわけだ」と言われることになる。条件が悪い人が、相対的に条件がいいかもしれない他者に言われるということになる。これは、最初から決まっている。
「掃除をすれば幸福になる」「親切にすれば幸福になる」「感謝をすれば幸福になる」「掃除をすれば、運があがる」「親切にすれば運があがる」「感謝をすれば運があがる」「掃除をすれば元気になる」「 親切にすれば元気になる」「感謝をすれば元気になる」というようなことを言うけど、最初から、条件に差があるのである。ひどい条件のもとで暮らしている人は、そのひどい条件の影響を受けて、不幸だったり、運がない(と思えるような状態だったり)、元気ではない状態だったりするのだ。だから、条件を無視して、条件の影響を無視すれば、なんとだって言えるのだけど、言っただけなのだ。ところが、「掃除をすれば幸福になる」「親切にすれば幸福になる」「感謝をすれば幸福になる」「掃除をすれば、運があがる」「親切にすれば運があがる」「感謝をすれば運があがる」「掃除をすれば元気になる」「 親切にすれば元気になる」「感謝をすれば元気になる」と言うほうは、絶対にそうなると思っているのだ。だから、「そうならなかった」という失敗報告を受けると、ごく自然に、「そんなのは、あまえだ」「そんなのはいいわけだ」というようなことを言うのだ。ここまでがセットなんだよ。
そして、「自己責任論」と「人のせいにしない論」が、補助システムとして成り立っている。これも、条件に見解なく、なんだろうが、自己責任だということを言っているわけだから、個別性を無視している。この個別性を無視した「三点セット」が、抑圧を生み出すのである。さらに問題なのは、ほんとうは、洗脳されて、「Xをすれば幸福になる」「そんなのは、いいわけだ」「人のせいにするな」と言っている側が、抑圧システムの主役になっているのに、抑圧システムの主役になっているほうが、「正しいことをしている」と思っている点だ。
「Xをすれば幸福になる」と書いたけど「Xをすれば運があがる」や「Xをすれば元気になる」でもおなじだ。「そんなのは、いいわけだ」と書いたけど「そんなのは、あまえだ」でもおなじだ。「人のせいにするな」と書いたけど「すべては自己責任だ」でもおなじだ。
これらの発言というのは、みんな、個別性を無視した発言なのである。これらの発言というのは、みんな、条件を無視した発言なのである。