たぶんなんだけど、ぼくが言っていることを理解してくれる精神世界の人って、少ないと思う。大半の精神世界の人は、理解してくれないと思う。それでも、言わなければならないのだ。ぼくが知っている範囲では、ぼくしか、説明できる人がいない。最終的には、カルマ論は、大きな誤解だったということを理解してほしいのだけど、そんなに多くの人は、理解してくれないだろう。まあ、けど、このさき、どうなるかわからない。
手短に言うと、条件が悪い人が、悪く言われる状態というのをかえたい。条件のちがいがある。条件のちがいは、実際の幸福感に影響を与える。実際の生活に影響を与える。ところが、精神世界の話というのは、条件を無視したところから、はじめるのだ。何度も言うけど、条件が出てきた場合には、条件が悪い人だって成功できるというような話のなかで出てくるだけだ。この話というのは、ほんとうの作り物である場合と、ニセの作り物である場合があるけど、どのみち、多くの人の実態を反映しないものになっている。それこそ、「いいわけ」として出てくるのだ。条件が悪い人は、成功できないということになっているけど、これこれこういうふうに条件が悪い人だって、成功した……ということを言いたいためだけに出てくる話なのだ。成功した……条件が悪い人の条件が……ほんとうに悪いのかどうかわからないのである。条件というのは、複数ある。切り取り方によっては、無限にあるといっていいものだ。だから、どの条件に焦点があてられるかで、印象がちがってくる。そして、「例外」の「実例」として取り上げられた人の「悪条件」とおなじ悪条件だけを抱えている人というのは、少ないのである。「例」として、こういう人がいる。……だから、条件は関係がないというような話になってしまうのだ。条件に関係なく、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」ということになってしまうと、暗い人がいけないのだということになってしまうのだ。暗いことを考えたから、暗いことが起こったと考えるようになってしまう。そして、暗いことが起こったのは、暗いことを考えた人の責任だということになってしまうのである。そして、さらに、そういう人は、前世で悪いことをしたから、今世で、暗いことが起こっているのだということになってしまう。しかし、そういう決めつけは、よくない。そういう決めつけはよくないということを、ずっとずっと、言ってきたのだ。
ともかく、条件を無視することはできない。妄想的な前提で、ほかの人をせめるのはよくない。