外壁の上のほうで、なんか音がする。高いところ。雨がふっているけど、雨の影響かもしれない。
けど、最近、「かたっん」っていう音が気になってたんだよな。あーー。
けど、内見のことを考えても、カネのことを考えても、落ち込む。あと五〇〇万円あれば……。カネは重要。
しかし、どうすればいいんだ。
ほんとう、こんなことになるとは、思ってなかったなぁ。たとえば、二五歳のころ、こういう夜、自転車で外に出ていた……。目的地は、まあ、小さな本屋だ。
あのころと、あんまりかわりがないんだよね。
あの頃も、ヘビメタ騒音にやられて、人間関係がズタズタだった。友達は、それでも、三人いた。
けど、その友達とも、ヘビメタのことで、もめてしまう。まあ、もめたのは、三四歳ぐらいのときだけど……。
ともかく、ほんとうは、ヘビメタ騒音がなければ、ちゃんと道を歩けたんだよ。そうしたら、友達とも離れる必要がなかった。
ちゃんとした道というのは、まあ、普通コースだ。たとえば、ぼくなら、大学院に進学して、博士号をとり、研究者として働くというようなことだ。そういうコースが、きちがいヘビメタがなければ、カネのことはともかくとして、ちゃんとあった。
あるいは、研究者になれなくても、教育関係の仕事をして、おカネをもらうことができた。
きちがヘビメタ騒音が、小学六年生のときにはじまらなかったら、ぼくは、体力があったほうだから、ちゃんと仕事もできた。能力もあった。働く意志もあった。
ほかの人たちには、これが見えないのである。
どうしてかというと、きちがヘビメタ騒音が、小学六年生のときにはじまったからだ。
この生活の重さが、ほかの人にはわからない。
ほんとうに、ものすごい勢いで、足を引っ張られるのである。俺は、一〇〇分の一の能力でやっていたんだ。これ、ほんとうに、ぜんぜんちがう。ヘビメタさえなければ、簡単にできたことが、まったくできなくなる。そして、ヘビメタさえなければ、体力があるほうで、ちゃんと、働けたのに、きちがいヘビメタ騒音で、まったく働けなくなった。体力がなくなって、睡眠力がなくなって、体がボロボロになった。学生時代の七年間は、重い。その七年間で、ぜんぜんちがう。毎日、すべての時間をやられた。この、すべての時間というのは、うちにいるときのすべての時間ということだ。
二五歳のときですら、自転車をこいでいるとき、破滅破綻の、切羽詰まった状態なのである。体力状態、精神状態、全部、切羽詰まった状態だ。自転車をこいでいたのだから、元気だっっのではないかと思うかもしれないけど、いつも、元気がない状態でフラフラだった。自転車をこいでいるときの気持ちが並じゃないのである。コースからはずれて、彼女もいない。睡眠回路を破壊されて、バイトですら、通ってやるバイトは、無理なのである。これ、どれだけ自殺したい気持ちになるか。三四歳のときは、もっとひどくなっていた。
* * *
ほかの人のことは、参考にならない。旅行をすれば、楽しいと感じられるやつらだ。ぜんぜん、参考にならない。旅行なんて、ヘビメタ騒音で精神ぶんばらばんだから、つらいだけ。『精神ぶんばらばん』せいしんぶんばらばんというのは、思いつきで書いた表現。人生が崩壊しているさまをあらわすとする。きちがいヘビメタに中学三年間、毎日やられたあと、入試を受けに行くときの気分になってしまう。駅を降りて、試験会場に行くときの気分になってしまう。試験会場に行く前から、きちがいヘビメタ騒音の寝不足で、気持ちも、足取りも、重いのである。楽しくない。旅行をすれば、楽しめる。こういう人たちが「俺だってつらい思いをした」「俺だって騒音ぐらいあった」と言ったって、なーーんも、響かない。旅行をすれば、楽しめる人が、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言ったって、なーーんも、響かない。みんな、「自分だったら、自分がきらいな音が、爆音で何時間も何時間も、毎日鳴っていたって、普通にすごすことができる」と思っている。実際にやられなかったから、そう思っているだけなのに、「自分だったら平気だ」という前提で、無理なことを言ってくる。みんな、「そんなのはあまえだ」「そんなのは言い訳だ」「人間は働くべきだ」と言ってくる。たまたま、きちがい兄貴のようなきちがい家族にたたられなかっただけだろ。それなのに、「エイリより自分のほうが優れている」と思って、アホなことを言ってくる。