2026年3月26日木曜日

●名前だけ店長は、ニコニコしていないから、不幸なのではない(3)■ニコニコ※2026/03/26 15:12

「ニコニコしていたら、ニタニタしていると言われて不愉快な気持ちになった」というようなことを書いた。ニコニコしていたら、不愉快なことが起こったのだから、ニコニコしていたら、悪いことが起こったのである。

ならば、「ニコニコすると悪いことが起こる」と間違った一般化をするともできるというとを書いた。この話は、不自然ではないだろう。

ところで、「すべては、受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」という意見がある。「ニコニコ」と「ニタニタ」に関しても、受け止め方の問題だと言うことが、できるのだ。

この人たちの意見に従えば、一度は「ニタニタしている」と言われて不愉快な思いをしたという認識があるのだけど、その認識を「ニタニタしている」と言われたことは、いいことなのだと、認識しなおせば、よいということことになる。認識をしなおすというのは……つまり、受受け止め方をかえるということだ。

この人たちは、「ニタニタしている」と言われたことはいいことなのだと認識すればよいということを言っているのである。

この人たちは、受け止め方に問題があるときつめつけているけど、ほんとうに、受け止め方に問題があるのかどうかは、わからない。

ぼくは、「ニタニタしている」と言われて不愉快な感じがするのは、正常だと思える。

「ニタニタしている」と言われることが、いいことであるならば、「ニコニコするといいことが起こる」と100%詐欺構文をつくりだすことができるのだ。不愉快だと認識したときも、打とめ方をかえれば、それで、愉快だと思うことができるのである。

だから、その都度、自分にとって都合がいいように、自分の認識を書き換えればいいのだという言い分なのだ……。

受け止め方をかえるということは、じつは、自分の認識を書き換えるということなのだ。しかし、これが、できるのであれば、ある意味、精神異常なのだ。

この人たち……「受け止め方をかえればいい」と言っている人たちは、自然な心の流れ……認識を無視して、認識を書き換えればいいと言っているのである。

しかし、それは、できないことだ。受け止め方がわかるときというのは、それまでの文脈がかわるときなのだ。自我を構成しているルールをいろいろと書き換えないと、「これは、不都合だから、受け止め方をかえよう」と思っても、うまくいかない。

自我そのものの変更を意味するので、意識的な自我が「不都合だから、このように受け止め方をかえよう」と思っても、そのような自我自身がかわっていないのだから、無理なのだ。

「不都合だから、このように受け止め方をかえよう」と思ったときの自我というのは、従来の自我なのだ。だから、受け止め方を、かえるということはできない。書き換えようとしている自我が、書き換えようとしている自分自身を認識してしまう。

最初から「ニタニタしている」と言われたら、いいことが起こったと思う自我の構造と、ほんとうは「ニタニタしている」と言われて、いやなことが起こった(不愉快なことが起こった)と思う自我の構造はちがうのである。

ともかく、人には「受け止め方をかえればいい」なんて言っている人は、なかなか、受け止め方をかえない人なのである。自信をもって「すべては受け止め方の問題だ」と思っているわけだろ。そして、それを激しく主張するわけでしょ。「すべては受け止め方の問題だ」という考え方には問題があるということを指摘されただけで、怒ってしまう人が多い。

ぼくの経験の範囲で言うと「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」と言った人は、みんな、「すべては受け止め方の問題だ」という考え方には問題があるということを指摘されただけで、怒った。

受け止め方をかえられない人たちなのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。