2019年12月24日火曜日

「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない


親友のことを考えても、俺はもう、ボロボロだ。ころろがぼろぼろだ。よくなる感じがしない。ヘビメタ騒音以降、だれといても、圧迫される感じがある。切羽詰まった感じがある。だれもわからない。

家族である気違いが、気違い的な意地で、この世で一番きらいな音を大爆音で鳴らし続けるというのが、どれだけ人を追い詰めるか、わかってない。他の人はまったくわかってない。経験としてわかってない。だから、ぜんぜんわかってない。わかってない。わかってない。

あの音のなかにいるということ自体が、ピンチなんだよ。どうでもいいことじゃないんだよ。感じ方の問題じゃないんだよ。受けとめ方の問題じゃないんだ。文脈があるといっているだろ。たしかに、気違い兄貴にとって気違いヘビメタは、気持ちのいい音だ。爆音で鳴らさないとストレスがたまるのだろう。爆音で鳴らすと気持ちがいいのだろう。まさしく、感じ方の問題、受けとめ方の問題だと言えそうだ。しかし、ちがう。ちがうんだよ。
ボクは、気違いヘビメタが嫌いだった。この世で一番嫌いな音だった。それは、聞いたときからそうなんだよ。聞く前からそうなんだよ。そういう文脈がある。腹がよじれてしまうような音なんだよ。

あんなでかい音で鳴らしていいわけがないだろ。実際多くの自治体では、いまは、騒音にかんする法律がある。

あんな音で鳴らしていいわけがない。目の前がでかい幼稚園で、横の家が離れていたから鳴らせただけだ。気違い兄貴だって、おばちゃんの家に居候したら、あの音のデカさでヘビメタを一日に一分だって鳴らすことはできない。うちでは、好きなときにどれだけ鳴らしたって、(鳴らしてないのとおなじ)気持ちでいられる。これも、うちのなかでは、気違い親父がやり始めたことだ。気違い親父が、気違い兄貴がゼロ歳の時からそういうモードで暮らしているから、うちでは、それがあたりまえになっている。むかしから、うちでは、(やったってやってない)がとおった。とおっていた。気違いが、やりとおすと、その気違いは、やったつもりをもたなくてすむのである。もちろん、気違い的な意地でやりとおすけど、本人は『やってないのとおなじ』気持ちでいられる。そういうことが普通に、一六年間成り立っていた。気違い兄貴がヘビメタをやり始めたとき、うちでは、気違いが意地をとおして、気違い的な意地でやれば、やってないとおなじだという常識が成り立っていた。気違い兄貴が気違い親父のまねをしてやりはじめた。うちでは、なじみのことだったんだ。これが、ヨソの人にはまったくわからない。気違い親父が正常な感覚と知覚を踏みにじって、そういうことを実行してきた。気違い親父は「いえでは」てっぺんだから、絶対におれない。絶対に言うことを聞かない。
「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない。やったやつはそんなつもりはまったくないよ。これだって、どれだけ、問題を複雑にしているかわからない。やった張本人は、気違い的な意地でやるモードでくるらしているけど、そんなつもりがまったくないんだからな。どれだけ気違いか。どれだけこまるか! 兄貴だって、親父にやられていたときは、こまってたんだよ。それを、一六歳になったら、気違い親父のやり方で、ヘビメタを鳴らしやがって。それも、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。それで、やってないつもりなんだからな。じゃあ、言えばやめてくれるのかというと、それは絶対にない。絶対にない世界だ。これが、ヨソの人には、ほねの髄からわからない。だから、俺が悪くいわれる。俺がだらしないように言われる。殺さなければ、一秒だってこっちの意地を通せない。殺さなければ、一秒だってしずかにさせることができない。それを押しつけてきた。そういう状態を押しつけてきた。そういう状態を押しつけてずっと暮らしていたのに、そういうつもりがまったくないという状態だ。つもりがまったくなければ、どれだけやったって、やってないのとおなじなんだよ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。