2026年3月16日月曜日

●不幸な人は、「徳」が、たりない人であるというイメージ■社会※2026/03/15 21:31

不幸な人は、「徳」が、たりない人であるというイメージが、刷り込まれるようになっているのである。

それは、不足部分としてイメージされるからだ。

「感謝して掃除をすると幸福になる」というメッセージは、不幸な人が、感謝して掃除をしていないというメッセージになってしまうのである。

「Xをすれば幸福になる」というタイプのライフハックは、じつは、不幸な人には「Xをすることがたりていない」というメッセージを送っているのである。

「だから、不幸なのだ」というメッセージを送ってしまっている。

しかし、「不足」がほんとうに、「不幸であること」の理由なのかというと、そうではないのである。

たえとば、「感謝をすれば幸福になる」と言ったとする。不幸な人は「感謝をすること」が足りていないというイメージをつくってしまうのである。

自分が、感謝をするとき、幸福な気持ちになるとする。だから、「感謝をすると幸福になる」と言い換えたとする。この言いかえの問題については、すでに語ってきた。

「感謝をすると幸福になる」のだから、不幸な人は、感謝(をすること)がたりない人なのだということになってしまうのである。

しかし、何度も言うけど、ほんとうは、条件が不幸な状態を引き起こしていることが多いのである。

条件が相対的によい人が、感謝をする機会があったとする。多数の感謝をする機会があったとする。

「すべてのことに感謝をすればいい」ということになるのだけど、感謝を自然に感じられることがあるし、憎しみを自然感じられることもあるのだ。

条件によって、感謝を感じやすいことが起こる機会が多い人と、感謝を感じにくいことが起こる機会が多い人がいる。

だから、「条件が悪い人が、むりやり、感謝を感じることで、幸福になるのかどうか」ということは、別の問題なのである。

たとえば、うちの父親は、うちの父親だったわけで、問題行動をほんとうに、やっていたのである。うちの父親の脳みそに従うと、そういうことをやってしまう人間なのである。

はっきり言ってしまえば、「虐待されても、感謝感謝」ということにはならない。「頭がおかしい理由で怒り狂われても、感謝感謝」ということにはならないのである。「親父が頑固にやった行為のせいで人前で恥をかかされても、感謝感謝」ということにはならないのである。

それがどれだけ人の心を破壊するか、ぜんぜんわかっていない、「普通の人」が、条件を無視してアホなことを言っているだけなのである。

そして、普通の人がみんなみんな「自分だって苦労した」と言うのである。そして、それは、正しいのである。

たしかに、「自分だって苦労した」というのは事実なのである。「自分だってつらい思いをした」と普通の人が言う場合、「つらい思いをした」ということは、事実なのである。

しかし、つらさの質や、つらさの量がちがうかもしれない。まったくちがう「つらさ」について、言及しているのかもしれないのである。

つまり、自分だって同じ質の、同じ量のつらさを経験したという意味で、普通の人が、「自分だってつらい思いをした」と言う場合、同じ質の、同じ量のつらさを経験していないのかもしれないという疑いがある。

たぶんだけど、同じ質の、同じ量のつらさなんて、経験していないのではないかと(わたしには)思えるのである。

どうしてかというと、「すべてに感謝すればいい」なんてことは、言えないということを身にしみてわかっている人は、「すべてに感謝すればいい」とは言わないと思うからだ。

ともかく、「感謝をすれば幸福になる」と言った場合、条件が悪い人が、感謝する気持ちをもっていないので、幸福ではないのだというイメージを与えてしまうのである。

ようするに、条件が悪い人は、そういう点で劣っているのだというイメージを与えるのである。

その言葉は、感謝をする気持ちがないか、あるいは、感謝をする気持ちが普通の人よりも少ない人間なので、不幸になってるというイメージを与えるのだ。

普通の人が感謝するところで、不幸な人は、感謝しない……から、不幸なのだというイメージを与える。

しかし、不幸な人は、条件が悪いから、不愉快なことをいっぱい経験しているだけのなかもしれないのである。

不幸な人は条件が悪いから、感謝するようなよい出来事が発生する機会が少ないだけかもしないのである。

しかし、あたかも、性格が悪いので、感謝するところで感謝をしないから、不幸になるのだというイメージを(言外に)つくってしまうのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。