2026年5月24日日曜日

●「引き寄せパラダイムに従って」解釈するようになる(1)■思霊※2026/05/20 1:05

「人のせいにしない」「人のためにつくす」とAさんが言ったとする。

Aさんは、「引き寄せ」の専門家だ。

どういうふうにすれば、引き寄せることができるようになるか……という教えのなかに「人のせいにしない」ということと「人のためにつくす」ということが、まぎれこんでいる。

「人のせいにしない」とは、聞こえがいいけど、人に対して言うときは、注意が必要だ。

これ、ほんとうに、他者の責任である場合を否定しているのである。

他者に責任がある場合を否定しているのである。これが、どういうことなのかわかっていない。

何度も言うけど、「人のせいにする」という言葉には、「本来、その他人のせいではないことを、その他人のせいにする」という意味が込められている。「その他人のせいではないこと」を「その他人のせいにすることは、たしかに、よくないことだ。避けるべきだろう。

しかし、「本来、その他人に責任がある場合」も、「その他人のせいではない」と決めつけてしまっている。

たとえば、BさんとCさんとDさんがいるとする。Bさんが、Bさんの意志で、Cさんに迷惑行為をしたとする。そして、Cさんが「Bさんに、その迷惑行為をしないように言った」とする。これは、正しい行為だ。

しかし、BさんはCさんに対して「その行為」をすることやめず、結果として、Cさんは被害を被ったとする。この場合、Bさんには「その行為をした」という責任がある。

なので、CさんがBさんの責任を追及しても、問題はない。

ところが、Dさんが、Cさんは、Bさんのせいにしていると判断したとする。だから、DさんがCさんに「人のせいにしない」と言ったとする。Dさんの見立てだと、CさんがBさんのせいにしているということになる。

しかし、Cさんは、Bさんの責任を追及しただけだ。正しい行為なのである。

だから、「Bさんに責任の所在がある場合」も「Bさんに責任の所在がない場合」もおなじだと、Dさんは考えているということになる。

Dさんは、「Bさんに責任の所在がある場合」も「Bさんに責任の所在がない場合」もおなじだと考えているので、別に、Cさんに対して、失礼なことをしたとは思わないだろう。悪いことをしたとは思わないだろう。

けど、Cさんは、不愉快な気持ちになったとする。

どうしてかというと、「ほんとうにBさんに責任がある」のに、「Cさんが、責任がないBさんのせいにした」とDさんが考えているということがCさんには、わかるからだ。

Dさんは、特に気にしていないだけど、ぬれぎぬを着せられたほうは、いやな思いをすることがある。最初から、一括思考をしているのである。

だれか(1)がだれか(2)をせめたなら、だれか(1)は、人のせいにしているという一括思考をしているのだ。 だれかがだれかをせめたなら、せめたほうは、「人のせいではないこと」を「人のせいにしている」と決めつけてしまうのである。

*     *     * 

たとえば、Dさんが  「人のせいにしない」「人のためにつくす」ということを、ふたつともいいことだと思って、なるべく、そうしようと思っていたとする。

なるべく、自分が実行しようと思っていたとする。

「人のせいにしない」というのも、「すべては自己責任である」という自己責任論とおなじように、『自分』を対象としているのか、『他者』を対象としているのかということが、あいまいな言い方なのである。

自分を対象とした言葉なのに、いつのまにか、他者を対象としている場合がある。他者を対象としている場合は、他者に対して「勝手な決めつけをする」ということになってしまう。

その場合、「人のためにつくす」と言っているのに、人をおとしめるようなことをしているということになる。

別に、「人のためにつくす」ではなくてもいい。

たとえば、「人に親切にする」でもいい。

Dさんは、Cさんに親切にしていないのである。

むしろ、Cさんの名誉を毀損するようなことをしている。

それに、「人のせいにしない」ということを、「人をせめない」ということに置き換えると、Dさんは「Cさんが、Bさんのせいにしている」とCさんをせめている。

Dさんから見て、Cさんは他人なので、DさんはCさんに対して「人のせいにしている」と言える。

たしかに、DさんはBさんをせめてはいない。しかし、Dさんは「ほんらい、Bさんの責任ではないことを、CさんがBさんの責任だと言い、Bさんのせいにしている」と断定している。

とりあえず、DさんはCさんのせいにしている。

Dさんは「Cさんは、ほんらい、Bさんの責任ではないことを、Bさんのせいにしている」と思って……Cさんをせめている。 

*     *     *

これだと、実際に被害を受けた場合でも、「人のせいにした」ということになってしまうのである。実際に被害を受けた人が、加害者のせいにした……ということになってしまうのである。

その場合、実際被害を受けた人が、「人のせいにする」という悪いことをしたということになってしまうのである。

*     *     *

ちょっと、「人のせいにした」ということから、離れて、思霊思考について考えるとする。 

たとえば、のび太がジャイアンになぐられたとする。要するに、ジャイアンが、のび太をなぐったとする。思霊主義者は、「思ったことが現実化する」と思っているので、「のび太が、ジャイアンが自分をなぐると思ったから、ジャイアンがなぐったのだ」と解釈してしまうのである。

対処方法は、のび太が……「ジャイアンは自分をなぐらないと思うこと」になる。

思いが現実化するから、ジャイアンはのび太をなぐらなくなる。

ところが、ジャイアンが、また、のび太をなぐったとする。

そうすると、思霊主義者は「のび太の思い方が間違っているから、ジャイアンがのび太をなぐるのだ」とのび太の思い方のせいにしてしまうのである。

あるいは、「のび太が、強く思わなかったからダメなのだ」と「のび太の思う力」がたりなかったのだということにしてしまうのである。

引き寄せというのは、思霊思考の一種なのである。

だから、「のび太がジャイアンをひきよせた」とか「のび太が、ジャイアンがなぐってくることを引き寄せた」ということになってしまう。

引き寄せた、のび太が悪いのである。

なぐったジャイアンが悪いのではなくて、ジャイアンのこぶしを引き寄せたのび太が悪いのだということになってしまうのである。

思霊主義者は「ジャイアンが自分をなぐってくる」とのび太が、思ったから、ジャイアンが自分(のび太)をなぐるということが現実化したと考えてしまうのである。

引き寄せ信者は「ジャイアンが自分(のび太)をなぐる」と「のび太が思った」から、「ジャイアンがのび太をなぐること」を「のび太が引き寄せてしまった」と考えるのである。

けっきょく、のび太が「ジャイアンが自分(のび太)をなぐること」を引き寄せたから、ダメなんだということになってしまう。

ジャイアンが、自分の意志で、のび太をなぐったのではなくて、のび太が「ジャイアンになぐられる」ということを引き寄せたのだと(引き寄せ主義者は)考えてしまうのである。

*     *     * 

「引き寄せようと思えば、引き寄せることができるのだから、いいことじゃないか」と思うかもしれない。

それは、カジュアルなおまじないみたいなものなのである。

「引き寄せ行為をすると、願いがかなう。自分の願いをかなえるために、引き寄せ行為をする」……。

「別にいいことじゃないか」と思うかもしれない。

しかし、引き寄せパラダイムは、その人自身には、とどまらないのである。

引き寄せパラダイムをもっているということは、引き寄せパラダイムに従って、現実を理解するということにつながる。

そうなると、他者も現実世界に存在するのだから、他者のことも、「引き寄せパラダイムに従って」解釈するようになるのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。